ある男子生徒の後悔
前話『ある男子生徒の見解』にて少し先に真実に気づいた方の男子生徒視点です。
リーティア・アルブムはとても幸せな少女である。
6歳の幼き日にこの国の王子に見初められ、以来10年間その寵愛を一身に受けてきた。
唯一の難点は王子の愛が不器用で、鈍感なリーティアはその愛に気づいていないことであるが、少しでも勘のいい者は皆知っている。
今はちょっとだけ不幸に見えるリーティアが、本当はこの国一番の幸せ者であることを——。
◆◆◆
「……本当にそうだろうか」
「うん?どうしたデイビッド。何の話だ?」
「今の話のことだ。風魔法の試験でアルブム嬢を窮地に陥らせることが、殿下の“不器用で健気な策”だなんて」
午前最後の講義が終わり、昼休みに入った時のこと。
笑い合う友人達の輪にどうしても入れず、デイビッドはボソリと呟いた。
「窮地って……そんな大袈裟な。何も殿下は本当に彼女を留年させる気じゃないだろう?」
「そうそう。それにアルブム嬢が勇気を出して殿下を頼りさえすれば、試験だけじゃなく恋も上手くいくんだからさ」
ことの発端は、ついさっきの風魔法の講義での教師の発言。三日後にある試験を各自実技か筆記のどちらで受けるか今日までに決めるようにと伝達があり、その際、リーティア・アルブムだけは必ず実技で試験を受けること、と特則が付け加えられたのだ。
「けれどアルブム嬢はその真相は知らない。本当に留年になると思って怯えてるはずだ。あの青褪めた顔を見ただろう」
そのことにデイビッドはどうしても納得いかなかったのだが、友人二人は『何を馬鹿なことを言ってるんだ』と言わんばかりに顔を見合わせた。
「だから、それも殿下を頼ってもらうための策だろう?教師もちゃんと風魔法の得意な者に頼るように指示してたじゃないか」
「そんで殿下が学園一の風魔法の使い手だって、もう皆当たり前に知ってることわざわざ言ったりな。お膳立てがあからさま過ぎて俺あの時吹き出さないようにするのに必死だったわ」
風、土、水、火の四大魔法属性の講義は、このフォーレント学園では進級においてかなり重要な単位である。一つ落としたからと言って即留年確定することはないが、危なくなることは確かだ。
「だが、彼女が殿下を頼れなかったらどうする。留年の危機に怯えながら一人で闇雲に練習をすることになったら。三日とはいえ無理が祟って身体を壊してもおかしくない」
「ま、確かにあの鈍感な妖精姫のことだからなぁ。こんだけお膳立てされても気付かない可能性はある」
「鈍感姫がもーちょっと鋭ければそもそもこんなに拗れてないもんな、ははっ!」
肩をすくめておどけたように笑う友人達。しかしデイビッドにとっては笑い事ではなかった。
「いやもっと真面目によく考えてくれ、留年の危機だぞ。いくら殿下の恋路のためとはいえ洒落にならない。アルブム嬢は今どんなに不安になってるか」
「一つ違うぞデイビッド、“殿下の恋路”じゃなくて“殿下と妖精姫の恋路”だ。これは妖精姫のためでもあるんだ。多少の不安くらい恋の成就を思えば安いもんだろ」
「そうだそうだ。その不安も妖精姫が殿下に頼れば万事解決だしな」
いつものデイビッドならここで引き下がっていた。
アンドリュー第一王子による、一見リーティア・アルブムを苦しめるような言動。それは全て初恋を拗らせてしまったが故の愛情の裏返し。いつかリーティアがその不器用な愛に気づきさえすれば、女として最大の幸せが待っているのだと。
そう納得していた。いや、そう自分を納得させていた。
「……悪い。俺にはどうしても、自分を留年に追い込もうとする人物を好きになるとは思えない」
けれど今回ばかりは無理だった。
デイビッドはかつて、苦手な属性である火魔法の試験で失敗し、留年の危機に陥ったことがある。その時はなんとか補習と追試で難を逃れたが、数日間生きた心地がしなかった。
あの時のような思いを今リーティア・アルブムがしていると思ったら、王子様の不器用な恋だの何だのとほのぼのなどしていられない。
「はっ?急に何を言ってるんだ?今回のことでアルブム嬢が殿下を嫌いになるとでも?」
「相手はあの鈍感姫だぜ?殿下の策だとは気づくまいよ。たとえ気づいたとしても、それくらい自分を欲してくれてるってことなんだからむしろ嬉しいんじゃないか?」
そもそもリーティアは、本当にアンドリュー第一王子を好きなのか?
以前なら『王子を好きにならない女などいないだろう』と答えられたはずの問いが、一度疑問に思ってしまえばもう駄目だった。
「おい。お前まであの二人の恋路の邪魔をする気か?ただでさえあの空気の読めない平民が首を突っ込んできてややこしいことになってんのに……」
王子様だからなんなのだ。
醜い白髪だ、卑しい成金の目だと容姿を悪様に言い、ダンスの授業やパーティで誰も彼女の相手をしないよう根回しし、孤立するリーティアの前に己は婚約者候補達を引き連れて来て一緒に嘲笑う。
どうしてこんなことを今まで『素直になれない愛情の裏返し』で『王子なりの不器用なダンスへのお誘い』だと解釈し、あまつさえリーティア・アルブムも王子を想ってるはずだと決めつけていたのだろう。
「目を覚ませデイビッド。あの二人のすれ違いは今に始まったことじゃないだろ?最後まで応援してやろうじゃないか」
「……」
しかしそれに気づいたところで、自分は目の前の友人一人説得できないのだ。
哀れみの表情を浮かべた友人——ハリソン・ボールドウィンに肩を叩かれ、デイビッドは力なく項垂れた。
◆◆◆
『君に笑ってほしい。できれば泣かないでもいてほしい。そのためだったらなんでもしよう。あの夜に泣いている君を見てから、ずっとそう考えたんだ』
友人達曰く、空気の読めない平民の編入生。王子と妖精姫の十年来のラブストーリーに突如横槍を入れてきた邪魔者。
「……どこが邪魔者だ。勇者の間違いじゃないか」
風魔法の試験の次の日、デイビッド達の教室の前にあの噂のジオ・ウェールスがいた。男子生徒達の間で王子の妖精姫と名高いリーティア・アルブムと共に。
風魔法の練習に付き合ってもらったお礼なのだろう。自分に何かできることはないかと問うリーティアに、ならば笑ってほしいと答えていたジオ。
デイビッドにはあの光景こそが姫と勇者のラブストーリーに見えた。確かに彼は王子ではない。貴族でもない。だがそれがなんだ。地位がなければ恋愛対象に値しないなんて、それこそアンドリュー王子やその賛同者達が馬鹿にする“王子という地位にばかり執着する女達”と同じではないか。
『あーあ。どこまで空気読めないんだろうな、あの平民』
『殿下とするはずだった魔法練習を台無しにしたくせに何言ってんだか。妖精姫を笑顔にしたいってなら、アンドリュー殿下とくっつけてあげるのが一番なのに』
しかし同じ光景を見た友人達の感想はデイビッドと真逆であった。
リーティアと一緒に魔法練習をするためにせっかくアンドリューが場を整えたのに、光魔法以外使えもしないジオがしゃしゃり出てきたせいで台無しになった。
と、いうのがデイビッド以外の男子生徒達の見解である。
デイビッドがそれとなく反論しても『王子と平民だったら勝負にもならないだろう』と不思議そうに首を傾げられるだけ。
もうデイビッドにできることと言えば、あの場でジオに一言物申してやると進み出ようとする友人を止めることだけだった。
これ以上はできない。皆を説得できる言葉も、一国の王子に表立って逆らう勇気も持っていない。
『そこの女。なんだその髪と目は。老婆のような真っ白い髪に、成金らしく卑しい金の瞳。こんな薄気味悪い女は見たことがないぞ』
いったいどこから間違えてしまったんだろうと考えて、十年前のお茶会でアンドリューがリーティアに投げつけた言葉を今更思い出した。
あのお茶会にデイビッドもいたのだ。そして訳もわからず怯えているリーティアと目が合ったのに、王子の反感を買うのが怖くてすぐに逸らしてしまった。
あの時彼女に手を差し伸べられなかった罪悪感を、その後アレは王子による愛情の裏返しだったのだと納得することで蓋をした。
あの時から間違えてしまったのだ。十年というこんなにも長い期間。
「お前は負けないでくれよ……ジオ・ウェールス……」
こんなこと言えた義理ではないのはわかっている。
一人寮の自室のベッドに倒れ込み、デイビッドは縋るように呟いた。
◆◆◆
フォーレント魔法学園恒例行事の一つ、冬のダンスパーティ。
パーティ開始から一悶着あり、しばらく誰も何も言えず、気まずい沈黙が降りたパーティホールにて。
ぎこちなく流れ出した音楽に合わせ、バルコニーの向こうから二人分のステップの音が聞こえてきた。
「本当に空気が読めないんだな……あの彼は」
こちらが静まり返っていることくらいバルコニーの向こうからでも分かるだろう。音楽隊の奏でる音色が何一つ遮られることなく響き渡り、人の声が全く無いのだから。
それでもまるで気にしないかのように軽やかに踏まれる靴の音に、デイビッドは言葉とは裏腹に安心してしまった。
「ああ……俺達とは大違いだ」
「そうだな、ハリソン」
項垂れる友人の肩を今度はデイビッドがポンと叩いて慰める。自分だって周りより少し早く気づいただけで何も出来なかった。よってたかって一人の女の子を虐めた皆と同罪である。
周りに合わせ、空気を読み続けた結果こんなことになってしまった。
「……俺達と大違いの、彼が来てくれて良かった」
空気の読めない彼で良かった。
嘘のつけない彼で良かった。
何よりも彼女の笑顔を優先する彼で良かった。
たとえ王子じゃなくても、そんな彼だからこそ彼女は救われたのだ。
不意にバルコニーから聞こえるステップの音が途絶えた。同時にほんの少しだけ漏れ聞こえていた二人の話し声も。
何があったかなど気にすることはない。まあ、良い雰囲気の恋人同士が黙ってすることと言えば一つしかないだろう。
これ以上見ている方がそれこそ野暮だと、デイビッドはそっと僅かに影の映るバルコニーの窓から視線を外したのだった。
Twitterでも度々言ってるんですけどモブ達が『ヒロインはあんな冴えない男より王子を選ぶに決まってる』と思い込んでる話を書くのめっちゃ楽しいんですよね……残念だったなぁ!!その美少女は!!そんな冴えない男が好きなんだってよ!!!って高笑いする気持ちで書いてるからめっちゃ楽しいんですよね……めっっちゃ楽しいです。




