表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

五話

 熱もさがり、今日からまた登校しなければならない。休んでいるときは元気になりたいのだが、元気になったらそれはそれで、学校には行きたくない。理由は勉強がしたくないからというだけじゃなく、松永先輩の顔を見たくないというのもあった。


 誰もいない家を出て、学校へと向かう。近所に同級生などもいないため、独りで登校するのも慣れた。俺の登校時間が若干早いのも相俟って、知り合いと遭遇する確率は低かった。


「そんな顔して歩いて、悩み事でもあるの?」


 小さな十字路の右から、西園先輩が現れた。また面倒なのと出くわした、なんて思ってはいない。


「おはようございます」


 軽く挨拶だけ済ませて、直進しようとした。


「待ってよ。一緒に学校行くくらい、いいでしょう?」


 俺の右側に張り付いて、同じ歩幅でついてくる。何を話すわけでもなく、顔を覗き込むわけでもなく、ただただ歩いている。小言でも言われるかと思ってたが、予想に反して大人しい。


「聞いてもいいかな」

「え、ええいいですよ」


 と思っていた矢先に話し掛けられた。


 前方を向いたままなのが、少々気がかりだ。


「君は、あの子のことが好きだった?」

「……あの頃は、好きだった」

「今は?」


 それを俺の口から言わせようとするのか、この人は。


 いや、大丈夫。昔よりも、俺はきっと強くなっている。彼女が望んだように。


「今も好きだよ。忘れたいけど、忘れられないくらいにはね」

「あの子、まだまだ愛されてるね」

「そんなことを聞いて、どうするつもりなんですか?」

「私はあの子の親友だよ? 気にもなるわ。でもね、あんまり引きずらない方がいいと思う。君には君の人生とかもあるし」

「そう簡単に忘れられないんですよ……」


 会話はそこで終わってしまったが、心なしか西園先輩は笑顔だった気がする。


 西園先輩も悪い人ではなく。俺が泣きたいときには胸を貸してくれた。一年前はそこまで近しい存在でもなかったのに、現在は非常に近くに感じている。


 今隣にいるのは西園先輩なのに、違う誰かを思い浮かべてしまう。


 登校時も下校時も、待ち合わせをしては一緒に学校に行った。


 風になびいた長い髪を、左手で耳にかける。その仕草はいつ見ても飽きなくて、いつ見ても綺麗だと思えた。


 いつでもこちらを向いて「雪成、今日はどこに行こうか?」なんて、言ってくれることを願ってしまう自分がいる。そんなこと、絶対にない。


 無言のまま数分歩き、学校に到着する。どうやら松永先輩と登校時間が一緒みたいだった。


「おはようございます」

「ええ、おはよう羽柴君。それに西園さんも」

「沙希ちゃんおはよう。今日も凛々しいね」


 事務のような挨拶を済ませた松永先輩は「そんなことありませんよ」とだけ言い残し、ひとり校舎に入っていった。


「……」


 西園先輩は、松永先輩の背中を悲しそうに見つめていた。


「西園先輩?」

「ん? どうしたの?」


 何にもないよ、と彼女の表情が答える。


 信じよう。きっと見えない何かと戦っているのは、二人とも一緒なんだ。


 西園先輩とは学年が違うため、下駄箱で別れた。


 一日が、妙に短く感じる。一つの事柄に囚われるとが時間に影響を与えるなんて、過去に経験済みだった。


 一年程度では変われない。今でもまだあの人を忘れられないから苦しんでいる。それはきっと西園先輩も一緒なんだ。


「生徒会委員へ連絡です。今日の放課後、生徒会室に集合してください。繰り返します――」


 そんな校内放送で現実に引き戻された。


「よし、行くか」


 教室の外は、下校の支度をする生徒でにぎわっていた。そのほとんどがすぐに帰るわけでもなく、友人たちとの雑談に興じているのだろう。


 そんな姿を横目に、俺は生徒会室に向かう。


 しかし、生徒会室に着いたところで、俺には特にやるとこがない。生徒会の委員が全員集まっても、だ。


 新参だというのもあるが、単純にやる気がない。ただ、それだけの話。


 結局思っていたように、話は俺の関係ないところで着々と進んだ。俺は言われたことだけやっていればいい。


「ちょっと、羽柴君」

「え? 俺ですか?」


 教室から出ようとしたとき、松永先輩に呼止められた。


「少しだけ話があるの、残ってもらえる?」


 思わず「俺に?」なんて聞こうとしたが、その後の返答が予測できたので、あえて何も言わなかった。


 他の生徒に入り口を譲り、自分が元いたイスに座る。


 委員も役員も、全員が部屋を出たのを確認した松永先輩は、俺の向かいに腰掛けた。


 テーブルを挟んだ反対側に、わざわざイスを運んできてまで対面に座るなんて考えもしなかった。


「それで、俺に話ってなんですか? 俺もできるだけ早く帰りたいんですけど」

「別に早く帰る必要はないでしょう? 彼女がいるわけでもなく、両親も夜勤ばっかり。特に趣味もなくて、ただ生活をするだけ。そうでしょう?」

「手厳しいですね。でも、早く帰って休みたいんですよ。それだけじゃいけませんか?」

「それでもいいけど、このまま早く帰っても、考え込むだけだと思うけど……」


 昔からそうだ。この人には、敵わない。


 何があっても動じず、折れず、へこたれず。まるで、大違いだ。


「きっとまだ抜け出せてないんだろうなと思った。だからこの前は様子を見る意味も込めて、夕飯を作りにいったのよ」

「意外に優しいんですね」


 苦笑いしながら、そう突っ込んでみた。


「苦しんでるのはみんな同じ。自分だと思ってないし、思っても欲しくない。私が言いたかったのはそれだけなの」


 動じない。


 立ち上がってイスを戻すと、彼女は平然と入り口に歩いていく。


「それでもさ……」


 馬鹿にされたような気がして、思わず反論してしまった。


「俺、アイツのこと好きだったんだよ。ずっと一緒にいたいと思ったんだよ……!」


 言うつもりなんてなかった。ここ最近で、松永先輩と急速に接近しすぎたかもしれないな、なんて頭の片隅で思う。


「好きだった? その好きな人を守れなかった人が、いったい何を言ってるの? ひとりでは立ち直れず、忘れることもできなかった腑抜けのくせに」

「立ち直れなかったのは本当に申し訳なかったと思うけど、忘れることが全てじゃないだろ! あの人は、お前の姉だろうが!」


 俺の言葉を受け止めて、松永先輩は拳を握り込んだ。その手が、体が、微震をしているのがわかった。


 性格は違えど、松永佳織と松永沙希は瓜二つだった。佳織がいなくなっても、沙希を見る度に思い出してしまうんだ。あの、楽しかった時間が蘇ってくる。またあんな時間を過ごせるんじゃないかと、胸が高鳴る。でも、それは絶対に有り得なくて、自覚してしまうとまた辛くて、どうしようもなくなるんだ。その気持ちを、俺は西園先輩と共有したんだ。彼女もまた、親友を失って泣いていたから。


 松永先輩は勢いよく振り向いた。その顔は怒りに満ちて、それでいて悲しんでいる。眉間に皺がよっているわけでもないし、涙を流しているわけでもない。しかし、その瞳には思いが込められていた。


「私はね、佳織と一緒に生まれて、十七年間ずっと一緒にいたの。私なの。私の一部だったの! 貴方にこの気持ちがわかる? 自分の半身が失われるような、こんな気持ちが!」


 力強い足取りでこちらに向かってきたかと思えば、息がかかる程の距離まできていた。


「言ったじゃない! 苦しんでるのも悲しんでるのも、寂しがってるのも貴方だけじゃない! 私だって貴方と同じ、いえそれ以上に辛いのよ!」


 佳織は大らかで、人の後ろからついていく女の子だった。


 沙希は強気で、人の前に立ち先導する女の子だった。


 そんな二人だから「足して二で割れば丁度良い」とまわりから言われていた。彼女が言うように、二人で一つだったのかも知れない。


「貴方があの日、佳織と遊びに行かなければ、私も私の両親もこんな思いをしなくて済んだ! 親友だった西園さんもそうでしょう! 自分がしたことを棚に上げて、辛いなんて言わないで!」


 俺は目を閉じて、思い出す。


 一年前のあの日、普通に約束をして、普通にデートをするはずだった。


 沙希先輩は笑顔で見送ってくれたし、西園先輩も応援してくれた。だから、楽しい一日になるんだろうなと、楽観視していた。それが、普通だから。


 俺はその辺にいるただの人だし、佳織だって例に漏れない。この世に生きている人は、誰もがそうだと俺は疑わない。


 幸せだった。


 そのまま、幸せが続くと信じてやまなかった。


 緩く繋いだ手に、少しだけ力を込めた。瞳を見つめれば、彼女は照れくさそうに握りかえしてくれる。そんな優しい時間だった。


 俺たちを乗せたバスは発進し、目的地の遊園地に向かう。珍しくもない見慣れた光景を眺め、ちょっとした景色の変化に指を差しては会話を紡いでいった。


 そして二十分もかからずに街を抜けて、トンネルに入った。


 窓際に座った彼女は、微笑のまま外を眺めていた。


「トンネルの中って、何か寂しくなるんだよね。暗いからなのもそうだけど、電灯も小さくてさ。日の光は見えるけど、遠くに感じてしまう。車だからいいかもしれないけど、歩いたらどれだけかかるんだろう」


 長い長いトンネルの中で、彼女はそう言う。そしてそろそろ出口だというところで、バスは大きく揺れた。


 バスが揺れたとき、必死な顔をした彼女が、弾かれたように俺を押し倒す。しかし、意識はそれ以上保ってはくれず、落ちてくる目蓋には抗えなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ