ニコチンの旦那
俺は極度のヘビースモーカーだ。
1日に40本はざらである。おかげさまで顔色は青白く頬はこけて、地獄に佇む死神と疑われても当然と思われる風体を身に纏っている。
街じゅうに行き交う人びとは常に俺の顔を見ては、苦悶の表情を浮かべて一歩遠ざかりながら通り過ぎていく。俺が何をしたって言うんだ。痴漢魔や強姦魔さながらの顔をしているからって実際にその様な行動を起こすとは限らないだろう。
人間とは先入観の塊だ。俺は絶望の中に微かに灯る虚栄心に身を任せながらタバコに火をつけた。
心地よい。
あくまで俺がたばこを支配しているのだ。ニコチン依存?阿呆らしい。
俺は俺の意志でたばこを吸うのだ。
そう思いながら俺は深い夜を支配したデーモンの様に活き活きと自宅へ足を運んだ。
しかしその様な豪語を積み木の様に積み重ねてみても実際には10分おきに一本はたばこを吸わないと脳みそが酸欠状態に陥るのが現状だ。
結局は自己欺瞞なのだ。
1時間も我慢すれば、ねずみにかじられたチーズのように頭がすっからかんになり、肺が悲鳴をあげ、ニコチンの文字に支配される。
性欲よりも睡眠欲よりも深い欲求に。
俺の身体が激しくニコチンを要求する。
ドラキュラが生き血を求めるが如く、おれの理性の上にあぐらをかいて君臨し、おれの持つ全ての決定権を奪い去っていく。
おれがニコチンを欲するのは俺の意志じゃないのか。
だとすれば俺を動かしているのは俺じゃないのか?
悪魔が俺を動かしているのか?
彼の自意識は脆いジェンガの様に崩れさっていった。
いやそんなことはない。
そんなことはないはずだ。
きっとおれは俺の自由な意志でたばこを吸っているはずだ。
そう言いながら次々にたばこを手に取っては火をつけ永久に出口の見つからない迷路に迷い込んだねずみの様にその動作を繰り返した。
気づけば灰皿は吸い殻で山盛りになっていた。
俺は絶望に打ちひしがれた。