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初日 1

 

 僕は走り去っていく木々を見つめながら感傷に浸っていた。

 目の前に広がる光景はどこを眺めても木しか生えていない。

 生粋の都会っ子である僕にとって、それは初めて見る光景だった。


「なあ蓮、農業体験なんてこのご時世に必要なのかぁ?」


 自然の美しさをで味わっていた僕を現実に引き戻すかのように、隣に座っている須藤優斗が話し掛けてきた。


「だいたい進学校の俺らに農業体験なんておかしな話だと思わねえか?」

「まあ、一人の人間としての教養ってことでしょ」

「……納得できる返答をどうも」


 何やら不服そうな声を上げる優斗。

 まさに僕らはその農業体験をしに、辺境の山奥へと向かっている最中だった。



 担任の話によると、こんな山奥に連れてこられているのは僕らのクラスだけらしい。

 山奥に広大な敷地を持つ大定家が、僕らのクラスメイト総勢40名全員の面倒を見てくれるそうだ。


 こんな山奥へと連れてこられることに反抗的な生徒も大勢いたが、僕は密かに楽しみにしていた。

 自分の知らない世界へと足を運ぶのは、悪くない。自分に関わりのある狭い世界だけで満足するのは、愚かだとも思うほどだった。

 しかし、流石に一週間も期間があるのは面倒だと感じてしまう。なんでも、農業だけじゃなく山ならではのことを色々体験してほしいのだとか。



 そうして山の中をバスに揺られながら走っていると、山を流れる巨大な川の上の橋を渡り始めたところでその大定家の当主がアナウンスを始めた。


「えー、今まさに渡っているこの鴉山大橋からが私の敷地となります。この山を分断する鴉根川を渡れる橋はこの鴉山大橋のみとなっており───」


 そんな当主の話を聞いていると、段々と眠くなってきた。

 長いことバスに揺られて疲れてしまったのだろう。僕は、その睡魔に抗うことなく眠りについたのだった。



 ⏎



 次に目が覚めたのは、大定家に着いた時だった。

 大定家には巨大な宿泊施設が併設されており、僕らはそこに泊まることになる。


 昔はその広大な土地に見合う大人数で暮らしていて、この施設で労働者達が暮らしていたらしい。しかし、機械化やらなんやらでそこまでの頭数は要らなくなり、この施設も不要の長物となってしまったそうだ。

 そこで、取り壊すのも勿体ないからと大定家では僕らのような農業体験の学生の受け入れを頻繁に行っているのだとか。

 その成果か僕らの受け入れもとてもスムーズだった。


 今日はここに来るまでに大半の時間を使ってしまい、既に日も暮れようとしていた。

 夜の森は危険だからと担任からの厳重な注意を受け、残りは施設内での自由行動となった。


 自由行動といっても、初日なので部屋の整理やスケジュールの確認なんかでそこまで動き回れるわけでもない。

 宿泊施設は、昔人が暮らしていただけあって一人一人に個室が宛てがわれた。

 高校生ごときの農業体験にしてはかなりの贅沢だろう。広さも一人部屋にしては申し分なく、僕らのクラスがこの大定家を引けた幸運を感謝せずにはいられなかった。



 割り当てられた部屋で荷物の整理をしていると、スマホにメッセージが届いた。

 それは僕と優斗、そして滝沢一という3人のグループメッセージに書き込まれたものだった。


『夜はスマホ取り上げられるらしいぞ』

『中学生かよ』

『ダミーのスマホ持ってきとけばよかった』

『それな』


 農家の朝は早いらしいし仕方ないんじゃないかな。と思いつつも、僕も適当に相槌的な返事をしておく。

 実際、取り上げるほどのことでもないだろうに。




 山の日暮れというのはあっという間なもので、夕飯の時間にはさっきまでオレンジ色だった空もすっかり暗くなっていた。

 星でも見えないものかと期待して外に出てみたが、生憎空は雲に覆われていて星は見えそうにもない。

 一週間もあればいつかは晴れるだろうと気を持ち直して食堂へ向かおうとした時、不意に声を掛けられた。


「あ……眞澄くん?」

「……こんばんは」

「こんばんは」


 榎本香織。

 常に誰かと一緒にいるような彼女が、こんな所へ一人で来るなんてどういう風の吹き回しなのか。

 それとも、案外一人で黄昏れるのが好きなのだろうか。


「星、見えないね」

「そうだな」

「あ、そうだ。今夜、一緒に星の見えるところを探しに行かない?」

「……はぁ?」


 思わず、惚けた返事をしてしまう。

 しかし、録に関わったこともない人にこんな勧誘をされたら誰でもこうなるだろう。それも異性で、相手は恋人持ちだ。


「彼氏と行けばいいだろ。っていうか、外出は禁止だし」

「そ、そうだよね……あはは」


 何かを誤魔化すような、乾いた笑いをする榎本。

 明らかに訳がありそうな口振りだったが、生憎そんなめんどくさそうな問題に首を突っ込む気はなかった。


「そろそろ夕飯の時間だし、榎本さんも早く戻りなよ」


 それだけ言って、僕は食堂へと向かうことにした。

 少ししてから振り返ってみると、暗闇の広がる空を未だに眺めている榎本の姿があった。




 夕飯は野菜がふんだんに使われた──いや、野菜しかないといっていいほどのメニューだった。

 最初はげんなりとしたが、食べてみるとこれがとても美味しく、やはり新鮮な食材というのは味が違うものなのだなとわからされた。


 最初はそんな料理に不満の空気が流れていた食堂も和やかになってきた頃、大定家の者の挨拶が始まった。

 出てきたのはバスにもいた当主と、その妻。そして、30代くらいの息子と、20代くらいの娘二人だった。

 当主と妻の軽い挨拶があり、その後は三人の息子達の挨拶が始まった。


「大定俊です。僕達はみんなの農業体験の指導をすることになるから、わからないことがあったらなんでも聞いてね!一週間だけになるけど、よろしく!」

「大定玲奈です。この農業体験が皆さんのいい思い出になるよう精一杯サポートするので、困ったことがあったらなんでも頼ってくださいね」

「大定凛夏です。農業に興味がある人もない人もいると思いますが、皆さんに農業の魅力が伝わるように……頑張ります」


 実際に僕らを指導するのはこの三人のようで、彼らは挨拶が終わると前方にいた生徒達と談笑していた。

 そんな彼らの方をなんとなく眺めていると、不意にどこかから視線を向けられていることに気がついた。


(……黒咲さん?)


 視線の先を確かめてみると、一人のクラスメイトがこちらを凝視していた。

 その人はクラス内では浮きだった人物で、誰かといるところなんて数回しか見たことのない、いわゆる一匹狼という感じの人だった。

 容姿端麗。成績良好。だというのに人を寄せ付けない。そして、何かと黒い噂の多い人。それが、黒咲愛理という人の特徴だった。


 僕が彼女の視線に気づいたことを確認すると、彼女は僕に付き従えと言わんばかりの視線を送りながら食堂を出ていった。


「……ちょっとトイレ行ってくる」

「ん?おう」


 僕は一緒に夕飯を食べていた優斗に一言断りを入れてから、黒咲の後を追った。

 黒咲の睨むような視線は、僕の反抗の意思を削ぐには十分すぎる力がこもっていた。



 黒咲は食堂を出てすぐの物陰になっているところにいた。

 僕が近くまで行くと、すぐさま彼女が話し掛けてきた。


「さっき榎本さんといたでしょう」

「……うん。それが?」

「なんの話をしたの?」


 どうしてそれを知っているのか。

 知っていたとして、何故そんなことが気になるのか。

 彼女の真意は全くの不明だったが、それと榎本の発言の違和感が無関係でないことは明らかだった。


「特に変わったことはなかったけど。どうしてそんなことを聞くの?」


 ぼかすように答える僕。

 黒咲の醸し出す緊張感と黒咲への猜疑心に挟まれた僕には、自分がどうするべきなのかがわからなかったのだ。


「それがわからないなら、もういいわ」


 そんな僕を解放するように、黒咲は僕を一瞥してから食堂へと戻っていった。


 僕の返答は正しかったのだろうか?

 黒咲は何を求めていたのだろうか?


 黒咲の質問の意味を考えながらも、答えてもらえなかったことに安堵と得体の知れない不安を感じていた。

 その名残か、食堂へと戻った後もいつもとは何か違う、どこかピリついた空気を感じ取っていた。



 ⏎



 食後は、二時間ほどの自由時間の後就寝となる。

 各部屋にシャワーが設けられているので、その二時間のうちにシャワーを済ませておくことと、相変わらず外に出ないことが唯一のルールだ。

 といっても既にスマホは夕飯時に取り上げられており、これといった楽しみもない。

 部屋にいても先程のことを考えてしまうばかりで、じっとしていられなくなった僕は外に出てみることにした。


 無意識からだろうか。気がつくと僕は、榎本と出会った玄関先までやってきていた。

 そして、そこには再び夜空を見上げる榎本の姿があった。


「榎本さん」

「……眞澄くん、どうしたの?」


 迷ったような顔の榎本。

 その顔は、僕の不安を更に加速させていった。


「通りがかっただけ。そっちこそ、なんでまた空を見に来てるの?」

「ち、違うよ?外の空気を吸いに来ただけ。空は曇ってるし……」


 洞察力に自信があるわけでもない僕でも、榎本がどこか上の空なのはすぐに読み取れた。

 僕の質問に他意を感じたのか、その場に緊張が走る。


「黒咲さんに聞かれたんだ。夕飯の前に榎本さんと会っていただろうって」

「黒咲さんに?……やっぱり」

「やっぱり?」

「えっ、あっ、ううん!なんでもないよ!あの、私部屋に戻るから!」


 榎本は何かから逃げるように去っていってしまった。

 その背中を呆然と眺めていると、不意に背筋が凍るような感覚がした。


 誰かに見られているような、張り詰めた感覚。

 僕が周囲を探り出すと、榎本が去っていった方とは反対側から黒咲が姿を現した。


「……黒咲さん」

「……」


 無言で僕ににじり寄ってくる。

 先程の感覚が黒咲によるものなのは明らかだった。


「……」

「ちょ、ちょっと待って。えっと……」

「まだとぼけるつもり?」

「いやいやいや」


 黒咲の目が、どんどん冷えていく。

 往生際の悪い犯人なら仕方のないことだが、無実なのでどうしようもない。

 というか、僕が何の犯人だというのか。


 お互いに無言のまま数秒が過ぎる。

 先に口を開いたのは黒咲だった。


「どうして眞澄が榎本といるの?貴方達は友達だったかしら?」

「そういうわけじゃないけど……黒咲さんが変な事言うから、どういうことか榎本さんに確かめようと思って」

「それで、こんな所で逢瀬していたの?」

「……」


 たまたまだ。たまたま。

 ……なんて、通用するはずもない。

 何を疑われているのかもわからないのに、なんだか僕が悪いような錯覚に陥ってきた。


「そもそも、黒咲さんは何を疑ってるのさ」

「誤魔化し?」

「そうじゃなくて……ああ、もう、わかったよ。黒咲さんは僕にどうしてほしいのさ」


 取り付く島もなく、僕は半ばやけくそ気味にそう吐いた。

 すると黒咲は、思いもかけないことを言い出した。


「それは、認めるってこと?」

「何を認めるのかわからないね」

「そう……なら、今夜は私の部屋に来てもらおうかしら」

「は?」


 この女は突然何を言っているのか。


 それから黒咲が話したのは、こういうことだった。

 まず、黒咲は今夜榎本の部屋を見張るらしい。そこで榎本と何やら関わっている僕が現れたため、僕の見張りも同時に行うべく僕を黒咲の部屋で過ごさせようということだった。

 ちなみに僕が黒咲の部屋にというのは、女子が二階、男子が三階という風に部屋割りがされているためである。


 黒咲の言っていることも理解はできたが、僕にはその前提にあるものが理解できなかった。


「そもそもなにをそこまで怪しんでるんだ?確かに今日の榎本さんは変な感じだけど、せいぜい友達と何かあったとかじゃないのか?黒咲さんが関与する問題じゃないだろ」


 言外に、榎本より黒咲の方が怪しいという主張を混ぜる。

 そのことに勘づいたのか否か。黒咲はポツリポツリと事情を話しだした。


「……私の行きのバスの位置はわかる?」

「知らない」

「右列の真ん中の方。榎本さんとは通路を挟んで左後ろね」

「僕はもっと後ろだったけど」

「そんなこと聞いてないわ」


 ……。


「とにかく、そこで見たのよ。榎本さんの荷物に……ナイフが入っていたのを」

「ナイフ……」


 榎本とナイフ。

 全く関連性のない組み合わせのように思える。


「それは、見間違いじゃなく?」

「さあ?もしかしたらおもちゃのナイフかもね?」


 どうやらナイフであることは確実だと言いたいらしい。


「今日の榎本さんの様子。そしてナイフ。そんな榎本さんと今日になって突然何度も会っている貴方」


 黒咲の口調はどんどん攻撃性を増していき、僕への敵意も増していった。


「何をする気なのかは聞かないけど……やめておきなさい」

「待ってくれ。僕が榎本さんと会っていたのは全部たまたまだ」

「……」


 我ながら酷い言い訳のようにしか聞こえない。

 しかし黒咲の言っていることなど、到底受け入れることはできなかった。


「黒咲さんは、榎本さんが誰かを殺そうとしてる……って言いたいのか?」

「それ以外に、こんな所にナイフを持ち込む意味は何?」

「考えすぎだろ。榎本さんがそんな人に見えるのか?」

「……彼女の肩を持つのね」

「……っ」


 黒咲の視線が僕の心を突き刺すように叩きつけられる。


 だって、クラスメイトが人殺しをしようなんて考えているわけないじゃないか。

 榎本を疑っている黒咲の方が……異常だ。

 だいたい、ナイフだって見間違いに決まってる。

 クラスの人気者の彼女で友達も多い榎本が、いったいどうして殺人などする必要があるのか。


 僕はいつの間にか黒咲が間違っていると決めつけて、黒咲に敵意を向けていた。


「僕が榎本さんの殺人計画に加担してるって言いたいんだな?」

「ええ」

「そんなわけないだろ。榎本さんが何故殺人なんてしようとするんだ?馬鹿馬鹿しい。映画の見すぎだ」


 まるで自分に言い聞かせるように言葉を吐く。

 そんな僕を、黒咲はただ見つめていた。


 しばらくの沈黙が過ぎる。

 その間黒咲の冷静な視線に晒された僕の心は、落ち着きを取り戻していた。

 やはり榎本さんが人を殺そうとしているなんて思えないが、今の問題はそこではないのだ。


「……ごめん。とにかく僕はそんなことは知らないし、黒咲さんの言ってることは受け入れられない」

「……」

「でも、黒咲の部屋で過ごせっていうならそうする」


 そもそも、僕にはなんの影響もないのだ。

 ただ寝る部屋が変わるだけ。

 黒咲と榎本がどうなろうが関係ないじゃないか。


 人殺しなんて───



 ⏎



 それから僕は、自分の部屋に戻る時間も与えられないまま黒咲の部屋へと押し込められた。

 無防備に置かれている黒咲の荷物に、思わずため息が出る。


(僕のことを警戒しているのやら、していないのやら……)


 かといって僕に黒咲の荷物を漁るほどの度胸もないので、大人しく椅子に腰掛ける。

 頭の中に浮かぶのは、今までの黒咲の行動だった。


 冷静に考えてみれば、黒咲の行動は異常だ。

 第一に、クラスメイトが殺人を企んでいる前提で行動しているところ。

 第二に、そう思っているにしては本気で榎本を止めようとしていないところだ。


 もし黒咲が本気なら、今すぐにでも榎本の部屋に突撃して然るべきだ。

 僕にはこんなに強引な行動を取ってきたのに、榎本には過剰なまでに慎重なのが妙だった。


 黒咲にも、何か思惑があるのだろうか?

 例えば、僕をこの部屋に閉じ込めておく口実が欲しかったとか?

 いや、僕が榎本と何度も会ったのは偶然だしそうとは考えられない。



 ……いや、本当にそうか?



 黒咲は榎本を見張っていると言っていた。そこから既に嘘だとしたら?

 黒咲が見張っていたのが、最初から僕だったとしたら……

 黒咲の狙いは───




 不意に、部屋の扉が開いた。


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