6話 素直に
風魔法の授業が無事に終わってから、あっという間に数週間が経った。
「リーティア!今補習終わったところか?」
「ジオ。ええ、そうよ」
ある日の放課後。補習授業のためとっぷりと日が暮れてから園舎を出ようとしたリーティアは、丁度向かいから歩いてくるジオと鉢合わせた。
疲れた身体が急に軽くなった気がする。暗く憂鬱なばかりだったリーティアの日々に、こんなふうにふとした瞬間光が差すようになってどのくらい経っただろう。
「ジオはどうしたの?貴方も補習?」
「いや?ちょっと呼び出しを受けてたんだ」
何の約束もしていないのに、こんな偶然会えるなんて。今日は運の良い日だ。
そう自然と胸に浮かんだ言葉をそのまま口に出そうとして寸前で止める。危なかった、恋人でもないのにこんなことを言っては変に思われるところだ。
「何の約束もしてないが、偶然会えて嬉しい。今日は良い日だな」
「ひゃあっ!」
「リーティア!」
園舎を出てすぐの石造りの階段の最後の一段を踏み外してリーティアが倒れる。
「大丈夫か!?悪かった、支えるのが間に合わなくて」
「だ、大丈夫よ、ちょっと捻っただけだから……」
たった今思い浮かべた通りの言葉を言われて驚いた。まさか心の中を読まれたのかと思って。
「このくらいならすぐ治せる。触れてもいいか?」
「えっ、あ、うん」
心配げな表情でジオがリーティアのすぐ隣に膝をつく。その手が赤く変色した足首に触れた途端、足首のズキズキとした痛みがふっと消えた。
代わりに胸がドキドキと痛くなってしまったが。
「痛みはどうだ?」
「う、うん、もう無いわ!全然!凄い、もうどこまでも走れる気がする!」
胸の高鳴りを誤魔化すため、妙にハイテンションな受け答えになってしまった。変だと思われてなければいいけども。
「本当に凄いわ。これが光属性の最大の特徴の治癒魔法なのね」
ただ、凄いと思ったことは本当である。これが光属性持ちが国に優遇される最大の理由だ。
以前ジオが使ってみせた植物を急成長させる魔法なら、効果は劣るが土属性の魔法にも似たようなものがある。しかしこの治癒魔法は他属性では逆立ちしたって使えない。これまで数多の研究者達が他属性でも治癒魔法を使えないかと取り組んできたものの、未だに何の芽も出ていないのだ。
「治癒?まあ、結果的にはそうだな。正確には違うが」
「え?」
細胞を活性化させ、患者自身の治癒能力を高める。それが光属性の治癒魔法の仕組みだと授業で習った。この細胞の活性化を他属性で担うことができればと、研究が続いてることも。
「正確には時を戻しただけだ。怪我をする前の細胞に」
「へっ?」
「だから治癒魔法じゃなくて時間魔法だな。ああ、前に中庭の木の花を咲かせたのも、成長させたんじゃなくてあの木の時間を少し前の開花時期まで戻しただけだ。まあ来年の開花時期まで進めることもできるが、未来は不確定だから戻す方が確実なんだよな」
「え、ええええ!?」
使える者が極端に少ない故、サンプルが少なく研究も他属性と比べ遅々として進んでいなかった光属性魔法。しかしこれが本当ならそもそも研究の根本から間違っていたことに。
「そんな世紀の大発見をこんな世間話みたいに言っていいの……!?」
「別に今までも聞かれたら答えてるけどなぁ。皆信じないんだ。そういえば光の精霊は自然を愛する美しい心を好むとかも言われてるが、それも違うな」
「そうなの!?」
魔法は精霊の力を借りて行使するもの。故に精霊の好みによって使える人間も変わる。火の精霊は情熱、水の精霊は美しさ、風の精霊は自由、土の精霊は知恵のある者を好むといったように。
そして光の精霊は森羅万象全てを包み込み愛し、見返りを求めない、深い慈悲と無欲の心を持つ者を愛する。
他の精霊と比べてその崇高すぎる好みに適応できる人間がなかなかいなく、光属性使いは珍しいというのがこれまでの説であった。
「そんなのよりもっとずっと単純だ。光の精霊は正直者を好む。俺は生まれてこのかた嘘をついたことがない」
ジオの話すことは今までの常識をひっくり返すものばかりで、にわかには信じられないような話だった。
「時を操る魔法だからな。嘘をつくっていうのは過去現在未来の時の流れのどれかは否定することになる。光の精霊も自分の司るものを否定する者には力は貸さないんだろう、と俺は思う」
しかし不思議と説得力はある。
それにこれまでの交流で、リーティアもジオが嘘をつくとはもう思えなくなっている。
「だからジオは嘘をつかないのね……どんな時も」
「卵が先か鶏が先かみたいな話だが、そうだ」
ジオがどんな時も正直過ぎるくらいに正直な理由がわかった。だからこそ光の精霊に気に入られたのか、光の精霊のために嘘をつかないと決めてるのか、おそらく両方だろう。
「ところでリーティアはいつも帰りはこの時間なのか?補習は週に何回だ?」
「ええ。……恥ずかしいことだけど、毎日補習があるのよ。普段の授業にはちゃんとついて行ってるけど、先生が言うには私は皆が学ぶこと以上に学ばないと将来やっていけないんだって」
「毎日?それは大変だなぁ」
すっかり日の暮れた、暗い寮までの道を二人で歩く。なんだかジオと初めて会った日の夜のようだ。
「明日から俺も自習して待っててもいいか?リーティアと一緒に帰りたい」
「!い、いいわよ。好きにすれば?」
思わずパッと目を逸らしてしまう。
ここで素直に嬉しいと言えない自分は一生光魔法は使えないだろうな、とリーティアは思った。
「そ、そういえば呼び出しを受けたって言ってたわよね。誰に?」
ジオの前ではもう醜いかどうかなど気にしなくなってきた白い髪を片手で後ろに流し、なんてことないフリをして聞く。
実は最初からずっと気になっていた。
教師からなら『教師に呼ばれた』と言うだろう。呼び出しを受けたとは一体誰に。まさか同級生の女子からとか、女子の先輩とか、後輩の女子からとか、そういう。
「ラフィザード第一王子殿下に」
「え!?」
学園で知っている女子生徒の顔を次々思い浮かべていたリーティアは、その誰でもない答えに驚いてジオを振り返った。
「リーティアに金輪際近づくなと言われたんだ。言うことを聞かなければどうなるかわかってるな?とも」
「そ、そんな……ジ、ジオは何て答えて……」
「まあ『わからないし嫌です』と」
「何て答えてるの!?」
本当にジオはジオであった。ふざけているわけではない。ふざけているわけではないのだ。ただただ正直なだけで。
「……きっとジオが私に近づくことで、国預かりの光属性魔法使いの評判が下がることを危惧してるんだわ。言うことを聞かなければ、ジオの将来に不利益になることをされると思う」
「そうか……どれだけ評判が下がろうが不利益があろうが俺はリーティアのそばにいたいから言うことは聞けないな」
「か、簡単に言わないで!たとえばほら、将来就きたい職につけなかったり、出世できなかったり、地方に飛ばされたりするかもしれないのよ!」
「職は食いっぱぐれなければなんでもいいし、出世は興味ないし、住む場所はどこでもいい。ああ、でもあんまり王都から遠過ぎると困るか。リーティアに会いづらくなる。ただそのためにリーティアに近づかないことを了承したら本末転倒だ」
「う、うう〜……っ」
ジオが嘘をつかないことは初めて会った日に既に思い知ったことだが、ついさっきその理由も知った後であるので破壊力が更に上がる。
お世辞や慰めですらなく、本当にジオはどんな不利益を被ったとしてリーティアに会えることの方がいいのだ。
「……じゃあ、これからも私のそばにいてくれる?」
「勿論」
「次のダンスの授業もペアになってくれる?」
「お安い御用だ」
「じゃあ、その、ダンスの授業をもっと頑張って、もっと上手くなったら……」
ならばもうリーティアも、もう少し自分の気持ちに正直になっていいかもしれない。
「……次のダンスパーティで、私をエスコートしてくれる?」
ダンスパーティのエスコートは男性から女性に申し出るのが鉄則。女性側からアプローチをかけるとしても、遠回しに“誘ってもいいわよ”とアピールするのが限度。
それなのにこうもはっきりと頼んでしまうのは、普通ならはしたないと呆れられる行為である。
「……喜んで」
しかしパッとその顔を輝かせ、リーティアの手を取り恭しく了承するジオは、言葉通り心の底から喜んでいるようだった。