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英雄になりたかった少年の物語  作者: ななめぇ
第四章閑話
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とある騎士の物語3




「財務局長ご就任、おめでとうございます」

「ありがとう」


 会議の後、私は財務局長の執務室を訪ねた。

 局長室の新たな主に向けて祝いの言葉を述べ、ちょっとした雑談を交わした後で一枚の報告書を差し出す。


 局長室の新たな主の名はベンヤミン・ユンカース。

 つい先ほどまで、平民出身の財務局幹部であった男だ。


 有能さを広く知られ領主様からも一目置かれていたこの男が危機に直面したのはわずか2月前、とある商家の脱税事件を解決した日のことだった。

 いくつかの誤算が重なったことで出世街道を順調に歩んでいたユンカースは、あわや物理的に首を跳ね飛ばされる寸前まで追い詰められた。

 震える手をテーブルの下に隠し、必死に笑顔を作る彼の様子は今でもはっきりと覚えている。

 なにせ私も一緒に首を飛ばされそうになった、いわば命運を共にした戦友なのだから。


 しかし、生命の危機に直面ながらもそれを乗り越えたという経験は、彼に並々ならぬ自信と豪胆さを与えた。

 あの事件以来、誰もが躊躇する局面で一歩踏み込み、その決断力を以て立て続けに成果を挙げたユンカース。

 歓楽街の件で墓穴を掘った対立候補を容赦なく追い込んで失脚させたことで、ついにその手を財務局長の椅子に届かせた。

 領主様の手ずから任命辞令を受けたユンカースの姿は、敵対派閥の者たちすら異論を挟めないほどに威風堂々としたものだった。


「…………」


 そんなユンカースの顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。


 原因は明らかだ。

 さらに言えば、彼の喜色満面の笑みを曇らせたのは私が提出した報告書だった。

 それは騎士団の事務方の不始末――――とある冒険者を騙して魔力計測を実施した件について書かれたものだ。

 騎士団内部の話は一見して財務局長である彼とは無関係のように思えるが、騎士団の事務方は全て財務局からの派遣された政庁職員である。

 つまり、事務方の直接の上司は財務局長である目の前の男ということだ。


「私が財務局長に就任したのは、つい先ほどなのだが……」

「存じております。私も式に立ち会いましたので」


 ただただ、タイミングが悪かった。

 すでに財務局長に任命されたユンカースは財務局の責任者としてこの部屋にいる。

 自分の在任期間の話ではないからという理由で責任を回避することは不可能だ。


「一体、なぜ……」

「詳細は、お手もとの報告書に」


 うわ言のように呟いたユンカースは、私が持参した報告書に再び視線を落とす。

 その行為に時間稼ぎ以上の意味はないと、彼自身もわかっているはずだ。


 報告書は、すでに十分すぎるほど時間をかけて読み込まれた後なのだから。


「露見しない可能性も……」

「本当にそう思われますか?」


 可能性はある。

 事の性質上、関係者全員が口を閉ざせばバレることはないはずだ。


 しかし、人の口に戸は立てられないし冒険者の情報網も侮れない。

 何かの拍子にそれを知られた場合、そのときになってからの対処は困難を極めるだろう。


 長い沈黙の末、ユンカースは報告書を机に載せてコツコツと指で叩いた。

 正確には、報告書に記載された戦犯の名を。


「こいつでは代わりにならんか……?」

「それが正式な命令であれば連れて行きますが、結果責任は果たしていただきます」


 事態を終息させるために担当者を切り捨てる。

 手法として検討の余地はあるが、それが火に油を注ぐ可能性は捨てきれない。

 火がつきやすいと思われる相手の性格を考えれば上策とは言い難かった。


 結局のところ、その場であらゆる決断を下せる立場にあるユンカースが現場に赴くことこそが、安全に問題を解決する最良の方法なのだ。


「…………可及的速やかに話を進めてくれ」


 立派な執務机に似合いの大きな椅子に寄り掛かり、天井を見つめることしばし。

 ユンカースは絞り出すように告げた。


「よろしいのですね?」

「構わない。むしろ、早く済ませなければ体がもたん」


 腹を手でさすりながら弱々しく告げる男から、先ほどの会議で見せた覇気は欠片も感じられない。

 まるで治療師の下に運び込まれる寸前の病人のようだ。


 いや、それも選択肢のひとつとして彼の頭を過ったことだろう。

 あくまで財務局長就任直後という最悪の時期でさえなかったら、という仮定の上に成り立つ話だが。


「では、失礼します」


 新たな財務局長の献身に敬意を表し、私は局長室をあとにする。


 扉を閉める間際に垣間見た彼の表情は、私の記憶の底に沈めて厳重に封をした。




少し短いので20時頃にもう一話投稿します。

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