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英雄になりたかった少年の物語  作者: ななめぇ
第三章
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黒鬼探し3




「目的地、でしょうか……?」

「わからない。ただ、この洞窟が何に使われているのか推測するための手掛かりくらいはありそうだ」


 ティアの声音にこれまで以上の緊張が混じる。

 しかし、その表情に怯えは見られなかった。


 与えられた役割をしっかり果たしてみせる。

 真剣な表情から、そんな覚悟が伝わった。


 俺もひとつ頷き、進行方向を睨みつける。


「俺が先に行くから、ティアは後ろをついて来てくれ。慎重に行こう」

「はい」


 ちょっとした変化も見落とさないよう、これまで以上に時間をかけてゆっくりと人口の通路を進みながら、背後の灯りより少しだけ強い薄緑の光に目を慣らしていく。

 

(音が聞こえる。人の声は……聞こえない、か?)

 

 通路の先、緑色の灯りの発生源である部屋に近づくにつれ、ゴウゴウと風が鳴る音が聞こえてきた。

 おそらく何か大型の魔道具の稼働音だろう。


(人の気配は……なさそうだな)


 通路であれだけ音を立てても反応がなかったことから予想はしていたが、幸運なことにその空間は無人であるらしい。


 目が慣れたころを見計らい、俺たちは薄緑色の光の中に飛び込んだ。


「なんだ……これ……」

 

 つい、声が漏れた。


 うすぼんやりとした淡い緑色の照明が点在する、天井の高い空間。

 あちらこちらに散乱する書類や液体の入ったフラスコ、そして素材の数々。

 それらは科学者の実験室、あるいは錬金術師の工房を彷彿させる。


「アレンさん、あれ……」

 

 ティアに袖を引かれて見れば、作業台には黒鬼の魔石によく似たサイズの石が無造作に積みあげられていた。

 あの石の一つひとつが黒鬼に化けるとするなら、俺たちではどうにもならないことは疑う余地もない。

 

 この魔石の量だけで十分驚きに値する。


 しかし、俺が目を奪われていたのは、それが霞むほどに恐ろしいものだった。


「これは、黒鬼……?」


 俺の背中にくっついたティアが呟いたとおり、その外見は紛れもなく黒鬼だった。

 目を閉じたまま微動だにせず、緑色をした半透明の液体で満たされた巨大なプールの中、俺が知っている黒鬼の2倍――もしかしたらそれ以上――は大きい黒鬼が、その巨躯を横たえていた。

 大きすぎる黒鬼に対してプールの水深が足りておらず、頭や腕など体の一部が水面に露出している。


 魔道具の稼働音だけが響く室内で、俺たちはしばし呆然と佇む。


「……ティア、プールごと凍結させられるか?」


 一縷の望みをかけて、ティアに尋ねた。

 彼女は少しだけ考えてから、申し訳なさそうに首を振る。


「不可能ではありません。けれど、何回かに分ける必要がありますね。魔力を補充させてもらう時間を含めて、かかる時間を考えると……」

「そうか。この図体じゃあ、一息に凍らせるのは無理があるよな」


 動かないうちに無力化することが可能ならば是が非でも無力化しておきたかったが、そう上手くはいかないようだ。


 とはいえ、元々この洞窟に侵入した目的を考えれば、これを見つけただけで十分な成果に違いない。

 あとは、これを辺境都市の冒険者ギルドに報告すれば俺たちの役目はそれでおしまい。

 

 このデカブツとやり合う必要は、全くないのだ。

 当初の目的は十分に達成された。


 となれば、長居は無用だ。


「よし、今度こそ撤収――――」


 するぞ、と告げようとした丁度そのとき。


 俺の耳は、コツコツと反響する足音を捉えてしまった。


(くそっ、なんてタイミングの悪い!!)


 心の中で悪態をついても足音は止まらない。

 音がする方に視線を向けると、俺たちが入ってきた通路から巨大黒鬼が横たわるプールを挟んで反対側にある通路から聞こえてくる。

 2つの通路はちょうど一直線になるように配置されていて、今は互いに見えない位置にいるが、通路を引き返せば確実に発見されるだろう。

 

 発見される覚悟で逃げるか。

 発見されないことを祈って隠れるか。


 俺は選択を迫られた。


「……ティア、こっち」


 逡巡の末、俺は部屋の中で隠れてやり過ごす方にかけた。

 幸いにも部屋の主は整理整頓をしっかりやるタイプの人間ではないようで、乱雑に積まれた木箱を使えば隠れる場所には困らない。

 俺はティアの手を引いて壁際に積まれた木箱と壁の隙間に二人分の体を押し込み、息を潜めた。


 足音の主がこの空間に姿を現したのは、それからわずか数秒後のことだった。


「ドクター、やはり考え直していただけませんか?」

「考え直すべきなのは君の方だ。なぜ私の研究の素晴らしさが理解できない?」


 落ち着いた若い女と、興奮気味の老人。

 二人分の声と足音が、広い空間に反響する。


 身を隠すことを優先したため、その姿を確認することはできていない。

 しかし、話の内容や声質から察するに片方は研究者――――この部屋の主で間違いなさそうだ。


「ドクターの研究の素晴らしさは、我々もよく理解しております。ですから、こんなことに資金と時間を浪費せず、当初の予定どおりの研究を続けていただきたいのです」

「望みの品ならそこに一山積んであるだろう。好きなだけ持っていけ」

「もっと数が必要です」

「そんな数、一体何に使うつもりだ?」

「研究成果の使い方については、お答えできないと事前にご説明しているはずです」


 女の言葉に、研究者の男はつまらなそうに鼻を鳴らした。


「それと前回、魔石から出現した妖魔が命令を聞くように調整していただきたいとお伝えしていましたが、首尾はいかがですか?」

「魔石を用いて妖魔を発現させる研究は、現状でほぼ完成形だ。これ以上は発展性に乏しいと言ったはずだろう。だから余剰資金で妖魔の個体を強化する研究をしているというのに、どうして理解できんのか。まったく、君といい前任といい、騎士というのは頭が固い人間しかいないのかね」

「では、ドクターの研究では実現不可能だと?」

「それは挑発のつもりかね?何と言おうとできんものはできん。妖魔を飼い慣らしたいなら、調教師でも頼ればよかろうよ」


 男の言葉を最後に、二人の間に沈黙が流れた。


 男のものと思われる足音は巨大な黒鬼の周囲を動き回っている。

 女の足音は聞こえないから、おそらくその場を動いていないのだろう。


 なんにせよ、どちらも今すぐこの空間から立ち去るつもりはなさそうだった。


(さて、まずいことになったな……)


 彼らが立ち去らないせいでここから動けそうにないことは、まあ良い。

 いや、本当は全く良くないのだが、そんな問題がどうでもよくなるほどの大問題が、俺の前に立ちはだかっている。


 研究者と会話していた若い女。

 どこの悪の組織の女幹部かと思いきや、なんと騎士だという。


 騎士とは、言ってしまえば貴族が抱える私兵のことだ。

 それはつまり、お隣さんかそれ以外か知らないが、どこぞの貴族様が物騒なものをお望みで、おそらくは少なくない資金を提供して、この男に妖魔の研究をさせているということ。

 しかも、先ほど確認した100は下らない魔石の山でも満足せず、その用途も口外できないときている。


(いや、俺は学のない冒険者だから、用途なんて想像つかないがな……。はあ……)


 明らかに、知らない方がいいことを知ってしまった感じがする。

 そんな不運を嘆いても手遅れだ。

 俺たちがここに居ると知ったら、女騎士は絶対に俺たちを殺そうとするだろう。

 なんなら全財産賭けてもいい。

 

(いっそのこと、先制して向こうの口を封じるか……?)


 こんな辺境で騎士の大部隊を動かしたら人目につくし、その情報が都市に届けばウチの領主様に怪しまれる。

 そう考えればここにいる騎士やその手勢はそこまで大規模ではないはずで、この洞窟の中にいる奴らを殲滅してから逃走を図るというのは、悪くない選択肢に思えた。


(向こうさんのやってることを考慮すれば、英雄見習い的にもセーフ……か?いや、そもそも騎士たちを一人も逃がさずに殲滅するのは難易度が高いか……)


 戦闘になったら、どうあってもティアの魔法を頼ることになりそうだが、残念なことに<氷魔法>の使い手はそこまで数が多くないらしい。

 こいつらの親玉が戦いの痕跡を辿って俺たちにたどり着くことは、難しくないだろう。


 せっかく奴隷商との人生を懸けたかくれんぼを生き抜いたのだ。

 この上、貴族を相手にかくれんぼを始めるなんて、絶対に御免だった。


(やっぱり、初志貫徹だな……)


 見つからないように隠れ続け、隙を見て逃走する。

 これしかない。


 俺は後ろ向きの決意を新たに、前にもまして気配を殺した。


 だから、その音は鮮明に俺の耳に届いた。


「うん、なんだね…………ッ!?ぎぃっ、あ゛っ!!?」


 女騎士のものと思しき足音。

 研究者の悲鳴。

 何かを刃物で刺し貫いたような音。

 何かがプールに落ちたような音。


 俺の頭の中に、木箱の向こう側で発生した惨劇のイメージが勝手に組みあがる。


(いや、まだだ……!まだ、そうと決まったわけでは……!)


「まったく……。どうして研究者というのは、こうも自由な人間ばかりなのか」


 俺の願いをかき消すように、女騎士はわざとらしくため息をこぼした。

 研究者の声は聞こえない。

 

 もう、認めるしかない。

 女騎士が、研究者を処分したのだと。


「……ッ」


 隣に視線を送ると、ティアの表情は強張っていた。

 彼女も今の俺たちが置かれた状況に気づいている。

 ワンドを握る両手には力がこもり、緊張と恐怖で震えていた。

 

(仕方ない。俺だけでも……)

 

 俺は背負った剣の柄に手をかける。

 

 女騎士は研究者を殺した。

 その事実は俺が抱えていた躊躇いを大きく軽減し、俺に一歩を踏み出させるには十分なものだった。

 

 それに先ほどと違って相手は一人だけ。

 成算はそこまで低くない。


 俺が動きを見せたことで、ティアが俺の行動に気づいた。

 身振りで戦闘を開始することを伝えると、ティアも覚悟を決めたようだ。

 依然として表情は硬いままだが、それでも後衛の仕事はしてくれるだろう。


 大きく息を吸って、吐いて。

 

 ゆっくりと動きながら、体を解していく。


 準備が整った俺は、腰を浮かせ――――


「ついでに、この()()()()も処分しておくか」 


 木箱の影から飛び出す寸前で、動きを止めた。


 女騎士が言うデカブツとは何か。

 

 わかりきっている。

 

 巨大な黒鬼――――それ以外には考えられない。


(おい、やめろよ、何するつもりだ……!?)


 大鬼は緑色の半透明な液体で満たされた大きなプールに横たわっていた。

 その巨躯は何かで拘束されているわけではなく、先ほど見た限りではスイッチひとつで即死するような状況でもなかったはずだ。


「こんなもの……言うことを聞かなければ危険なだけだろうに」


 ガッ。


 硬い物同士がぶつかるような音が響いた。


 ガッ、ガッ――――と同じ音が続き、それが何度か繰り返された後、女騎士は舌打ちする。


「…………硬いな。この気持ち悪い液体で濡れるのも御免だし、癪だがこちらを使ってみるか」


 ガサゴソと何かを漁るような音に続いて、パシュッと気の抜けた音が聞こえた。


 聞き覚えがある音だ。

 もう数年も前のことだが、俺の人生における重大な転機で聞いた音だから今でも記憶に残っていた。


(魔法銃か。面倒なものを……)


 銃口が向けられた先が俺自身なら<結界魔法>で容易に防ぐことができる。

 ただそれをティアに向けられたら厄介だ。

 

 だが――――


(発砲音の間隔からして連射は無理。チャージに要する時間は15秒程度……。それだけあればいける!)


 次の発砲音の直後、再装填が完了する前にケリをつける。

 ティアに目配せし、俺は再び腰を浮かせた。


 そして――――その音が聞こえた瞬間、俺は木箱の裏から飛び出した。


 横たわる大鬼の頭部の傍、魔法銃を手にした女騎士と視線が合う。

 所々に装飾が施された銀色の鎧を纏い、長い金髪を後ろでまとめた妙齢の女性。


 その表情が驚愕に染まった。


「貴様、いつから!?」


 問いに答えることなく、大鬼が眠るプールの横を最短距離で駆け抜ける。

 俺の顔を見られた瞬間、俺と女騎士が殺し合うことは確定しているのだ。


 会話は必要ない。

 女騎士が態勢を整える前に、斬撃を彼女に叩き込む。


 それだけを考えて、女騎士との距離を詰めた。


 しかし――――


「舐めるな!」


 戦闘を生業にするだけあって、女騎士の立ち直りは早い。


 魔法銃のチャージが間に合わないことを悟ると躊躇なくそれを投げ捨て、腰に佩いた剣を素早く抜き放つ。

 その動作は滑らかで、完全に意表を突いたはずの奇襲に対しても間一髪で迎撃を間に合わせた。

 目の前に突如出現した敵への素早い対処が、彼女の騎士としての練度を如実に物語っている。


 剣を合わせるまでもなく理解できた。

 この女騎士は、きっと強敵だ。


 だから――――


「――――ッ!」


 俺と女騎士に違いがあったなら、それは心構えの有無だろう。


 自分でタイミングを定めて襲い掛かったがために周囲の状況を確認する余裕があった俺と、突如襲い掛かってきた俺を迎撃するために全神経を集中する必要があった女騎士。


 結果として俺は()()に即座に反応することができ、女騎士の動きはあまりにも鈍かった。


「は?」


 それが女騎士の最後の言葉だった。


 次の瞬間、大質量の漆黒が女騎士を薙ぎ払った。




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