2話 羽根が生えたような
「こんなことで詫びになるのか?俺の方が助かってる気がするが」
「大助かりよ。そろそろダンスの単位を落としそうだったの」
いつも憂鬱であったダンスの授業の日。リーティアはジオの手を取って他の生徒達の列の中にいた。
「本当に助かるわ。いつもは誰も相手をしてくれなくて……」
「綺麗過ぎて手を取るのも躊躇するから?」
「そういうことにしておくわ」
否定すれば何倍もの反論になって返ってくるのはわかっているので適当に肯定しておく。
先日中庭の木に花を咲かせたことでジオだけでなく『見ていて止めなかった』としてリーティアまで怒られた件で、何か詫びをすると言ったジオに、リーティアは次のダンスの授業での相手役を頼んだ。
このダンス授業は三年生まではまだ教師からステップや姿勢の指導を受けるのがメインであったが、四年生になってからは男女でペアを組んでの実践方式になってしまい、組んでくれる男子がいないリーティアはまともに授業に参加できなかったのだ。
今回ジオが相手役を受けてくれたおかげで、いよいよ危なかった単位を落とさずに済みそうだと。
「ジオ?どうかした?」
「ああ、悪い。あんまり綺麗で見惚れていた」
「あ、ありがとう」
……単位を落とさずに済みそうだと思ったのだが、別のものが落とされそうな気がする。
「ターンを踏むたびに靡く髪が絹糸のようでとても綺麗だ」
「……ありがとう」
醜いからと遠巻きにされるのも堪えるが、こんな至近距離で大真面目に褒められるのも中々の破壊力である。しかも否定してはいけないから尚更。
「白鳥の羽根が舞ったらこんな感じだろうか。いいやもう天使の羽根か?どっちだと思うリーティア」
「……その二択なら白鳥で」
「いいや俺は天使だと思う」
もはやダンスの練習をしてるのか何かの修行をしているのかわからない。精神の滝修行でもしてる気分である。うかうかしていたら褒め言葉の滝に押し流されそうだ。
「その金色の目も本当に綺麗だなぁ。こうやって近くで見れて嬉しい。ダンスってこんなにいいものだったんだな」
「そ、そう。気に入ってくれたなら嬉しいわ。ダ、ダンスの方ね!ダンスの方!」
褒め殺しとはまさにこういうことを言うのだろう。今のはちょっとうっかり心臓が止まりそうだった。タイミングも悪い、ちょうど男性側が女性側を引き寄せるターンで言うから。
「ああ、凄く気に入った。リーティアと踊るのはとても楽しい」
「……そう」
思わず俯いて返してから、あまりに素っ気ない返事だったとリーティアが焦る。
「待って、ええと、その、私も」
楽しいという気持ちなら、リーティアも同じだ。それくらい同意したってバチは当たらないだろう。
だって今まで憂鬱だった授業が嘘なようなくらい、ずっと。
「ん?何やら醜い老婆なんかと踊る物好きな男がいるようだが」
「……っ!」
「リーティア?急に動きが固くなったぞ。どこかぶつけたか?」
しかしリーティアが思い切ってそう口を開いた瞬間、浴びせられた冷たい声に思わず固まってしまった。
このダンスの授業時間は学年共通であり、下の学年の授業には成績に余裕のある上級生がコーチとして参加出来る制度がある。
何故かはわからないが、リーティアが参加する授業にはほぼ毎回第一王子であるアンドリュー・ラフィザードがコーチ役として出席していた。
「あらあら、本当に物好きなお方がいたものですわぁ」
「ええ、ええ、よっぽど他にお相手がいなかったのでしょう」
アンドリューの後ろから、同じくコーチとして来た(割にはいつもアンドリューとばかり踊るだけだが)アドーラ・ドレーゼとオリエンヌ・ヒスコックも姿を現す。
「強欲な卑しい金の目の魔女め。いったいどんな卑怯な手を使ったのだか。はあ。容姿だけではなくその性根も卑しく醜いとは」
いつもの如く二人の仲の良い令嬢を引き連れ、こちらを見下しきった笑みを浮かべ近づいてくるアンドリュー。
リーティアが醜いことを一番最初に指摘し、それだけならまだしも顔合わせるごとにこうして繰り返し傷口に塩を塗ってくるこの王子が、リーティアは昔からとても苦手だった。
「さてと、そこのお前」
リーティアの手を取るジオに視線を向け、アンドリューが大袈裟に肩をすくめる。
「気の毒に。老獪な魔女に無理強いされて断りきれなかったのだろう。ならば仕方がない、民を守るのも王族の務めだ。私が代わってやろう。さぁ、さっさとどこかへ行くがいい」
今までの授業でリーティアがペアを組めず一人で練習してる時も、この王子達に散々馬鹿にされた。
今回はペアが組めたから絡まれないかと思いきや、そうは問屋は卸さなかったらしい。
「リーティア?どうした?さっきの俺のステップが駄目だったか?悪い、見惚れすぎて足元が疎かになってたみたいだ」
「え、ちょ、ちょっとジオ……っ」
しかしジオも全く動じなかった。まさかのアンドリューに話しかけられてることすら気づいていなかった様子。
「おい、貴様!聞いてるのか!代わってやるからその手を離せと言ってるんだ!」
「え?嫌です」
至近距離で叫ばれ、やっとジオがアンドリューを認識した。
「急になんでしょうか?今日は俺が彼女のパートナーを務める約束です。横入りされては困ります」
「横入りではない。代わってやると言っているだろう!醜く老いた魔女に無理矢理相手をさせられている貴様を哀れに思ってな」
「?人違いです」
「ジオ!?」
いや、ジオはこれでふざけてるつもりはないのだ。この短い付き合いであるが、彼が本気でそう言ってることはリーティアは分かる。
「人違いです。俺は学園一可愛い女の子からダンスに誘って貰った、最高に幸運な男だ。醜い魔女だとか哀れだとか、誰のことを言ってるんです?」
「なっ……も、もう、こんな時まで……っ!」
一国の王子の前だ。照れている場合じゃない。リーティアとてそれは分かっている。しかしジオが本気なことも分かる以上、頬が熱くなるのを止められなかった。
「申し訳ございません殿下、彼を心配してくださりありがとうございます。ただその、この彼は少々変わっておりまして、私の相手役も苦痛ではないようなのです……ですから、そのお気持ちだけで……」
リーティアから謝罪をするのもだいぶ変な気はするが、ジオに主張を曲げる気が一切無さそうなので仕方がない。
「……フン、そうか。後悔しても知らんぞ」
救ってやるはずが予想外にその手を払いのけられ、不快に思ったのだろう。スッと表情を無くしたアンドリューが冷たい瞳でジオを睨む。
「気分が悪い。今日の授業はこれで終わりだ。私はもう城に戻る」
「えっ、殿下、お待ちになって!わたくしとダンスはっ」
「いいえわたくしですわ、殿下ー!」
そしてくるりと踵を返すと、慌てて後を追うアドーラ達にも見向きもせずに去って行った。
数分後。
「あっ、アレがあの頭か目のおかしい王子か!」
「ジオ今のステップ間違ってたわほらやり直しましょう私が教えてあげるから!!」
ようやく合点がいったとばかりに零したジオの言葉に被せ、リーティアはちょっとここ最近で最大くらいの大声を出した。
……だから気がつかなかった。ダンスを終え、リーティア達を遠巻きに見つめていた男子生徒の一部が、「平民の分際で、殿下の『妖精姫』を……」「アイツ、終わったな……」などと囁き合っていたことに。