三 星屑探し
ごう、と唸るような音が聞こえた。
大気が震え、地面が揺れる。
森の木が、白銀の大波になぎ倒されるのが見えた。
灰色の空の下、もうもうと白い雪煙を上げて迫り来る。
名を叫んだ気がした。
名を呼ばれた気がした。
体に衝撃を受ける。
「コウ!」
目を開ければ、至近距離にリオンの顔があった。
寝台の上に腰掛け、覗き込んでいる。
「……おう」
「おはよう。朝だよ。起きて」
頭の中に霞みがかかったように、ぼうっとする。
瞼の重さに引きずられ、コウが目を閉じると、リオンが毛布の上から叩いた。
「いい加減、起きなよ。起きて。起こせって言ったの、コウじゃないか」
反応がない。
リオンが耳を近づける。静かな寝息。むっとしたリオンは寝台から立ち上がる。
どすん、と勢いをつけて座った。
「ぐえっ」
腹を潰されたコウが声を上げた。のしかかるリオンを睨む。
「おい、殺す気か」
「もう僕ひとりで森へ行っちゃうよ?」
低い声でコウが唸った。手の平で顔を擦る。
「……リオン」
「なに」
「重い。どけ」
ちぇー、とおどけた様子でリオンは腰を上げ、向かいの窓へ移動した。
分厚い窓掛の布を紐で束ね、鎧戸を開ける。凛とした朝の冷気が吹き込んだ。二階から見える空はうっすらと明るい。灰色の雲は切れ目なく続いている。
すっとする香りに振り向くと、寝台の縁に座ったコウが香り煙草を点していた。
「ねぇ、思ったんだけど」
「なんだよ」
コウがマッチを振って火を消す。寝台の脇机、灰落とし皿へ捨てる。
「量が増えてないか」
山となった吸殻を、リオンが問い質すような目で見る。
「万星節の前は……繁忙期だからな。眠気覚ましで、香り煙草の量は増えるさ」
「こんなに寝起き、悪かったっけ」
「寒いから。もうすぐ冬の底だろ」
「それだけかい?」
「それだけだ」
コウが話を切り上げた。
香り煙草をくわえたまま長靴を履き、部屋を出て行く。工房の炉の準備をするのだろう、階段を下る音が響く。
部屋には強い清涼香と、吸い殻の山を見つめるリオンが残される。
黒々としたモミの木が、延々と続いている。
「寒い」
覆い被さる枝葉の下、ざくざくと雪をかき分けてコウが言う。
「寒い」
口を開けば、途端に白い息の花が咲く。
「寒い」
「わかったってば」
シャベルを肩に担ぐコウの後ろで、リオンが呆れたように笑った。
「なんで、お前は平気そうなんだよ」
コウは片手で襟巻をずり上げた。ぶるり、と体を震わせる。
「うーん。慣れかな。そういうふうに、できているんじゃない?」
「そーかよ。じゃ、前を歩け」
「無理言うね。星屑がどこに落ちていそうかなんて、僕にわかると思うの」
「思わない」
コウが足を止めた。モミの木が続く森を見渡す。
口を閉じれば、途端に静寂が満ちる。
しん、と静まり返った森の中で、耳を澄ます。鳥の鳴き声も、動物の気配もしない。
時折、モミの枝から雪がすべり落ちる。しなやかな枝に跳ね上げられた雪が、煙のように宙を舞う。ぱささっ、と雪が地面へ落ちた。
その音の隙間で。
ちりちりと、ささめく音がする。
「こっちか」
コウは東へ進路を変えた。ざくざくと、雪を踏み分け進む。その後をリオンがついて行く。
倒木の横、雪の吹き溜まり。
幽かに雪が光っていた。
「前にも聞いたけど。どうやったら星屑の場所がわかるんだい?」
シャベルで雪を掘るコウの傍らで、リオンがしゃがみ込む。
「音を拾う。生きている星屑は、光が燃える音がする」
「すごく小さいだろう、それ」
「まぁな。慣れだな」
かつん、とシャベルの先が何かに当たった。
「おっ浅い。最近、落ちたやつか」
腰を折り、手袋をした手でコウが雪を払う。
リンゴ一個分ほど、半透明の藍色した石が出てきた。手に取ると、腰に差していた小型金槌で星屑を叩く。コン、と音がする。
「どうだい?」
リオンが期待を込めた眼差しを向ける。
「色つきは珍しいが……下等だな。これぐらいの質だと、十ないと無理」
コウがリオンへ星屑を手渡す。受け取った星屑を、リオンが空にかざした。
「そっか。綺麗な夜空の色なのに」
「質に色は関係ねーよ」
さっさと、コウは移動する。星屑を背中の革袋へ入れ、リオンは彼の後を追った。
「見つからないものだね」
焚き火にあたるリオンが、革袋から油紙の包みを取り出す。
厚い雲に阻まれて、陽光は僅かにしか届かない。昼でも薄暗い森の中、雪を掘った窪みで炎が揺れる。
「だから、簡単に手に入らないって言っただろ」
コウが薪割りで使ったナイフを背中の鞘に戻した。
三脚で吊るしたポットから、煮出した茶をカップへと注ぐ。湯気と共に森の香りが漂う。
「モミの葉、入れ過ぎじゃない? 色がこげ茶だよ」
カップを受け取ったリオンが覗き込む。
「こっちは寒いんだ。モミの温め薬効にすがりたいんだ」
「寒がり」
「うるせー」
コウはリオンが手渡した油紙の包みを開ける。ライ麦パンにチーズやベーコンが挟まっていた。齧りつけば、ぴりりと胡椒が効く。
野外の食事でも、温かく感じる。
無論、大気は極寒だが、それでも焚き火がある。モミの香茶がある。ライ麦パンがある。向かいにリオンが座っている。
「ねぇ、コウ。提案があるんだけど」
「却下」
ひどい、とリオンが口を尖らす。
「森の西側を探したいって言うんだろ。駄目だ」
ライ麦パンを茶で流し込み、コウが睨む。
「でも、星屑が落ちやすい場所だろう?」
「駄目」
「僕だけで行って来るから。コウはここで待ってて。迷惑かけない」
「なおさら駄目だ。絶対に駄目だ。わかってんだろ」
それでもリオンは引き下がらない。
「コウ。星屑がないと、アナさんに待ち人の星夜灯を作ってあげられないよ。……最後の望みを懸けて、僕たちの工房に来たんだ。願いを叶えてあげたい」
コウが顔を歪める。
「星屑があれば作るって話だ。探してなければ、諦めてもらうしかない」
「それで本当にいいの?」
真っ直ぐなリオンの目に、コウは視線を外した。香り煙草に火をつけ、がしがしと手で頭をかく。
「……湖の辺りなら、もしかしたら、あるかもな」
ぱっとリオンの表情が明るくなった。
「けど。オオカミの縄張りだから、危険だぞ」
「うん。わかってる」
上機嫌でライ麦パンを食べ始めたリオンに、コウは息を吐いた。
すっとする清涼香が薄い煙となって、空へと昇っていく。