7話 デート
「ジオ!ごめんなさい、待たせてしまったかしら?」
「いいや俺が早く来すぎただけだ、謝ることはない。それに時間で言えば一時間待ったがリーティアのことを考えていたら体感時間として六分の一くらいだ」
ダンスパーティの約束をした次の日。リーティアは王都の服屋の前でジオと待ち合わせをしていた。
寮の前で待ち合わせてもよかったが、他の生徒に見つかって馬鹿にされでもしたら気分が台無しなので少し離れたところにした。
「君が来るのを今か今かとずっと楽しみにしてたんだ。初めて会った日に見たパーティ用のドレスも綺麗だったし、いつも見ている制服も清楚で良いと思うし、ダンスの授業用の練習着のシンプルなシルエットもどれも似合うが、私服は見たことがなかったから」
「う、うん」
真面目な表情のまま深い藍色の目をキラキラと輝かせて語るジオに、これから来る殺し文句を覚悟しリーティアが身構える。
そう、だから学園の敷地内を出た場所での待ち合わせにしたのだ。
こんな自分が休日に、明らかにデート用に着飾った私服でいるところを他の生徒に見られたらどんなに馬鹿にされるか分からないから。
「可愛い。これしか言えないくらい可愛い。可愛い、凄く可愛い。駄目だ、言葉で表せない以上の可愛さはどう表現すればいいんだ?俺は生まれて初めて嘘をついてしまうのかもしれない。可愛い以上の存在を可愛いという言葉でしか言えなくて」
「も、もういいから!それ以上言わないで!」
これを軟派な男のように軽薄な表情で口説き文句として言うならまだいい。至って真剣に言うからタチが悪いのだ、この心臓に悪い人は。
「ああ、本当にすまない。これ以上は光の精霊に見放されてしまうかもしれないからな……俺の語彙が貧相なばかりに……」
今日のリーティアの服は、胸元にリボン、袖口や裾にレースとビーズがあしらわれた、フリルスカートの水色のワンピースだ。
去年実家から誕生日プレゼントとして贈られたもののあまりに可愛らし過ぎて、醜い自分では到底似合わないだろうと思いクローゼットの奥底にしまっていたもの。
今日はそれを着て来たのだ。ジオとのデートのために。たとえ他の人にはギョッとされるとしても、ジオなら可愛いと言ってくれると思ったから、一番可愛いと思う服で行こうと思った。
「可愛い……ああまた言ってしまった、ちょっと待ってくれ簡単な魔法を使ってみる。まだ俺は光の精霊に見放されてないな?」
結果は大成功であった。可愛過ぎて『可愛い』だけじゃ足りなく嘘になるから言えないと、ジオを困らせてしまうくらいに。
何事にも動じないジオのこんなに焦る姿は初めて見た気がする。
「よし使える、まだセーフだ……」
「なんだか嘘発見器になりそうね、それ」
ちょうどリーティアとジオの間を弱々しく飛び、道端の花壇に止まった蝶がいた。その傷ついた羽を元に戻し、ほっと一息をついたジオに思わず笑いがこぼれる。
蝶はすぐに元気になり、嬉しそうに花から花へと飛び回って行った。
「じゃあそろそろ行きましょう、ジオ」
「ああ。悪い、俺のための買い物なのに早々に脱線してしまって」
二人で蝶が次の花へ向かうのを見送った後。
待ち合わせ場所兼目的地であった服屋にようやく向き直った。
「リーティアはこういう店はよく行くのか?」
「ううん、あまり。小さい頃に母に連れられて来た以来かしら」
今日はジオのダンスパーティ用の服を選びに来たのである。
昨日次のパーティでのエスコート役を受けてくれたジオであるが、実はパーティ用の服がなかった。学園入学の際に国からそれなりの準備金はもらったものの、パーティ用の服など今まで縁がなく、何を買えばいいかわからなかったらしい。あの初めて会った夜もダンスパーティの日であったが、制服では参加できないと知らずに会場まで来て追い返され、仕方がないから周囲を散策していたという事情だったようだ。
というわけで、この休日に一緒に服を買いに行こうとリーティアから誘ったのだ。
「オーダーメイドじゃなくて今は既製品もあるから、試着もできるし好きに選べばいいわ。私も見てあげる」
「じゃあリーティアのドレスの色と合うように選ぼう。次は何色のドレスを着るんだ?」
「そうね。まだ先だけど、私は」
フォーレント学園のダンスパーティは年に四回、季節の初めごとにある。秋のダンスパーティは終わったから、次は冬の初めだ。
「私は……」
そんな先に着るドレスのことを考えてわくわくしている自分に気づき、リーティアは小さく息を呑んだ。
ほんのひと月かふた月か前まで、自分なんかが着飾ったって無駄だと、ただの醜い悪足掻きだと、どんなに綺麗なドレスを見ても暗い気持ちにしかならなかった自分が。
「私は……白にしようかしら。金の刺繍が入ってたら、もっといいわ」
「……!最高じゃないか!」
いつのまにこんなに変わったのだろう。白と金のドレスが着たいなど、今までの自分じゃ口が裂けても言えなかった。
なのに今ジオと目が合った途端とても自然にこぼれ落ちた。この色がきっと一番綺麗じゃないかと。
「絶対に似合う。さっそく試着しよう。この店だけじゃなくて他の店のドレスも片っ端から試そう、とりあえずここの白いドレス探して来る!」
「待って、今日は私よりジオの服を見に来たんだからね!?」
止める間もなくジオが男性用の服のレーンから女性服レーンへと駆け出す。
いやリーティアのドレスは買う必要は無いのだ。実家から定期的に送られてくるのでもう充分持ってる。殆ど袖を通すことなく、あまり見ることもしなかったドレス達が。
「ジオ、待って!」
きっとあの中に白いドレスもある。金の刺繍が施されたものだって。今日の水色のワンピースのように、日の目を見る日を待っている。
「……っ、リーティア!」
と、その時。血相を変えたジオが駆け戻ってきた。
「どうしようリーティア、大変なことに気づいた」
「え?」
財布でも落としたのだろうか。それとも急に具合が悪くなったとか。
「そんな。どうしたの、大丈夫?」
不安になって尋ねるリーティアに、ジオはこの世の苦しみを一手に引き受けたかのように悲壮な顔で言った。
「……試着をするためには、そのワンピースから着替えなきゃならない……なんてことだ……こんなに世界一可愛いのに……!」
その、苦悩に満ち溢れた言葉に。
「……なんてこと……」
白と金のドレスに、水色のリボンもつけた方がいいかなと、ワンピースのリボンに手を添えながら考えるリーティアであった。
◆◆◆
「服を選ぶのは楽しいな。今まで服と言えば先輩達のお下がりか店の売れ残りの支給だったから、買うために選ぶなんてことなかった」
「まだ一着もジオの服を見てないのだけど……」
いくつかの店を回り、休憩のために入ったカフェでのこと。
「次はどんなドレスを見よう」
「ジオが着るのはドレスじゃないけど……」
すっかりドレス選びに夢中になってしまったジオを前にして、リーティアは半分諦めの気持ちで相槌を打ちつつ、ティーカップの紅茶にミルクと砂糖を混ぜていた。
「俺の服よりリーティアの着る服を見ている方がずっと楽しい。有意義だ」
「もう!」
半分は諦めの気持ちである。
ただ、もう半分の嬉しい気持ちも負けていなかった。
今まで着飾るということは馬鹿にされることと同義で、どうしても多少は着飾らねばならないダンスパーティでは、見る人の顔を歪ませてばかりだった。それが苦痛だった。
けれどジオは、ジオだけはリーティアが着飾ることを喜んでくれる。新しいドレスを身体に当てるたび顔を輝かせてくれる。それが嬉しい。
だからリーティアもジオを諌めつつ本気では止められないのだ。
「そういえば、俺がいた商屋でもドレス……とまではいかないが、上流階級向けの服も扱ってたんだ。きっとリーティアならそれも似合うんだろうな」
「ジオが前まで住み込みで働いていたところよね。服飾品のお店だったの?」
「いいや、服だけじゃない。本から食べ物までなんでも売ってる。何屋かと言うならなんでも屋だ」
「へぇ……」
会話の流れで、ジオが学園に来る前に居たところの話になった。今までも何度か聞いたことはあったが、こうして詳しく聞くのは初めてである。
「そこでの仕事はどんなのがあるの?」
「荷運びとか、在庫の整理とか、簡単な帳簿付けとか……基本的にルーティンだがそういえば接客だけは皆奪い合うようにしてたな。特に同輩達が」
「ふぅん……?」
「皆普段はそんなに仕事が好きなタイプではないんだが」
かつての仲間達のことを思い出しているのだろう。ジオが薄く目を細めて懐かしそうに言った。
「俺が接客しようとすると皆慌てて裏方から出て来て代わるって言ってくるんだ。よっぽど接客が好きだったんだな」
「多分それ好きなのはそっちじゃないわ」
やはりジオは昔からジオらしかったようである。
正直者過ぎるジオが客相手に失言しないようフォローしてたと思われる仲間達を想像し、リーティアはくすりと笑った。
◆◆◆
時は過ぎ、夕日の差し掛かる王城の一室にて。
「殿下。例の件に関する報告です」
「うむ」
アンドリュー・ラフィザードが肘置き付きの椅子に腰掛け、従者に調べるよう命じていたとある事柄に関する報告書を受け取っていた。
「下がれ」
「はっっ」
報告書に問題がないことを確認し、一瞥もくれずに言うアンドリュー。
「……なるほど。本当に私の忠告を聞くつもりがないようだな……さて、どうしてくれよう」
報告書の文章を追いながら、アンドリューの美しい青の瞳が急速に冷えていく。豪華な家具で囲まれた部屋で、その一言はやけに響いた。
「ふむ……確か東の果ての地方に、おあつらえ向きなところがあったか」
楽しげに、無情に紡がれる独り言。
それはこれから一人の男に降りかかる残酷な未来を示唆していた。
「ジオ・ウェールス……三度目は無いぞ」
楽しげなトーンから一転、アンドリューの声が瞳と同じくぞっとする程の冷たさを帯びる。
ダンスの授業での時と、昨日の呼び出し。忠告は二度にも渡った。
それを無視したのはあの男の方。
「言ってわからぬと言うならわからせてやろう。私の『妖精姫』に……リーティアに近付く男がどんな末路を辿るのか」
カッと部屋に閃光が走る。
アンドリューが書斎の上に無造作に置いていたダーツの矢を取り、目にも止まらぬ速さで壁に放ったのだ。
そして何事もなかったかのように、壁からくるりと背を向けるアンドリュー。
その背の向こう。ラフィザード国の地図が掛けられた壁、その右端に、ダーツの矢が深々と突き刺さっていた。