6話 未来への誓い
学園の授業と平行して引越し作業、セルヴィ男爵夫妻との打ち合わせ、故郷の仲間への連絡にアルブム家親族への挨拶回り、結婚式の準備。
王宮の使者から退学勧告を受けてからジオを取り巻く状況は予想外の方向へと転がり、日々は目まぐるしく過ぎて行った。
やることが沢山ある。特に何よりは目前に迫った結婚式の準備。
そう、結婚式の準備。結婚式の準備である。勿論リーティアとの結婚式だ。
『爵位なんてなくたって受けるわよ!バカーーーッ!』
『俺と結婚してくれ』
辺境行きの件を告げた際、爵位など無くていいと言ってくれたリーティアにジオが間髪入れずプロポーズしたのはほんの十日程前のこと。
そんなわけで当初はリーティアと結婚できるよう爵位を得るため辺境へ行く予定だったはずが、今や辺境へリーティアと共に行けるよう夫婦という肩書きを得るため結婚するということになっている。
目的と手段が若干入り組んで前後することになったが、どちらにしろ結婚できるので結果良ければ全て良しである。ジオにとっては良いことしかない。
ただ、これがリーティアにとっても最善の道かと言うと。
「本当に今すぐでいいのか?リーティア。やっぱり君が学園を卒業するまで待った方が」
貴族にならなくともリーティアはプロポーズを受けると言ってくれた。だからジオが平民のままの今でも結婚できる。学園も辞めて辺境の地まで付いて来てくれるというその気持ちはとても嬉しい。
しかしリーティアのためを思うなら、とりあえず今は遠距離で過ごし、二年後の卒業を待って結婚するという道もある。
「俺は退学とはいえどうせ少し前に編入したばかりだし未練は無い。でもリーティアが四年も通った学園の卒業を諦めることになるのは……」
冬のダンスパーティさえ終われば、最上級生達は自由登園期間に入り殆ど登園しなくなる。あの王子や取り巻き達がいなくなるのならリーティアの学園生活も今よりだいぶマシになるはずだ。
着々と結婚が近づいていく中、ジオはそう考えてリーティアに問いかけた。
「君に何も失ってほしくないんだ。俺は二年待ったって構わない。本当に後悔しないか?」
明日に迫った結婚式のため、ジオもリーティアも学園の寮ではなくアルブム家に身を移している。後戻りするとしたらもう今が最後のタイミングである。
「何も失ってなんかいないわ。貴方を得られるんだもの」
しかしそんなジオの問いに、リーティアははっきりと迷いのない目で答えた。
「二年も離れるなんて、ジオが待てたって私は待てない。私だけ王都に残って、あの時どうして付いていかなかったんだって後悔するのは御免よ」
「リーティア……!」
月の光の如く輝く金色の目が真っ直ぐにジオをとらえる。
そうだ、出会った時から何度もリーティアはジオを選んでくれていた。
ならばジオの言うべきことはこんな今更すぎる問いではない。
「リーティア、必ず、必ず幸せにする。俺はリーティアが側にいてくれるだけで幸せだから、君の幸せのために全力を尽くそう」
この手を取ってくれた、その先の未来への誓いである。
選んだ道が間違いでなかったと思ってもらえるように。
「俺は嘘がつけない。思ったことしか言えない。言外の意味だとか、言わなくてもわかることがわからなくて、空気が読めないことが多々ある。きっとそれで君に苦労をかけることもあるだろう」
己のことを何の欠点もない男だとはとても言えない。
「だが俺は嘘をつかない。思ってもいないことは言わない。学園であったような君を傷つける空気なんて絶対に読まないし、たとえ君が否定しようと君のいいところや好きなところを伝え続ける」
己のことを何もいいところがない男だとも思わない。リーティアを幸せにする、その点に関しては誰にも負けないと自負している。
リーティアの手を取り、ジオは祈るようにして言った。
「だから信じてほしい。必ず君を幸せにすると」
「信じるわ。他の誰が何を言ったって、私は貴方の言葉を信じる。それに……」
その手を握り返してくれながら、リーティアがふわりと笑う。出会った頃から求めてやまなかった、曇りのない笑顔で。
「私はもうとっくに幸せなのよ。貴方と結婚できるんだもの。明日には世界一幸せな花嫁になるわ」
明日、彼女と結婚する。
純白のドレスとヴェールを纏ったリーティアと、神の前で永遠の愛を誓い合う。
「ならば俺は世界一幸せな花婿だ。こんな果報者他にいない」
あの日想像した、花嫁姿のリーティアの手を引く男。これ以上の幸せ者はいないだろうと思った男に自分がなるのだ。
「ところでリーティア。頼みがある」
「なあに?」
リーティアとの結婚式。花嫁が世界一の花嫁なのだ、きっと素晴らしい式になるだろう。
ただ一つだけ問題があるとすれば。
「誓いのキスの練習をしていいか?」
「ふぇっ」
そんな完璧な花嫁を前にして、こちらに失敗は許されないところである。
特に一番のイベントである誓いのキスの場面。ここでミスをしてしまったらリーティアにも恥をかかせることになる。それは避けたい。しかしジオに過去にそういった経験は全くなく、本番一発でスマートに決められる自信がなかった。
「初めてだから本番で失敗してしまうかもしれないと思って不安なんだ。格好悪い頼みで申し訳ないが……」
「い、いい、いいわよ、わわわ私も初めてだからたくさん練習した方がいいと思う……!」
「ありがとう。じゃあ目を瞑ってくれ」
あわあわと顔を赤くしたリーティアが、しばらくして覚悟を決めたようにキュッと目を閉じた。
きっとこんな顔を見れるのも新郎の特権なのだと思うと、ますます幸福感が込み上げてくる。
「……愛してる、リーティア」
「ん……」
肩に手を置き、その頬に手を添えて、ジオはゆっくりと顔を近づけた。
……キスとはこんなに身体の距離も近づくものだったのか。
肩に置いた手を背中側に回し、更に近づきながら、ジオは練習をしておいて良かったと今から思った。
まつ毛が僅かに震えていること、心臓の鼓動が同じくらい速くなっていること、思っていたより体温が高いこと、そんなことが全部わかるくらいに近い。これを本番でいきなり体験していたら動揺して固まってしまっていたかもしれない。
「……っ」
お互いの前髪が触れた。
そしてもう少しで唇が触れるというところで、頬に添えていた指を滑り込ませる。
「……え?」
「ああ大丈夫だ、これは練習だからな。結婚前に無体を働くようなことはしない」
流れはわかった。位置や体勢の取り方も。動きはぎこちなくなってしまったが二回目以降ならもっとスムーズに動けるはず。明日に迫った結婚式、もう何も問題は無……。
「うぇ!?ど、どうしたリーティア!?俺は何かしてしまったのか!?」
問題は無いはずが、何故か急にリーティアに襟を掴まれ首元を締め上げられるという事態になっている。
「何も……何もしてないわよ……!」
だったら何故。
そう訊こうとしたものの、思いの外首が締まって声にならなかった。
◆◆◆
二人の最後の登園日であり、学園の冬のダンスパーティ開催日。
会場からオーケストラの奏でる音楽が漏れ聞こえてくる、二人きりの静かなテラスにて。
「このまま月に帰ってしまわないよな」
「もう、さっきのは冗談よ。本当に月の妖精だったら結婚なんてできないでしょう?」
かつての約束を果たすため、リーティアとダンスのステップを踏みながら、ジオは先程のリーティアの『本当に月から来たって言ったらどうする?』というちょっと聞き捨てならない発言について問い直していた。
「冗談に聞こえないんだ……このまま光の粉をヴェールのように纏ってふわりと宙に浮きながら『今までありがとう』と一粒の涙を流して空高く舞い上がって行っても驚かないくらい似合っているから」
「この短時間でそんなに具体的な想像を」
「妖精の浮力が光の粉由来だとしたら……それを払ってしまえば……」
「帰らせない方法の模索まで……」
月に帰られてしまったらジオに追いかける手段はない。冗談だと頭ではわかっているものの、最悪の事態を考えずにはいられなかった。
「大丈夫よ。これからはもう、私の帰るところはジオのところなんだから。貴方を置いてどこにも行かないわ」
「月よりも俺を選んでくれるのか?」
「当たり前じゃない」
その言葉を聞いてようやく安心する。いや、そもそも不安になる方がおかしかった。いつだってリーティアはジオを選んでくれる。
ついさっきまでいたパーティ会場でだって、今まで散々に罵ってきたのは愛情の裏返しだったのだと、第一王子からのとんでもないプロポーズがあっても迷わずジオの隣に立ってくれた。
「きゃっ」
「!大丈夫か、リーティア」
「ええ、少し躓いただけ……」
その時、不意にリーティアが体勢を崩した。どうやら片方の靴を留めていたリボンが解けて躓いてしまったらしい。
転ぶ前にすかさずジオがその背を支え直せば、二人の距離はまるで抱き締め合うように近くなった。
「……」
何も言わず、リーティアがそっと目を閉じる。
これがキスをするべき空気だというのは、ジオも今度こそ言われなくとも読めた。
嫌われ令嬢は愛されたい、ジオ視点完結です。
ジオもたまには空気を読めることもある…(*´-`)
本編リーティア視点に続きブクマ評価等ありがとうございました。
感想もらえたら嬉しいです!




