六 言えなかったこと
ぱらりと、紙をめくる音がする。
リオンが椅子に座って古びた書物を読んでいた。
長椅子に寝ていたコウが頭を動かせば、昔の星夜灯について記された標題が目に入った。
「……それ」
「うん? あぁ、物置き部屋から借りてきた。おはよう、コウ。昼だけど」
リオンが書物を閉じる。
書物を椅子に置き、戸棚からカップと小瓶を取り出した。
暖炉に吊るされたポットから香茶を注ぐ。小瓶の黄金色の中身をスプーンひと掬い入れ、コウへカップを差し出す。億劫そうにコウは体を起こし、カップを受け取った。
口をつけて、眉を寄せる。
「……甘い」
「蜂蜜を入れたからね。寝起きにはいいでしょ。寝過ぎでしょ」
「……星夜灯は」
「大丈夫。完成したよ」
コウが振り返れば、作業机の上に真新しい星夜灯が置かれていた。四面のガラスに、八角の青い星が輝いている。
リオンが椅子に座った。書物を膝の上に置き、革張りの表紙を撫でる。
「いつからだい?」
「……何が」
誤魔化すの下手だなぁ、とリオンが呟く。
常に纏う清涼香。
寝起きの悪さ。
冷たい体温。
「眠り病はいつから発症したの」
「……一年前」
「そうか。知らなかったよ」
「そりゃそうだ。言えなかったし」
コウが蜂蜜入りの香茶を飲む。ぽつりと言葉を落とす。
「薬師の見立てじゃ、二年か三年だとよ」
眠りについて、目覚めなくなるまで。
ぱちりと暖炉の薪が爆ぜ、炎が揺らぐ。リオンが長く、深く息を吐いた。
「……香り煙草の量が増えたのも、そういうことか」
「そーだよ」
「お酒に弱くなったんじゃないんだね」
「ちげーよ」
不機嫌そうな彼に、リオンが肩をすくめた。
「万星節の蜂蜜ウォルカ。あれ、強い酒だからね。今日、一緒に飲めないなら、つまんないなぁって思った」
「だから飲めるって。それに、ヤルノさんに一本取り置きしてもらってる」
「なんだ。さすが」
軽口を叩きながら、それでもリオンの目は笑っていない。
「ねぇ、コウ」
「言いたいことはあるだろうけど、それ全部仕事のあとだ。星夜灯を日暮れまでに届けなきゃならねぇ」
コウが香茶を飲み干す。リオンが腕を伸ばし、空のカップを受け取る。代わりに油紙の包みを手渡した。
「アナさんからのコートファイ。腹が減っては仕事はできぬ、でしょう」
コートファイを食べるコウの傍ら、リオンがカップに香茶を注ぐ。コウが礼を言って受け取る。一口飲み、ぴり辛い香辛料から痺れた舌を救う。
「食った。目ぇ覚めた」
ずずず、とカップの香茶を啜りながら、コウが立つ。用済みの油紙を暖炉へ放る。
「早い、早いって」
リオンは二、三口、コートファイを齧り始めたところだった。
「せっかちなんだよ。知ってんだろ」
コウがカップを作業机に置く。
完成した星夜灯を布で包む。店へ卸す星夜灯とは別にして、革袋へ詰める。修理したヤルノの星夜灯も梱包する。
奥の戸棚から角灯の油を取り出し、戸口へ向かう。
ドアを開ければ、雪が積もった薄明るい昼だった。
夜明けと錯覚しそうになるが、大気の質は確かに昼。灰色の雲を透かして、乏しい陽が銀雪を照らしている。
肌を刺す冷気にコウは体を震わせ、急いで吊るしてあった星夜灯に手を伸ばす。
藍色の雪の結晶がきらりと光った。
作った覚えのないガラス装飾品に、コウの手が止まる。
革紐で三つ連なった雪の結晶が、星夜灯と一緒に吊るされ、ゆらゆら揺れていた。
ひとつひとつが手の平より大きい。僅かな陽光でも、銀箔を散らしたような藍色のガラスは静かに輝いていた。
コウは星夜灯を手に取ると、ドアを閉めた。
「おい、リオン」
「あ。わかった?」
コートファイを食べながら彼が笑う。
「良いでしょう、あれ」
「星屑を無駄遣いすんなって言ったぞ」
ひどい、とリオンが不貞腐れる。
「無駄じゃないし。余ったから、再利用しただけだし」
「ガラス小物作れるんなら、板ガラスも作れよ」
「それは難しいかなぁ。僕の場合、手の平の大きさを超えると、ガラスの厚みにムラができるんだよね。謎だよね。洋杯作りとかは得意なんだけど」
リオンがコートファイを食べ終わり、香茶を飲む。
「板ガラスは君が作ればいい。図案や小物は僕が作ればいい。適材適所ってことで。ね、相棒」
「そーかよ」
「それでも、コウは図案を作れるようになったほうがいい」
「……そーかよ」
コウが作業机の上に星夜灯を置く。火を消さないよう慎重に油を注ぎ足す。
小さな灯火は、燃え続けている。




