4話 頼りたい人
「うーん……」
フォーレント学園の数ある施設の一つ、図書室にて。
リーティアは少し高い棚にある目当ての本を見て悩んでいた。
頑張って背伸びをすれば届きそうだが、本を引っ張った拍子に落としてしまうかもしれない。しかし周りを見渡しても踏み台は無く、目が合った受付係には思い切り目を逸らされてしまった。まるで見てはいけない恐ろしいものを見てしまったかのように。
……仕方がない。己の背後には首無し騎士の霊がいるのだ、と昨日のジオのトンデモ理論を思い出して心を落ち着かせる。
「これか?」
「えっ?あ、ジオ!あ、ありがとう」
そんなことを考えていたら本当に背後に居た。いや首無し騎士の方ではなく。
リーティアの視線の先にあった『素質ゼロでもできる!初級風魔法のコツ』の本を取り、こちらに差し出してくれるジオが。
「ジオも本を借りにきたの?」
「ああ。もう借り終わった。リーティアの探してる本はそれだけか?他にもあるなら一緒に探す。無いなら一緒に寮まで帰ろう」
「これだけよ。ええ、いいわ」
先程受付係に盛大に目を逸らされたこともあり、借りる手続きが憂鬱であったが、ジオが隣にいてくれるなら平気である。
「ところでこういう本を借りるってことは、リーティアは風魔法が使えるのか?」
「ううん、逆。全然できないの。でも三日後の試験の日までにできるようにならないといけなくなったから、練習しようと思って」
「三日後までに?しかも自力で?大丈夫なのか?」
「ええ、大……」
カウンターにて借り終わった分厚く重い本を両腕で持ち上げようとしたところ、横から伸びてきた腕がさっとその本を取る。
「……丈夫じゃないかもしれない」
「そうだよなぁ。不得手な属性魔法なんて貴族だってそんな簡単に使えるもんじゃないだろ」
リーティアが重たそうにしているのを見て、代わりに持ってくれたのだろう。ジオが自身の借りた本と重ねてリーティアの本を抱え持った。
「そう……そうなの、なのに、試験をするからそれまでにできるようにしてきなさいって、教師が言うから」
軽くなった両腕を降ろしながら、リーティアは気付けば本音がこぼれ落ちていた。
この人の前では強がらなくていい、頼っていいのだと自然に思える。
「無責任な教師だ。そんなんじゃ他の生徒も苦労するな」
たった三、四日で苦手な属性の魔法を使えるようになれなど到底無茶な話である。通常であれば実技ができない属性の授業は座学でカバーできるようになっており、何がなんでも実技が求められることはない。
「……他にもできない子はいたわ。でも、実技の課題を出されたのは私だけよ」
「なんだって!?」
しかし、他の風魔法を使えない生徒がペーパーテストを課される中、リーティアだけ実技以外認めないと言われてしまったのである。『王太子殿下であれば風魔法は初級どころか上級もお手のものですよ』と訳のわからない理由を添えられて。
何故己だけ一国の王子と比べられなくてはいけないのか。納得はいかなかったが、教師の有無を言わさぬ表情が恐ろしく、引き下がるしかなかった。
「きっと皆が油断しないためだと思うの。実技ができなくてもどうせペーパーテストで受かればいいって思って手を抜かないように、できない子の誰かには実技を課すんだわ」
要は見せしめとしてリーティアが運悪く選ばれてしまっただけのこと。
まあこんなふうに“運の悪い子”にリーティアが選ばれやすいという点もあるが。
「それにしても酷い。やっぱり無責任だろ、その教師は。生徒の一人を犠牲にしないと授業ができないとは」
ただ、いつもは黙って飲み込むしかなかったことを、こうして代わりに怒ってくれる人がいるのはそれだけで救われるものがある。
「何か俺に手伝えることはないか?俺も光属性以外はてんで使えないから、教えるとかはできないが……」
「いいの?それじゃあ」
こんな時、普通なら風魔法が得意な人に教えを乞うのだろう。できない者同士が集まったところで意味がない。
しかしリーティアにとってはジオの申し出が一番嬉しかった。
「……隣にいてほしい」
「え?」
「ひ、一人じゃ寂しいから、私が練習する間隣にいてほしい」
「お安い御用だ!いくらでも付き合おう」
どんな理不尽な目に遭っても、辛くて落ち込んでも、隣にジオがいてくれれば元気が出てくる。
「試験まで時間が無いからな。今日からだって付き合うぞ。カバンを置いたら寮の中庭に集合でいいか?」
「うん!」
現金なもので、少し前まで憂鬱だった練習がもう嫌ではなくなってきた。その時間中ジオと一緒にいられるのであれば悪くない。
「そうだ、応援歌も歌おうか。騒がしい方が寂しくないよな」
「それはいらない」
「わかった」
ジオ一人で充分である。歌まではいらない。
「見てるだけじゃ暇だろうから、本とか持ってきて。あ、そういえばジオも本を借りていたわね」
「ああ。リーティアを見ていて暇になることはないが、そうだな、この本は持っていくか」
リーティアの本と重ねて持っているジオの借りた本。黒光りする表紙に銀の細かい文字でタイトルが書かれており、チラッと見ただけではよく読めない。
「何の本を借りたの?」
「リーティアと同じようなものだ。俺も光魔法以外にもできるようになれたらと」
「何属性?水か土なら私も教えられ……」
一旦立ち止まり、タイトルがよく見えるように向けられた本を見てリーティアが固まる。
そこには『霊感ゼロでもできる!初級お祓い術全集』との文字がおどろおどろしく踊っていた。
「気休めにしかならないが、少しでも君の役に立てたらと思って」
「……幽霊説まだ生きてたのね……」
なんだかジオなら本当に成し遂げてしまいそうな気がした。リーティアの背後に幽霊なんていないのに。
「お互い頑張ろう、リーティア」
「え、ええ」
これを止めるためには幽霊がいないことの証明をしなくてはいけないのかと、その悪魔の証明のごとき難易度にリーティアは若干途方に暮れたのだった。
◆◆◆
「駄目ね、やっぱり上手くいかないわ」
「俺も駄目だ。これじゃ下級霊だって祓えないな……」
「あのそれは成功とか失敗とかわかるものなの?何をもってして成功とするの?」
男子寮と女子寮の間にある中庭にて。
それぞれ本を参考に試行錯誤しながら、風のかの字も感じずリーティアが肩を落とした。ジオもあまり上手くいってないようで、お祓いの本を片手に表情を曇らせている。
「目に見えないものを祓ってもわからないんじゃないかしら……?」
「なるほど!見えていないだけで成功してる可能性はある」
「前向き」
ジオが言うと本当にそうなっているように思えてくる。見える人が見ればこの場所が教会並に浄化されているのがわかるかもしれない。あの男子生徒でも連れて来るか。
「それよりリーティアの方はどうなんだ?もう試験は明日なんだろ?」
「ええ……そうなんだけど」
放課後に中庭で二人で魔法とお祓いの練習をするようになってから三日。二人共一向に芽が出る気配はなかった。しかしジオはともかく、リーティアは明日が教師から切られた期限の日である。
「教師は何も言ってこないのか?せめてアドバイスとか」
「ううん。アドバイスどころか、王子殿下ならばいかに風魔法ができるかってことを何度も言われるだけ。今日も帰り際に引き留められて散々言い聞かせられたわ」
「それで発破をかけてるつもりなんだろうか。つくづく無責任な教師だ」
次の授業までに風の初級魔法の一つでもできるようになれと言い渡された日から、教師に捕まる度に国一番の風魔法の使い手であるアンドリュー・ラフィザード第一王子の素晴らしさを語られ、リーティアはいい加減うんざりしていた。王子は風魔法の才能に溢れているだけでなく、ここ最近は試験に向けて図書室で自習も欠かさないとのこと。
そんなことを語られて最後に『わかりましたね?』とキツく念を押されるのだが、わかったところで風魔法ができるようになるわけではないのに。
「何の力にもなれなくてすまない……」
「ううん、そんなことないわ。練習に付き合ってくれるだけでも心強いもの」
ジオは己の力不足を嘆くように言うが、リーティアにとっては無責任な教師達よりずっとジオが頼りになった。
優秀な生徒の自慢話で長々と引き留めてくるばかりの教師より、こうして側にいて慰めてくれるジオの方がずっといい。
「最悪、風魔法の授業の単位は落としてもいいわ。ダンスの授業の方は落とさずに済みそうだから、進級できないことはないはずよ」
それにもうリーティアは風魔法の授業自体はどうでもよくなっていた。必要単位数が足りずに進級できなくなるなら困るが、そうでないならもう今後受けられなくても構わない。この三日間でそれくらい苦手意識を植え付けられてしまった。今回奇跡的に通ってもまた無理難題を課されるのは目に見えている。
「もし明日不合格を言い渡されたら、他の生徒と同じくペーパーテストを受けられないか学園長に直談判に行こう。俺も付き合う」
「ありがとう。じゃあ座学で再試験になったら、今度は勉強に付き合ってくれる?」
「勿論だ」
ただ、この先も無茶な課題を出される度にジオが付き合ってくれるのならば、頑張ってみるのも悪くないと思う。
「俺もその頃にはこのお祓い術の中級編に挑戦できるように……」
「が、頑張って」
いつの間にか本が増えていた。今日新しく借りたのだろうか、見慣れた黒光りする表紙が二冊になってたことに今気付いた。
本当にできるようになってしまったらどうしよう。ある意味、リーティアが風魔法をできるようになるより現実的かもしれなかった。
◆◆◆
「今日もリーティア・アルブムからの伝言は無い……だと?」
「はっ……申し訳ございません。私には特に何も……ただ、今日もよく言い聞かせておきましたので、てっきり今度こそ殿下のところへ向かったのかと……」
「まだ来ていない。まったく、これでは何のために補習ではなく課題にさせたのかわからないではないか」
学園の廊下にて。不機嫌そうな第一王子を前に、風魔法の授業の担当教師が勢いよく頭を下げる。
「ですが、リーティア・アルブムに課題をこなせる気配はなく、困っているのは間違いないかと」
「……ふん。ならばこれから来るかもしれない、ということだな。彼女に私の居場所を聞かれたらまだ図書室で自習していると伝えるように」
「はっ、承知しました」
それ以上の叱責がなかったことに安堵しつつ、教師は再び頭を下げた。
「ふぅ……」
そして王子の足音が遠ざかり聞こえなくなったのを見計らい、そっと体勢を戻す。
「……殿下が素直でないのはいつものことだが……リーティア・アルブムが鈍感過ぎるのも困りものであるな……」
これだけお膳立てをしたというのに、リーティアはついに王子に教えを乞いには行かなかったようだ。
王子にはああ言ったものの、リーティアがこんな時間からアンドリューに聞きに行こうとするとも思えず、教師が大きく溜息をつく。
リーティア自身は王子に嫌われていると思っているらしいので仕方ない面はあるが、それにしたってまったく気づかないのはいかがなものか。ハタから見ればあんなにもリーティアは特別扱いをされ、王子はリーティアが他の男と話すだけで睨みつけているくらい、嫉妬だってあからさまだと言うのに。
「やれやれ。彼女が気づくのはいつになることやら……」
目の前にある幸せに気づかず、王子に嫌われてると思い込んで嘆いている不幸な少女。本当は誰よりも幸せになれる道が用意されているのに。
とはいえこちらから王子の気持ちを伝えるなんて野暮もできまいと、教師は肩をすくめたのだった。