八 露店と酒場
いくつもの星夜灯に明りが灯る。
夜空の下、祝福と乾杯の言葉を聞きながら、コウは大通りへと足を向けた。トナカイの仮面を着けたリオンが、時折コウの外套を引っ張る。
「あのコートファイの露店、今年も出てるよ。あ、温めた林檎酒もある」
「納品してからって、言ってんだろ」
大通りには、音が溢れていた。
露店の客引きの声、顔見知りに会って祝福の声、陽気な酔っ払いたちの乾杯の声。辻音楽師たちが奏でるフェーレの音、走り回る子どもたちの靴音、鳴らされる大鐘の音。無秩序で、温かな街の喧騒。
「飴、焼き栗、ライ麦パン、魚の燻製、蜂蜜ウォルカ……」
歩きながら、リオンが露店の品物名を口にする。
「おいこら。ガラス細工や、銀細工や、木工細工や、フェーレは目に入らないのかよ」
「それはそれで楽しいけど」
軒先に、星夜灯を無数に灯している露店があった。丸椅子に座った若い男の店主が、湯気の立つカップを口に運んでいる。
「悪い。遅くなった」
コウが声を掛けると、ごふっと店主がむせた。
「大丈夫か」
咳き込み、涙目の店主はなんとか頷く。
「遅いぞ、コウ! 叩き起こしに行こうと思ったぞ!」
「だから、悪かったって」
背負っていた革袋を下ろし、コウは星夜灯を店主へ手渡す。数と出来栄えを確認して、店主はすぐに店先へ並べた。
「全部、捌けるか?」
「かがり火を持ち帰るために買う客は多い。まっ、オレの商いの腕を信用しろよ」
くすくすと笑うトナカイに、店主はぴたりと口を閉じた。
「……なあ、コウ。お前」
「林檎酒二つ頼む」
コウが店主に銅貨を握らせる。それでも固まっている店主の額へ、弾いた指をばちんと当てる。
「いって!」
「ぼやっとしてんなよ、商人。時は金なりだろ。早くしろ、こっちは寒いんだ」
「いやいやいや、待て待て待て」
店主が恐る恐る呟く。
「……リオン?」
「うん。ただいま」
リオンがトナカイの仮面を横にずらすと、店主が丸椅子を蹴倒して立ち上がった。
「お、おかっ、おかえり!」
くしゃりと顔を歪ませ、泣き笑いで店主は叫ぶ。
「天の星の祝福を!」
「君もね。天の星の祝福を」
にかりと店主は笑う。素早く袖で涙を拭うと、後ろの台から陶器のカップを二つ取り、湯気の立つ林檎酒を注いだ。コウとリオンに渡す。
「乾杯!」
店主がカップをぶつける。鮮やかな赤色の林檎酒が、たぷんと揺れた。
「なあ、星夜灯の大商人。出世頭さんよ」
温かい林檎酒を飲みながら、コウが提案する。
「星夜灯の代金の引き換えで、天幕の席をひとつ、融通してくれねーか」
こくこくと、店主が首を縦に振った。
「もちろん。長い付き合いだし、十分な対価だし。それに、久しぶりにリオンがいる。そういうことだろ?」
懐から、数字が打刻された丸い銀のプレートを出し、コウへ渡した。
「察しが良い商人は成功するって本当らしいぞ」
「おだてても、なにも出ないぞ。コウ」
言葉とは裏腹に、ふにゃりとした嬉しそうな笑み。
「ありがとう。夜明け前には来てね」
リオンの言葉に店主が頷いた。
「商売が落ち着いたら行く。その番号は時間制限なしの天幕だから、存分に楽しめよ。リオン、お前……万星節が好きだったろ?」
「気を利かせてくれる、素敵な商人も好きだよ」
おだててもなにも出ないって、と店主が笑う。
コウとリオンが林檎酒を飲み干し、カップを店主に戻せば、店主は銅貨を一枚返した。手を振って別れる。
「あとは、ヤルノさんのところかい?」
「そう」
「行こう。早く行こう。美味しいものが食べたい」
大通りを、トナカイの仮面を着けたリオンが行く。
その後ろで、コウが香り煙草に火を点けた。すっとする白煙が雑踏にかき消される。
すれ違う人を見れば、リオンと同じように仮面を着けている者がいる。リス、フクロウ、牧羊犬。誰もが、誰かと一緒に歩いていた。灯る星夜灯、響く楽の音。
いくつか角を曲れば、白熊亭に辿り着く。
店のドアは開かれ、温かな光が敷石の上に惜しみなく零れ出ていた。肉と魚と油が混じった酒場の匂いと、賑やかな喧噪。
冷気を押し退けるように、戸口の両脇には二つ、鉄製の火鉢が置かれていた。
橙色の炎に当たりながら、熊に似た風貌の男が薪を足す。その頭上、軒先に三つの星夜灯が灯っている。
「ヤルノさん」
香り煙草を消し、コウが呼び掛ける。ヤルノが顔を上げた。おう、と応える。
「遅かったじゃないか」
「すみません。修理の品、持って来ました」
「おお、見せてくれ」
革袋を下ろすトナカイの仮面、彼の金髪にヤルノの目が丸くなった。
「リオン、か?」
コウが頷く。トナカイは布に包んだ星夜灯をヤルノに手渡すと、その仮面を横にずらした。
「こんばんは、ヤルノさん。この前は、鰊の香草燻製ごちそうさまで――」
した、という言葉は続かない。ヤルノの逞しい片腕で、リオンは抱きしめられた。
「リオン……おめぇ、この野郎……。久しぶりなんだから、早く顔見せろや」
「万星節は今日ですよ」
「その前に来てたのは知ってるんだよ」
「僕は、せっかちさんじゃないので」
腕を離したヤルノが笑った。
わしわしとリオンの頭を撫で、ついでとばかりにコウの黒髪も乱暴に撫でる。ぎょっとしたコウは、それでもヤルノのなすがままにされる。
「星夜灯、確かに受け取った」
ヤルノが布を開く。四面に鮮やかな花が描かれた星夜灯が現れた。
「これで仕事は一通り終えたんだろう? さぁ、お楽しみの時間だ」
店の中へ二人を手招きし、ヤルノはカウンターの奥へ回った。背面の棚から瓶を一本取り出し、どん、とカウンターの上に置く。リオンの目が輝く。
「蜂蜜ウォルカだ!」
「特別に、上物をくれてやる」
にやりと笑うヤルノへ、リオンが礼を言う。はしゃいだその声に、カウンターに座っていた何人かが振り向いた。一様に驚く。
「やあ、みんな。久しぶり。ただいま」
リオンがガラス職人たちに手を振れば、テーブル席に座っていた初老の男が立ち上がった。刃物傷が走る唇を戦慄かせている。
「げっ」
コウが肩を跳ねさせた。
「リオンじゃないか!」
「組合長、お元気そうで。お久しぶりです」
ぎらりと組合長の目が光る。
ばっちり目が合ったコウは、そそくさとカウンターの端に寄った。柱の陰に隠れる。
「コウ! 万星節が明けたら組合会館に来い。絶対に来い。逃げんじゃねぇぞ!」
「嫌です。安息日じゃないですか」
コウが顔だけ覗かせた。
「ふざけんな。変に細けぇとこは、本当に師匠似だな!」
「お蔭さまで」
ばん、と組合長がテーブルを叩く。皿と洋杯が揺れる。
「高い技量持ってんだ、今度こそ若頭にして、寝る暇なくしてやるから覚悟しろ!」
「おぉ、出世だね。おめでとう、コウ」
リオンが茶化すように拍手すれば、コウは眉を寄せた。
「お前も忙しくなるぞ」
「それは嫌だね。君だけでがんばってよ」
「やだ」
「がんばってよ」
「やだ」
不毛な言い争いを始めた二人に、ヤルノの声が割って入る。
「じゃれ合ってないで、早く料理の注文を言え。席を作ってやるぞ」
「広場の天幕で食べるんで、料理は包んでもらってもいいですか」
そうコウが言えば、ヤルノは口笛を吹いた。
「特等席を取ったのか。さすがだな」
それで、とヤルノが再度訊ねる。コウがリオンを見た。
「いいのかい?」
「どーぞ」
いそいそとリオンが料理名を挙げる。鴨肉の包み焼き、揚げた皮付きいも、干し葡萄のパイ、鰊の香草燻製。
「それ全部、おれにツケとけ!」
組合長が怒鳴り、荒々しく椅子に腰を下ろした。おぉ、と驚嘆の声がガラス職人たちから上がる。
「じゃ、全員に林檎酒を一杯」
コウの言葉に拍手が沸いた。
ヤルノが大きく頷き、厨房へ指示を飛ばす。小さめの洋杯と林檎酒の瓶を、コウとリオンに押し付けた。
「ボスんとこは行って来い」
はーい、と素直なリオンに背を押され、コウもしぶしぶテーブルに向かう。
「ご馳走になります。組合長」
笑顔のリオンが、組合長の洋杯に林檎酒を半分注ぐ。
「ご馳走にはなります、組合長」
残り半分を注ぐコウを、組合長が睨んだ。
「には、ってなんだ。にはって。おめー、本気で組合会館に来るつもりねぇだろ」
「たぶん寝過ごします」
「叩き起こしに行くからな!」
組合長がコウの持つ瓶を奪い取った。コウとリオンの洋杯へ林檎酒を注いでやる。自身の洋杯を持つと、高らかに掲げた。
「天の星の祝福を!」
コウとリオン、店にいるガラス職人たちの声が揃う。
「天の星の祝福を!」
「乾杯!」
組合長が洋杯をぶつけた。三人の洋杯が、かつんと鳴る。
同じように杯を重ねる音が、店の中で幾重にも湧き起こった。