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最終話

 気がついた先は病院で、外は明るかった。


「雪成!」


 両親に抱きしめられた。しかし、俺には感動も何もわいてこない。


 時計を見れば時刻は午前八時。日付を跨いだのだと理解するのに、数分要した。


「佳織は……?」


 両親の動きは、電池が切れたロボットみたいに止まった。


「佳織はどうした……? 佳織に会わせてくれよ!」

「佳織ちゃんは……」

「雪成君、歩けるかな?」



 母さんの言葉を遮り、白衣を着た初老の老人が現れた。俺を見てくれた医者なのだろうと思う。


「はい、歩けます」


 自信はないけど、なんとかなる。


 ベッドから降りると、生まれたての動物みたいに倒れ込む。足に力が入らないんだ。


 床に手を付き、歯を食いしばって立ち上がった。そして、歩き出す。


 俺はその医者に、病院の奥の方に連れて行かれた。片隅という表現がよく似合う、人気のない場所だった。


 廊下の突き当たりにあるドアが目的地なんだろう。案内用のプレートは掛けられていたが、わざと見なかった。


「覚悟を決めなさい」


 医者はドアを開ける。覚悟を決めなさいと言いながら、その時間さえくれないじゃないか。


 それもそうだ。だって俺はわかってるんだから。


 白い部屋に白いベッド。まるで死者を悼んでいるみたいな場所。ベッドの上には少女が横たわっていた。綺麗なほどに明るい笑顔は、今にでも起きてきそうだ。そんな笑顔をしたまま、彼女は安らかに眠っている。


 ベッドの傍らには佳織の両親がいて、悲しそうな目で俺を見た。


 怒鳴ってくれても、殴ってくれても構わないとさえ、俺は思った。


「君のせいではない。仕方なかったんだ。君が生きていただけでも、素晴らしいことだと思わなければいけない」


 佳織のお父さんは手で目元を覆いながら励ましてくれた。この人がどれだけ苦しんでいるのか、俺には計れない。


「ほら、綺麗な寝顔でしょう? 見てやってね?」


 今度は佳織のお母さんに急かされて、ベッドの横に立つ。両親には、揃って涙の跡が見えた。


「佳織……」


 指先で、頬に触れてみる。冷たい。


 手の平で、頬に触れてみる。冷たかった。


 撫でてもつねっても微動だにしない。


 彼女はもう、戻ってこない。


「なんで……なんでこうなったんだよ……。お前の言う通りにしたよ、助けを呼んだよ、なのになんで……」


 床に膝を付いて、彼女の胸に顔をこすりつけた。


 後ろのドアが、静かに閉まる音がした。


 その瞬間涙が、溢れてきた。笑っている彼女に、笑ってあげたいんだ。それでも、こんな状況じゃそれもできやしない。


 手で、布団で涙を拭うが、際限なく溢れてくる。


 彼女の心臓に生はなく、それは彼女自身がいなくなった証拠。認めたくない、完全なる死。


 冷たくなった彼女と、見ていることしかできない俺。この温度差が胸を締め付けて、喉から声が出ない。音もなく溢れていく涙が、二人を濡らしていた。そして俺は、飽きる事なく泣き続けた。


 ひたすらに彼女のことを想いながら……。


 それから俺は、生きる人形でしかなかった。


 ただ生活をするだけの人形。当時の自分を振り返れば、表現的には適切だろう。


 退院しても変わらない。葬儀の間も変わらない。普通の生活に戻っても、俺は人形のままだった。


 そんな俺を見かねた西園先輩や周りの友人たち、両親にも励まされ、迷惑をかけながら、一年経ってようやく気持ちが立ち直った。


 佳織のご両親からは「佳織のことは忘れなさい」と言われたけれど、それをすぐに行使できるほど、俺は強くなかった。だから、沙希先輩を見る度に思い出してしまう。


 一年前に比べれば、立ち直ったかもしれない。でも、俺はまだ沙希に伝えていない。あの時、佳織が言った言葉を。


 当時は自分自身をどうにかするので手一杯だった。遅くなったけど、今言おう。


「佳織から、伝言をあずかっている」

「佳織から? そんなの、今まで一言も言わなかったじゃない!」

「すまない。都合のいい話かもしれないが、俺は自分のことしか考えられなかった。友達も減ったし、精神的にも不安定だったんだ。だから、今言うよ」


 先の反論がないことを確認し、俺は口を開いた。


「沙希ちゃん、いろいろとありがとう。貴女の姉でいられて幸せだったよ。それと、好きな人にはちゃんと想いを伝えてね? 貴女に、幸あれ」


 あのとき、佳織が口にした言葉を、一語一句間違えずに伝えられたはずだ。


 彼女は知っていたのだろう。自分の命が、もう長く保たないことを。だからそんなことを言ったのだ。俺は彼女の言葉を聞いたとき、絶対に死なせてなるものかと思っていた。そうすれば、こんなことを言わなくて済む。でも、無理だった。


「それが、姉さんの最後の言葉なのね」

「そうだ。遅くなってすまない……」


 足がすくんでしまっていたんだ。


 沙希先輩が近くにいると、佳織を思い出してしまうから。この目で捉えただけでも蘇るこの気持ちを、どう抑えればいいかわからなくなってしまう。


 俺はずっと、恐れていたんだ。恐れていたのは、松永沙希という少女ではない。自分の中にある、佳織に対しての気持ちが揺らいでしまうのではないか、ということ。


 沙希の頬に、一筋の光が見える。


「泣いてるのか?」

「ええ、そうね」


 沙希は俺の胸に飛び込んできた。


 ワイシャツを緩く掴んで、俺の胸に鼻を擦りつける。


 一瞬何が起きたのかわからなかったが、その懐かしい香りに、少しだけ気が和らいだ。今まで抱えてきた辛苦が溶けていくような、そんな気持ち。


「私は、姉さんと貴方を見ててうらやましかった。楽しそうに振る舞う姉さんはすごく素敵で、あんな風にさせる貴方も、きっと素敵な人なんだろうと思ってた」


 ワイシャツを掴む指に、力がこもる。


「でも、貴方は姉さんを事故に巻き込んだ。私はどういう顔をしていいかわからなくて、ただ貴方の顔を見ると姉さんを思い出してしまう。そんな自分がまた許せなかった」


 涙を拭い、彼女は体をはなす。


「貴方に心惹かれていたのを、姉さんは知っていたの。だからそんなこと言ったのね」


 俺の目を一直線に見つめる瞳は、透き通っていて美しい。佳織が俺を見つめるときもこんな瞳をしていたが、似ているだけで同じではない。


「でも今は違うわ。私は姉さんの、佳織の代わりにはなれないし、なりたくない。私の中のあの人を、私は壊したくないの」

「そう……か」


 言わなくてもわかっているはずだから、あえて言わない。


 この腕が、いまだに宙をさまよっている。俺は彼女を抱き留めることなど、できはしない。


 二人の間に風が通り抜けると、密着が解かれたのだと理解した。


「さあ、帰りましょう」


 何事もなかったかのように、彼女はそう切り出す。


 ただ、過去を分かち合っただけ。それだけの時間なのだから。


 少し目は赤いけれど、数時間後には元通りの彼女に戻る。


 教室を出て行くとき、沙希先輩は一言だけ、こう言った。


「今度のお墓参りは一緒に行きましょう。姉さんが、寂しがっているわ」


 一年前の笑顔がそこにはあった。久しく見ていなかった沙希先輩に会えて、俺は少しだけ嬉しくなった。


 解けないはずの氷が溶けた。それが今、顔に表れている。


「ああ、次はちゃんと笑顔で会いたいもんだ」


 俺を置いて、沙希先輩は生徒会室を出て行った。清々しいその表情は、こちらを爽やかにさせる。もう、彼女は大丈夫だろう。


 佳織と沙希は、両極端。けれど仲が良く、似ている部分も数多かった。笑顔だって、似ているけど違う。


 ひまわりのように明るく天真爛漫な笑顔と、月下美人のように繊細で凛とした笑顔。


 俺もそろそろ歩き出さなきゃいけない。


 いつまでも、佳織に迷惑を掛けたくない。引きずって、囚われて、彼女が望んだ『俺の幸せ』を、掴みに行くんだ。


 今俺は、本当の意味で立ち直ったのだろう。


 恋人の死から一年が経ち、沙希先輩と会話をし、ようやく戻れる。その先に佳織はいないけれど、俺はずっと君を忘れない。


 ひまわりの花言葉のようにはいかないかもしれない。でももう少し、もう少しだけ、君を好きでいてもいいですか?









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