5話 してほしいこと
「さてと学園長室に殴り込みに行くか」
「待って!話し合うことを放棄しないで!」
翌日。試験を終えたリーティアが少し顔を伏せて園舎を出ると、外で待っていてくれていたジオが開口一番にそう言った。
どうやらリーティアが泣いていると勘違いしたらしい。
「というかそもそも抗議も必要無くなったの!私も普通にペーパーテストを受けることができたわ」
「え?」
扉を蹴破りそうな勢いで園舎に入ろうとするジオを慌てて止めながらリーティアが叫ぶ。
「今日実技試験を受けようとしたら、教師から『もういいからペーパーテストの方を受けなさい』って呆れたように言われて……納得はいかなかったけど、反論する意味もないから言う通りにしたの」
「どういうことだ……?」
この数日王子を引き合いに出してまでリーティアを貶めておいて、試験当日にあっさり手のひら返しとは意味がわからない。
ペーパーテストは絶対に認めない、何が何でも実技を為せるよう最大限の努力をしろと繰り返し言ってきたのはその教師である。
まあ『恥ずかしがらず誰かに教えを乞え』と言うからいくつか質問をしたのに、時間がないからとろくに答えてくれないという、最初から矛盾した教師ではあったが。
「だから今日、他の生徒と同じようにペーパーテストを受けたわ。そっちの対策はあまりしてなかったけど、落ちることはないと思う」
「そうか……リーティアがいいならいいが……」
説明を聞いたジオも訝しげに首を傾げている。
リーティアも微妙に納得いかない気持ちで考え込みながら教室を後にすることになり、無意識に口に手を添え俯いていたせいで、先程ジオから泣いていると勘違いされることとなった次第だ。
「結局なんだったんだ?まるでただの嫌がらせじゃないか」
「そうね……見せしめにしては弱いし、考え直したにしては変な態度だったのよね」
一瞬教師がリーティアを見せしめに使おうとして何か心境の変化がありやめたのかとも思ったが、それにしてはあの呆れたような態度に説明がつかない。反省したのならもう少し申し訳なさげにしてもいいはずである。
「ごめんなさい、ジオには毎日練習に付き合ってもらったのに」
「いいやそれはまったく問題ない。リーティアと一緒にいれるなら俺にとっては楽しい時間でしかないんだ。君が単位を落とさずに済むならそれでいい」
「……ありがとう」
放課後の練習が楽しい時間であったのはリーティアも同じだ。
しかしこうも恥ずかしげもなく言いのけてしまうジオには敵わない。
「ただ、あの教師から『復習するなら今日が最後のチャンスですよ』って言われたのよね……どういうことかしら?」
「復習……?復讐の間違いか?散々振り回してくれた教師に風魔法で風穴を空けるなら今だと?」
「そんな好戦的な意味では多分ないわ」
ペーパーテストを終えたリーティアに、教師は本来であれば今日は補習であったこと、しかし自主的に勉強するなら免除してやること、あの優秀なアンドリュー・ラフィザードも図書室で自習をしてることを告げ、『今度こそわかりましたね?』と念を押して帰って行った。
おそらく王子ですらも自習をしているのだから、実技で不合格なリーティアは尚更やるべきだと言っているのだろう。しかしそれだと『最後のチャンス』というのが説明がつかない。
「もしかして、明日も授業があるからその時抜き打ちで実技のテストもするって意味かしら?だから準備するなら今日が最後っていう」
「なら今日も練習が必要だな。夜中、いや、朝までだって付き合おう。リーティアの気が済むまで」
「ジオ……!ありがとう、嬉しいわ」
ジオの言うことだ。本気で夜中までだろうと朝までだろうと付き合ってくれる気でいるのだろう。
さすがに屋外で夜を明かすことはできないが、その気持ちだけでも嬉しかった。
「気にしなくていい。夜中の3時が一番霊が活発になる時間帯だとこの本にも書いてあったからな……お祓いの実践にもちょうどいい」
「ううん、世の中にはきっと良い霊もいるから無闇に祓っちゃ駄目だと思うの」
「なるほど。リーティアは優しいな」
ジオの抱えるお祓いの本がいつのまにか上級編になっていたが、リーティアは気づかないフリをした。
◆◆◆
「抜き打ち試験は大丈夫だったか?」
翌日の昼休み。
リーティアが図書室へ借りた本を返しに行ったところ、入口前で同じく本を返しにきたらしいジオと鉢合わせた。
「それが特に何もなかったわ。予定通りテストの復習の授業をして終わりよ」
「……?じゃあ本当になんだったんだろうな?」
昨日夜中まで続けた練習でもやはり風魔法を使えるようにはなれず、ジオも心配してくれていた。
しかし教師が最後のチャンスだと言った通り、今日抜き打ちテストがあるのかと思いきやそんなこともなく午前の授業は終わった。
というわけでリーティアは釈然としない気持ちのまま、もう不要になった本を返しに来たのである。
「まあ無いなら無いでいいか。それよりリーティア、本を返すなら俺が代わりに行く」
「えっ」
不意にジオがリーティアの持っていた本を掬い上げた。
ここまで来て代わりにも何も、とリーティアが言おうとしたところで腰をかがめたジオに耳元で囁かれる。
「……最近図書室にラフィザード第一王子殿下がいるって話だっただろ。顔を合わせればまた何か言ってくるかもしれない。会わないに越したことはない」
「!」
それはまさにリーティアが先程まで憂鬱に思っていたことだった。
教師が言うにはここ最近ずっと王子は図書室で風魔法の勉強をしてるとのことだったので、なるべく図書室には近づかないようにしていた。
しかしさすがに借りた本を返さないわけにはいかず、昼休みにはいないだろうことに賭けてやって来たのである。
「少し離れたところで待っててくれ。教室まで送る」
「……うん」
こんな些細なことでも気にしてくれる。なんてことないように守ってくれる。
「ありがとう……」
図書室に入っていくその背中を見送りながら、リーティアは両手でぎゅっと胸を押さえながら呟いた。
◆◆◆
「何か私にできることはないかしら」
「うん?急に何の話だ?」
図書室からリーティアの教室の前まで一緒に帰った後。
自分の教室へ戻ろうとしたジオをリーティアが引き留めた。
「初めて会った時からジオには何かしてもらってばかりだし……その、お返しをしたくて」
「別に俺がしたくてしてるだけだ。それに当たり前のことしかしてないし、礼をされるようなことでも」
「それじゃ私の気が済まないの!私にできることならなんでもするわ。何か私にしてほしいこととかない?」
まだ出会ってから半月しか経っていないというのに、もうリーティアの世界はジオ無しではいられなくなってしまった。
こんなに助けてもらってばかりで、何も返せていないことに焦りがわいてくるくらいに。
「リーティアにしてほしいこと……」
少し考え込むようにして、ジオが口元に手を当て首を傾けた。
「ああ、それならあるな。初めて会った時から、ずっと思ってたんだ」
「そうなの?じゃあそれを……」
そしてしばらくして何かを思いついた様子を見せたので、リーティアが勢い込んで尋ねると。
「笑ってほしい」
「……え?」
「君に笑ってほしい。できれば泣かないでもいてほしい。そのためだったらなんでもしよう。あの夜に泣いている君を見てから、ずっとそう考えたんだ」
「……っ!」
まるで涙を拭うようにして、ジオの手のひらがリーティアの頬に触れる。
必然的に近くなった顔の距離により、その遠目では黒と見紛う深い藍色の瞳もよく見えた。
「あっ、あの夜は!目にゴミが入っただけで!泣いてないわ!」
「そうなのか?ならよかった。けど悲しそうに見えたんだ。もうそんな顔をさせたくない」
笑ってくれと言われたばかりなのに、心臓が苦し過ぎてもうそれどころではない。
きっと今リーティアの顔はさぞ真っ赤に固まっていることだろう。
「……わ、わかったわ。こ、これからはもっと、笑うようにする……」
「そうしてくれると嬉しい。ただ無理はしないでくれ。リーティアが嬉しい時や楽しい時に笑ってくれればそれで」
嬉しい時と言うなら今がさっそく嬉しい時なのだが、いかんせん感情が昂り過ぎて表情筋が追いつかない。
お礼をしようとしたはずがまたもや貰ってしまうばかりになってしまった。
「じゃあ俺はそろそろ教室に戻る。お互い午後の授業も頑張ろうな」
「う、うん、行ってらっしゃい」
上擦った声で口に出してから、別れ際の挨拶で“行ってらっしゃい”はないだろうと気づく。これでは後で自分のところに戻ってくる前提ではないか。
「ああ行ってくる。それじゃあな」
なのにジオも何の疑問もなさそうにそう答えて去っていってしまった。リーティアが訂正する暇もなく。
変に思われなかっただろうか。気を遣って合わせてくれたのか。いや、ジオがその気もなく社交辞令のようなことを言うとは考えられない。
……次に会った時に“おかえり”と言ったら彼はなんて答えるだろうと、そんなことが気になった。