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「整ー列ッ!」
警察科主任学科長・渡会鉄兵教諭による音頭に合わせ、生徒らは並んで駐車された教材車の前に十人×四列の隊列を形作る。渡会は一糸乱れぬその前を鬼軍曹の面構えで闊歩し、口を尖らせた。
「よし、休め! 今日の実習は、いよいよ朱龍団のアジトに潜入する訳だが、いいか、如何に如何なる状況に於いても、油断ほど命の灯火を風上に置く要素はないッ!かつての侍も、敵を前に怖気づいたが最期だった。お前達は現代に生きる侍だ!その自覚が命より大事だ。くれぐれも足下には気を付けるように。今日も無事故で、安全第一に!」
「「「安全第一に!」」」
渡会学科長に敬礼し、それぞれの配置に就くべく速やかに駆け足解散。
見た通り、部員は四つに班分けされ、それぞれが協力し合って一つの組織として稼働している。科員は総勢四十名だから、区切り良く十人ずつの配置だ。各班とも本物の警察と連携しているから、高校生だからと言って甘く見ちゃいられない。
流郷尚人、十六歳。この国立桜高等学校・警察科に入学する新一年生だ。
この学校は本年度を創設年として歴史を刻み始めるので、記念すべき第一期生に属する。更に新設校であると同時に世界で始めて【高等学校・警察科】を導入した学校でもある。旧制では警察官になる為には【警察学校】に通う必要があったが、国の経費削減の為に高校の教育カリキュラムの一環として今年度より併合。
三年間で法律や護身術、過去の事件例などを学ぶ。
定員は四十名限定、全国から厳しい審査を潜り抜けた精鋭達が集まる日本唯一の学び舎だ。
後に全国に六十校が開校予定であり、本校は試験的な意味でその先駆けとなった。
あまりにも幸先の良いスタート、前途は明るい!
まず始めに、自分の所属する【神馬遊撃隊】は学校が所有する特殊車両に武装した部員が乗り込み、凶暴な犯罪者に決死の突撃を仕掛け強制逮捕まで持ち込む勇猛果敢な班だ。相手にするのは長距離逃走犯や立て籠もり、三十人程度の小規模武装集団等で、一種のローインテンシティ・コンフリクトも承る。また、車を使った活動が非常に重要な為、月に一度、本庁機動捜査隊の協力を得て運転技術講習会に公式参加している。
「危険に対する抵抗力も付けておかなければ立派な人材にはなれないから、一生懸命頑張るぜ!」っていう志士の集う熱き班。
二つ目【聡犬調査隊】これは事件や犯人に関する情報や証拠等、種々のデータを集める諜報班で、実際に警視本庁データベースと情報を共有している。事務的ないし内勤的な目で見られがちだが、現場に出る機会は多い。その誤解を生む最たる理由としては、ここ数十年で凶悪犯罪が大幅に増加したものの、警察の仕事の七割は未だにお役所臭漂う泥臭い捜査が占めているからに他ならない。
日々進化する犯罪に先手を打たれぬよう、備品や機材なども最新鋭の物を取り揃え、正直、馬鹿にならないくらい頼もしい。
三つ目【敏鷲追跡隊】は追跡の専門チームで陸・海・空の全方位から縦横無尽に逃走犯を追い詰める。警察科の生徒は入学と同時に強制的に普通自動車MT免許を取らされるが、ここに配属された者は小型ヘリコプターの操縦免許と二級船舶操縦免許も取らされる。費用は学校が全額負担。十四年前から車も船も航空機も『運転免許系』は全部満十五歳から取れるようになったからだ。
この班に配属されると、運転技術だけでなく、突然のトラブルにも対応出来るようエンジンに関する知識や機械工学等、工業教科も齧った学習を取り入れている。
最後にもう一つ、これは当番交代制で稼働する特殊な班が、詳しくは正メンバー十人と、二週間毎に各班から一人、当番を割り当てて稼働している。
……時間だ、詳しくはまた後ほど。
キーを掴み、実習用のパトカーに乗り込み、エンジンをかける。
***
「あ~あ……」
「自然に出る溜息ほど虚しいものはないよ」
「仕方ねえだろ。入学から五ヵ月経ったってのに、このザマだぜ。何て言うか、あの頃はなんて暢気だったんだろうな、俺達は」
「ドラマに出てくるような格好いい感じを想像して来たはいいけど、理想と現実のギャップっていうのか?」
それにしちゃぁ、これはちょっと酷だ。
「おい、だらけんじゃねぇ!お前らがサボんのは勝手だろうが、教務審査中の俺に迷惑掛けるとか有り得ねぇからなぁ!補習させるぞこらぁ!立てよ!」
「「「……」」」
「なぁおい、教育委員会ってのは、幼稚園にあるのか」
「あ?」
「あいつだよ。あんな教育者、とっくに俺のキャパ越えてやがる」
「あぁ、あれね」
堀田喜良教諭。逞しい肉体に反比例して性格と頭はめっぽう悪辣、暴力で生徒を服従させようとする悪代官に類する男。
「こういう鬼教官みたいなのも必要悪だとさ。笑えるよな」
「都合の良い事抜かしやがる。高ぇ授業料払って受ける授業が、オトナ子供のお守とはな。俺らの親が払ってる税金がアイツらの給料やボーナスになると思うと悔しくてたまらん」
今日は一限目から【基礎体力養成】の授業が入っている。警察科だけの特別時間割だが、世間一般で言う体育みたいなのかと思って余裕こいていたら、桁違いだった。
「四○○メートルトラック五週からの馬跳び一○○回、腕立て伏せ三○回×五セットだ。女子だろうが手加減しねぇ、お前らは訓練生であって、ただの高校生とは違うんだからな。この授業で甘える奴は全員警察官になんかなる資格はねぇ。草でも抜いてろ」
チンピラ傭兵部隊。これで基礎と枕詞が付くのが、果てしなく厭味ったらしい。
「そらそら、モタモタすんなぁ~へっぽこぉ~。そんなんで警官になれるんかぁ~」
堀田がくたばった生徒の尻を箒の柄で突いて回る躾タイム。
「何しさらす!ええ加減にせえタワケ!」
陰湿な行為に耐えかね、大間騎士が立ち上がった。
「あちゃー、始まっちゃったよぉ、また」
騎士は警察科のダイナマイトと畏れられる腕っぷしの強い豪傑。名前からして危なっかしい。
どうして警察科に入ってきたのかよく分からない奴の〝筆頭〟だ。
「へえへえ?今俺に文句を言った奴は誰だあ?おやおやおや?聞こえたぞ~」
威嚇する霊長類のように、黄色い歯を剥き出して徘徊を始める堀田。
「どこ見てる、俺じゃ。こっち向かんかい腐れ公務員!」
口は悪いが、的確に的を射た煽り文句で猛り狂う騎士。
「……ほぉ~ほほ、教官に向かって何だ、その口の利き方は。え?コラ」
世にも下劣な目つきで騎士に一歩歩み寄る。生徒を威嚇する際に必ず見せる顔だ。
「どこが教官だ。恥を知れ能無し」
ここで危険を察知した数人がブロックに入る。何の事はない。
もとよりこんな事は日常茶飯事、俺らにとって常識の範疇であり、日常風景に過ぎない。
「おい、もうよしとけよ騎士。ペナルティがつくぞ」
大柄で怪力の騎士を抑えるには、四人掛かりでも手に余る。
「おう、よく分かってるじゃねえか流郷。お前ら、もう三週だ行けぇ!」
もみくちゃになる俺を見下ろし、悍ましい笑みを浮かべた。
「「「やってられっかぁー!!」」」
鉛のように鈍重な体を引きずって教室に戻ったら、十分間の小休止を挟み【刑法】の授業が始まる。この教科はタイプ分けすると古典のようにひたすら文字をノートに植える授業、しかも地獄の鍛錬後という事も手伝って視聴率は最低値を記録した、いつもの事だが。
「警察法は昭和二十二年に制定後、七年の時を経て全改正されました。これにより、初期のものは旧警察法と呼ばれます。それから百十四年の間に細かな改正、補足が成され、現在に至る訳です。
法規は常に変遷し、それに呼応して犯罪の手口も巧妙に追従し世に蔓延します。勿論、警察としても常に最強、最優先、最先端の3S防犯活動を掲げています。そこまでしても、犯罪者も馬鹿ではありませんから――メディアではよく鼬ごっこなんて言われたりします。この単元は暗記が全てです。試験に出す要所は――」
大多数が机と熱烈な接吻を交わす中、壇上で男性教師が抑揚なく喋り続けている。文字にすると軽快なトークかもしれないが、実際に目の当たりにすると恐ろしく陰鬱である。語り部の見るからにガリ勉の鎌田鉄志教諭はエリート教師で学科長に継ぐ次席の幹部教員をやっている。
「あいつ、あの顔で剣道四段、合気道二段の武道家なんだってよ。でも、人望はめっぽう薄いらしい。情報通の用務員さん曰く、職員室に彷徨う疫病神そのものだってよ」
「へ~」
「~はい、じゃあ室田さん、教科書の六十二ページを読み上げて下さい」
私語には一切の反応を示さない。感度が悪い、安物のロボットみたいだ。
「う~い」サッカー部上がりの体育会系、室田至道が緩慢に起立した。
「ん~っと、昨年度より改定された銃刀法、及び車両兵器取締法の第六条二項段落Aは」
独特の節回しで音読する彼の隣では、佐々木雅がダンベルで筋トレの真っ最中だ。この容姿にそぐわず乙女な筋肉オタクは、暇さえあれば体のどこかを鍛えている変わり者だが、どうやら頭を鍛えるという事には無関心らしい。
後席では先生と同種のガリヒョロ眼鏡、田中道教が必死にノートを走る。口数も少なく、人気投票では最下位を飾った彼には、もう少し紫外線とプロテインを投与してやりたいね。斜め後ろを振り返ってもらうと、容姿は良いがなんとなく感じ悪い榊原聖王がジト目で睨み付けている。俺様はこの中で一番だ、お前らとは違うんだ、そんな態度をとる蜥蜴みたいな奴。
その傍らでは天使のような女の子が、頬杖を突いて居眠りをしている。細身に似合う黒髪のボブ、白い肌に形の良い胸。アロマの趣味でもあるのか、常に金木犀のように甘い香りを纏っている。彼女の名は塚原空。得意なスポーツはバレー、料理好きという俺のタイプどストライクな子だ。
自慢だけど、このクラスは本当に個性の塊だと思う。
良しも悪しも含め悲喜こもごもだけど、漫画のように見事な構成だ。わざとじゃないか?何者かが意図的にそうしたんじゃないか? やはり自分たちは選ばれた者なんじゃないかと思う。
「~流郷さん、三番の答えを教えて下さい」
「……ん、っと、ゴホン、あーっと……あの、聞いてませんでしたぁサーセン!」
ドッと笑いの渦に包まれた。