四 氷上の光
昼食を済ませ、コウが焚き火に雪を掛けて消した。
リオンが革袋を背負い、何も残していないか雪面を見渡す。
あくびをしながら、コウが歩き出した。リオンが後に続く。
「眠そうだね」
「ねみーよ。寒いし」
口寂しいのか、コウが指で唇を擦った。リオンは眉を寄せる。
「森の中で寝ないでくれよ」
「まだ永眠するつもりはねーな。やることがある」
静かな森の中で、ざくざくと雪をかき分ける音だけがする。
しばらく行けば、唐突に視界が開けた。
モミの木が途切れ、ぽっかりと空いた白い平原が現れる。
「氷が薄い箇所もあるから、下手に足を踏み入れるなよ」
コウがリオンへ振り返れば、彼は湖を見ていた。
灰色の雲の下、目の前に広がる氷の地平。
遠く、湖の終わりを縁取るように、黒々としたモミの森が広がっている。渡る風もなく、動くもののない静寂。
それでも、幽かな音が聞こえた。
「……あるね」
リオンの言葉に、コウは頷く。ちりちりと、光が燃える音が鳴っている。
雪の中、わずかに枯れ草が見える岸辺をコウが歩く。ゆっくりとした足取りで、音の遠近を聞き取る。光を探す。
「コウ」
リオンが湖の表面を指差した。薄い雪の下、銀色の光が零れ出ている。
「岸から十ダールぐらいか……」
シャベルで湖の氷を軽く叩けば、コツコツと軽い音が返ってくる。
「どう?」
訊ねるリオンに、コウは表情を曇らせた。
「微妙な厚さだな。装備全部置いて、何事もなければ帰って来れる」
「僕が行く」
リオンが背負っていた革袋を下ろした。
「おいっ」
「言い出したのは僕だ。だから、僕が行く」
身に着けていた装備も外していく。雪よけの腰巻、小袋、ナイフ、弓矢一式。
「あ、シャベルは貸して。星屑が氷の中だったら、掘り出さないと」
コウは首を横に振った。
「もしそうだったら、諦めてすぐ帰って来い」
「やだ。せっかく見つけた星屑だよ。……いつからそんな、心配性になったのさ」
「一年前からだ」
「ああ、僕のせいだね」
コウが唇を噛む。胸を走る痛みに耐える。
ふっと、リオンが表情を和らげた。
「大丈夫。こうして帰って来ただろう? きっと上手くやれる」
手を伸ばし、リオンはコウが持つシャベルを掴んだ。じっと見つめる。俯いたコウが、ゆっくりとその手を離す。
「うん。じゃ、ちょっと行ってくる」
「三十秒で戻って来い」
「それは無理」
リオンが氷の表面へ足を下ろす。
さくり、と薄く積もった雪を踏む。さくり、さくり、慎重に歩を進める。
風はなく、ただただ静か。
足元を見れば、手の平と同じ大きさの動物の足跡があった。オオカミだろう。雪の上に点々と伸びている。
後ろを振り返れば、心配そうに見つめるコウと目が合った。リオンはにこりと笑ってやる。前を向き、氷の上を歩く。
やがて銀色の光にたどり着いた。
屈み込み、リオンが手で雪を払う。星屑が見える。
「やっぱりね」
銀色の光が、氷のすぐ下に閉じ込められていた。
リオンは立ち上がり、狙いを定めてシャベルを突き立てた。
氷の破片が飛び散る。星屑は硬く、傷はつかないので多少強引にいく。
「そん、なに、深く、ないんだけど、な!」
バキン、と大きな氷の欠片が剥がれた。
リオンが膝を折り、シャベルを傍らに置く。手で星屑を拾い上げた。
「コウ!」
掲げて見せる。
「遊んでねーで、早く戻って来い!」
「怒ることないのに」
立ち上がれば、ピシッと嫌な音がした。
リオンの顔が強張る。
氷にひびが入り、足元から線状に広がっていく。
「ぼやっとすんな、走れ!」
コウの声にリオンが駆け出した。氷が割れる音が追い掛ける。
ピシ、ピシ、ピシ、ピシシッ。
「リオン!」
対岸からコウが手を差し出す。亀裂は足元に迫る。
コウがリオンの手を掴んだ瞬間、バキンと氷が割れた。
がくりとリオンの体が沈む。
水へ落ちる、その前にコウが引き上げた。
二人して雪の上へ倒れ込む。ばふっと雪が舞い上がる。
割れた氷がぷかりと湖に浮かび、やがて動かなくなった。森に静けさが戻る。
「……落ちるかと思った」
リオンが頭を振って立ち上がる。寝転がったまま、コウは舌打ちをした。
「そりゃ、こっちのセリフだ。無茶しやがって」
「ごめん。あと、シャベル落とした」
「それは別にいい」
差し出されたリオンの手を取り、コウが体を起こす。わずかに顔をしかめた。
「どこか、痛めたかい」
「なんでもねーよ。それより、星屑は」
リオンが握っていた手を開いた。
銀色の光が溢れる。拳より一回り小さい、氷のように透明な星屑だった。へぇ、とコウが声を上げる。
「見るからに上等そうだな」
星屑を受け取ると、コウは小型金槌で叩いた。カンッ、と硬質な高音が響く。
「あぁ、これなら。ひとつで十分だ」
「本当かい?」
星屑をリオンに渡し、コウは立ち上がる。
オオーン、と遠吠えが聞こえた。
大気を震わせるオオカミの声。応えるように、あちこちから声がする。重なり合って森に響くが、姿は見えない。
「まずいな」
「まずいね」
手早く荷物をまとめ、コウとリオンが走り出す。
ちらりと、コウが後ろを見やれば、リオンが走りながら短弓を手にしていた。
「腕、なまってないだろーな。相棒」
「今ここでは証明したくないね」
ぴたりとオオカミの遠吠えが止んだ。
静寂が訪れ、森の空気が張り詰める。
モミの木立の間、黒い影が走った。コウが背中のナイフを抜く。
「四、五匹ってとこか」
動く影を数えれば、一匹が飛び掛かって来た。
「ギャンッ」
オオカミの目に矢が刺さった。
勢いを失ったオオカミの首に、コウはナイフを突き立てる。
間髪入れず、別のオオカミがコウの長靴へ噛みついた。が、トナカイの革を分厚く重ねた長靴には、歯型がついただけだった。
コウがオオカミの首筋に刃を走らせる。ざっと血が飛び散る。
リオンが矢を放つ。
間合いを窺っていたオオカミの後ろ脚に命中する。痛みに飛び跳ねた瞬間、次の矢で脳天を貫く。
「リオン!」
コウが叫ぶ。
リオンの背後から、灰色のオオカミが身を躍らせた。
振り返るが、矢を番える間もない。そのまま雪の上に押し倒された。
ガチン、とリオンの眼前でオオカミの牙が鳴る。
短弓をくわえたオオカミが唸る。
短弓で押し返すリオンの腕を、オオカミの爪が引っ掻く。
コウが駆けつけ、ナイフを振う。灰色のオオカミが飛び退る。
モミの木の影から、別のオオカミが飛び出して来た。
そのまま、コウの左腕に噛みつく。
「コウ!」
「いってぇ、な!」
噛みついたオオカミの腹をコウが蹴飛ばした。
キャイン、と悲鳴を上げて雪の中に落ち、尻尾を丸めて逃げ出した。
灰色のオオカミは、低く唸っている。
起き上がったリオンが矢を番えれば、ぱっと駆け出す。森の奥へ消えて行く。
「……なまってなかったな」
コウが雪にナイフを突き刺してオオカミの血を拭う。息が上がり、顔色は悪い。
「それはどうも。傷、見せて」
短弓を背中に戻したリオンが、腰の小袋から布を取り出す。コウの左腕をきつく縛った。雪の上に赤い血が落ちている。
「……的当てに出たら、今年はいいセンいくんじゃないか」
「無駄口はいいから。黙って歩いて」
ひでーな、とコウがぼやく。
その息が白く凍える。