第三話 美咲
「どういうことなのさ!」
学校の授業が終わって、桐嶋美咲が俺のクラスに入ってくるなり、そう叫んだ。
他のクラスメイトたちが怪訝な顔をして、こちらを見つめてくる。
「何で誰も榛名のこと、覚えてないんだよ!」
「それは俺が聞きたい」
俺と榛名は同じクラスだったはずだ。
俺は、榛名が座っていたはずの席をチラと見る。
そこには、まるで今まで誰も使っていなかったかのように汚れた空き机が存在していた。
クラスメイトも先生も榛名のことを覚えていなかった。
まるで最初から榛名の存在がなかったみたいだ。
榛名のことを覚えているのは、俺たち、廃墟に肝試しに行ったメンバーだけだ。
「とりあえず今日は部活を休め。学校に一番近い俺の家で、例のメンバーだけで情報を整理しよう」
◆
俺の家につくなり、俺は早速みんなを自分の部屋に案内した。
そんな俺の気配に案内して、ひょっこりと自室から顔を覗かせてくる秀義がいた。
「えっと、お菓子やお茶は、いつ頃持っていけばいいかな」
「いいよ、秀義。気を遣うな。あと、しばらくできれば部屋に近づくな」
「ああ、兄さん。そういう年頃だしね。女の子もたくさん来ていたしね。わかったよ」
「ちげーよ。そういうのじゃないから。とにかく頼むな」
秀義のからかいを適当にあしらいながら、俺は部屋に入る。
「御子神先輩は?」
そう慶助に言うと、床に座り込んでいる彼はゆっくりと首を横に振った。
「ほんっと~~~うに残念だけど、用事があるから今日は無理だってさ」
慶助は暗い声音で続ける。
「それと……祥子先輩も有珠さんから卵を受け取ってしまったみたいだぜ」
「――そうか」
半ば想像していた通りなので、そこまでショックは受けなかった。
「独自で調べることがあるから、こっちに来られないってさ」
独自で調べる、ね。
「それから祥子先輩から、ありがた~い言伝を預かっているから言うぜ。……これは本物の呪いだから、普通の人間が何をどうしても無駄だから下手に動くな、とさ」
呪いねえ。
あの先輩が言うのなら本当なんだろう。
そういえば、榛名の家の前にいた不審な男も俺に向かって、そんなことを言っていたな。あいつ何者だ?
御子神先輩は、心霊現象に詳しく、実際に悪霊祓いすら行えるほどの人だった。
そんな人ですら、こんなに簡単に呪われてしまったのだ。
俺たちで、たちうちできるのだろうか。
だが、それをわざわざ口にする必要はない。
俺は不安を表に出さないよう、わざと乱暴な動作で座り込む。
緊張しきった空気を壊すかのように慶助が言った。
「はあ、俺さ、今日、全然祥子先輩成分足りてねーの。飢えて乾いてキツイわけよ、わかるかい、みんな?」
「わかるわけないじゃん! こんなときにふざけるなよ! たまには空気読めじゃん!」
美咲は顔を歪めて慶助に怒鳴る。慶助はヤレヤレといった動作で美咲から顔を背けた。彼は彼なりに、みんなの緊張を解そうとジョークを言ったのだろうが逆効果のようだ。
「動画……もう一回見た。有珠先輩はいなかった」
既に部屋に入っていたキアラは蒼白な顔をして呟いた。
「どうして、あの時、気付かなかったんだよ」
キアラに続くようにして美咲は言った。スマートフォンを取り出し、小刻みに震える指で操作する。
「スマートフォンにも履歴はなかった。今まで電話やメールのやり取りもしていたはずなのに」
ディスプレイを凝視しながら美咲は続ける。その目は潤んでいた。
「あ、あたし、榛名の友達で一緒に遊んだはずで! その事実は覚えているけど、細かいことを思いだそうとしたらモヤモヤするんだよ!」
美咲はスマートフォンをぎゅっと握りしめた。呂律の回らない口で言った。
「榛名のこと、本当に好きだったんだよ、とても優しくてそれで……でも好きだった感情は残っているのに、どうして好きになったのかは覚えてないんだよ!」
「それは俺も同じだ。榛名のことは覚えている。だけど、彼女とどうやって過ごしてきたかが細かく思い出せないんだ」
そう俺が言うと美咲は耐えきれずに泣き出してしまった。手の甲や指の先はファンデーションやマスカラで汚れ出す。
「なんで……どうしてこんな目に……何が起こっているんだよ、誰か教えるじゃん」
キアラは嗚咽する美咲の背を何度もさすっていた。本来、そういう役割は榛名のはずだった。
でも、榛名はここにはいない。
「キアラも平気か」
そう俺が言うとキアラは無表情に返答した。
「私は平気。うまく状況が読み込めていない。だから逆に怖くない」
怖くない、ね。
意外だな。
キアラは触れたら壊れそうなくらいに華奢で、肝試しの時だって青白い顔をして子犬のようにブルブル震えていたのに。
今はどこか上の空でありながらも淡々と状況に対処しているように見える。
意外といえば美咲だ。
肝試しの時だって平気な顔をしてズンズン進んでいたのに、今となっては青白い顔をして唇を大きく震わせている。背を丸めて身体を小さくするようにして子どものように怯えていた。
「そうか。じゃあ慶助、もう一度紙の切れ端と黒い日記帳を出してほしい。まだ処分していないよな」
そう俺が言うと慶助はコクリと頷き、無言のまま黒いノートと紙片を広げた。
再度、俺は紙片を読む。
壱 卵憑ノ巫女に出会ってはいけない。不幸になってしまうから
弐 もし卵憑ノ巫女に出会ってしまったのなら卵を受け取ってはいけない。
やがて卵から何かが孵ってしまうから
参 もし卵が孵ってしまったのなら傍にいてはいけない。生まれた何かに殺されてしまうから
肆 もし殺されたくないのなら卵憑ノ巫女を見つけて卵を返せばいい。
彼女は、あなたのすぐ傍にいるのだから
卵。
卵憑ノ巫女。
何度も出てくるキーワードだ。
今回の件、やっぱり卵が関わっているんだ。
俺は重く息を吐き出すと、みんなに言った。
「……抵抗あるかもしれないけど、それぞれ受け取ってしまった卵も出してほしい」
最初に卵を取り出したのは慶助だった。
鞄から出てきたのは何の変哲もない卵だ。
ほんの少し表面が薄汚れている。
俺もキアラも卵を出した。
多少の大きさの違いはあるが、全て鶏の卵ほどのサイズだ。
だが美咲だけが、なかなか出そうとしない。
「美咲? どうしたんだ?」
そう俺が呼びかけると、美咲は、わっと泣き出した。
彼女は大きく腕を振るわせながら鞄から卵を取り出した。
震えのせいか、卵は掌からこぼれ落ちてしまった。
ゴロンと卵は床に転がる。
美咲の卵は異様に大きかった。
赤子ほどのサイズだ。
おかしいのは大きさだけじゃない。
まるで血で塗りたくられたように真っ赤だった。ひび割れているかのように見えるほど、殻に髪の毛も混じり込んでいるようだ。
「どうして……?」
美咲は声を震わせながら言った。両手で顔を覆いながら喚く。
「どうしてよ! 何故あたしのだけ、みんなと違うんだよ!」
「最初から、この大きさだったのか?」
そう俺が質問すると美咲は激しく首を横に振った。
「違うに決まっているじゃん! だんだん大きくなっていったんだよ!」
「だんだん大きく? 美咲、卵に何をしたんだ?」
「何回か川とかに捨てただけじゃん。それ以外にはとくに何も……」
「それで卵はどうなったんだ」
「気付くと卵はあたしの近くに戻ってきていたよ。でも、それだけだし!」
「学校に行っている間は? こんなに大きくなっていたら隠し場所にも困るだろ。押し入れにでも仕舞っていたのかよ」
その言葉に美咲は唇を噛みしめた。両目から大粒の涙がボタボタと零れ落ちた。
「さっきも言ったじゃん! 家に置きっぱなしにしていても、気付くとあたしの近くにあるんだよ。体操服を入れる鞄の中や、教室の隅、ゴミ箱の中……あたしが移動しても気付くと視界の隅にチラチラと入ってきて……ずっと、あたしにつきまとっているんだよ!」
顔を引きつらせながら俺を睨みつけて、美咲は泣き叫ぶ。
「何よ、あたしが悪いっての? あたしが卵を捨てたから? そんなの違うに決まっているし! ……そ、そうだよ!」
美咲は立ち上がると慶助に掴み掛かった。
「何とかしろよ、慶助! あたしたちを肝試しに誘ったのは、あんたじゃん! あんたのせいだ!」
「そうだけど、俺も悪いと思っているけどさあ……」
俺は美咲と慶助の間に割り込むと、二人を引きはがした、
「喧嘩はやめろ。俺も美咲に色々質問して悪かったよ。ごめん」
ぎこちない空気になり、俺たちは黙り込んだ。
美咲は力なくその場に座り込む。
かける言葉も見つからず俺は視線をさ迷わせる。
やがてポツリとキアラが呟くように言った。
「先輩たちも……卵を有珠先輩から受け取ったってこと? 私と同じように?」
俺が、うんと頷くとキアラは顎に指を添えた。少し考え込む素振りを見せたのち、細い指を紙片に向けて言った。
「ほら、この文章」
弐 もし卵憑ノ巫女に出会ってしまったのなら卵を受け取ってはいけない。やがて卵から何かが孵ってしまうから
「有珠先輩から卵を受け取ったっていうのなら、つまり有珠先輩は卵憑ノ巫女」
「そんなはずない! 昔から榛名はあたしの友達だったんだよ!」
美咲の反論にキアラが冷静に返した。
「だけど動画に有珠先輩は映っていなかった。肝試しをした時点では、有珠先輩という少女は存在していなかった。そっちが正しいのでは?」
キアラは感情のない声音で言う。
「私たちの記憶……認識のほうが間違っているんじゃ?」
「じゃあ、あんたは、こんな変な文章のほうを信じるって?」
美咲に責められてキアラは困ったように眉をひそめながら首を傾げて言う。
「でも文章の通りに変な卵が存在しているのは事実」
「もうたくさん! 誰でもいいから何とかしてほしいんだけど!」
そう美咲が泣き叫んだ途端、ピクリと美咲の卵が揺れ動く。
驚いた俺たちは一斉に美咲の卵から距離を取った。
卵は生きているかのように左右に揺れ蠢いたあと、むくむくと内部から膨れあがるようにして大きくなった。
「なに……これ……なんなのよぅ」
美咲の声音が虚しく部屋に響く。
俺も同じ気持ちだ。何故、美咲の悲痛な叫びに反応するかのように卵が大きくなったのか。わけがわからない。
だけど、ここで俺が怯えてしまえば皆を不安にさせてしまう。
俺は速まる鼓動を押し殺して言った。
「榛名は消えた。俺たちは彼女から卵を受け取った。その卵は、こんな風に不気味な動きを見せている。これは事実だ。だから何もかも否定しちゃ先に進まない。この文章が正しいと仮定するとして色々試行錯誤しよう」
俺は不気味な文の書かれた紙片を指でなぞった。
肆 もし殺されたくないのなら卵憑ノ巫女を見つけて卵を返せばいい。彼女は、あなたのすぐ傍にいるのだから
「この文章を見るに、助かりたければ卵憑ノ巫女とやらに自分の卵を返せばいいと書いてある」
俺の言葉に美咲は怪訝そうな表情をする。
「もしかしたら卵憑ノ巫女は、榛名みたいに、まるで今まで存在していたかのように擬態して、今でも俺たちの傍にいるのかもしれない」
「つまり、あたしたちの中に、卵憑ノ巫女がいるってこと?」
美咲の言葉に俺は自嘲の笑みを浮かべながら答える。
「そうだ、もしかしたら俺こそが卵憑ノ巫女かもな」
さっと青ざめてしまった美咲を宥めるように俺は続けた。
「あくまで仮定の話だ。そうすると、ここの箇所、殺されたくなければ身近にいるかもしれない卵憑ノ巫女に卵を返せばいいと書いてある。卵憑ノ巫女とやらが榛名に化けていたのなら今回も俺たち友達の中に入り込んでいる可能性が高い。なら卵を一旦、ここにいるメンバー全員に返す動作をすればいいんじゃないか?」
みんなの顔を見回した。
「この中の誰が卵憑ノ巫女であろうとも全員に卵を返してしまえば、わざわざ卵憑ノ巫女が誰かなんて考える必要はない。それで問題が解決するかわからない。でも、やってみる価値はあると思う」
物は試しでもあったが、どちらかといえば美咲の心を落ち着かせるためのものだった。
プラシーボ効果というのもあるし、これで少しは気持ちが和らげばいいのだが。
俺たちは順々に己の卵をみんなに返すような動作で渡していく。
一巡したあと、俺は言った。
「とりあえず自分の卵は一度持って帰ろう。一晩様子を見て、それでも何の動きもないとしたら、また考えよう」
「一晩なんて待てないしー。しかもこれで何もなかったら御子神先輩が怪しいってことじゃん? だって、今日、先輩だけここにいないもんね?」
美咲が不満そうに唇を尖らせた。
「決めつけはよくないな。色んな方向性で考えよう。……それに動画について突っ込むなら、俺たちは動画に榛名が映っていないことに気付けなかった。それは逆にいうと、俺たちの認識は最初から信用ならないんだ。今も、俺たちは動画について気付いていないことがあるのかもしれないしな」
「義忠の言う通りだぜ。単純に映っていねーってだけの話なら、カメラ係の俺は動画に音声しか入り込んでねーしなっ。動画を信用しすぎるのも駄目だろ」
慶助が賛同してくれたので安堵して俺は言った。
「とにかく今回はこれで明日まで様子を見よう」
「……明日まで……明日まで待てばいいんだよね。それでいいんだよね」
そう言って縋るような美咲の視線に不安を感じながらも俺は重く頷いた。
それで、その日は解散になった。
本当にこれで大丈夫なのか?
玄関、みんなを見送りながら俺は考えていた。
もっと何かできたんじゃないか?
あまりに付け焼き刃すぎる俺のアイデアなんて何の役にも立たないんじゃないか?
最後に帰ろうとした慶助を送ろうとしたとき、彼が靴を履きながら、俺を見上げた。
「義忠がいて助かったぜ。正直、俺ひとりだと、みんなパニックになっていたと思うからさあ」
そう慶助は言いながら靴の紐を結んでいる。
「こんなこと言うのもアレだけど、お前人に好かれやすいから。もちろん、俺もお前がいて良かったって思えるしなっ」
「人に好かれやすいって……あれは俺が極端に背が低くて童顔だからマスコット扱いとしてからかわれているだけだ、誤解するなよ。それに昔、俺は……」
「ああ、知ってるって。いつも可愛い可愛い好き好き連呼していた先輩に、義忠が本気になって告白したら『勘違いさせてごめ~ん、そういう意味じゃないの』事件のこと。何度も話して貰っているから覚えてるっつーの。義忠も色々こじらせているよなあ」
「こじらせてない! あ、あれは勘違いした俺が悪いんだ!」
俺は、どもりながら言った。
「それに、そんな風に俺に言葉をかけられるなんて……慶助は余裕があるな。今の状況、怖くないのかよ?」
「うん? 怖くないぜ? お前がいるからなあ」
「は?」
慶助は立ち上がると俺を指差して言う。
「誰かしら引っ張ってくれれば冷静でいられるもんさ。一人だけじゃ何もできないけど、リーダーがいたら頑張れる気がする。そういうのって、義忠も経験あるだろ?」
「俺、リーダーになったつもりはないんだけど」
「はははっ、そうだなあ」
軽やかに慶助は笑った。その明るい笑顔に少し心が落ち着く。
「しかし、そう言う義忠だって、なかなかに冷静だよなあ」
そう慶助に言われて俺は肩をすくめて答えた。
「実害が出たわけじゃない。変な卵だって最初は不気味だったけどな。気にしたってしょうがないし、やれることやるしかないだろ」
「有珠さんについては……変なことされて平気なのかよ?」
慶助の質問に俺は一瞬だけ呼吸を止めた。
今も思い返せば彼女の笑顔が鮮やかに浮かんでくる。
平気、ね。
平気なわけがない。
彼女の存在が曖昧だとしても嫌いになれない。なれるはずもない。
どこにも彼女の存在の痕跡はない。あるのは俺の記憶だけ。
榛名を思い出せば、ふわりと浮かび上がるような、持て余すようなこの気持ちが沸き上がる。
この感情も偽りのものかもしれない、それでも。
「正直、平気じゃない……美咲と同じように俺も榛名とは親しくしていた気持ちがあるからな。だけど、それも、いつまでも引きずっても仕方ないだろ」
「お前ってばさ、去年くらいからそんな感じで……ん? あれ?」
「どうした?」
「いや、何でもねー。俺は義忠の、そういうがむしゃらなとこは見習いたいぜ」
肩を揺らして慶助は笑う。
「それじゃ、桐嶋だけが怖がっているんだよなあ。どうにかしてやりたいなあ」
慶助は帰っていった。
彼がいなくなってからも、俺は自室で慶助の言葉を何度も思い返していた。
「桐嶋だけが怖がっているんだよなあ。どうにかしてやりたいなあ」
何故、こんなにあいつの言葉が気になるんだ?
夕方から夜にさしかわる時間帯、激しい雨が降り出し窓を叩く。
その音を鬱陶しく思いながらも、俺は考えを深める。
桐嶋美咲。
彼女だけが怖がっていた。どうにかしてやりたいと慶助は言っていた。
待て。
俺は思い違いをしていないか?
今回の件、彼女だけが異様に恐怖を感じていた。
そして彼女の卵だけが大きく育っていた。
その繋がりは――
激しい雷鳴が響いた瞬間、電話の着信音が鳴った。
桐嶋美咲だ。