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卵憑ノ巫女  作者: 鳥村居子
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第四話 ひとりめ

 激しい雷鳴が響いた瞬間、電話の着信音が鳴った。

 桐嶋美咲だ。

 

「あのね、お礼を言いたくてさ」


 電話に出るなり、彼女の喜ぶ声が聞こえてきた。


「さっきまで数十分刻みで大きくなっていた卵……殻の表面が真っ黒に変色したかと思うと、ようやく成長が止まったんだよ。きっと猪生の案が効果出たんだと思う」


 不自然に高い彼女のテンションは俺に不安を呼び起こす。


「私、何だかんだで、さっきまで怖くて不安で堪らなかったんだけどさ。ほら、様子見って言ったって、明日まで待たなきゃいけないわけだしさ」

 

 さっきまで怖かった?

 明日まで待つのが不安だったって?

 

 そして卵の成長が止まったって?

 真っ黒に殻の表面が変色した?

  

 嬉しそうに弾む美咲の声音とは裏腹に、俺の頭と心は急速に冷えていく。

 とんでもなく、取り返しのつかないことを、俺は――。


 「卵だ」

 

 あの卵、理由はわからないけれど美咲の恐怖心を糧に育っているんじゃ?

 

参 もし卵が孵ってしまったのなら傍にいてはいけない。生まれた何かに殺されてしまうから

 

 俺は紙切れに書かれていた文章を思い出した。


 卵の成長が止まったって?

 止まったらどうなるんだ?

 

 とにかく美咲に会わないと。


 俺は窓を開けた。さっきまで激しい雨だったのに、やみかけている。

 これなら傘をささないでも全速力で美咲のところまで走っていけそうだ。


「美咲、今どこだ」

「家だけど、そんな変な声を出してどうしたのさ?」


 お前が死にそうだから助けに行きたい。

 そんなこと言えるか!


「どうしたもこうしたもない。今からお前の家に行くな」


 俺の家から彼女の所までは歩いて三〇分くらいだ。


「は? なにいきなり? 何なんじゃん」

「心配なことがある。色々確認したい。気にするな」


 俺は電話しながら階段をかけおりる。財布と鍵だけ持って、そのまま家を出た。

 ぽつぽつ雨の中、電話を切ろうとした俺だったが。


「……待って。切らないでよ、猪生」


 弱々しい声で言う美咲に思い止まる。


「そのまま、あんたと電話したい。今、家に誰もいないんだよ。お父さんもお母さんも、今日仕事でさ」


 縋りつくような声の響きに、


「我が儘だとわかっているけど、お願い」


「別にいいけど」

 断れるわけがない。


 俺は走るのをやめて、歩く速度を速めにする。

 怖がっている彼女をこのままにしておけない。

 俺の推測が正しければ、彼女を不安にさせてはいけないのだ。


 しかし意識してみると、女の子とこうして長く話したことなんてない。

 何を話そう。困ったな。


「猪生、どうしたの? 黙って」

「ああいや、その……」


 ああ、駄目だ。このままじゃよくない。


「何故、美咲はそんなに恐がりなんだ」


 ぱっと頭に浮かんだ言葉を口にする。

 実際に気になっていたことではあった。


「だって美咲は幽霊とか非現実的なことを信じちゃいないんだろ?」

「……あたしね、本当は昔、幽霊を見たことがあるんだ」


 何だって? 幽霊を?


「それはいつ?」

「おばあちゃんが死んだとき。あたしが一〇歳の頃かな」

「どんな幽霊を見たんだ?」


「頭の部分だけ長い髪を生やした、真っ黒でのっぺりした人影。

 蜘蛛みたいに手足がいっぱいあって……。腹回りがぷっくり膨れて……。

 おばあちゃんの部屋の前にいたの。影は私に見られたことに気付いたみたいで、すっと部屋の中に入っていって……そのあと、おばあちゃんは眠るように亡くなったんだよ。

 ……そう、あれは夕方だった。空がとっても、ありえないくらいに真っ赤で……。

 あたし、あの悪いものがおばあちゃんを殺したんだって……ううん」


 美咲の、小さく息を吐くような音がした。


「もしあの影を私が見たりしなければ、おばあちゃんは、まだ生きていたかもしれない。あたしのせいなのかもしれないって、ずっと……」

「それは違うだろ」

 

 考えるより先に声が出ていた。


「仮に美咲のおばあさんが亡くなった理由がその幽霊にあるとしても、美咲のせいじゃない。断言できる」

「猪生……あんたいい奴だね。そう、嫌な思い出……それを思い出したくないから、あたしは幽霊なんていないって、そう思い込もうとしていたんだよ」


 なるほどな。

 過去に幽霊を見たことがあるなら、本物の心霊現象にあえば恐ろしくなるだろう。

 もしかすると本能的に、今俺たちの身に起こっている出来事が本物だと悟っているのかもしれない。


「あたし、あんな怖いものに殺されたくない。おばあちゃんみたいに、死にたくないよ」


 か細い声で美咲は言った。


「大丈夫。殺させない」

「本当? 私のこと助けてくれる? 信じていい?」

「ああ」

「……ありがとう、猪生」


 ようやく美咲が笑ってくれた。


「キアラがあんたのこと、好きなの、何となくわかった気がする」

「何言ってんだ、美咲」


「榛名も……」


 ザアと耳障りな音が美咲の声を遮った。


「? ごめん、聞こえない」


 ザアザア、雑音が混じる。不快な音だ。


「電波が悪いみたいだ……もう一度大きな声で言い直してくれないか」

「……な、……なの?」

「美咲?」

 そう呼びかけた瞬間、

 

「あたしだよ、良かった、会いたかった、話したかったんだよ!」


 声が明るく弾んだ。


「いなくなって寂しかったし怖かった」

「は?」


 わけがわからない。

 突然おかしなことを喋り始める美咲に俺は戸惑う。


「おい、美咲……いきなり何を言い出して……」


「今、どこにいるの? 心配していたんだよ、あたし……本当に……」

 掠れるような声音に嗚咽が混じる。

「会いたいよ。お願い、居場所を教えて」


 俺の質問を無視して、美咲は早口でまくし立てる。


「どうしてこんなことになったのか、ちゃんと説明してよ。そうしてあたしのこと安心させなさいよ、あたしはあんたが……。あんたのことが……なんだから、本当なんだから」


「おい、美咲! 俺の声が聞こえるか? 美咲は一体、誰と喋っているんだ?」



「私だよ、猪生くん」



 カタン、とスマートフォンが俺の指から零れ落ちた。


 今の声は。

 榛名?


 まさか、そんなはずは。

 だが聞き慣れた声を聞き間違えるわけがない。


 何が正しいのか混乱したまま、とりあえず地面に落ちたスマートフォンを拾おうとして――


 視界の隅に一瞬だけ映った真っ黒な手が、雨に濡れたアスファルトを撫でるように動いた。


 なんだ? 目の錯覚か?

 何かを置いていった?


 違和感のその先を見て、ぎょっとする。

 

 ――卵?

 

 これは、俺が榛名から受け取った卵?

 スマートフォンの横に、小さな卵が転がっている。

 そんな、家に置いてきたはずだ。

 どうして目の前に存在しているんだ?


 俺は頭を振った。

 惑わされてはいけない。ここに卵があろうがなかろうが、どうでもいい。

 今考えることはそんなものじゃない!


 とりあえず俺は卵を拾い上げ、ズボンのポケットに突っ込んだ。

 スマートフォンも拾って、耳に電話を当てる。

 まだ美咲は喚いている。


「榛名、え? 振り向いたら教えてくれるって? あんたの居場所を?」


 やはり榛名と会話しているつもりでいるのか、美咲は。


「後ろを向けばいいんだね、わかった」

「やめろ、美咲」


 俺は反射的に叫ぶ。


 このまま榛名と喋らせてはまずい!


「榛名の言うことを聞けばいいんだね」

「振り向くな、言うことを聞くな。普通じゃない」


 俺は嘆願するように美咲に言った。


「今、お前が喋っているのは……」

 榛名じゃない。

 榛名の形をした何かだ。


 酷く嫌な予感がする。

 耳鳴りと目眩に襲われて足元がふらつく。

「もしかして後ろにいるの? 榛名?」

「んなわけないだろうが! 正気に返れ! 美咲!」


 美咲の息を吐く音が虚しく聞こえてきた。


「振り返るな! 頼むから!」

 

 耳をつんざくような金切り声が電話口から聞こえてきた。

 

 叫び声ともわからない、人の声だとは思いたくないような音だった。


「美咲……美咲……!」


 普通じゃない悲鳴に俺は呆然と立ち尽くす。

 電話は切れてしまった。


「何だ?」


 俺は空を見上げた。


「空が……赤く?」


 今まで暗雲に覆われていたのに。

 雲が一瞬で消えたかと思うと、ざっと乱暴に絵の具で塗り替えられるようにして赤く染まっていった。


 息が乱れる。心臓がバクバクとうるさいくらいに自己主張する。

 目の前で起こる不可思議な現象に思考がついていけない。


 美咲の家に行かないと。


 そこで俺は気付いた。


 気付いてしまった。


 車道に出たとき、走行していただろう車が不自然に止まっている。


 なんだ?

 まさか。


 俺は腕時計を見た。秒針が止まっている。


「時間が……止まっている?」


 寒気が走った。


 見知っている景色なのに、突然、知らない世界に放り出されたような感覚に陥る。目眩に似た酩酊めいてい感に倒れそうになる。

 寸前で踏ん張って俺は周囲を見渡した。


 車だけじゃない。人もだ。

 犬を散歩につれている女性、ジョギングしている男性、歩きながら楽しそうに会話している親子。今にも動き出しそうな、躍動感のある体勢だ。


 空を仰げば、ぽつぽつ降っていた雨粒が不自然に浮いた状態で静止している。上空だけじゃない、よくよく見れば、あちこちに雨粒がぷっかりと浮き上がっていた。


 時間が止まっているなんて信じられない。

 だが目の前の現象は、ありえない現実を伝えてくる。

 本当なのか、時間が止まっているなんて?

  

 ――おばあちゃん、死なないで

 

 声が聞こえた。美咲に似た声だ。


「何なんだ、一体」

 

 ――黒い影、怖い。あれは何?

 

 また聞こえてきた。

 俺は周囲を見渡した。だが声の出所はわからない。

 

 ――おばあちゃんが死んじゃった! あの黒い影のせいだ!

 

 この声はどこから聞こえてくるんだ。

 俺は車が止まっているのをいいことに、うまく車を避けながら車道をまっすぐ突っ切った。

 

 ――私が気付かなければ、おばあちゃんは死なずに済んだんだ

 

 まただ、この美咲によく似たような声は何なんだ?

 まるで美咲を幼くしたような、あどけない声音だ。

 

 今度は、癇癪を起こしたような子どもの泣き声が虚しく空に響きわたる。

 

 ワァァァァ、ウワァァァァァァ。

 不気味さを感じるよりも先に、胸がぎゅっと締め付けられるような悲しさを覚える。

 こんな状況なのに、どこかで子どもが泣き続けているのなら、あやしてしまいたいと。

 俺は首をゆっくりと振る。頭がどうにかなってしまいそうだ。


 とにかく美咲の家に行かないと。

 あと少しだ。

 子どもの泣き声が続く中、息切れして足がふらつくのも構わずに一心に進む。

 やがて美咲の家が見えてきて、ほうと一息した瞬間。

 

 ガシャンとガラスの割れる音がした。

 

 はっと音のしたほうを見上げたとき、もみあう二つの人影が窓から飛び出したのを目にする。


 影のひとつは美咲だ。遠くからでもわかった。派手な色合いの髪の毛を振り乱し、真っ白な腕や足を見せつけながら、二階の窓からアスファルトに向かって落ちていく。


 もう片方の黒い影、彼女の手足に絡みつくようなそれは、彼女を踏み台にして空に跳躍した。

 明らかに普通じゃない形に折り曲がった美咲の肢体は、そのまま道路のアスファルトの上に叩きつけられた。


 肉を踏み叩くような嫌な音が響く。


「美咲……」


 間に合わなかった、間に合わなかった!

 近寄らなくてもわかった。

 あんなにバキバキに歪んだ身体になった人間は生きているわけがない。


 俺は走るのをやめた。

 近づきたくない。美咲の死を確認したくない。


 遠くでズル、と何か引きずるような音がした。

 音のしたほうを注視する。


 美咲の家の近く、壁の影に隠れるようにして妙な物体が存在していた。

 さっき、美咲に絡みついていた黒い影だ。

 のっぺりした漆黒の人影に、不自然に頭から生えた長い髪の毛だけが不気味に際立っている。

 それはまるで、さっき美咲が語ってくれた、彼女が昔見たことのある幽霊に酷似していた。


 ズルズルとした音は徐々に大きくなっていく。

 子どもの泣き声がぴたりと止んだ。

 しんと静まりかえった中、俺は黒い影と対峙する。


 黒い影……こいつが美咲を殺したのか?

 なら俺も逃げないと!


 黒い影に背を向け、逃げようとしたとき、風の切るような音がした。

 俺の上空を影が舞う。

 そして逃げようとした俺をあざ笑い立ちふさがるかのように、前に立った。

 鈍い動作で、それが顔を上げる。

 

「は、榛名……?」

 

 長い髪の毛に隠されていた黒い影の顔は、まぎれもなく榛名だった。

 無表情にガラスのような目玉で俺を見つめてくる。

 どうして? 何で、この化け物は榛名の顔をしているんだ?

 黒い影は、のっそりとした動作で近づくと、俺の顔を覗き込んできた。

 

「イノウクンヲコロスノハワタシジャナイ」

 

 そう影は言い残し、黒い手足を、まるで蜘蛛のようにアスファルトに突き立てる。ばねに似た動作で空に跳躍した。家の天井と天井を器用に渡りながら、どこかに去っていく。


「え?」


 置いていかれた俺は呆然と立ち尽くした。

 殺されなかった、俺は、美咲と違って?

 何故だ、どうしてだ?

 

参 もし卵が孵ってしまったのなら傍にいてはいけない。生まれた何かに殺されてしまうから

 

 思い出す一文に俺は愕然とする。

 卵から産まれた化け物は所有者のみを殺すんだ!

 真っ赤な空が元の鬱々とした曇り空に戻っていく。

 俺はそれを確認しながら、さっき美咲が話してくれた言葉を思い返していた。

 

 ――夕方だった。空がとっても、ありえないくらいに真っ赤で……

 

 真っ赤に染まった空、子どもの叫びに泣き声、そのどれも美咲の話してくれた昔話に関連していた。


 そして最後に黒い化け物の顔――あれは榛名だった。

 美咲は最後の電話で榛名と会話していた。榛名のことを心配していた。


 これを整理するに、卵が孵ると時間が止まる、そして卵から産まれる化け物は所有者のトラウマや恐怖を感じていた感情に関連して形作られるんじゃないか?


 まだ推測だ、でも。


「こんなの、許されてたまるか」

 結論は同じだ。


「理不尽に惨たらしく無意味に殺されていいわけじゃない」


 美咲の歪んだ肢体を思い出しそうになり、固く目を瞑った。

 雨が降り出した。

 止まった時間は動き出したようだ。

 徐々に激しさを増していく雨の中、俺は目を大きく見開いて美咲の家を見つめ続けていた。



 間に合わなかった。

 そう、俺は美咲を助けることができなかった。

 

 周囲の人々がアスファルトに叩きつけられて変わり果てた美咲に気付くのに、そう時間はかからなかった。

 あっという間に救急車やパトカーがやってきて、美咲の死体は車で運ばれていった。


 このまま居続けると不審者に勘違いされると思ったが、並々ならぬ様子に集まってきた野次馬たちのおかげで、うまく人混みに紛れることができたようだ。


 そうしているうちに御子神先輩がやってきた。

 勝手に動いた挙げ句に美咲を死なせてしまった俺に、言葉をかけに。

 

「先輩が俺をフォローしてくれるのは有り難いんですが……」

 俺は御子神先輩を見据えながら言った。

 

「どうして御子神先輩はここに? さすがにタイミング良すぎでは?」

 

 ふふ、と御子神先輩は肩を揺らす。


「この霊感少女である私なら異変を察知して、ぱーっとワープくらいできると思わない?」

「はぐらかさないでください」

「はぐらかしてなんてないけど……この辺は信じてくれないのね。がっかりだわ、私の霊能力、まだまだ舐められているのね」

「御子神先輩」

「……う。なによ、あえて話さないことで危険から遠ざけよとする私の意図を察してちょうだいな」


 御子神先輩は少しだけ後ずさると不満そうに答えた。


「察しています。わかって、質問しているんです」


 そう、察している。だがこの状況で隠しごとはしないでほしい。


「そうね、教えてあげても構わないけれど」

 御子神先輩は、少女らしからぬ妖艶な笑みを口元に浮かべる。

「――ひとつだけ条件があるわ」

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