柳桜
今回は紗羅の目線ですね(/・ω・)/
人には、運というものがあって、それがまったく味方になってくれない時がある。
そういう時はどうしたらいいのだろう?
縁側に正座したまま、屋敷の庭をじっと見ている紗羅の耳に聞き慣れた風音が聞こえた。
強引のようで、どことなく様子を窺うどっちつかずの空間が生み出す風のない空間はおもしろい。台風の目のような、何もない空間のようで。
「紗!!おはよう。学校行こうっ」
元気の良い声は清々しい朝にはぴったりだ。
「おはよう、駿」
立ち上がって、駿の方に行こうとしたら、何かが足に巻き付いたような感覚があった。だが、何も巻き付いてはいない。立ち止まった僕の方を駿がいかぶしげにこちらを見てきたので、心配させまいと、早々に駿の元へ行く。
駿は僕の一つ下の学年だ。けれど、出会った日から、なんの苦も無く教室まで送ってくれる。そうしてくれと頼んだ覚えもないし、父が頼んだわけでもないので、本人の好きなようにしているのだろう。迷惑、というわけでもないから放置だ。
なんだか、足元がもぞもぞする。落ち着かない。いつもなら、眠くなるのに、それがやって来ない。なにをそんなに気を張っているのだろうか、と自分のことだが他人事のように思う。まあ、いつものことだが。
騒がしい教室を見るのはいつぶりだろうか。耳に響く女子の声。無駄に騒がしい男子の声。廊下を行き交う人の足音。全部が久しい。
うだうだと机に俯せる自分に話しかけてくるものはいない。そもそも友達という者がいない。いなくても困らない。忘れ物をすることもないし、勉強だって十分追いついていける。一人だろうと、関係ない。
そのうちに先生がやってきて、あんなにうるさかった生徒は静かになり、廊下には人子一人いない空間であると、空気が教えてくれる。
「栫ー」
いつもの先生の声に、机から状態を起こす。
別に文句を言う者はいない。
帝の側近の息子。その立場は暇であるなんてことはない。ちょくちょく父と共に公共での行事に参加することが多い。故に、一般の者よりも仕事量ははるかに多く、その上帝の周りの者と面識があり、公共としての顔も認められている。たとえ学生の身分であるとしても、だ。だから先生も強くは言ってこない。生徒に関しては暗黙の了解だ。実力も知識も地位も文句のないほどだ。逆に、文句を言ってくる奴の顔が見たい、といったところか。
なんだか、今日はいつもよりダルい。病気とかそういうんじゃなくて単純に、空気が重いからだからだろうか。
それにしても変だ。今日は穏やかな気候で、春らしい季節なはず。
ダラダラと学校生活を送り、学生が楽しみにする昼食の時間がきた。
「紗!!」
教室に響いた声に教室にいた者が、声のした教室の前方入口を見た。そこにはあ、元気いっぱい活力みなぎる駿の姿。
「なに?」
「昼食食べようぜ」
「・・・・僕は昼食食べないから」
「それじゃあ、体持たないぞ」
「いらない」
困った顔をした駿から視線を逸らすように、横を向くと、駿は近くの机の椅子を引っ張ってきて、僕の机の向かいに椅子を設置し、座った。
「じゃあ、ゼリーやるから、これくらい食べろよ」
ゼリー、か。これなら、食べれるかもしれない。
というのも、食べない、といったのは気分や習慣ではなく、正確に言えば食べれない、だ。朝よりずっと調子が悪いようで。この澱んだ空気がどこから来てるのか分からない今、対処のしようがない。
大丈夫か?とそっと尋ねてきたきた駿に驚いた。それが顔に出ていたらしく、苦笑された。
「何かあったのか?」
声を潜めて聞いてくるのは、周りに悟られたくないと僕があんな言い方をしたからだろうか。
「・・・・空気が悪い」
「ゼリー、食べれる?」
「大丈夫」
プラスチックのスプーンを袋から出して、ゼリーの蓋をめくった。ゼリーは冷たくて、スプーンですくって食べれば、冷たいものが喉を通るのが分かる。そうして、どことなく火照っていた体もひんやりと涼められていく気がした。
「美味しい?」
「ん」
「オレ、そのゼリー好きなんだ」
それでは、駿の好物を僕が取ってしまったということか。謝ろうを口を開きかけた時、ニッと笑った駿が、だから家にたくさんあるんだ、と言った。
「だから、紗にも御裾分け」
「・・・・ありがとう」
いろんな意味を込めてそう言った。
昼食を摂り終えれば、自然と休み時間のモードに皆切り替わっていく。朝同様の騒がしさが教室や廊下を満たすと、駿はどことなく嬉しそうになった。それを見ているとなんだかこちらまで、わけの分からないまま幸せな気持ちになってしまう。心は複雑だ。
「紗、大丈夫か?」
そう声を潜めて聞いてくる駿に答えないままジッと廊下を見る。
こうして、ジッと見れば、”みえる”のだ。空気の流れが。
常に神聖な空気を持つ那智学園は活力に溢れている。けれど今はどうだろう。澱んだ空気はおよそ四〇パーセントだ。珍しい。
しかしながら、ここは自分の関与する領域ではない。ここは神官が関与する領域である。自分にできるのは、せいぜい式を飛ばすことのみ。
駿に気付かれないよう式を神官長の雪水のところまで飛ばした。
神官長とは面識がある。父に連れられて、よく会うからだ。そして、神官長から、直々に君は神官になるだろう、と言われた。これを聞いたのは自分ただ一人。父を通して言わなかったのは何故だろうとは思うが聞けなかった。
「紗?体調が悪いなら・・・・」
「大丈夫。少し・・・風に当たってくる」
席を立つと、視界がぐにゃりと歪んだ。よろめくとすぐに駿が支えてくれた。
「紗、やっぱり・・・・」
「いや、ダメだ・・・。まだ、やることがある」
自分の役割は全うする。確実に。でなければ自分に示しがつかない。
ゆるぎない意志を見たせいか、駿は、風に当たるんだよな?と確認を取ってきた。頷くと、教室から連れ出してくれた。
「どこ行けばいい?」
つくづく勘の良い男だ。
「屋上」
「了解」
言うなり、ぐいっと抱き上げられ、咄嗟に駿の首に腕をまわしてしがみつく。
「なっ、何っ!?」
「しっかりつかまってろよ!!」
自分を抱き上げる駿の腕に力がこもったと思ったら、すごい勢いで階段を駆け上がった。
よくもまあ、男一人抱き抱えたまま階段を上れるものだ。
あっという間に屋上に着いた。そよ風程度の風を感じながら、後ろを振り向く。給水タンクの前に黒装束
を着た二人の御影が立っていた。
「雪水様からは?」
「こちらで早急に対処する」
「そう・・・・か。僕になにかできることは?」
「早急に休むこと、だそうですよ。見るからに具合悪そうですね、栫様」
猫を肩に乗せた御影の一人は楽しそうにそう言った。
神官長も、余計なお世話だ。自分の体調ぐらい自分で管理できる。今日はただ、予想外の事態だっただけだ。
「・・・失礼する」
そう言って屋上を後にした。そんな僕の後を駿は無言でついてきた。先程の状況、まったく分からなかっただろうに。聞きたいが聞けない雰囲気を出したまま駿は僕の体調を気にし始める。
このくらいの澱んだ空気に当てられて倒れるなど、考えたくもない。
「駿、大丈夫だ」
「・・・・うん。でも、紗、本当に・・・本当にダメだと思ったら、呼んで。ちゃんと迎えに来るから」
「・・・・心配症だな。お前も雪水様も」
なぜそこで神官長の名前が出てくるのか怪訝に思った顔をした駿
だったが、深くは突っ込んで来なかった。
放課後、この澱んだ空気に御影達が早急に対処するとは言ったものの、一向に減る様子はない。増える様子もないのだが。だが、空気が濁っていると本当に不愉快だ。
迎えに来た駿が僕の顔を見た瞬間、不安そうになるのさえ、見たくないのに。
「紗・・・」
「口説い」
ばっさりと言い放つと、駿は口を噤んだ。
早々に学校を出て帰路につく。皆馴れた街並み。変わらない街並み。見飽きたとは言ってもそれがいきなり変わっては怖い気がする。
なぜかぞわぞわと嫌な予感が僕の足を速くした。
「紗」
後ろから呼ばれて、ピタリと足を止める。
「なに?」
「音が・・・消えてる」
「音?」
いつも通りの街はいつも通りの音を奏でている。車の音、人の話し声など、絶えず音が聞こえているというのに。
そこまで思って、気付いた。
風が不規則だ。
どこかで歪んだりしていて、ひどく気持ち悪い。
「なに・・これ・・・・」
呟いた瞬間、前方から人の悲鳴が聞こえた。急いで駆け付けると、もうすでに人だかりが出来ていて、更なる不規則な風が押し寄せては引いていく。その感覚に気持ち悪くなりながらも、人を掻き分けて前へと出る。
そこには、人が倒れていた。その人を中心に赤い液体が円形に広がり出ている。目がチカチカして、倒れそうになるのを、後ろにいた駿が受け止めてくれた。
「紗、行くよ」
無理矢理連れられて人混みを出て、さっさと裏路地へと入った。少し歩いて、そこそこ綺麗な場所に出て、更に歩けば森の入り口へと来た。自然の風の動きが規則正しくて、今日久しぶりに安堵した。
「紗、ここ座って休んで」
近くにあった茶屋の椅子に無理矢理座らされて、駿は茶屋の中に顔を出した。
深呼吸をすると、ぐるぐる気持ち悪かったものが一気に抜けていったようだ。
「はい、お茶」
スッと差し出されたお茶を有り難く受け取った。
「落ち着いた?」
「うん。ありがとう、駿」
そういうと、駿は心底嬉しそうに笑顔になって頷いた。
お茶を飲み終わる頃、駿が、さっきの事件は今一番有名な事件だね、と話し出した。
通り魔殺人事件、だ。全く、この世の中物騒だな、なんて思って駿の話に耳を傾ける。
「まだ、捕まっていないのか・・・・」
厄介だ。騒がれているのならば、神官達が駆り出されるが、大体は神官が駆り出される前に御影が事件を片付けてしまう。なのに、御影が未だ犯人を捕まえられない。ということは一筋縄ではいかない手ごわい相手だ。
「紗はオレが守るよ」
「知ってる」
僕の答えにいちいち目を輝かせる駿に、どこか居た堪れなくなってくる。
「あ、紗、もう帰ろう。日が暮れるよ」
「・・・ん」
勘定は駿が済ませ、家へと僕を送り届けると、駿は安心したように笑顔で帰って行った。
皇居地区は安心できる。いつでも御影の目が光っているし、出入りにも条件がある。
だが、それがない街の者達は今日のように何かに巻き込まれる可能性が大きい。それは危ない。神官が毎日巡回をしているのも頷ける。
平和、とは・・・尊いものだな、と未だ低い位置にある月を見て、思った。