1話 月の妖精、もしくは女神
本編のジオ視点の話です。全6話予定。
「いいか、絶対、ぜーったいに余計なことは言うんじゃないぞ。ヤバいと思ったら黙っておけ。いやヤバいと思わなくても黙ってろ。その学園にいるのはオレらにとっては雲の上の人物ばかりなんだ。下手なことを言ったら大変なことになるぞ!」
「問題ない。俺は本当のことしか言わないからな」
「それが問題だって言ってんだろーー!」
乗合魔石動車の出発時間が迫る中。
つい先程商屋の前にて親方や従業員達に盛大に見送られた後、最後まで送ると着いて来てくれた友人にジオは力強く言った。
「どこに行こうと光の届かない場所はない。どんな場所でだって光の精霊に背くことはないとここに誓おう」
「誓わんでいい誓わんでいい、たとえその光の力を失ったってここに帰ってくればいいんだ。命あっての物種だぞ!」
「テッド……大丈夫だ信じてくれ、俺はこの力を失うようなことは決してしない」
「それで代わりに命を失ったら意味ないんだって!」
ジオが十歳の頃に孤児院から引き取られ、以来六年間従業員見習い兼雑用係として世話になった商屋。そこでテッドとは同い年で同じ境遇ということで知り合い、以来苦楽を共にした戦友のような存在であった。
「わかった、じゃあせめて定期的に生存報告しろ!何があったか何をしたか何をやらかしたか報告書を送れ」
「ああ、手紙だな?言われなくとも書くさ」
そんな長年の棲家を出て、国の命令で何やらやんごとなき子女達が集まる学園へ通うことになったジオを心配しているのだろう。国からのお達しが来てからというもの、テッドからはもう何度も同じことを繰り返し言い含められていた。そう心配せずともジオはどこでだろうと誰が相手だろうとこの生き方を曲げる気はないのに。
「じゃあなテッド、皆にも俺は無事に出発したと伝えておいてくれ」
「行きより着いてからが無事かどうかが重要なんだよ……!」
別れは惜しいが時間は待ってくれない。
なおも言い募る友人に再度心配いらないと言い聞かせ、ジオはトランクを片手に二階建ての魔石動車へと乗り込んだ。
◆◆◆
「制服、教科書類、家具寝具等規定のものは全て部屋に用意してある。その他必要なものがあれば予め渡してある支度金で自由に買うといい」
「はい。ありがとうございます」
「授業は明後日からだ。門限以外に休日の過ごし方に決まりはないが、羽目は外し過ぎないように」
「はい」
学園に到着し、一人の教師に寮までの案内を受けながら一通りの説明を聞く。
既に聞いたことではあるが、まあ再確認のようなものだろう。別れ際のテッドの『余計なことは言うな』との念押しを思い出し、ここで『もう聞いているので大丈夫です』と言うのは余計なことだろうと判断したジオは大人しくその説明を受けた。
「ああそうだ。平民の君にはピンと来ないだろうが、ここではダンスも必須単位の一つだ。来週にあるダンスパーティは生徒達の交流の場でもあるが、授業の一環でもある。正当な理由なく欠席はしないように」
「はい」
それも一応聞いてはいる。事前に受け取っていた授業の予定表にダンスパーティと記載されていた日があった。さすが王族貴族の子女が集まる学び舎はやることが違うなと思ったものである。
「さあ、ここが今日から君の部屋だ。塵一つ落とすなとは言わないが、節度ある使い方をしてくれたまえよ」
「はい」
余計なことを言わないようにするとたった二文字の返事しかできないなと思いながら、ジオは教師から寮の部屋の鍵を受け取った。
「では失礼する」
そしてジオがドアの鍵穴に鍵をさしたところで、教師は役目は果たしたとばかりにさっさと引き上げて行ってしまった。
「あ」
最後に来週のダンスパーティには何を着ていけばいいのか質問しようと思っていたのだが、タイミングを逃してしまった。貴族のパーティと言うからには何かドレスコードがあるのかと。
しかし追いかけて聞こうとしたところで、開けたドアの先でベッドの上に乗っていた服がちらりと目に入る。
「……これが制服……」
それはジオが今私服として持っている服と比べ、はるかに高そうな布と立派な縫製でできた一着であった。
これならパーティの正装とやらにも通用しそうである。そもそも授業の一環でもあるのだから、授業用の服と言えば制服で間違いない。
もし女子生徒であれば自前のドレス等で出席するのが普通なのかもしれないが、男子であれば制服でもなんとかなるなと判断したのだった。
◆◆◆
なんとかならなかった。
「制服じゃ正装にならないのか……貴族の常識はわからないな」
一週間後。
パーティ会場前にて出席名簿に名を書こうとしたジオは、受付係に正装でなければ参加できないと止められ、なすすべなく一人寮までの帰り道を歩いていた。
こんなに立派な制服で正装にならないとは思いもよらなかった。
しかしおそらく貴族にとっては常識で、わざわざ周知することでもなかったのだろう。ジオにパーティに出席するよう伝えた教師もそこまでは思い至らなかったと思われる。
まあ参加できないものは仕方ない。今からパーティの正装だという夜会服を買いに行く時間も無いのだ。
「……月が綺麗だなぁ」
それに参加できなくて良かったこともある。帰り道がやけに明るいと思ったら、いつのまにか夜空が雲一つなく晴れ渡り、普段より大きな月が輝いていたのである。今この時間に外にいなければ気がつかなかった。
せっかくだからもうしばらく眺めていようと、整えられた道を外れ、草の茂った場所を歩く。上を見ながら歩いているので、もし道を通る人がいてもぶつからないようにである。
「ん?」
とはいえ他の生徒達は今頃パーティの真っ最中。他にこの道を通る者などいないかとジオが思ったところで、斜め後方から微かにヒールの響く音が聞こえた。
「……!」
咄嗟に物陰に隠れてから、近づいてきたその靴音の持ち主を見て思わず息が止まった。
月明かりに照らされ、夜闇に浮かび上がる白く細い手足。俯いていて全貌は見えないにも関わらず、その垣間見える部分だけで美しいとわかる横顔。まるで天からまっすぐ糸が通っているかのように、その一歩一歩の動作も美しい。
体重が無いのかと見紛う所作によもやこの世のものではないのかと一瞬恐れを抱く。
その時、少女は突然その髪を纏め上げていた布を取り払った。
「どうせ、私なんて……っ」
支えを失った髪が背中に広がる。真っ直ぐに流れたあと毛先にかけて緩やかにウェーブを描くその髪は、月光を受けてきらきらと純白に輝いていた。
「どうせ私なんて、着飾るだけ無駄な醜い女よ……!」
まるで地上に天の川が広がったような、そんな幻想的な光景にただ見惚れていたところ、少女が吐き捨てた言葉に我に返る。
「いやそんなわけないだろう」
今この子は何と言ったのか。今まさに頭に浮かんだ言葉と真逆のものが出てきた驚きで、思わず反射的に言い返してしまった。
「えっ?」
振り返ったその顔を真正面から見て、更に確信を深める。
綺麗だ。月ではなくこの少女自身が淡く輝いているように見えるくらい。いや輝いている『ように』ではなく実際本当に輝いている。
こんなに美しい存在が自らを醜いと称するなど、真実に真っ向から反抗することに他ならない。
「嘘は良くない。醜いなんて君と対極の位置にある言葉だ。着飾るだけ無駄と言うのは、既に充分美しいからこの上更にプラスしようがないという意味でなら正しいが」
嘘は良くない、しかしそれだけではない。正義感とも少し違う。ただこの女の子に自分を醜いなんて思ってほしくないと強く思った。その目の端に浮かぶ涙の原因がそれだと言うならなおさら、なんとしてでも。
「えっ、あの……だ、誰……?」
「ジオ・ウェールス。先日この学園の第四学年に編入した者だ」
胸の奥から湧き上がる熱に突き動かされるように、ジオは少女の前へと踊り出た。
「して君は?月の妖精か?」
こんなに月の綺麗な夜だ。妖精が降りて来てもおかしくない。
ジオがそう問うと、正体を言い当てられて驚いたのか、月の妖精は大きな目を更に大きくして固まった。
◆◆◆
翌日。
月の妖精と出会うという、ジオにとって人生の衝撃ランキング一位が塗り替えられる事件が起こった。
なんと月の妖精が人間だったのだ。
昨夜から妖精は己が人間であると主張していたが、こうして学園の制服を着て昼間に現れたとなればもう信じないわけにはいかない。
「……信じてくれて嬉しいわ……」
月の妖精、ではなくリーティア・アルブムが芝生に座り込んで呟く。その少し疲れたような横顔も昼間の月のように儚げで美しい。
しかし、相変わらずこの美しい少女は己を醜いと言う。昨夜はもしかして妖精の美醜感覚が人間と逆なのかと思ったのだが、リーティアが妖精ではなく人間ということはつまり。
「ああ、妖精ではなく貴族の美醜感覚が平民と逆だったんだな」
「貴方の絶対に自分の感覚は間違ってないって姿勢ちょっと面白くなってきたわ」
当然だろう。こんなに美しい人を今まで見たことがない。
と、思ったのでジオがそのまま口に出せば、リーティアはまた困惑したように目を伏せた。
まつ毛に縁取られたその金の瞳が水面に揺れる月のように幻想的で美しい。
そう、昨晩はその色まではわからなかったが、リーティアの両の目は金色だったのである。こんなに月の妖精に相応しい目の色が他にあるだろうか。
「……私だって、6歳の頃までは自分を可愛いと思ってたわ」
「今までも今この瞬間もこの先の未来もずっと可愛いと思うが」
リーティアの言葉を聞きジオがハッと気付いた。今までの己の言葉が足りなかったということに。
綺麗だ、美しいとの単語ばかり使って『可愛い』を忘れていた。勿論可愛らしさも圧倒的である。次からはそれも踏まえて……。
「ちょっと黙ってて」
「わかった」
止められてしまった。
仕方がないのでリーティアを見ることに集中することとする。
「家族が身内の欲目で可愛いと言ってくれるのを本気にして、この白い髪も金の目もおかしいと気づかなかったの。初めてそれが変だと知ったのは、6歳の時に同年代の子達が集まるお茶会に出てからよ」
そう言ってリーティアは、十年前に出席したというお茶会と、その日からこれまでのことについて静かに語り出した。
一国の王子にその髪と目の色の醜さをあげつらわれ、男子からは目を逸らされ、女子からは笑われた日のことを。
その日からずっと続く、蔑みの言葉や視線を受ける日々を。
「そうか……そいつら全員目か頭のどっちかがおかしいんだな。それか両方だ」
「貴方は本当に自分の意見を曲げないのね」
そのあまりに失礼で見る目のない者達のエピソードに、ジオが間違っているのは向こうだと結論を下すも、リーティアは全く信じられないようで。
「逆に聞きたい。どうしてそんな見る目の無い輩に悪口を言われたからって、こんなに綺麗な色を醜いと思い込める?」
どうしてだろう。どうすればいい?何と言えば、何をすれば彼女に信じてもらえるのか。
その純白の髪と金色の瞳が綺麗だという、こんなに単純なことをどうして信じてもらえない。
そう考え込み、ふと顔を上げたところで一本の木が視界に入り、ジオはぱっと立ち上がった。
下町にいた時もよく目にした木。季節が秋に入った今は茶色がかった緑の葉が繁るだけだが、数ヶ月前であればこの木の下を通る者は誰もがそれを見上げずにはいられなくなる。
この夏の木ならば。
「……天地万象、生きとし生けるもの全てに平等に降り注ぐ光よ、その道筋に背かぬことを誓う。ひとときの寵愛を我に与えたまえ——」
駆け寄ってその幹に触れ、目を閉じて光の精霊への誓いと祈りの言葉を紡ぐ。
「えっ……!?」
後ろから聞こえたその驚いた声に、魔法が無事成功したことを悟る。
次にジオが目を開けた時には、狙い通りの光景が広がっていた。
「どうだ、同じ色だぞ。綺麗だろ。リーティアはそう思わないのか?」
優雅に広がる純白の花弁と鮮やかな黄金の花芯。時を戻した夏の木に満開に咲く花。
「確かに……綺麗ね……」
「ああ、そうだろう?」
風に舞ったその白と金の花を受け止めて、同じ色を持つ少女が初めて肯定の意を示した。




