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三話

 目覚めは、よくなかった。


 全身のいたるところに重い鎖を付けられたみたいで、動きたくない。だが学校もあるし、担任の言いつけで生徒会にも入ってしまった。


 立ち上がった瞬間、足下がふらつく。


 マズイ、と思い布団に手をつき、倒れるのを防いだ。


 金槌で頭を何度も何度も叩かれてるような、そんな痛みが走る。実際そんな経験はないが、きっとこんな感じなんだろう。それに気持ちが悪くて、今にも吐きそうだ。


 自分がこんなにも重い風邪をひくなんて、思ってもみなかった。


「とりあえず薬を……」


 おそらく両親はいないし、自分でなんとかしなければ。


 自室にある飲みかけのペットボトルや、CDの山を倒しながらも部屋を出る。這いずりながらも階段を下るが、足や腹を段差にぶつけて、青あざになっているかもしれない。でも、今はそれどころではなかった。それに、薬を飲むならば何かを胃に入れる必要がある。


 リビングを通過し、なんとかキッチンに到着。常温で保存してあるバナナを胃に詰め込んだ。食欲はないし、一口一口が苦痛だ。


 コップに水を汲むが、全部飲み干せなかった。


 リビングに戻り薬を飲むと、そこで限界が近いことを知る。


「ヤバイ、目が……」


 視界がかすみ、リビングの床に倒れ込む。拳で床を叩き、意識を奮い立たせる。壁を使って立ち上がり、体を揺らしながら自室に戻った。


 母親に電話をし、学校へ連絡を取ってもらおう。


 ベッドの上で携帯を操作し、なんとか任務を終えると、俺の目蓋は落ちてくる。


「ああ、もう無理かな……」


 そう呟いたあとの記憶は、ない。






 自分の咳で目を覚まし、頭痛と吐き気を再認識した。それと同時に、呼び鈴が鳴っていることにも気付いた。


 朝よりはよくなっているのか、なんとか立ったまま階段を下りる。しかし軽快に、とはいかなかった。


「はい……」


 解錠し、ドアを開ける。そこには思いがけない人物がいて、俺は息が詰まった。


「こんにちわ、いえこんばんはでいいかしら」


 それは、生徒会副会長の松永沙希先輩だった。そしてその時始めて、夕方だということを知る。


「ちょっと、台所を借りるわよ」


 俺を押しのけて、家の中に入ってくる松永先輩。しかし、俺が病気だということを知らないでの行為だろうか。いや、知らなかったこんなことはしないんじゃないだろうか。


「ちょ、ちょっと!」


 俺が呼止めると松永先輩は振り向いて、機嫌が悪そうにこう言った。


「何? 私が夕飯を作ってあげるっていうのに、拒否するの?」

「そうでなく、なんでここに? それに夕飯って……」


 数秒考え込んだ彼女。何かを思い付いたように顔を上げ、不敵に頬笑んだ。


「お昼にね、貴方の教室に行ったのよ。今日の生徒会はお休みってことを伝えようと思って。放送でもよかったんだけど、ちょっと機器の調子が悪くて。それで貴方を呼んだら、今日は休みだって言うじゃない? 結構重い風邪らしいって言われたから、こうして来てあげたの」


 言いたいことだけ言って、彼女はキッチンに消えた。


 俺はその場に座り込んで、天井を見上げる。


 何故、松永沙希がここにいるんだ。目で追っていたことでもバレたのか?


「いつまでもそんな所にいないで、夕食ができるまでリビングで寝てて」


 床と壁に手を付き、立ち上がった。壁を伝ってリビングへと行くが、それだけでも体力の消費が激しい。額の汗を拭い、ソファーに腰掛ける。


「はい」

「……?」


 差し出されたのは、コップ一杯の水とタオルだった。


「それだけあれば保つでしょう?」


 そしてまた、彼女はキッチンに戻っていく。


「一体なんなんだよ……。何が目的なんだ……」


 わからない。彼女が何をしたいのか、この状況を受入れようとしている自分が。もう全てが……。


 考えすぎて回る視界に吐き気を覚え、目を閉じた。


 真っ暗の中でも回る。


 目が回っているのか、暗闇が回っているのか。


 もう、どうでもよくなってくる。


 もう、どうでも、よくなって……。


「できたわ。起きて頂戴」


 冷たい物が目元を覆い、驚いた俺は勢いよく上半身を起こした。


「濡れタオル如きで驚かないで。はい、ちゃっちゃと食べちゃって。洗い物まで済ませたいから」


 目の前には茶碗に盛られたおかゆがある。これを、彼女が作ったというのか。


 脇には漬け物も一緒に置いてあった。たしかうちの冷蔵庫にはなかったと思う。それも彼女が買ってきたののだとすると、用意がよすぎる。


「先輩は……?」

「私は家で食べるわ」


 沈黙。


 俺はただスプーンを動かし、彼女はただそれを見ている。


 他には、何もない。


「なんでかな」


 ふと、彼女はそう呟いた。


「なんの話ですか?」


 そして俺はそう返す。


 彼女は溜め息を一つ吐き「なんでもない」と言ってテレビを付けた。


 ゴールデン番組をつまらなそうに見る彼女を横目に、俺はおかゆを食べ続けた。


 漬け物には、手を付けなかった。一日中何も口にしてないので、消化の悪い物を食べると腹を壊しそうだったから。


「ご馳走様でした」

「食べ終わったの? それじゃあ片付けるわ。片付け終わったら帰るから、心配しないで」

「いったい何の心配だよ……」


 食器を運ぶ前に風邪薬を放られた。少しばかり目眩はするものの、受け取ることはできた。


 彼女は一瞬だけこっちを見やってから食器を持ち上げる。その瞳は、汚い物を見るような感じだった。軽蔑し、侮蔑し、憎んでいる。そんな、悲しい瞳。


「それを飲んで、片付けが終わるまでソファーで横になってて。私が帰った後で鍵を掛けないといけないから」


 キッチンから聞こえてくる声に「ああ」とだけ返した。


 物好きな女だなと、心底思う。俺と彼女の関係は、上級生と下級生でしかない。接点と言えばこの間入ったばっかりの生徒会だ。


 彼女は成績もよくて、みんなから頼りにされる存在。俺は特徴もない、ただの一般生徒。


 恋人でも友達でもない、完全なる赤の他人。挨拶をする程度。いや、それ以下。


 ――過去さえ、引っ張り出さなければの話だが。


「さて、私は帰るわね。鍵、ちゃんと閉めてよ?」


 寂しそうにしていたカバンを持ち上げて、リビングを出て行く。俺は小さくなって、その後についていくだけ。

「そうだ」


 ドアを開け、思い付いたかのように振り向く彼女。


「お鍋におかゆの残りがあるから、お腹が減ったら食べなさい。それじゃあ」


 また、あの瞳を向けてくる。俺は何も言えず、彼女の行動を見守ることしかできなかった。


 彼女が一瞥してドアを閉めると、俺はよろけながらも鍵を掛ける。


「酷い目をしやがる……」


 その日、俺が最後に呟いたのはそれだった。


 リビングの電気がついているなんて知るものかと、階段を上った。


 どこの電気が点いていただろうか。階段を一段上る度に、どうでもよくなってくる。考える気力も、少しずつなくなってきていた。


 部屋に入っても、ベッドに倒れ込むだけ。身じろぎをするのと一緒に布団を体の上に持ってくる。


 掛け布団は乱れ、違和感が伝わってくる。しかし、眠れないわけでもなく、このままでいいと目を閉じた。


 目が回る。


 暗闇の中で、ただそこに存在してるだけなのに、黒い空間が高速で回転しているのがよくわかった。


 体が熱い。


 一日中寝ていたし、汗もたくさんかいた。薬も飲んだはずだが、熱は一向に下がろうとはしなかった。


 細く目を開けて、天井を見る。そこに理由なんてなくて、この寝苦しさをごまかそうとしているだけにすぎない。再度目を閉じては、やがて来るであろう睡魔を待つ。


 全身が沼に沈んでいくような、そんな感覚に包まれ始めた。


 高熱で寝込んだときは、夜中に何度も目を覚ましてしまう。きっと今眠っても、深夜に起きるだろう。何回も何回も、眠っては起きての繰り返し。朝だと思って外を見たって、景色は真っ暗のまま。幸福を感じるはずの睡眠時間が、地獄のように感じる時間。


 ゆっくりと、入眠していく。


 俺の意識が、途切れた。

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