七 万星節の街
雲が薄くなり、ところどころ冬空が覗いている。
「夜には晴れそうだね」
日没まで時間はあるが、周囲は薄暗い。
角灯を右手に持つコウの隣りで、リオンは歩きながら空を見上げた。さくさくと雪を踏み、二人で街へ続く道を下る。
「前見て歩け。転ぶぞ」
コウの吐く息が白い。
「もし、転びそうになったら、助けてくれるかい?」
「せめて前のめりで転べ。背負ってるもの、忘れてんじゃねーだろうな」
コウが自分の肩紐に手を掛け、背中の革袋を揺すった。
割れないよう布で梱包した星夜灯。リオンの背にも革袋はある。
「あ、そうだ」
丘の中腹でリオンが立ち止まる。二十ダール先、街の北側へ続く道を指差す。
「墓地には行かないのかい?」
万星節には、この世とあの世の扉が開く。
祖先や死者の魂が戻って来る。
遠目にも、墓参りに行く人々の角灯の明りが見えた。
小さな橙色が、ゆるりゆるりと揺れながら墓地を目指している。白く積もった雪の中、星々が瞬いているかのような光たち。
「行っても意味がないし、そんな時間ねーよ。……それに師匠だって、たぶん、まだくたばってねーだろ」
さっさと歩きだしてしまうコウに、リオンは肩をすくめた。
コウの手にある角灯が、ぼんやりと漂う薄闇を退けている。白い雪道を照らす。
ふとリオンは思う。
墓参りに行く人々からすれば、この角灯の明りは、ぽつんと灯るはぐれ星に見えるのだろうか。群れから外れてしまった、孤独な光に。
「おい、リオン」
コウが振り返る。
「早くしろよ。おいて行くぞ」
十歩先でコウが立ち止まった。寒そうに、片手で襟巻をずり上げる。
「待ってよ。せっかちさんだなぁ」
「うるせー。こっちは寒いんだよ」
リオンはコウの右側に並ぶと、拳で軽く彼の肩を叩いた。仕返しとばかりにコウがリオンの足を蹴る。避けられる。
「寒いなら仮面つければ? あったかいと思うよ」
歩きながら、リオンが革袋を前で構え直す。口を縛っていた紐を解き、ごそごそと中から仮面を取り出した。クロギツネをコウへ押しつける。
「仕事が先。納品してから」
受け取ったクロギツネの仮面を、コウは背中の革袋に引っ掛けた。
「コウって、変なところ細かいよね」
ちぇー、とトナカイの仮面を着けたリオンが不満の声を漏らす。
「楽しみの先取りは、いつもお前のほうが早いよな。子どもか」
「せっかちさんには言われたくない」
革袋を背負い直したリオンが、三歩前を行く。
日暮れ前の街は、明りが灯り始めていた。
街角の小さな雪洞、雪の室の中で蝋燭が揺れている。家々の軒先には火の入った角灯。
色とりどり、様々な絵図の星夜灯が吊るされ、日没の鐘の合図を待っていた。
通りを行き交う人々のざわめき。
天の星の祝福を、という万星節の挨拶が飛び交う。
何処からか、辻音楽師が奏でる弦楽器の音が聞こえて来る。仮面を着けた子どもが三人、じゃれ合いながら走って行く。
「家の場所わかる?」
先を歩くトナカイが振り返った。
「知らねーのに、前を歩くな」
「だって、早く行きたい」
急かすようなリオンの声に、通り掛かった二人の婦人がくすくすと笑う。万星節のことだと勘違いされた。コウがため息をつく。
「二つ目の角を左に曲がって、真っ直ぐ。四番目の家だ」
「わかった」
弦楽器の音が近づく。
二つ目の角を曲ると、四人の辻音楽師がフェーレ――洋梨型の胴に五本の共鳴弦を張り、左手で弦を押さえ、右手の弓で弦を擦る楽器――を演奏していた。
華やかな音が石造りの街に反響する。跳ね返った音は、積もった雪に程良く吸われて消える。
四人の辻音楽師の前には、十人ほどが集まっていた。
厚い外套を纏い、寒そうに襟巻へ顔を埋めていても、一様に笑顔。辻音楽師たちの弓の動きに合わせ、体を揺らしている。
彼ら、彼女らの後ろを、コウとリオンが通り抜ける。あちらこちらで、同じように音楽が鳴っていた。
「ここかな」
いち、にい、さん、しい。指で家のドアを数え、リオンが立ち止まった。連なる家々と同じように、角灯が軒先に吊るされている。星夜灯はない。
コウがドアをノックすれば、家の中から彼女が応えた。ドアが開く。
「どうも。お待ちどうさま」
コウと、トナカイの仮面を着けたリオンの姿に、アナの目が大きくなる。
「……できたのですね」
頷くコウに、アナは身を引いた。家の中へ二人を招こうとする。
「いや、ここで。渡すだけだし」
コウの後ろから、ひょいとリオンが覗き込む。トナカイの仮面を横へずらし、顔を見せる。
「あれ、ひとり?」
家の奥では大きな暖炉が燃えていた。
その前に置かれた、家族団欒のための椅子には、誰も座っていない。
「家族は墓参りに行っています。わたしは朝早くに行ったので、留守番です」
それに、とアナが続ける。
「待っていましたから」
見上げる彼女の瞳に光が灯っている。望み、願い、希望。
もう一度、会いたい。
その想い。
ちら、とコウが視線を投げる。
リオンが背負っていた革袋を下ろし、中から布の包みを取り出した。包んでいた布を開く。四面のガラスに描かれた八角の青い星が、暖炉の火を受けてきらりと光る。
「……きれい」
リオンから受け取ったアナは、星夜灯を顔の前にかざした。青色のガラスが凛と輝く。
「火は消えないようにすること。万星節の最中であっても、火が消えたら相手も消える」
コウの言葉に、真剣な表情でアナが頷く。
「待ち人の星夜灯は、夜明けと共に砕ける。それでお別れだ」
きゅっとアナが唇を噛む。星夜灯を抱きしめる。
「でも。終わりじゃない」
彼女の腕の中の星夜灯を、コウが指差す。
「ガラスは割れるもの、砕けるのが摂理。来年、会いたくなったら、砕けた欠片を持って来てくれ。新しい星屑が手に入れば、作り直せる」
あと俺がいたらな、と肩をすくめるコウの背中を、リオンが小突く。
「本当、ですか」
「また代金貰うぞ」
素っ気無く言うコウに、アナが微笑む。
「はい」
唐突に鐘の音が鳴り響いた。
がらんがらん、と尖塔に吊るされた大鐘が打ち鳴らされる。日没を報せる合図。
空を仰げば、陽の光が溶けるように消えた。薄闇が広がる晴れた空に、ひとつふたつ星が瞬く。
「じゃあな」
コウとリオンが踵を返す。通りへ戻った。その背をアナが見送る。
「ありがとうございました!」
頭を下げる彼女へ、ひらりとコウが手を振る。トナカイの仮面に手を掛けたリオンが微笑む。
「――天の星の祝福を」
二人の声が揃う。