旅の途中2
「よし、厳選してなんとか3冊におさめた。出発の時の二の舞にはならない」
「それは良かったわ……」
本屋で悩みに悩み抜くこと一時間。ジオの買い物がようやく終わった。
宣言通りジオはその分厚い本を全て自分のカバンの中に入れ、更にはリーティアのカバンももう片方の手に持ち、リーティアにまったく負担をかけないようにしてくれている。
「……大丈夫?重くない?」
「商屋で働いてた頃はこのくらいの荷物は毎日運んでたからな。どうってことない」
さりげない男らしさにリーティアの胸がキュンと高鳴る。ついさっきまであの肩透かしをくらったせいで引き潮になっていた心の海が満ちていく。
こんなに簡単に回復するとは我ながら単純だとリーティアが内心苦笑していたところで。
「それに、この後のことを考えたらリーティアにはなるべく体力を温存していてもらいたい」
「えっ?」
「リーティアに負担をかけないようにするとは言ったが、リーティアにも色々してもらうのは確かだからな……」
「え、え?」
凪いだ海のように穏やかになっていた心情風景にいきなり高波がやって来た。
「あの、もう用事は済んで魔石列車に戻るんじゃないの?」
「いや?むしろ用事としては次の方がメイン……って、もしかしてリーティア、本屋に寄るだけだと思ってたのか?」
「あ、ええと、ついさっきまでは、てっきり」
そうだ、ジオは何も寄るところが本屋だけとは一言も言っていない。勝手に肩透かしをくらった気になっていたが、あれ程思わせぶりなことを言っておいて何も無いなんてことの方がおかしい。
「すまない、俺の言葉が足りなかったようだ。だがリーティアが本意でないなら焦るつもりはない。今日のところは諦めて列車に戻ろう」
「待って!違うわ、さっきまでちょっと勘違いしてただけなの!私だってちゃんとわかって列車を降りたわ!」
くるりと踵を返し魔石列車の発着所へ向かおうとしたジオをリーティアが慌てて止める。
「本当に大丈夫か?俺に気を遣ってるだけなら気にしなくていい。俺はリーティアが望んでくれることだけをしたいんだ。無理強いはしたくない」
「ううん、無理強いなんて思ってない。私だって……その……列車の中でも言った通り、ジオがしてくれることで嫌なことなんて一つも無いもの!」
「リーティア……!」
歓喜で顔を輝かせたジオがカバンを持っていた両腕を浮かしかけ、ハッと何かに気づいたかのように降ろした。
「危なかった、両手が荷物でふさがってなければ抱き締めていたところだ。人の目と時と場所は気にしなくちゃいけないんだったな、気をつける」
「そ、そうね、人の目と時と場所は気にしないとね」
今ならカバンを放り投げて抱き締められても何の抵抗もなく受け入れるところだったリーティアも、ここがまだ日も落ちてない往来の真ん中であったことを思い出す。
そうだ、時と場所と人の目は考えなくてはいけない。それに焦らずともまだ時間はたっぷりある。
「そうと決まったら暗くなる前に次の店に向かおう。本屋に入る前に見たがそれっぽい看板が近くにあったはずだ」
俄然張り切り出したジオの隣でリーティアも落ち着かずに手で髪を整えた。
慌ててたとはいえかなり恥ずかしいことを大声で言ってしまった気がする。はしたないと思われてないだろうか。
「ああ、あそこだ。行こうリーティア」
「ええ」
それにしても本屋の近くに宿屋があったとは気が付かなかった。一時間程前、列車を降りた直後でそわそわしている時に、ジオが『良かった、すぐ近くにあった』と嬉しそうに指を差した看板がどう見ても本屋だった時からうっかり周りの景色を見ることを失念していた。予想外のオチに荒れる心の海を宥めるのに必死で。
「気づかなかったわ。こんな近く……に……」
ちゃんと周りも見ていれば、ジオの目的が本屋だけではないとわかったはずだろう。むしろ本屋はその本番に向けた準備のつもりだったのかもしれない。そんなことも気づかずに勝手に落胆していたなんて……とジオの目指す先を追ったリーティアは、その真上の看板を見て再び固まった。
「凄いぞ、リボンが壁一面にある!いくらでも選べるな!」
本屋のすぐ近くにあった、目当ての店。
「ええ……それは……良かったわね……」
ジオが迷いなく入っていったその店の看板には、可愛らしい小物やアクセサリーなどの絵が添えられた、“雑貨屋”の文字が踊っていた。
◆◆◆
「あの店はかなり品揃えが良かったな。カバンのスペースさえ許せば全色買いたかった」
「そう……」
「やっぱりリーティアにはどんな色も似合う。春空の薄水色も夏の紺碧も、夕暮れのオレンジも夜空の黒も全部」
「ありがとう……」
宿屋に併設された食堂でジオと共に夕飯のスープを口に運びながら、リーティアの心は見渡す限り一ミリの起伏も無い海のように凪いでいた。
「リーティア?どうかしたか?元気がないように見えるが」
怒ってはいない。怒ってはいないのだ。変な期待をして勝手に振り回されていた自分が悪い。
「ううん、大丈夫。なんでもないの」
雑貨屋でリボンを真剣に選んでくれたことだって本当は嬉しい。目を輝かせてあれも似合うこれも似合うと色とりどりのリボンを掲げるジオを見ていると、今までに受けた心の傷がどんどん浄化されていくのを感じる。
「ただちょっと疲れただけ。特に問題無いわ」
雑貨屋に寄ること自体は出発前に既に言っていたことなのだ。ちょっと考えれば予想できたことである。
「……疲れてるようなら、無理は……」
「大丈夫!本当に!」
それにただの新居への移動ではあるが、いわばこれは新婚旅行のようなものなのだ。こんなことで拗ねていると思われたくない。
ただ、ただまあちょっと、二連続で空回りしてしまって疲れているだけである。さすがにもう学習はした。今現在あれ程待ちに待った宿屋に入ったところであるが期待はしていない。すっかり日も暮れた時間帯、普通に宿泊のために入っただけだろう。
「……じゃあ、湯に入ったら先に部屋で休んでいてくれ。俺は後から入る」
「わかったわ」
この宿屋にはかまど風呂があり、宿泊客なら誰でも利用できる。今晩はジオとリーティア以外に殆ど客がいないので、特に待たずに使えるはずだ。
……お風呂付きの宿。列車を降りる前ならそれはもう舞い上がっていたワードであるがそこは二度も学習したリーティアである。ジオはただ疲れが取れやすいようにお風呂付きのところを探してくれただけだ。ちなみに部屋も一緒であるが夫婦なのだからそれも当然。特別意識するようなことではない。
「じゃあ、先に行くわね」
「……ああ」
特に何もなくたって、ジオと一緒の部屋で、隣り合ったベッドで、二人でこれからのことを語り合いながら眠るのも悪くない。
お風呂後の着替えを取りに行くため、リーティアはその場を後にした。
◆◆◆
「リーティア」
「ジオ!早かったわね」
ベッドに座り、ぼんやりと窓から見える月を眺めていたリーティアの元に、風呂から上がったジオが現れた。
「……月が綺麗だな」
「ええ」
「リーティアの方が綺麗だが」
「ふふ、言うと思ったわ」
隣に腰掛けたジオにリーティアがこてんと寄りかかる。
こんなことを口説き文句ではなく本気で言ってしまう人。けれどだからこそ頑なだったリーティアでも信じられた。こんなにまっすぐな声で、曇りのない目で綺麗だと言ってくれるから。
「……リーティア、最後の確認だ。本当に嫌じゃないか?」
耳元で語りかけるジオの声が子守唄のように優しく響く。
「……何度も言ったでしょう。ジオのしてくれることで、嫌なことなんて一つも……っ……!?」
その安心感に眠気を誘われながら、夢心地で答えたリーティアの唇が突然塞がれた。その安心感の元であった人によって。
「怖くなったら言ってくれ。すぐにやめ……られるようにする」
「え?……え!?」
続いて頬、額、瞼と顔中にキスの雨が降り、目を白黒させている間にゆっくり押し倒される形でベッドに横たえられた。
ああそうかおやすみのキスか、それでわざわざ寝る体勢にしてくれたのだな、とリーティアが納得しかけるより先に首元を舐められヒュッと息を呑む。
「あっやっ」
「っ、嫌だったか?」
そのまま肌を強く吸われる感覚に思わず声を漏らせば、それを制止の声と取ったらしいジオがパッと顔を上げた。
「……さ」
唇を震わせ、リーティアが目を瞬かせた。
月明かりに照らされたベッドの上で、リーティアに覆い被さっているジオと目が合う。暗がりでは黒く見えるその瞳が深い藍色であることはもう知っている。
湯上がりの濡れた黒髪から、ポタリと一粒の雫が落ちた。
「さ、さん……」
「……さん?あ、お義父さん?お義母さんか!?待ってくれ、ご両親に助けを求めなくとも俺はリーティアが嫌ならちゃんとやめ……っ」
「三度目の……正直……」
「は?」
言い訳をさせてもらえるならば、その時はあまりに心の準備ができてなかった。列車を降りる時と本屋を出た後に充分過ぎるくらいした覚悟を、もう期待しないようにと思いっきり放り投げてたところだったのだ。完全ノーガードでいたところを完全武装で撃たれたようなものである。
「リーティア?リーティア!なんなんだ、三度目が何だって!?」
ついでに落ち着くために長風呂をしてしまったのも悪かった。二つの意味で急激にのぼせ上がった結果がこれである。視界がぐわんぐわんと揺れ、もう目も開けていられない。
「え、寝たのか……?このタイミングで??」
ジオの珍しく焦った声を遠くに聞きながら、リーティアはかくんと糸が切れたようにベッドに沈み込んだ。
次こそは、次こそはちゃんと覚悟をしようと心に決めて。
ジオはちゃんとリーティアに言われた通り時(暗くなるまで)と場所(風呂付きの宿)と人の目(内鍵のかかる部屋で二人きり)を気にしてセッティングはしました…。




