一 依頼
「星夜灯を灯すのは早すぎやしないかい、コウ」
ドアの音に振り向けば、外套を着たリオンが立っていた。
金髪の頭とその両肩が雪で白い。
森に出かけた姿のまま、うっすらと冷気を纏っている。
「いいんだよ。必要なやつにとっては目印だろ」
コウが葉の形に切った色ガラスを下絵の上に置く。
作業机の椅子から立てば、短い黒髪が揺れた。
「相変わらずせっかちだね。万星節は明後日だろう?」
戸口の外で、リオンが頭を振った。
肩と革の長靴についた雪を落とす。
もう一度、リオンは軒先に吊るされたシンプルな星夜灯――透明なガラスの角灯を見る。
四枚のガラスには、菱形を二つ重ねた八角の星が、青い色ガラスで描かれていた。
油を含んだ芯が小さな炎を支え、日没後の暗闇を静かに退けている。
「おい、突っ立ってないで手を貸せ」
コウの言葉にリオンはきょとんとなる。
作業椅子の座面をコウが手で叩けば、リオンは呆れたように笑みを浮かべた。
「帰ってきたばかりなのに。人づかいが荒いなぁ」
ぼやきつつも、リオンは外套を壁に掛けた。
促された作業椅子に座る。机上に広げられた花の下絵と、置かれた葉の色ガラス。
「ヤルノさんとこの修理。ぶつけて、一枚だけ割っちまったんだと」
コウが近くの戸棚から星夜灯を手に取った。
色ガラスの赤バラ、ダリヤ、ジキタリスの花が華やかに咲いているが、一面だけ、ガラスがはめ込まれていない。
「意匠はお前の仕事だろ」
くすりとリオンが笑う。
「なんだよ」
「苦手でも、コウも凝った図案を作れるようにしないと。外の星夜灯は上手いのに」
「うるせーよ」
コウが星夜灯をリオンに渡した。
別の戸棚からカップを二つ出し、暖炉に吊るしてあったポットから香茶を注ぐ。
コンコン、とドアをノックする音が響いた。
コウとリオンが互いの顔を見合わせる。
「……俺が出る」
香茶のカップを作業机に置き、コウがドアを開ける。
夜闇の中、二十代前半の同じ年頃の女が、寒さに体を震わせていた。
「あ、あの。ここ、ガラスの工房、ですよね? 星夜灯を、作って、くれませんか」
彼女の青ざめた唇から白い息が零れる。コウは表情を曇らせた。
「星夜灯を作れって、今からか? 万星節に間に合わないぞ」
星の光が最も強くなる日。
この世とあの世の扉が開き、祖先や死者の魂が戻って来る。
それらの魂が迷わぬように、人々は目印として星夜灯を灯す。
街の広場でかがり火を焚き、歌い、踊る。
死者も生者も同じ時間を過ごす夜。
「他の工房には断られてしまったんです。お願いします!」
「店に卸す完成品がある。その中から選ぶじゃ、駄目か」
「駄目なんです!」
彼女が首を振った。肩に掛かる茶髪がぱさぱさと揺れる。目に宿る必死さに、コウは気圧された。
「もう一度、会いたい人がいるんです!」
その叫びに目を見張る。
「……待ち人の星夜灯か」
「コウ」
静かな声に振り返った。ゆっくりとリオンが立ち上がる。
「話を聞こう」
ぱちりと炎が爆ぜた。
「落ち着いたかい?」
暖炉の前、彼女が同じ長椅子に座ったリオンへ頷く。
両手でカップ持ち、空になった底を見つめている。やがて、ゆるゆると顔を上げた。
「取り乱してしまって、ごめんなさい。わたしは、アナと言います」
「僕はリオン。無愛想なのはコウ。よろしく」
椅子には座らず、壁に寄り掛かるコウはあくびをした。
リオンがアナから空のカップを受け取る。
「それにしても。夜に丘の上まで、ひとりで来るなんて危ないよ」
ごめんなさい、とアナが頭を下げた。リオンは手で頭をかく。
「うーん、待ち人の星夜灯ねぇ。誰からその話を聞いたんだい」
「祖母からです」
曰く、万星節に特別な星夜灯を灯せば、必ず想う人に会えると。その特別な明りを待ち人の星夜灯と呼ぶと。
「必要なものが何か、知ってんのか?」
腕組みをするコウにアナが頷く。
「死者との思い出、強い結びつきがあるもの」
アナは上着のポケットから小袋を取り出し、中に入っていたものを左の手の平に乗せた。
暖炉の炎を受けて、きらりと光る。
「彼……ヨールが、わたしにくれたものです」
銀の指輪。
同じものが彼女の薬指にもある。
「商隊で、西の街に行く前にもらったんです。万星節も近いから、すぐ戻るって。帰ってきたら、結婚しようって……。でも途中で、商隊が狼の群れに襲われて。ヨールをはじめ、何人もが犠牲になって」
彼女の目に涙が浮かぶ。
指輪を握り締め、祈るように手を胸の前で重ねた。
「お金はいくらでも払います。どうか、お願いします」
ちらりとリオンが視線を投げる。コウが眉根を寄せた。
「必要なのは、それだけじゃねーんだ」
深々と息をついた。香り煙草を口にくわえてマッチを擦る。紫煙とともに、すっとした清涼香が漂う。
「普通の星夜灯に使われるガラスの材料は、石英、香木灰、石灰岩。これ以外に、待ち人の星夜灯には、星屑が必要だ」
「星屑、ですか?」
アナの表情が曇る。
「星屑は簡単に手に入らない。丘向こうの森に落ちることがあるが、数が少なく、探すのが容易じゃない。狼や、雪崩に遭う危険もあるんだ。他の工房で何も言われなかったのか?」
力なく彼女は俯いた。
「作れない、とだけしか……」
コウが香り煙草を指に持つ。わずかに口の端を歪める。
「材料の前に作る技術がないのか。そりゃ誰も言えないよな」
「コウ」
たしなめるようなリオンの声に、コウは肩をすくめた。香り煙草をくわえ、天井へと薄い煙を吐き出す。
「意地悪はよくない」
「意地悪なんてしてねーし。元からだし」
「星夜灯を作ってやれないのか?」
はっとアナが顔を上げた。リオンは彼女へ頷くと、コウを見た。
「……残念だが、星屑の在庫は使い切っちまった」
壁から離れ、コウは暖炉の火に香り煙草を放る。一瞬だけ、清涼香が強く香った。
「僕が明日、星屑を探しに行く」
「は?」
コウが怪訝そうに眉をひそめた。リオンと視線がぶつかる。
「もし星屑があったら、彼女に星夜灯を作ってあげてくれ」
「もしあったらな。つーか、リオン。お前、必要となる星屑の量わかってんのか」
うーん、とリオンが首を傾げた。
「それなりにあれば、問題ないのだろう?」
「星屑の質によって量は変わる。それぐらい知っとけ」
途端に、リオンの口がへの字になった。
「星夜灯のガラス作りは、君の仕事だろう」
「素直にわかりませんって言え」
「わかりません。明日、実地で勉強させてください」
「素直でよろしい」
驚いたようにアナが目を見開く。
「……作って、くれるのですか」
「星屑があればな。あと、代金はグレオ銀貨三十枚だぞ。払えんのか」
コウの言葉にゆっくりと彼女は頷いた。
「作れるの、ですか。本当に?」
リオンが微笑む。
「大丈夫。コウの腕は僕が保証するよ」
アナが長椅子から立ち、二人に頭を下げる。
「ありがとうございます!」
コウが壁に掛かった自分の外套を羽織った。
「ヤルノさんのとこに、磨き依頼されてた他の星夜灯を届けて来る。ついでに送って来る」
「外、極寒だよ。僕が行こうか?」
「あの続きを頼む」
作業机を指差すコウに、なるほどね、とリオンは得心した。
「色ガラスで絵図を組むのは、僕の仕事だね」
「そーだよ」
コウは勝手にリオンの外套を手に取ると、アナへ突き出した。
「えっ」
「聞いてなかったのか。外は極寒。リオンのなら、上からでも着れるだろ」
受け取ったアナは、戸惑ったようにコウとリオンへ視線を彷徨わせる。
「僕ので良ければ使って」
にこりと、リオンが微笑んだ。
星夜灯の革袋を背負ったコウへ、火の入った角灯を渡す。
「いってらっしゃい、相棒。気をつけて」
その声がくすぐったくて、コウは片手で耳を擦った。