3話 欲しかった言葉
アンドリューが乱暴にホールの扉を閉めて去ってから、教師が自習と言い捨てその後を追ったこともあり、生徒達のヒソヒソ声は一層大きくなった。
もはや真面目にダンスに取り組む者もなく、いつのまにか女子同士、男子同士で集まって囁き合っている。
「……あの編入生、まさか本当にわかってないのか?」
「嘘だろ?あんなにわかりやすいのに……」
男子生徒達は何やら相談事をするように一箇所に集まり、輪になって声を潜めながらリーティア達をちらちらと見ていた。
「いい気味ね。性懲りも無く殿下に近づくからよ」
「話しかけてもらえるからって調子に乗ってるみたいだけど、嫌われてるだけってやっとわかったかしら?」
対して女子生徒の一部は口に手を当てて内緒話というていをとりながら、むしろリーティアに聞かせるように声を張り上げていた。
勿論リーティアはアンドリューに話しかけられたところで罵倒しかされないのだから嬉しいはずもなく、調子に乗る余地もないのだが、それでも苦々しく思っている女子も多いのだ。
アンドリューから罵倒された後にこうして他の女子からも追い討ちをかけられることは珍しくなく、リーティアはその度に何も言い返せずに俯いていた。
「それにしても驚いたなあの王子には。こんなに間近で見てもリーティアが綺麗なことがわからないとは、あの目は節穴か」
「ジオ!今のステップ間違ってたと思うの!最初からやり直しましょう!」
ただし今回に限ってはジオの王族に対する不敬罪まっしぐらのセリフを打ち消すのに必死で、俯く暇も落ち込む暇もなかったが。
「え?ああそうか、悪い。また集中できてなかったみたいだ。どうしてもリーティアに見惚れてしまって」
己の足を見下ろしたジオが「どこで間違ったか」とひとりごちる。
「いやでも見惚れるなと言う方が無理がないか?月の妖精がこんなに近くにいるんだぞ?いっそ目を瞑るしか方法がないかもしれない。俺の目はあれと違って節穴じゃないから」
今のは打ち消さなくて大丈夫だっただろうか。穴が空くほど見つめられながらリーティアは茹だりそうな頭で考えた。
やっぱり駄目だ、心臓に悪い。この恐ろしくストレートな男と踊るのは。距離が近過ぎて真っ直ぐ過ぎる言葉と視線からの逃げ場がない。
「うおっ!?」
「きゃっ!?」
と、思ったところで何故か急にジオが足を踏外し、前に倒れかけたところをリーティアを抱き込む形で静止した。
「え、ちょ、ちょっと」
こんなの距離が近いというレベルではない。完全に抱き締められると変わらない体勢である。同等以上の熱を持つものに包み込まれる感覚に、リーティアの体温が外側からも内側からも跳ね上がった。
「……駄目だ、目を瞑ってみたところでもう瞼に焼き付いてるから意味がなかった……!」
「本当に試してみなくていいから!」
急に何が起きたかと思いきや。
どうやら先程言ったようにジオが本当に目を瞑ってみたところ、自分で自分の足を踏んでバランスを崩してしまったらしい。
「すまない、俺が不甲斐ないばかりに」
「い、いいわよもう無理はしなくて」
「あとリーティアがあまりに綺麗なばかりに……」
「それは私に謝罪するようなことなの……?」
これは『そんなことないよ』と答えていいものなのだろうか。
否定してしまうとジオが転んだのはジオ自身のせいという説を強めてしまうが、かと言って肯定すると『私が美しすぎたせいでごめんね』と物凄く高飛車な慰め方になってしまうのだが。
「よく考えたら初めて会った日の夜から脳裏に焼き付いて離れないのに今ちょっと目を瞑ったところで消えるわけがなかったな」
「な……っ」
「というわけで見惚れないのはどうしたって無理だ、諦めてくれリーティア」
まるでただの物事の分析結果を告げるように、まったく動じずに言うジオ。あまりの動じなさに動揺したこっちがおかしいのかと思ってしまう。
どうしてこの人はこんなに恥ずかしいことを、こんなに真っ直ぐな目で言えるのだろう。
「別に、その、駄目とは言ってないわ……」
けれど嫌ではない。言われる度に落ち着かない気持ちになるが、嫌ではないのだ。嫌どころか、むしろ……と、その先を言えないリーティアとは大違いである。
「そうか良かった。ありがとうリーティア、君の心の広さに感謝する」
「え、ええ」
それにしても初めて会った日から脳裏に焼き付いて離れないとはいったいどういう意味だろう。いや、ジオのことだからきっと言葉通りの意味だろうけども。
「ああ、でも、私も……」
「なんだ?」
「えっ、あ、なんでもないわ!」
言われてみれば自分だって、初めて会った日からジオのことが頭から離れない。だってこんなに不思議な人、生まれて初めて会った。
そう思わず口にしかけて、直前で我に返りリーティアは思いきり首を左右に振ったのだった。
◆◆◆
最後まで教師も王子も戻って来ることはなく、ジオとリーティア以外は殆ど雑談タイムとなったダンスの授業終了後。
「おい、編入生」
一人の男子生徒がジオに話しかけてきた。
「俺のことか?」
リーティアの隣を歩いていたジオが足を止めて振り返る。
王子達に「物好き」やら「気の毒な男」と呼ばれた時は一瞥もくれようとしていなかったが、今回の呼びかけは自分に当て嵌まると判断したようだ。
「さっきの殿下の怒りを見ただろ?悪いことは言わねぇ。その『醜い白髪の魔女』とは関わらない方がいい」
「人違いだったな。行こうリーティア」
「待って待って待って」
ジオがリーティアの背に手のひらを回し先に進もうとし、リーティアは踏みとどまってその服の裾を掴んだ。
「私を指して言ってるでしょう。人違いじゃないわ」
「なんだって?」
ジオがもう一度男子生徒の方に向き直った。
続いてその『醜い白髪の魔女』と言って指した人差し指の方向を改めて確認し、それが一直線にリーティアに向かっていることも確認し、怪訝そうに眉を顰め……ハッと何かに気づいたように口元に手を当てた。
そしてリーティアの耳に届くよう身をかがめる。
「……あの男、おそらくこの世のものではないものが視えているタイプだ……危ないからリーティアは関わらない方がいい」
「なるほどそう来るのね……」
どうやら男子生徒がリーティアのいる位置に幽霊的なものを見ていると判断したらしい。慎重に耳元で囁くジオにリーティアは一周回って感心してしまった。
リーティアから、王子から、他の生徒達からどれだけ言われようと、この人はリーティアが醜いことを認めようとしない。時には妖精と人間の美醜感覚が逆だの王子の頭と目がおかしいだのトンデモ理論を打ち立ててまで。
「そんなわけあるか、誰が危ない奴だ!人が親切に忠告してやってるのに!」
「いいやリーティアに対して失礼過ぎる。まずその指を降ろせ」
ジオがリーティアを背に庇うようにして、憤慨し地団駄を踏む男子生徒の前に立ちはだかる。
「リーティアの背後にどんな幽霊を見ているのかは知らないが、俺達には見えない以上、リーティアを醜いと罵っているようにしか見えない。そんな野郎が親切だなんてあるわけないだろ」
「幽霊なんて見てねーよ!」
思い切り声を荒げた男が、ハアハアと肩で息をしながら大きく溜息をついた。
「……わかった。お前はほんっとうに何もわかってないみたいだからな。いいか、殿下が仰ることにはちゃんと仕方ない事情と理由があるんだ。一から説明してやるからこっちに来い」
「断る」
「なんだと!?」
背に庇われたリーティアからはジオの表情は見えない。しかし、その声に隠しきれない怒気が滲んでるのはわかった。
「彼女を醜いと罵ることに、どんな事情も理由もあってたまるか。聞かなくたって間違ってるのはわかるんだ。そんなもの聞く価値もない!」
「……!」
その言葉を聞きながら、リーティアは胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「あ……」
今までずっと、何を言われようと仕方がないと思っていた。
自分は醜いのだからと、この国の王子を不快にさせてしまったのだからと、どんなに大勢の前で謗られようと文句は言えないと。
もう十年もの間何十回も繰り返され、とっくに慣れたと思っていた。
涙だってもう出ないと、思っていたのに。
「リーティア!?」
僅かに漏れた嗚咽を聞かれたのだろう。ジオが勢いよく振り返った。
「大丈夫か!?悪かった、こんな奴放っておいてもう行こう。最初の話だって聞くべきじゃなかったな」
「ううん。違う、違うの。悲しくて泣いたんじゃないの。大丈夫」
仕方なくなんてない。受け入れなくていい。悲しんでいい、怒っていいのだと言ってもらえた気がした。
不思議だ。こんな時なのに嬉しくて涙が出るなんて。
「編入生!お前、平民のくせに貴族の僕に逆らっていいとでもっ」
ついに男子生徒が拳を振り上げた。これはもう洒落にならない。
応戦しようとしたジオを止め、リーティアが涙を拭って顔を上げた。
「申し訳ございません、ハリソン・ボールドウィン様。彼の言動は貴族の私を庇った故です。責任は私にあります。責めるならどうか私を」
この男子生徒、ハリソン・ボールドウィンのことは実はリーティアも知っている。アンドリュー王子に皆の前で罵倒される時に、よく後ろでニヤニヤと笑みを浮かべている人達の一人だ。
「ぐっ……」
「リーティア……」
いつもであれば怖くて目も合わせらなかった。けれど今は隣にジオがいる。これ以上彼の立場を悪くするわけにはいかない。
「魔……アルブム嬢は黙っててくれ。おい平民、いいから僕の話を……」
「誰が聞くか!行こう、リーティア」
「ええ。ではボールドウィン様、ご機嫌よう」
「お、おい!待て!待てと言ってるだろう!」
さっと手を取り歩き出すジオにリーティアも早足で続いた。ハリソンが更に怒ったように声を張り上げてきたが、今度はリーティアも足を止めなかった。
「……くそっ、馬に蹴られても知らないからな!」
ハリソンの声が完全に遠ざかる直前、そんな捨て台詞が聞こえた。
ビクリと肩を震わせたリーティアをジオがすかさず引き寄せる。
「大丈夫だ、あんなの気にすることない。もし不安だったら教会にお祓いに行こう」
「あっ幽霊説まだ生きてたのね」
一瞬で震えが引っ込んだ。
本当にこの人は、毎度毎度予想外なことを言ってくれる。
「馬ということはアイツにはデュラハンでも見えていたのかもな……ただだからってリーティアごと罵倒していい理由にはならない。あの男こそ馬に蹴られるべきだ」
「貴方のその斜め上の理論なのに辻褄は合わせてくるところ本当に凄いわよね……」
こうなったジオを説得するのは至難の業だ。何せ月の妖精でないことを証明するのですら一日かかったのだ。あの男子生徒は幽霊でもなんでもなく、リーティアを醜いと言っていたのだと教えたところで信じないのは目に見えている。
「あれ、リーティアはデュラハンって知らないか?首無しの馬を従えた首無しの騎士の幽霊で」
けれどそんなところが今はとても頼もしい。
「あ、馬の首はある場合もあるな。あと騎士は完全に首が無い場合と首を小脇に抱えてる場合があって」
勿論リーティアとてデュラハンくらいなんのことかは知ってる。
ただ敢えて否定することはせず、リーティアはジオにそっと寄り添ったまま、その説明を大人しく聞いていたのだった。