第五話 なくなった
御子神先輩は何故か美咲の家にタイミングよく現れて、その理由を俺は聞こうと思っていたのだが――
どうしてだか、今、俺は御子神先輩に頭を撫でられていた。
「思った以上に、ちっちゃくてびっくりだわ」
御子神先輩はもの凄く驚いている。
俺も驚きではあるが。
片方の腕で傘を持ちつつ、俺を撫でることのできる彼女の器用さにだ。
「栄養ちゃんと取ってる?」
「御子神先輩」
「私服姿だと本当に小学生か中学生よね」
「御子神先輩……美咲がさっき……」
亡くなったんですよ。
こんなことを、空気の読めないことをしている状況じゃないでしょう!
そう激昂したいのを堪えながら俺は言った。
「こんなことするよりも、もっと……」
「わかっているわ、でも……」
御子神先輩は、ふっと目元を和らげて言う。
「今にも壊れそうな子を何もせずに放置したくないのも事実なの」
強い口調で告げてきた。
「自分を責めては駄目よ」
母親が子どもを叱りつけるような声だった。
「それが条件ですか?」
そう俺が言うと御子神先輩は小さく唸りながら返答する。
「そうね。泣きたいなら思いきり喚きなさいな、と言いたいところだけど、あなたの性格上、難しそうね」
はい、ともいいえ、とも言えなかった。
だからといって先輩の手を振り払うようなこともできず、俺はなすがままだった。
「さて、二つ目の条件だけど、この件から手を引きなさい」
御子神先輩は感情を押し殺した声で言う。
「こんなことになるなら、あの廃墟に行くと言い出した時点で、みんなを止めればよかった。天災であり天才な私にとって唯一の汚点だわ」
御子神先輩は俺の頭から手を離した。
「この呪いの厄介なところはね、私たちのほうに選択が委ねられている点よ。
生きるも殺されるも私たち次第。
呪いを払うには確実にこっちに呪いがくるタイミングがわかって対処できるものなの。
こんな風に自由を持たせているのは、呪い祓いを封じるためでしょうね」
雨の音が弱まっていく。
「明らかに呪術に傾倒しているものの仕業だわ」
忌々しげに御子神先輩は言った。
「だからこそ素人に手を出されたら更に厄介なことになるの。あなたは何もしないで」
「条件はひとつどころじゃなく二つなんですが」
「あら、そうだったわね、ごめんなさい」
意地悪げに先輩は笑う。
「……先輩、まだ俺はあなたがここにいる理由を聞いていないんですが」
そう俺が問いただすと彼女は首を傾げて言う。
「だって、あなた、条件を守る気なんてないでしょう?」
「……先輩は本物の霊能力者なんでしょう? 先輩が動けば、こんなの、あっという間に解決するんじゃないんですか?」
「難しい話よね」
俺の挑発めいた言葉にも、御子神先輩は気にせずにあっさりとした口調で切り返す。
「無責任に何の保証もなく、助けることができるわと宣言するのも優しさだけど……私は、そういうのは嫌なのよね」
先輩は僅かに濡れた髪を鬱陶しげにかきあげた。
「世の中にはどうにもならないことがあるの。とはいえ、私もあなたと同じ考え。こんな理不尽なものに殺されていい理由はないわ。特別な力は何かを変えるためにあると信じているの」
そう言いながら先輩は瞳に力を込めた。
「だって、そうでなきゃ、超霊感少女である私が産まれた意味がないでしょう」
悔しげに唇を噛みしめる御子神先輩に俺は考えてしまった。
もしかしたら先輩は美咲の異変に気付いて、俺と同様に助けに来たんじゃないか?
そして俺同様に間に合わなかったのでは?
そんなこと、とても御子神先輩に言えるわけもなく俺も黙り込む。
「雨はやんだみたいね、もう帰りましょう?」
先輩は傘を折り畳みながら俺に向かって微笑む。
弱々しさを感じさせないような、晴れやかな笑みを。
◆
美咲が殺された晩、俺は夢を見た。
「猪生くん」
たくさんの山々に囲まれた場所、川の流れる音の近くで榛名がいた。
「猪生くんてば、とっても、ちっちゃいね」
俺の頭を撫でながら話しかけてくる。
「私より背が低いよ? ちゃんと成長してる?」
からかうような笑みを浮かべて質問してくる。
俺は答えようとしたが、何故か声が出ない。
「でも君は見た目と違って、とても心が強いんだよね」
簡素な巫女服に身を包んでいる。
帯の艶やかな赤色が気になってしまう。
彼女の表情を見たいという気持ちもあるのに。
どうしてこんなに、彼女は血のように真っ赤な帯を身につけているんだろう。
「どうしようかな、どうすればいいのかな。どうしたらいいと思う?」
よくわからないことを榛名は言っている。
ゆらゆらと赤い帯が揺れ動く。
「何をすれば君は私の卵を育ててくれるの?」
どす黒く強い感情の込められた声音に俺は心臓を握り潰された気持ちになる。
そこで夢は覚めた。
ひどく夢見は悪くパジャマは汗ばんでいた。
「榛名は誰に話しかけていたんだ? 俺の名前を言ってはいたが……」
呟いて夢の中身を思い出そうとする。
「着物を着ていた榛名に見えたが……」
俺の名前を呼びながら俺じゃないと思ったのには理由がある。
最初から、俺はそれなりに発展した街に住んでいる。
あんな、ど田舎な場所で暮らしたことはないのだ。
「ああ、そうだ、試したいことがあったんだ」
もう夢はどうでもいい。深く気にしても仕方ない。
俺は寝台から起き上がると、押入にしまい込んでいた工具箱からトンカチを取り出す。
ダンボールを床にしいて、その上に自分の卵を置いた。
◆
お経が静かに部屋中を浸透していく。
夕方、俺は美咲の葬式に来ていた。
重苦しい空気は体に纏わりついてくるようだ。体が重い。
顔を上げれば、皆沈痛な面持ちで席についてお経を聞いている。
嗚咽が洩れた。目を向ける。美咲の母親だ。ハンカチで目元を強く拭っている。
お経が耳から離れない。体中に浸透していく。
俺は美咲を助けられなかった。それは事実だ。
お経を聞きながら今でも戒めのために考え続けている。
嗚咽がとても近くで聞こえる。美咲の母親が号泣しているのだろうか。戸惑うのも無理はないと思う。娘が急にいなくなってしまったのだから。
嗚咽が徐々に大きくなる。もっと泣けばいい。もっと泣いて、胸の中にある泥を流してしまえばいい。一時的であれすっきりするなら、と。
泣き声でお経が打ち消されていく。
葬式には俺だけじゃなく慶助やキアラも来ていた。
残念ながら御子神先輩の姿は見えなかった。
俺は待合フロアの隅っこ、他の人の邪魔にならない場所に、みんなを呼んだ。
「こんな場所で不謹慎だとわかっている。だけど一刻を争う事態なんだ」
緑色のソファーに座り込んだみんなを見渡しながら俺は言った。
「どうか俺の話を聞いてほしい」
話を整理しよう。
俺たちの身に起こっている不可思議な出来事を。
壱 卵憑ノ巫女に出会ってはいけない。不幸になってしまうから
弐 もし卵憑ノ巫女に出会ってしまったのなら卵を受け取ってはいけない。やがて卵から何かが孵ってしまうから
参 もし卵が孵ってしまったのなら傍にいてはいけない。生まれた何かに殺されてしまうから
肆 もし殺されたくないのなら卵憑ノ巫女を見つけて卵を返せばいい。彼女は、あなたのすぐ傍にいるのだから
「俺は、美咲が亡くなった瞬間を見た。それを今ここで詳しく語るつもりはない」
俺は一枚の印刷用紙をガラス机の上に置いた。
「だが、それを踏まえて、この紙切れに書いてある文章を、わかりやすく俺なりにまとめてみた」
・卵憑ノ巫女は見知った人間に擬態している
・卵憑ノ巫女から卵を受け取った時点で呪いにかかる
・卵は捨てても戻ってくる。壊すこともできない
・卵は所有者の恐怖心(?)で育っていく
・卵の表面が黒く変色してしまうと化け物が孵る合図
・卵から孵った化け物は、その恐怖心(?)により姿を変える
・卵から化け物が孵ったとき、時間は止まる
・時間が止まった時の風景は所有者の恐怖心(?)がイメージされたものになる
・卵の化け物は所有者しか殺さない
・化け物が所有者を殺したとき、世界は元に戻る
・(おそらく)擬態している卵憑ノ巫女を見抜いて、彼女に卵を返せば呪いから解放される
「つまり卵を割れないようにし恐怖心をセーブしながら知人に擬態した卵憑ノ巫女を発見して卵を返せばいいんだ」
「この時間が止まった時のことは私も体験した。私は赤い空を見た」
キアラは難しい顔をして言った。
時間が止まっても、俺たちだけはその空間を共有できるということか。
「俺も」
顔をしかめながら慶助は続ける。
「だけど、この最後の文章、俺たち、卵をお互いに返しあったよなあ。あれでも駄目だったのか?」
「多分、それは俺たちが、卵憑ノ巫女の正体もわからずに適当に渡し合ったからだと思う。誰が卵憑ノ巫女なのか、見つけないと意味がないんだ」
そう俺が答えると慶助は腕を組んで呻く。
「そうかあ、難しいなあ」
「でも卵が所有者の恐怖心で育つというなら安心」
そうキアラが弾んだ声で言ったので俺は質問した。
「何でだ?」
「見て、先輩」
そう言いながらキアラは俺に妙ちくりんな顔の描かれた卵を見せつけてくる。
「これは先輩の顔」
「……落書きしたのか、卵に」
キアラはこくんと頷く。
「うん、ヨッシーって名付けた。いつも枕元に置いて一緒に寝てる」
「ヨッシーて、まさか俺の名前をもじったのか」
「うん、そう。私はヨッシーと一緒よ。持ち歩いている」
キアラは卵を大切に抱え込んで頬ずりした。
「私はヨッシーのこと、怖くないよ」
上目遣いで俺のことを見つめてくる。
「先輩のこともヨッシーって呼びたいくらい」
「うん、やめろ」
俺はきっぱりと断った。
「ケチ。不満、でも我慢」
「図太いな、キアラ」
ブーブー文句を言うキアラに俺は嘆息する。
「先輩のためなら、いくらでも図太くなれる」
ふわあと笑いながらキアラは続ける。
「図太いキアラは可愛い? 駄目?」
「駄目とか言われても」
空気を読めとしか思えん。
そんな俺の気持ちが顔に出ていたのだろう。キアラは悲しそうな顔をした。
「ごめんなさい、悪気はないよ。しょんぼり、反省」
「……それはともかく慶助」
これ以上キアラに構っても仕方ない。
俺は慶助に大事なことを質問する。
「慶助、そういえばお前の持っていた黒いノートやオリジナルの動画は処分したのか?」
「あ、ああ、えーと、うん、大丈夫、しょ、処分したぜ」
そうか、安心した。
そして、もうひとつ。
これを早く聞きたかった。
「廃墟について詳しく教えてほしい」
そう俺が言うと待っていましたといわんばかりの表情で、慶助は鞄からタブレットを取り出す。
「俺が説明するより、こっちを見たほうが早いぜ」
慶助はタブレットでブラウザを起動し、ひとつのサイトを見せてくる。
「オカルト関連のまとめサイト。名前はオカそく。アンダーグランドな巨大掲示板にオカルトちゃんねるっていう専用掲示板があって、このまとめサイトはそこから情報を拾って公開しているんだ」
慶助はひとつの記事をクリックした。
「ここに『必ず幽霊が見られる廃墟を見つけた』というスレッドがあるだろっ。周囲の風景についての書き込みと写真が幾つか貼り付けてあって、それで俺、この廃墟のことだってわかったんだぜ」
得意げに話しながら慶助は続ける。
「これは昔、巨大掲示板で書き込みがあった『本当に危ないところを見つけてしまった・・・』と酷似していているんだ」
慶助は自分を指差しながら言った。
「それで興味を持った住人がたくさんいて、俺が廃墟探索の第一人者ってわけさ」
「それはいいが、まさか俺たちの状況を掲示板とやらに書き込んでないよな」
そう俺の突っ込みに慶助はしどろもどろになる。
「だ、だだだだ、大丈夫! 続報を書き込もうとしたけど祥子先輩に何て言われるか、わからねーし! とりあえず危険なので廃墟には行かねーほうがいいとは書いたけどさ」
コホンと咳払いひとつして、慶助はタブレットを操作して、今度は画像を見せてきた。新聞記事のようだった。
「で、ここの家を図書館の新聞記事検索で調べると、幾つか事件が起こっていることがわかったんだぜ」
新聞記事を拡大してくれた。そこには一人の老婆が殺害されたことが記載されていた。
「ひとつ目の事件。ここに親子が住んでいたみたいだが、高齢の母親が何者かに殺されたみたいで、まだ犯人は見つかっていない。残された娘は、どこかに引っ越したようだ。
その後、買い手がつかなくて放置された家に何人かの学生が肝試しに忍び込んだけど、彼らの多くが不審死を遂げたとか」
慶助は他にも幾つかの記事を拡大して見せてくれる。
「つまり何が起きても不思議じゃない曰く付きの家だったってわけさ」
「肝試しを企画時、御子神先輩にもこの情報を全部、伝えたんだよな。それで先輩がよく決行したな」
そう俺が言うと慶助はばつの悪そうな表情をしたあと、俺から視線を逸らす。
「……おい」
ますます慶助は俺から顔を背ける。
「おい、慶助、こっち見ろ」
そう俺は低い声で言うと慶助は観念したかのようにうな垂れて手を合わせて頭を下げた。
「過去に殺人事件が起こった噂があるらしいって感じで……いや、悪気はねーんだ!
だって詳しく説明したら祥子先輩、肝試し中止にしそうだったし! せっかく肝試しに祥子先輩来てくれるって言ってくれたんだしさあ!
夜のデートって神秘的でロマンチックじゃねー?」
ロマンとかそういう問題じゃない。
犠牲者が出ているのに。
あまりに軽率な慶助の行動にあきれ果てる。
「ね、ね、緑先輩」
タブレットを好きに弄っていたキアラがアイコンを指差す。
「デスクトップにある、この日記みたいなアイコンなに?」
「それは俺の日記だ! 祥子先輩への愛がぎっしり詰まっているんだぜ!」
「き、キモ……気持ちが清々しくなるくらい凄い」
キアラめ、言い換えたな、今。
キモイって言いたかったんだな。
二人とも俺たちの身に起こっていることを軽く考えすぎだ。
――どうしたら君は私の卵を育ててくれるの?
その時、夢の中で見た榛名の言葉を思い出した。
俺は彼らの行動を不謹慎だと思ったが、下手に怖がられるよりは良いのか。
恐怖を感じてしまえば美咲の卵のように成長し、やがては恐怖を糧とした化け物が孵ってしまうのだろう。
彼らは彼らなりに不可思議な現象に耐えかねて現実逃避をしているだけなのかもしれないしな。
突如、甲高い悲鳴が聞こえた。
俺たちは会話をやめて悲鳴のしたほうを見る。悲鳴につられたのか人だかりもできていた。俺たちは互いに顔を見合わせ頷く。様子を見に行くことにしたのだ。
人混みの向こうには遺族の集まる控え室があり、そこに美咲の母親がいた。身体を丸めて泣き喚いている。
母親の背中をさする少女の姿がある。美咲に酷似していた。今まで会ったことはなかったが彼女は美咲の妹なのだろう。
「美咲、どこに行ったのよ、美咲ぃ」
美咲の母親は譫言のように喚いている。
なんだ? 何の話をしているんだ?
「美咲ちゃんの死体がなくなったんですって」「どういうことなの? 誰かに盗られたってこと?」「わからないんですって。惨い殺され方だったみたいだし」「次から次へと不幸が起こって……可哀相よね」
周囲から聞こえてくる声に俺は愕然とした。
「――美咲の遺体が、なくなったって?」