ある男子生徒の見解
とある男子生徒から見たリーティア達の話です。
ハリソン・ボールドウィンは、昔から他人の言葉の裏を読み、空気の読める子供であった。
「そこの女。なんだその髪と目は。老婆のような真っ白い髪に、成金らしく卑しい金の瞳。こんな薄気味悪い女は見たことがないぞ」
だから8歳の頃に参加した子供達のためのお茶会で、同い年の王子が少し年下であろう女の子に言い放った言葉についてもすぐに真意を悟った。
(ははーん……王子も恋愛となると普通の男と変わらないってわけね)
当時その聡明さ、魔法の才能、剣の腕とありとあらゆるものに秀で、神童と名高かった王子の意外な一面。
好きな女の子に対しては不器用。まあこの年頃の少年にはありがちな特徴である。
「ふふっ、あなた、ざんねんでしたわね。もっと離れたところにお座りなさいな」
「そうねそうね、アンドリュー殿下を不快にさせるわけにはいかないわ」
「あらぁたいへん!もういちばん端の席なのだから、座るなら地べたしかないわねぇ」
しかしアンドリューがそんな不器用な言葉を吐いてしまった途端、それまでその白い髪の少女の可愛らしさに憎々しげに唇を噛んでいた令嬢達が大喜びで便乗し出した。
貴族として嫌味は一丁前のくせに、言葉の裏は読み取れなかったらしい。しょせん子供……と言いたいところだが、女の嫌なところがもう備わってるとも言える。
「え……あ……」
隣の席の女に小突かれ、白い髪の少女が席から滑り落ちる。嫌味は理解できなくとも、女子陣の悪意はわかったのだろう。大きく見開かれた金色の目には涙が滲んでいた。
「え、あれ……」
「だ、大丈夫……うわっ」
ハリソン以外の男子は男子で、悪意はなくとも王子の真意までは読めなかったらしい。困惑しながらその子に手を差し伸べようとし、ガンッ!とテーブルを叩いたアンドリューに驚き手を引っ込めた。
「そんな汚れたドレスでいつまでいる気かしらぁ?恥ずかしい方ですことぉ」
「早く帰った方がよろしいんじゃなくてぇ?」
気まずげに目を逸らす男子達。勝ち誇る女子達。先程手を差し伸べようとした男子を睨みつけ、不機嫌そうに口を曲げる王子。
誰も味方がいないことに絶望し、震える白い髪の少女。
一見すればとても可哀想な光景だろう。
(やれやれ。みんな子供だなぁ)
そんな一見可哀想な、しかしその実シンデレラストーリーの開幕である光景を眺めながら、全てを見透かしていたハリソンは一人子供らしからぬ苦笑を浮かべていた。
◆◆◆
あの運命の茶会から十年。
不器用な王子と妖精姫のラブストーリーも同じく十年に及んだ。
ハリソンの予想以上に王子の拗らせ方が酷く、また、妖精姫の鈍感さも筋金入りであったのである。
「……お気遣いいただきありがとうございます。もちろん、私ごときが殿下のお手を煩わせるわけにはいかないことは重々承知しておりますので、これ以上皆様のご迷惑にならぬよう、私は退席させていただきます」
「なっ……う、うむ、身の程を弁えるのは良いことだ。お前のその髪と目は魔女のように醜く、見る者を不快にさせるのだからな」
「はい。ご忠告痛み入ります」
ある夜の学園のダンスパーティにて二人のやり取りを聞きながら、ハリソンはあちゃーと肩をすくめた。
アンドリューの不器用な誘い方をまたもやリーティアは言葉通り受け取り、退席を命じられたのだとして会場を出て行ってしまったのだ。
ハタから聞けばあんなものただの照れ隠しだとわかるのに、リーティアはいつも真に受ける。
周りの馬鹿な女子達が便乗してしまうのも悪いが、こうして集まりの度に王子から直々に話しかけられ、不器用ながらにも誘われ、他の男が近づこうものならあからさまに嫉妬を向けられているというのに、十年間全く気づかないリーティアも鈍感が過ぎる。
「はぁ……殿下も苦労するなぁ」
泣きそうな顔で出て行くリーティアとすれ違い、ハリソンが溜息をつく。
憧れの王子様に嫌われていることがよっぽど悲しいのだろう。いい加減それは杞憂であることを教えてやりたいが、外野がバラしてしまうのも野暮というもの。こんな鈍感な女の子を好きになってしまった王子に頑張ってもらうしかない。
「さあ殿下、不快な魔女はいなくなりましたわ。わたくしと踊りましょう」
「いいえわたくしが先ですわ!あの女に殿下の真意をしっかりと伝えたのは私ですわよ」
ただ、まあ。
王子の寵愛を受ける少女を貶め、王子からは蛇蝎のごとく嫌われていることもにも気づかず、愛されていると信じ込み自信満々にしなだれ掛かる婚約者候補達を見ながら。
「あの子が選ばれたのは、必然だったのかもな……」
あんなにも愛されているにも関わらず気づきもしない謙虚なリーティアだからこそ、王子に選ばれる資格があったとも言えるなとハリソンは納得したのだった。
◆◆◆
だから驚いたのだ。
不器用な二人の長年のラブロマンスにいきなり水を差す空気の読めない男が現れたから。
「おい、編入生!」
「俺のことか?」
ダンスの授業でアンドリューが男子生徒の誰も、教師ですらリーティアの相手をしないよう牽制していたにも関わらず、そんな空気を気にも止めずに彼女の手を取って現れた編入生。
ジオ・ウェールス。下町の商屋で住み込みで働いていたが、希少な光属性持ちということでこの学園に編入することとなった男。
平民故に貴族の遠回しな表現や言わずとも察する文化にとことん疎いらしく、痺れを切らしたアンドリューにもう直接リーティアの相手を代わるよう言われたのに断った、あまりにも空気の読めない男である。
「さっきの殿下の怒りを見ただろ?悪いことは言わねぇ。その『醜い白髪の魔女』とは関わらない方がいい」
「人違いだったな。行こうリーティア」
「おいっ!!」
王子の妖精姫の背にまるで我が物のように手を回し、ハリソンを置いて行こうとするジオ。空気が読めないにも程がある。
十年前の子供だった時ならまだしも、今やこの学園の男子生徒達は言われずとも皆王子の不器用な想いに気づき、妖精姫の王子を見る切ない眼差しにも気づき、この二人が上手くいくよう見守っているというのに。
「……わかった。お前はほんっとうに何もわかってないみたいだからな。いいか、殿下が仰ることにはちゃんと仕方ない事情と理由があるんだ。一から説明してやるからこっちに来い」
「断る」
「なんだと!?」
見目麗しい王子と孤児の平民ではもはや勝負にもならず、恋のスパイスとしても力不足。
ただ二人を邪魔するだけの当て馬にしかならない哀れな男に引導を渡してやるつもりだった。
野暮ではあるが王子の本当の気持ちと妖精姫の秘めた想いを一から説明してやるしかないと。
「彼女を醜いと罵ることに、どんな事情も理由もあってたまるか。聞かなくたって間違ってるのはわかるんだ。そんなもの聞く価値もない!」
「な、なにを……」
なのにまさかまるでこちらが悪役だと決めてかかるようなジオ・ウェールスの物言いに、ハリソンはもはやすっかり呆れ果ててしまった。
この男、ひとの恋路の邪魔者のくせにヒーロー気取りである。
これでもハリソンはジオにほんの少しは同情していたのだ。王子と妖精姫がすれ違いを解消し結ばれる近い将来にて、大恥をかくであろうこの平民に。
だからせっかく親切に説明してやろうと思って来てやったのにこの言い草。
「行こう、リーティア」
「え、お、おい、待て!待てと言ってるだろ!」
そうこうしてるうちにその厚顔無恥な男は、王子の最愛を連れて去って行ってしまった。
「……くそっ、馬に蹴られても知らないからな!」
これはもう救いようがない。
今後どんなに痛い目を見ようが自業自得だと、その遠ざかる背中に向かってハリソンは吐き捨てた。
◆◆◆
自業自得だと思っていた。
想い合う二人を邪魔する当て馬が痛い目を見ようが、結ばれた二人を前に大恥をかこうが、空気を読めなかった方が悪いと。
「え……?」
だがしかし一体どういうことだろう。
毎年恒例、学園の冬のダンスパーティ。
目の前に広がる光景は、ハリソンが長年思い描いていた、不器用な王子と鈍感な妖精姫のハッピーエンドとは擦りもしなかった。
「私、リーティア・アルブムではありません。リーティア・ウェールスです」
王子を切ない目で見つめていた妖精姫はそこにはいなかった。
それどころか当て馬のはずの男に肩を抱かれ、それを振り払うこともせずに、強い意思を秘めた目で凛として王子の前に立っている。
これではどちらが当て馬かわからない。
「なっ……ど、どういうことだ!何故、何故だリーティア!」
「先日入籍致しまして、今の私は既婚者です。どなたの求婚も受けられません」
「そういうことではない!何故君が結婚など……っ」
狼狽するアンドリューと同じくハリソンも動揺していた。
どういうことだ。リーティアはアンドリューを好きではなかったのか。
だってリーティアがいつも悲しそうだったのは憧れの王子様から嫌われてると思い込んでいたからだし、アンドリューに酷い言葉を投げつけられる度目を潤ませ、眉を寄せた切なげな表情で彼を見ていたではないか。
そもそも年頃の令嬢で王子を好きでない者などいるわけないのに。
「リーティア……っどうして今日まで待ってくれなかったんだ……っようやく全ての準備が整ったのだ。あとほんの少し待っていてくれれば間に合ったのに……!」
アンドリューの悲痛な叫びを聞き、ハリソンが息を呑む。
なんということだ。
つまり長年想い人に嫌われてると思い続けた妖精姫は、ついに耐え切れずに他の男の求愛をやぶれかぶれで受けてしまったのだ。
初恋を拗らせ続けた王子がやっと素直になれたというのに、神様の悪戯にしてはあまりにも酷いタイミング。
やはりあの時引きずってでもあの空気の読めない男を叱責しておくべきだったのにもう遅い。
すれ違い続けた二人がここからお互いの手を取るには、どうしたら……。
「いいえ、今日までに結婚しないと間に合いませんでした。明日の昼前にはジオはセルヴィ領へ発つことになっているので、私が彼について行くためには」
と、そんなハリソンの嘆きもリーティアの迷いの無い言葉にあっさりと否定される。
どう見てもそれは好きな相手と両想いだったことを知った女の子の取る態度ではなかった。
「え?あれ?」
何かがおかしい。
ふと周りを見れば他の生徒達もざわざわと囁き合いながら、同じく何かがおかしいことに気づき始めていた。
いやしかし、アンドリューの準備は完璧だったはずだ。リーティアの前で素直にこそなれなかったが、リーティアただ一人を妃に迎えるため、両陛下を丸め込み、婚約者候補を欺き、教師も巻き込み、他の男達もしっかりと牽制した。
ここまで完璧に整えられた妃の椅子にいったいなんの不備が。
「どれだけ椅子の準備をしようと、相手に座る気がなければ意味がないんじゃないですかね」
馬鹿な。
ジオの台詞にそんなことはあり得ないと反論しようとして、ハリソンは言葉に詰まった。
事実目の前でそれがあり得ているのに往生際が悪過ぎる。
「嘘だろ……王子だぞ……?嫌なわけがないのに……」
もう、好きだったけど諦めたとかでもない。リーティアの態度にアンドリューへの好意は一欠片も見て取れなかった。
……代わりに、肩を抱く夫へと送る視線はどこまでも愛おしげで、全幅の信頼を寄せていることが伺える。
もしや今まで王子に向けていた涙の滲む切なげな目線は、ただ暴言に怯えた故の恐怖の視線だったのではないかと思う程。
「……ハリソン」
「なっ、なんだ?」
呆然としているハリソンの肩を何者かがポンと叩く。
その者はハリソンの友人であり、長年王子と妖精姫の恋物語を見守っていた仲間の一人であった。
「俺が言えたことじゃないけど……もう、余計なことは言うなよ。彼女の気持ちは明らかだ」
そういえばこの友人は、ある日を境に王子への応援に関してノリが悪くなっていた。
「本当は少し前からおかしいんじゃないかと思ってたんだ……言い出せなくて悪かった」
「っ!」
友人の態度がおかしくなったのは確か、風魔法の授業で、リーティアにだけ強制的に実技試験が課された時のこと。
風魔法を使えないリーティアがそれを成すには誰かに教えを乞うしかなく、しかし教師は非協力的で、彼女は途方に暮れていた。リーティアを嫌う女子生徒達もそれを見てクスクスと笑っていたが、逆にハリソン達はニヤニヤと見守っていた。風魔法といえばアンドリューの一番の得意分野であり、リーティアと一緒に魔法の練習がしたいがための王子の策だと皆察していたのだ。
しかし、この友人は過去に試験で失敗して留年の危機に陥ったことがトラウマであるとかで、この策に難色を示していた。
その時は他の仲間と一緒に野暮なことを言うなと友人を諌めたものだったが……。
「あの時も、彼女が頼ったのは殿下じゃなくてあの編入生だった。それが答えだ」
もしかしてこの友人の方が正しかったのではないかと今になって思う。
あの時はリーティアの勇気が足りずにアンドリューに頼れず、空気の読めない平民風情がまたしゃしゃり出てきたのだと結論づけていた。
しかしただ純粋に、リーティアの真っ先に頼る相手がジオ・ウェールスで、アンドリュー・ラフィザードは選択肢にものぼってなかったとしたら……。
「ラブロマンスに見えてたのは、殿下と俺達だけだったんだよ。いくら王子でも本当に嫌なことをされたらどう思うかって、あの時自分に置き換えてみてやっとわかったんだ」
「そんな……ことが……」
人より空気が読めると思っていた。
言葉の裏に隠された真意にもいち早く気付けると思っていた。
だが実際はどうだ。
一人の女の子への虐めの片棒をかつぎ、彼女をそこから救った男を身分だけで見下し、当て馬と決めつけて引き離そうとしていただけではないか。
「……せめて、謝罪を」
「望んでないだろう。俺達にできることはもう二人を邪魔しないことだけだ」
友人の言葉にハリソンはガックリと項垂れた。
「そうか……じゃあ、せめて……」
おそるおそる顔を上げれば、人垣の向こう、お互いの手をしっかりと取るジオとリーティアが見えた。
ハリソンが何を思ったところでなんの罪滅ぼしにならないことはわかっている。それでも。
これから東の果ての地へ旅立つ二人の未来がどうか穏やかで幸せにありますようにと、願わずにはいられなかった。




