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四兄妹物語  作者: 新条れいら
1/1

夕暮れの公園


 山口の家には、四人の子ども達がいました。

 お兄ちゃんの『やまと』

 お姉ちゃんの『ゆうか』

 二人目のお姉ちゃんの『こころ』

 末っ子『かすみ』


 四人は一緒におままごともするし、カードゲームもするし、ケンカもする。

 ケンカをしてたら、お母さんの頭が痛くなるんだって。

 角が生えてきそうで、痛いんだって。

 だから、本当はケンカなんかしたくないけれど、二歳の末っ子『かすみ』ちゃんは、すぐに遊んでる物を取っちゃうんだ。


 今日は、一番上のお兄ちゃん、『やまと』くんのお話。

 やまとくんは、小学二年生の、山口の家でたった一人の『お兄ちゃん』だ。

 車と電車が好きで、妹たちと遊ぶときだって、人形の車にぬいぐるみを乗せて一緒に遊んでる。

 色んな物にすぐに興味を持つけれど、それと同じぐらい、すぐに飽きちゃう。

 この前、サンタにもらったギターも、もう こころちゃんにあげちゃうぐらいだ。



「お母さんなんて、大キライだ!」

 やまとは、のどちんこが見えるほど大きな声で、叫んだ。

「キライでも構いませんから、ちゃんと宿題はやりなさい」

 叫ぶやまとに、お母さんは冷ややかに言った。


 やまとくんは、勉強がキライだった。

 じっと机に座って問題を解く、という事が苦手だったんだ。そのくせ、ブロックは足が痺れたって座りっぱなしで何時間でもできた。


 冷ややかなお母さんの顔を睨み付け、やまとは拳を握りしめた。

「お母さんなんて、死んじゃえっ!!」

 言い放って、やまとは玄関に向かって走り出した。

 後ろからやまとを呼ぶお母さんの声が飛んできたが、振り返らなかった。

 靴ひももそこそこに玄関を飛び出す。

 眩しい西日に背を向けて、一直線に走った。


 泣きたいような気もした。

 喉に変なものが詰まってる。

 鼻から鼻水も垂れた。

 それでも、涙だけは流すもんかと目の前を睨み付けて、走った。



 友達のこうたの家に向かっていたはずなのに、気付くと知らない公園にたどり着いていた。

(どこだろ、ここ)

 そこのベンチも、遊具も、知らないはずなのに、何となく知っているような、気がした。

 頬を撫でていく風に、微かに潮の香りがする。

 海なんて夏休みでもないと行けないような遠い場所にあるはずなのに。

 家の近所で迷子なんて恥ずかしい。

 元来た道を引き返そうと振り返ったやまとは、西日の中に立っている不思議な生き物を見つけた。



「ぼくは、レニー」

 二本足で器用に立つそれは、片手を上げて陽気に名乗った。

「ぬいぐるみが…しゃべった!?」

「何を驚いているの? 君のママは君たちに、ちゃんと僕たちの事を教えてくれていたでしょう?」

 驚くやまとに、二本足で歩くクマのぬいぐるみは笑った。


「物には命が宿ってるんだから、大事にしなさい」

 やまとのお母さんの口癖。

 信じようとしない子ども達に、お母さんは嬉しそうにこう続けるのだ。

「お母さんには、ちゃんと声が聞こえるもの。良いでしょう?」

 にんまりと笑って、そんな事を言う。

 小学二年生のやまとは、そんな子供騙しには引っかからないぞと、いつも思っていた。


「…嘘じゃ、なかったの?」

「嘘なもんか。やまとくんのママは、僕らの間でも有名なんだから」

 もふもふの両腕を腰の辺りにおいて、こちらを見上げているクマのぬいぐるみの目は、どう見てもぬいぐるみの目だった。

「僕の名前、どうして知ってるの?」

 西日で薄い毛色がオレンジ色に染まっていた。

「さぁ、なんでだろうね」

 ぬいぐるみのくせに、含み笑いなんかする。

 そんなクマのぬいぐるみ「レニー」を、やまとはどこかで見た様な気がした。



「やまとくんは、お母さんがキライなのかい?」

 ベンチに腰かけていると、レニーはそう問いかけてきた。

 先ほど、大キライだと叫んで家を飛び出してきたばかりだ。妙に生々しくて、やまとは隣に座るレニーを見下した。

 ぬいぐるみは問いかけただけで、黙って夕日を見ていた。

「…宿題しなさい、勉強しなさいって、毎日うるさいからキライ」

 顔を合わせては、同じことしか言わない。まるで同じ時間に鳴る目覚まし時計みたいだ。

「お母さんがいなかったら、好きなことして遊んでられるんだ」

 大好きなブロックで車を作る事も、絵を描き続けることも出来るのに。

『お母さんなんて、死んじゃえ!!』

 だから、あんな言葉を投げてしまった。

「…」

 思い出しただけで、なんだか、腹がゴロゴロして気持ちが悪くなってきた。


「よし!」

 黙り込んでしまったやまとを見上げて、レニーは気合を入れる様に声を出した。

 登るのに苦労したベンチから、ぴょんと飛び降りる。

「じゃぁ、僕が連れて行ってあげるよ」

 そう言うと、もふもふの指もない手をやまとへ差し出した。

「え? どこへ?」

 話の展開の分からないやまとに、レニーはにんまりと笑ったようだった。表情はぬいぐるみのままなのに、なぜかそう感じた。

「君がこの世に生れ出た、その日に」



「いいかい、やまとくん」

 レニーはちょっと声のトーンを落として、そう言った。

「絶対に、僕の手を離してはダメだよ。戻れなくなっちゃうからね」

 それはとても辛い要求だなぁと、やまとは思った。

 レニーはやまとの膝くらいの大きさで、手を握るという事は、腰をずっと屈めておかないといけない。

「それから、こちらの声も姿も、みんなには見えないからね」

 


「山口さん!」

 叫ぶように名前を呼ばれて、痛みに歪む顔を声の方へ向けた。

 赤ちゃんが危ないから、引っ張り出します。

 そう言われて、躊躇はなかった。色々なリスクが脳裏を駆け巡ったが、それはとても遠い意識の隅でしかなかった。

「お願いします!」

 お腹の上に助産師が乗った。同じタイミングで、上体を上げる様に背中を押された。痛いとか苦しいとか、そんな事を考えている余裕なんてなかった。

 唐突な排出の感覚と同時に産声が聞こえて、胸が何かでいっぱいになった。

 小さくて真っ赤な身体に、小さなおちんちんが付いていて、不思議な違和感と愉快さでちょっとだけ笑った。

 胸に抱いていたら、早速おっぱいを探っていた。

 助産師さんが咥えさせたら、びっくりするぐらい力強くて、驚いた。

「生まれた直後って、びっくりするぐらい上手なんだよね」

 そう言って笑った助産師さんも嬉しそうだった。



「これが、君が生まれた瞬間だよ」

 レニーの言葉はどこか遠くから聞こえて来ているような気がした。

 今まで見たこともないぐらい苦しそうなお母さんの顔が、赤ちゃんの声を聞いた瞬間に変わった。

 泣いてるみたいな、笑ってるみたいな、そんな顔、見たことなかった。

「お母さん、僕が生まれて嬉しいの?」

 もちろん、とレニーは言った。

 胸に赤ちゃんを抱くお母さんは、ちょっぴり若くて、やまとは恥ずかしいような嬉しいような、そんな感情で胸がいっぱいになった。

「君のお母さんはこれから、とても大変な想いをするんだよ」

 レニーの言葉の意味を知るよりも先に、やまとの耳に緊迫した声が聞こえてきた。


 急に慌ただしくなった病室。

 先生を呼ぶ声、おばあちゃんのお母さんを呼ぶ声。

 お父さんに先生が早口で何か説明してる。

「痛い…」

 お母さんが歯を食いしばって耐える隙間から、そんな言葉が聞こえた。

 嫌なアラームの音がする。

「赤ちゃんは、預かってるから」

 看護師さんに言われて、お母さんが目を開けた。

 真っ青な顔に、目だけ充血していて、その眼が嫌だって言ってた。でも、口は震えて声が聞こえない。


「あの子が死んだら、赤ちゃん、…どうするの?」

 おばあちゃんが手術室の前で言った。

「…一年の育児休暇が取れるので、それで育てます」

 お父さんが答えた。

 暗い顔をしていたおばあちゃんが、その時小さく笑った。

「一年じゃ、赤ちゃんは手が離れないわよ」

 それっきり、二人は口を開かなかった。


「ねぇ、レニー…」

 手術中と灯ったままの表示を見上げながら、やまとはレニーに声をかけた。

「なんだい、やまとくん」

 レニーの静かな応えに、やまとは自分の声が震えていたことに気付いた。

「お母さんは、…大丈夫なの?」

 真っ青だった顔と、耳に響いたアラームの音が、やまとの目の前をグルグルと回った。

 さっきまで嬉しそうに笑っていたのに。

「お母さんは、…死んじゃうの?」

 先生の話を呆然と聞いていたお父さん。言われるがまま、サインして、そのままベンチに座ってる。

 レニーのもふもふの腕を握る自分の手が、ブルブルと震えていた。

 怖くなった。

 さっきまで、胸いっぱいだった暖かいものは、全部嘘みたいになくなって、今は真っ暗だ。

(僕を生んだから、お母さんは…)

 喉に嫌なモノが詰まってる。

 お母さんなんて死んじゃえと飛び出した時よりも、もっと大きくて、にがくて、苦しくて、悲しいモノ。

「い…嫌だ。イヤだよ…レニー」

 お母さんが死んじゃうなんて、絶対にイヤだ!

 目が熱くて、鼻がツンとして、鼻水が出て、―――涙がたくさん出ていた。



 声に出して泣いた。

 イヤだって叫んで、まるで、末っ子のかすみちゃんみたいだ。

 ううん、それよりももっとひどい駄々っ子みたいに、泣いた。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい、お母さん。

 いくら、謝ったって、届かないのに。


 遠くで、何か楽しそうな声がしている事に気付いた。

 叫んで喉はガラガラ、拭きすぎて目も鼻も痛かった。

 隣でレニーが黙って座っていてくれた。

 レニーに出会った、見知らぬ公園だった。

「落ち着いたかい?」

 レニーがやまとを見上げて聞いた。

 本当は泣き疲れただけだったのかもしれないけれど、やまとは鼻をすすって頷いた。

「それは良かった」

 嬉しそうにレニーは言うと、その可愛らしい腕を上げて、指さす。

 夕焼けの公園で、楽しそうに遊んでいる親子が居た。

「…お母さん」

 そこにいたのは、大きなお腹のお母さんとかすみちゃんぐらいの男の子だった。

「もうすぐ二歳になる、やまとくんだよ」

 レニーに言われて、やまとは目を瞬かせた。

 砂場で遊ぶ小さな自分は、オモチャの車を走らせている。ぶーぶーと音を立てて、暴走車だ。

 そんな小さなやまとを、お母さんは見ていた。

 大きなお腹を撫でながら、笑ってる。

 お腹に居るのは、ゆうかちゃんなんだ。

「お母さん、あんな風に笑うんだ…」

 嬉しそうで、楽しそうで、幸せだって笑ってる。

 やまとの呟きに、レニーが小さく笑ったみたいだった。

 風に潮の匂いがする。

 ここは、おばあちゃんの家の近くの公園だ。

 電車や車の遊具があって、遊歩道が線路みたいになっている。

(どうして、忘れていたんだろう)

 たくさん、大切な事を忘れているような気がした。


「ねぇ、レニー」

 自分の隣に座って、黙っているクマのぬいぐるみに、やまとは声をかけた。

「なんだい、やまとくん」

 さっきと変わらず、レニーは応えた。

「僕、お母さんに謝るよ」

 いくら謝ったって、お母さんに言わなきゃ伝わらない。

 僕を生んだ時の若いお母さんでもなくて、心の中のお母さんにでもなくて、家で待ってるお母さんに。

「良いんじゃないかな」

 レニーは応えた。

「それで、…お手伝いもして、苦手な勉強もするよ。…すぐには完璧に出来ないかもしれないけど」

 うん、とレニーは頷いてくれた。

「そしたら、…また、あんな風に笑ってくれるかな?」

 レニーが笑った。

 クマのぬいぐるみの顔なのに、笑ったんだ。

「もちろんだよ。お母さんは、君が大好きなんだから」

 その言葉に、やまとはレニーを見下した。

 どこかで聞いたような、優しい言葉だった。

「…僕、君の事も忘れてた…」

 びっくりしたように振り返ったレニーを、力いっぱい抱きしめる。

「そうだ! 君はレニーだ! ずっと抱っこして寝てた、レニーだっ!」

 大きな声で叫んだ。

 そうだ、どうして忘れていたんだろう。

 ずっと一緒に寝ていたのに。

 失くしていた宝物が見つかったみたいに、やまとは嬉しくなって、レニーを抱き上げたまま飛び跳ねた。

 ぬいぐるみの目がその時、泣いてるみたいに見えたんだ。

 それが嬉しいような悲しいような色をしていて、「ごめん」と「ありがとう」がごちゃごちゃに混ざって、マーブルみたいな気持ちになった。


 「ごめん」と「ありがとう」をレニーごと抱きしめて、やまとは走り出した。

 地平線に陽が沈んでいく。

 帰り道は、誰に聞かなくても分かった。

 まっすぐに、お母さんのいる家へ。



 お母さんは泣いていた。

 ごめんなさいと謝ったら、お母さんも僕に謝った。

 そしたら、急に胸が苦しくなって、お母さんと抱き合って泣いた。

 悲しかったんじゃなくて、嬉しかったんだと思うんだ。

 あの時の胸いっぱいは、まだ上手く言葉には出来ない。

「あら、レニーじゃない?」

 抱きしめていたクマのぬいぐるみを見て、お母さんは懐かしそうに言った。

「やまとが生まれた日に、お父さんが買ってきたんだよ」

 それから、お母さんは取れかかったレニーの目を付けながら、僕に僕の生まれた日の事、それからの大変な毎日の事を話してくれた。

「大変だったけど、でも、楽しかったなぁ」

 お母さんは最後に懐かしそうに言う。

「なぁに、何の話してるの?」

 ゆうかちゃんがやって来た。

「お腹空いたよ~」

「ういた~」

 こころちゃんとかすみちゃんもやって来た。

 急に騒がしくなるリビングを見渡して、お母さんは笑った。

「違うな。今も楽しいな!」

 お母さんの笑顔は、あの公園で見たお母さんの笑顔みたいで、―――でも、もっと力強かった。


童話の募集に出そうかと思って、書いてみました。

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