番外編 ある教師の失敗
リーティアが学園入学、退学した時の教師達視点の話です。
三年前、アンドリュー・ラフィザード王子が第三学年に進級した年のこと。フォーレント魔法学園の教師陣に、とある極秘の指示があった。
『新入生リーティア・アルブムに、卒業までに妃教育を完了させること』
『他生徒にもリーティア・アルブム自身にもそれが妃教育であることは悟らせぬこと』
『リーティア・アルブムの近くに男子生徒を置かないこと』
最初の一つだけであれば、アンドリューの妃候補に新しくこの新入生が加わっただけだと思うだろう。専属の教師ではなく学園の教師に任せるのも、まだお試し期間であり候補としての順位はさほど高くないのかとも。
だがしかし、残り二つの指示を合わせると状況は一変する。
既にいる他の妃候補、アドーラ・ドレーゼとオリエンヌ・ヒスコックに関してはそのような指示は出ていない。妃教育に関しては彼女達は専属の教師が行っているので指示はなくて当たり前だが、問題は三つ目。他の男子生徒を近づけるななどというあまりに独占欲を明らかにしたもの。
「あの氷の殿下が、ここまでの執着を示すとは……」
「しかし彼女の実家は子爵家。王妃になるには低すぎる。蹴落とそうとする輩が出てもおかしくない」
「はっ!もしや、だからこそこの二つ目の指示なのでは?周囲に知られて邪魔をされることのないよう、あくまでこっそりと妃教育を進めていくという」
「なるほど。専属の教師を雇わないのも、妃教育を行っていると悟らせないためか」
教師達は唸り、考え込む。
既に有力な婚約者候補のいる中、一介の子爵家の娘を王太子妃に引き上げる。なんと酔狂なことか。にわかには信じがたいが、おそらく王子は本気だ。でなければこれ程考え抜かれた指示は出せまい。妃教育に当たる教師にと提示された報酬額も尋常ではない額だ。
「それにしてもリーティア・アルブム……どこかで聞いたことがあると思ったら、あの令嬢ではないか」
リーティア・アルブム。この度極秘に妃教育を受けることとなった令嬢。教師の中にはその名に心当たりがある者もいた。
「ああ。私も思い至った。良くも悪くもあまり他人に興味を示さない殿下が、唯一嫌悪を表すと聞く……」
「成金の家系の上に、少々不気味な色を持つ娘だ。幼い頃のお茶会で殿下が苦手意識を顕にし、以来それが拭えないと……子爵家とはいえ年頃の娘が王子殿下から嫌われたなど、気の毒に思っていたのだがな」
「ふっ。我々もとんだ勘違いをしていたようだ。嫌っているどころか、愛情の裏返しだったとは」
緊迫していた雰囲気から一転、どこか微笑ましい、和やかな空気が流れる。
王子に嫌われた不幸な少女はいなかった。その実は幼い頃より王子に見初められ、愛されていた幸せな少女だった。
そして、他人に興味がない完璧な王子様もいなかった。本当はずっと一人の女の子を想っていて、しかしそれを表には出せない、恋にはちょっぴり不器用な男であった。
「しかし、依然として子爵令嬢が王妃になることは難しい。これは厳しい道のりになる。殿下の寵愛を持ってしてもだ。果たして彼女にその覚悟はあるか?」
「覚悟ならば並の令嬢よりありましょう。年頃の娘ならば誰しもが王子に憧れるもの。今まで嫌われていると思い込み、近づけもしなかった彼女であれば、王子に愛されるチャンスとあれば誰よりも渇望するはず」
「そうだな。では少しでも早く王太子妃として相応しくなるよう、心を鬼にして教育せねば」
今まで皆から馬鹿にされてきた少女が王子様の手を取るシンデレラストーリー。
しかし現実はそう簡単にはいかない。物語のように愛さえあればというわけにはいかないのだ。王子とてそれをわかっているからこそのこの指示であろう。
「しばらくは補習という名目でリーティア・アルブムに妃教育を受けさせる。いつそれが妃教育であるかを明かすかは殿下のご判断に任せよう。皆の者、それでいいな?」
「ああ」
「うむ」
「やってやろうとも」
音頭を取った一人の教師に他の教師達が力強く頷く。
リーティア・アルブムの未来の王妃への道のりは、まだまだ始まったばかりだ。
◆◆◆
場所はフォーレント魔法学園の副学長室。日時は学園冬季ダンスパーティ開催日当日の夜。
「退学……?一身上の都合により……リーティア・ウェールス……旧姓アルブム!?ど、どういうことだ!これは!!」
パーティに出席している学園長に代わり、副学長が積み上がった決裁待ちの書類を並べ、ほぼ流れ作業のようにサインをしていた時のこと。
ぴらりと滑り落ちた一枚の書類を拾い上げ、男は驚愕の声をあげた。
退学届。毎日決裁をする書類の中では珍しいものの、全く無いわけではないそれ。家の都合、結婚などの事情により、卒業を前にして学園を去る生徒は年に数名はいる。少し前にも家の、というより王家の都合により、とある男子生徒の退学届を受理したばかりだ。
「おい!誰か!早くこれを殿下にお知らせせねば!」
晴天の霹靂とはまさにこのこと。
自分を含む教師陣等一部には根回しがされ、妃教育も順調に修めさせ、他の婚約者候補を隠れ蓑にし、着々と進んでいたリーティア・アルブムを正妃にする計画。
空気の読めない厄介な力を持った平民の横槍はあったものの、それも華麗に躱し、その邪魔者を遠ざけた上で国益になるようにしてみせた王子の手腕に感嘆したのも記憶に新しい。
あとは王子による正式な発表とリーティア・アルブムへの求婚を行うだけであり、もしや今夜の学園でのダンスパーティでついに……と教師達の間でも予想されていた。
それがまさか、リーティア・アルブムがリーティア・アルブムでなくなっていたなど誰が予想できようか。
王子に愛されていること、妃教育を受けていること、それをギリギリまでリーティア自身にも伏せていたことが裏目に出た。
哀れな子爵令嬢は王子からの愛も、己が妃としての資格を持っていることも知らぬまま道を踏み外してしまったのだ。
「ふ、副学園長!」
「誰だ?……入れ。おお!君か!」
副学長が思わず執務机を叩いて立ち上がった丁度その時。慌ただしいノック音がドアの反対側から響いた。
入室の許可と共に傾れ込むように入ってきた来訪者を見据え、襟を整える。
「ごほん。訪ねて来てもらったところすまないが、こちらから話してよいか。詳しく説明してる暇は無い。大変なことが起こったのだ。今はパーティの最中であったな。殿下はどうされている」
「ええと、その、それが」
「うむ?そういえば君は出席していたのではなかったか?何故こんなところにいるのだ」
来訪者は風魔法学の教師であった。
風魔法学はかの王子の一番の得意科目、かつリーティアの苦手科目だったので、彼女が王子に教えを乞うようお膳立てする役目も担っていたこともある。
「それが……パーティで少し、信じ難い出来事が起きまして……その、とある書類を確かめようと……リーティア・アルブムの退学届が本当に出されているのかと……」
「なんと!君ももう知っていたのか!」
パーティでこの件に関して何かあったのか。ならば話が早い。副学長は丁度机に広げていた退学届を教師の目の前に指し示した。
「……リーティア・ウェールス……ほ、本当に……」
「そうだ。いくら殿下でも、これを取消すのは至難の業だ。……やはり今日のパーティでアルブム嬢を妃に迎えると発表があったのだな?では、今は殿下と彼女があの平民を相手に婚姻無効の訴えを起こすところか」
「い、いえ!違います!違うのです、そうではなくて!」
勢い込んだ副学長とは対照的に、風魔法教師は何やら歯切れ悪く言い淀んだ。不自然に視線を逸らし、やがて観念したようにがくりと肩を落とす。
「間違っていたのです……最初から……殿下も、我々も……」
「いいや、あの平民と婚姻して日が経ってないのであれば、まだ間に合う可能性も」
「違うのです!そもそも、それが!」
「なに?」
その時。学長机の後ろ側の壁、僅かに開いた窓から風が吹き込んだ。話し合いが膠着したからだろうか。室内に居た二人共無意識に視線が風の元を追い、結果窓の外を見下ろすこととなった。
「あれは……」
ダンスパーティの会場となる大ホールは学園の敷地内にある。そして、それは教員棟最上階にある副学長室の窓からも見える位置に。
そのパーティ会場がある建物から、一組の男女が寄り添って出て来るのが見えた。
「リ、リーティア・アルブム嬢……」
この距離ではその二人の顔までは判別できない。しかし、月明かりに輝く長い純白の髪は、夜闇の中でも際立っていた。学園中探しても同じ色を持つ女子生徒は他にいないだろう。
「……いいえ。今はウェールス夫人です」
風魔法教師が絞り出すような声で言う。
リーティア・ウェールス。一介の子爵家であった彼女が手を取り、二つの影が一つになるくらい身を寄せている男は、彼女を密かに想い続けていたこの国の第一王子——ではなく、一介の平民の男であった。
「彼女は……婚姻を無効にして、殿下と結ばれる道を示されてもなお……あの平民の男の手を離さなかったのです……」
「そ、そんな!馬鹿な!!」
今夜ハッピーエンドを迎えるはずだった、妖精姫と王子のラブストーリー。最後に二人が結ばれるからこそ、妖精姫のこれまでの苦難は全て甘酸っぱい恋の思い出に変わるはずだった。
「では……私達のやってきたことは……どうなるのだ……」
教師達でこぞって厳しい補習を課したのも、学園内で孤立する彼女を助けなかったのも、一人だけ試験の条件を不利なものに変えたのも、嫌がらせではなく未来の国王夫妻の恋の手助けとして評価されるはずだった。
それなのに。
姫が、王子を、選ばなかった。
二人が結ばれるというその大前提が崩れた今、フォーレント学園の教師達が胸に抱いていた恋のキューピッドとしての誇らしさは、砂上の城のようにガラガラと崩れていった。
◆◆◆
「パーティ、もう抜けて良かったのか?」
「いいの。明日の朝も早いし、ジオと踊りたかっただけだから」
いつもより細いヒールの靴を履いたリーティアを支えながら、パーティ会場を出てゆっくりと歩く。
隣ばかり見て転んでしまっては大変なので、名残惜しく思いつつジオは前を向いた。
「あ」
「どうしたの?」
そして見覚えのある光景に思わず声が漏れた。
月の綺麗な夜、学園敷地内の大ホールを背にして歩いた道。あの時と同じである。
「リーティアと初めて会った時のことを思い出していた。この道で、ここから歩いて来るリーティアと出会ったんだ」
今でも鮮やかに思い出せる。
ドレスコードで門前払いをくらい、諦めて帰ることとなったジオの前に、遠目で見たシャンデリアのようにきらきらと光を纏いながら現れた女の子。
「あの時はそこから君の手を引いて歩いた」
「……私に中庭の池を見せようとしたのよね。顔を映せるからって」
「ああ。君が自分の姿を見たことが無いのかと思って。今思えば不躾だったな、すまなかった」
今更ながら初対面の女の子の手を引っ張っていったのは失礼だったかもしれない。不審がられてもおかしくなかった。
「ううん。大丈夫。驚いたけど私、きっとあの時から嬉しかったの。貴方に手を引かれると、私もどんどん明るい場所に行けそうな気になれる」
「リーティア……」
「だから、これからも私をどこまでも連れて行ってね」
「勿論だ!」
肩に頬をすり寄せるようにして、リーティアがジオを見上げる。その金色の目を見返して、ジオは一も二もなく頷いた。
「でもその靴じゃあ今は手を引くのは少し危ないな。ちょっと待ってくれ」
「え?」
組んでいた腕を一旦外してその華奢な背中に回し、もう片方の腕を両膝の裏に差し込む。
そのままぐっと腰に力を入れ、両腕でリーティアを持ち上げた。いわゆるお姫様抱っこである。
今日のリーティアの靴は白のレースのドレスに合わせた白いピンヒールだ。バルコニーで踊った時も一度躓いていたので、バランスが取りにくいのであろうことが窺える。前のように手を引いて早足で歩くのはいささか危険である。
「そんな時はこうやって連れて行こう。ああ、これならリーティアが月に連れて行かれても俺も一緒に行けるな」
「ジオ……もう、貴方って人は!」
嬉しそうに笑いながら、リーティアがジオの首に腕を回してくれる。
その身体をしっかりと抱え直し、やっぱり月には連れて行かせまいとジオは決意を新たにしたのだった。
わかってるんですよ…何度同じ話書いてるんだってことは…でもこれ私の持ち歌みたいなものなんですよ…それでは聞いてください。お金持ちで地位の高い王子様に愛されて女の子は幸せに、なるとは限らないんだなぁ!少なくともその美少女は!!そっちの金も地位もない冴えない男が好きなんだってよ!!!




