2話 天使の羽根と
「……俺のせいでリーティアまで怒られることになってすまない……」
花びらの舞い散る木の下で、ジオは消沈しながらリーティアに頭を下げた。
せっかく彼女に白と金の美しさをわかってもらえたと思ったのに、運悪く寮の敷地内を巡回していた寮監に見つかり、勝手に木に手を加えたとして注意を受けてしまったのだ。見ていて止めなかったとしてリーティアまで一緒に。
「いいのよ。もし今時間が戻ったとして貴方を止めようとは思わないから、連帯責任だわ」
幸いリーティアは特に気にしていないようで、今も片手に先程受け止めていた花を持ったままでいる。
「何か詫びはできないか?」
「そんなお詫びなんて……ああ、でもそうね、それなら一つだけ頼みたいことがあるわ」
「なんだってしよう!俺に務まることなら勿論、務まらないことでもこれからなんとかする」
「貴方にしか務まらないことよ」
詫びをしようにも平民のジオが貴族令嬢であるリーティアにできることなどたかが知れている。
しかしどうやら丁度よくその手段があったらしく、ジオは俄然やる気に満ちた。
「貴方はその……私を正面から見ても、近くにいても、平気なようだから……」
「?悪い、平気ではないな。平常と変わらぬ心持ちという意味での『平気』なら」
「え?あ、そ、そうなの、ごめんなさいやっぱりそうよね私ったら早とちりを」
「ああ。人生で一番というくらい高揚しているから平気とは程遠い。昨日は月の妖精と出会ったと思って驚いていたが今日は月の妖精が人間だったことにもっと驚いているし、そんな月の妖精の如く綺麗で可愛い女の子と言葉を交わしている事実にずっと胸が躍り狂って仕方がない」
「っ!?」
喜んだのも束の間、リーティアの見込み違いだったらしくジオはまたもや意気消沈した。
リーティアの前で普段と何も変わらぬ心地でいるなど不可能である。どうしたって気分は高まるし幸福だし既にその一挙手一投足に一喜一憂してしまう自分がいる。
「俺は表情があまり変わらないからずっと平常心でいるように見えたんだろうが、全然そんなことはないんだ。ここに来る前の友人からも『何を考えているのかあまり顔に出さないが全部口に出すタイプ』とよく言われた」
「そ、その友人さんの言う通りね……」
「だから君を前にして平気でいることが今回の詫びの条件ならかなり難しいと思う……いや不可能かもしれない……勿論努力はするが、果たしていつになるか」
これは果てしない道のりになる。条件を達成する頃には天寿を全うしてるかもしれない。
「いえ、あの、違うの、平気というか私を見て不快にならないならそれでいいのよ、頼みたいことっていうのは、来週の」
リーティアが話を続けるが、さらりと告げられた『来週』という期限に絶望的な気持ちになる。
来週?来週までに平常心を得なくてはいけないのか?来世まで待ってくれないだろうか?
「来週のダンスの授業で、パートナーになってほしいだけなの!」
「え?」
ダンスのパートナー。男女が手を取って至近距離で過ごすあのアレ。
その思ってもみなかった依頼に、ジオは平常心どころか無表情のまま歓喜が天を貫いた。
◆◆◆
支給された教本の中にダンスの授業用の教本もあったので、リーティアと約束して以降、ジオは他の勉強はそっちのけでその教本の内容を頭に叩き込んだ。なんなら座学の授業中も足元ではステップの復習をしていた。
あくまで詫びであることはわかっていても楽しみな気持ちは抑えきれない。だって学園一可愛い女の子のパートナーを務める栄誉を賜ったのだ、こんなに幸運な男他にいない。
楽しみだった。とても楽しみにしていたのだ。
そうして迎えたダンスの授業の日当日。
「おい、貴様!聞いてるのか!代わってやるからその手を離せと言ってるんだ!」
「え?嫌です」
背中に羽根が生えたような心地で、同じく背中に天使の羽根が舞うリーティアの手を取り踊っていたところに、いきなり横入りしようとしてくる輩が現れジオは一気に警戒心を引き上げた。
「急になんでしょうか?今日は俺が彼女のパートナーを務める約束です。横入りされては困ります」
いや慌てることはない、このくらい予想していたことである。
リーティアと踊りたい他の男子生徒が列をなし、なんなら待ちきれずに強引に割り込もうとしてくることくらい予想していた。つまりこの上級生らしき男が行列第一号。
しかし今日は順番を変わることなく最後までパートナーを務める約束なのだ。横入りは勿論、普通に頼まれたところで譲る気は無い。
「横入りではない。代わってやると言っているだろう!醜く老いた魔女に無理矢理相手をさせられている貴様を哀れに思ってな」
「……?人違いです」
そう勢い込んだジオであったが、その上級生の言葉に肩透かしに合い首を傾げた。
なんだ、ただの人違いだったようである。
ここまで近づいて来て人違いとは相手の目が心配になるが、失礼なことには違いないので思いやってやる必要は無いだろう。
「貴様、何を訳のわからぬことを……!貴様以外に誰がいるのだ」
「人違いです。俺は学園一可愛い女の子からダンスに誘って貰った、最高に幸運な男だ。醜い魔女だとか哀れだとか、誰のことを言ってるんです?」
本格的に相手の目がおかしいようである。幻覚を見ている可能性も否めなくなってきた。
しかしこの学園の生徒ということはこの男もやんごとなき身分なのだろう。これまた身分の高そうな女子生徒を侍らせていることからも、更に上の身分であることがうかがえる。
幻覚で人違いをしていたとしても、他の生徒達は指摘できないのかもしれない。
「貴様、この私が直々に声をかけてやったというのに!」
まあ、だからと言ってジオまでそれに合わせてやる道義はないが。
「申し訳ございません殿下、彼を心配してくださりありがとうございます。ただその、この彼は少々変わっておりまして、私の相手役も苦痛ではないようなのです……ですから、そのお気持ちだけで……」
「!」
しかしジオが更に言い返そうとしたところで、リーティアが身を捻らせてその上級生へと向き合った。
ジオの胸倉を掴み上げんばかりだった男が面食らったように黙り込み、しばし沈黙が降りる。
「……フン、そうか。後悔しても知らんぞ」
何かを言おうとしてやめたのか。そう一言吐き捨てると、男は身を翻した。
「ああっ、お待ちください殿下、わたくしとダンスを……っ」
「殿下っ!お待ちになって、殿下ー!」
これ見よがしに引き連れていた令嬢二人も置いて。
「すまないリーティア、庇わせてしまって」
「そんなことないわ。庇ってくれたのはジオの方よ」
三人の姿が完全に見えなくなってから、こちらに向き直ったリーティアにジオが謝る。幻覚の見えている危ない男から庇うどころか、逆に庇われてしまった。
「きっとあの男は今まで誰にもそれが幻覚だと指摘されなかったんだろうな……あんなに自信満々に目の前の人物と別の人間が見えていると主張してくるなんて」
「待って」
一緒にいたおそらく上級生であろう女性陣も、随分とあの男を持ち上げてるように見えた。男が去る時も「お待ちくださいデンカ」と縋るように……アレはデンカという名だったか……。
随分と変わった名前だと思いかけたところで。
「あっ!アレがあの頭か目のおかしい王子か!」
「ジオ今のステップ間違ってたわほらやり直しましょう私が教えてあげるから!!」
デンカと殿下が繋がった。十年前からリーティアを醜いと言い続ける、頭か目のおかしい王子がこの国にいたのだった。
「ああ悪い、つい気を取られてしまって。君を目の前にして他のことを考えるなんて俺もどうかしていた」
「そっ、そういうことは言わなくていいから……!」
しかしせっかく邪魔者がいなくなったのにそれに気を取られてダンスが疎かになっては本末転倒。
今集中すべきはリーティアとのダンスだと即行で切り替え、ジオはたった今離れかけたリーティアの手を追いかけてしっかりと握り直した。




