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遠回りな男の場合


名前:ギルモア・エリゴール・デル・ベアル(以下略


年齢:約824000


職業:城主




 恋をした。

 とても苦い、恋だった。


 そもそも「恋」なんて言葉、性欲を綺麗事で誤魔化しているだけだろうに、どうして……

 彼女がぎこちなくひっそりと笑うほど、私の中には苦い苦いオリが溜まっていった。愛しいとか、切ないとか、そんなモノは知らなかったのに。

 知りたくなかったのに。




 白銀と黒鋼の甲冑が入り乱れ、血と怒号が飛び交う戦場を、縦横無尽に翔け抜ける小鳥がいた。

 夜の色をした長い髪を靡かせ、白い翼で風を切る。白く華奢な体を白銀の甲冑で被い、獲物を射抜く目は底知れぬ闇色。そして、返り血よりも鮮やかな、紅い唇。

 聖とも邪とも、一目では判断しがたい容貌の女だった。だが、単純に美しいと思った。


 戦場で女に見惚れて動きを止めるなど、迂闊としか言いようがない。彼女は当然私に斬り掛かり、私はその攻撃をどうにか凌ぐ。

 そこでようやく、私は彼女が天界の聖なる眷属──つまり我が敵だと認識したのだった。


 剣撃を激しく打ち合い、辛うじて肩口に一太刀浴びせる。切りもみして墜ちていく彼女を見届ける私も、手足に浅い傷をいくつか負っていた。

 宙に浮く小島のひび割れた荒れ地に降り立って、蹲る彼女の横腹を蹴り転がした。仰向けになった彼女の白い顔は血に塗れて、浅く覚束ない呼吸を繰り返していた。

 だが黒い瞳には、何の感情も見て取れなかった。痛みも、敗北の屈辱も、私への憎悪も、死への恐怖すらも、なかったのだ。

 変わった娘だと思った。


「お前は、何のために戦ったのだ?」


 返事はない。まるで息をしているだけの人形のようなその様を、もどかしいと思った。

 その間にも、奴ら特有の治癒力によってかなり深かったはずの肩の傷さえじわじわと塞がっていく。

 聖なる眷属は、その魂を完全に破壊してしまわなければいくら外傷を与えたところで死ぬことがない。それでもまだ、彼女が回復し動けるようになるより先にトドメを刺すのは容易いことだった。

 にもかかわらず、私はそれをしなかった。


 殺すのが惜しいと、そう思ったのだったかはわからない。生け捕りにして延々と嬲りものにする気にならなかったのは確かだ。

 私は彼女を捨て置いて、乱戦の中に戻った。


 剣に改めて邪気と瘴気をこれでもかと注ぎ込み、キラキラと鬱陶しい髪色をした聖の眷属共を、その甲冑も魂も一緒くたに斬り捨てていく。蚊柱のように徒党を組むくせに、手応えすらない奴らだった。

 彼女はたった一人で向かってきたというのに。


 思わず彼女を残してきた辺りを見下ろすと、我ら魔の眷属の死骸が散乱する中にぽつりと、白い翼と黒髪があった。手負いと見て襲ってきた連中を返り討ちにしたようだった。

 面白い娘だと思った。


 不意に、彼女が顔を上げた。白い顔を血糊が彩っている。ずっと遠く、豆粒ほどにしか見えないはずなのに、その闇色の瞳としっかりと目が合った。

 闇の奥。微かに光ったのは、歓喜か、狂気か。

 ぞくりと、心臓が震えた。あの闇の奥に息づくモノが欲しいと、思ったのは間違いなくこの時だった。



 彼女が『異端』であることは、あの日の短い邂逅だけでも十分に察せられた。

 他の奴らのように群れることをせず、むしろ遠巻きに陰口を叩かれ、それを嘆きも怒りもしない。甘ったるい花の香りに囲まれた四阿で、ただぼんやりと一日を過ごす。戦場での勇壮さは形を潜め、平穏の中にぐずぐずと融けていってしまいそうだった。

 そんな彼女を改めて見るにつれ、募るのは呆れと苛立ちだった。


「お前は……一体、何なんだ?」


 私の声は届かない。それもそうだ。いくら私でも、天界に直接乗り込んでは肉体も魂も一瞬で弾け消えてしまう。

 考えた末に私は、みすぼらしい憐れを誘うような鴉を送り込み、その目を通して彼女を見ていた。我ながらいい案だった。

 彼女の周りにはその同族は近付かず、代わりに鳥や獣が憩うていたから、紛れ込むのは簡単だった。それすらも、愚かなる聖の眷属共は「獣が似合いだ」と嘲笑っていたのだから。


 彼女は私が送った鴉を何故だか気に入ったようだった。何物にも興味を示さない娘だと思っていたので、これは意外だった。

 白く細い腕や肩に止まらせ、闇色の瞳で覗き込んでくることもよくあった。

 彼女は私を見ているわけではないのに、その度に腸からぞわぞわと例えようのないむず痒さがこみあげてきて、私は鴉の見ている景色を素早く意識から追い出した。その後で「何故私が目を逸らさねばならぬのか」と腹を立てるのもいつものことだった。


 これを恋だと、言えるだろうか──

 否……否だ。



 それから幾度となく彼女と剣を交え、殺しかけ時に殺されかけた。戦場でまみえる彼女はやはり勇猛で、美しくて、虚ろだった。

 「アレは因縁の相手だ」と「アレを殺すのは私だ」と、周囲には言い含め、それでもわからぬ馬鹿共は私個人の敵として容赦なく葬り去った。

 彼女を殺すのは私だと、確かに思っていた。だがあの闇色を前にすると無性にもどかしく、せりあがってくる殺意以外の何かに、興を削がれてしまうのだ。

 あと一撃。それで彼女は終わる。いつでも殺せるのなら、また次の機会でいいではないか。

 何度自身にそう言い聞かせただろう。


 何度、『次』を願っただろう。


 九十九度目の対戦。

 私は初めて、彼女を生け捕りにした。意図したわけではない。私はいつものように血塗れで動けなくなった彼女を見下ろして、その場を去ろうとしたのだ。

 だが闇色の瞳の奥にいつか見た微かな光が揺らめいて、彼女は紅い唇を片側だけ不器用に引きつらせて笑ったから。気付けば私は彼女を抱いて、戦場を飛び出していた。


 人間界の山奥を選んだのは、そこの空気ならどちらもある程度耐えられると踏んだからだ。

 けぶるような雨が降っていて、私は彼女の体から血を洗い流した。濡れた黒髪を撫で、冷えた白い肩を抱き締める。

 とっくに回復しているだろうに、彼女は一切抵抗しなかった。

 ただ私の腕の中で、ひっそりとぎこちなく笑うだけだった。


「……辱められている、自覚はないのか?」

「……?」

「我らは敵同士だろう。抗う者を蹂躙してこそだと言うのに、お前は……」

「その方が、いい?」

「……いや」


 心底不思議そうに首を傾げる彼女に、調子が狂う。

 否、調子は初めからおかしかったのだ。

 私が彼女に対し抱くのは、魔の眷属として当然の支配欲や苛虐心。庇護欲などで、あるはずがない。


 不意に暖かさが増して、気付けば彼女の細い腕に抱き締められていた。


「……な、にを……」

「……貴方は、鴉ね?」

 鴉の眼を通して何度も覗き込んでは目を逸らした闇色が、まっすぐに私を捕える。

 心臓が、苦しい。彼女は私を見ていたのだと、喜びが腸を掻き破る。幸せに焼かれる痛みは甘く、私が私でなくなっていく。

 視界が霞んでも、彼女が驚愕するのはわかった。彼女は私の手を取り、爪を細い首筋へと誘う。

 温かいモノを浴びて、意識は急速に浮上した。


 新たな血溜まりに沈む彼女は、それでも弱々しく笑っていた。胸にまた小さな痛みが走って、私は慌てて抱いた暖かな想いを意識から追い出す。

「……無事か?」

「気遣いなんてしたら、また、消滅しかける……」


 私は魔の眷属。愛や慈しみとは無縁の存在。そんなモノを胸に抱けば、私自身を否定してしまう。

 知ってしまった。


 知りたくなかった。


「もう、何も言わなくていいから……」


 彼女は笑って、また私の手を取る。紅く彩られぬるつく首を絞めながら、貪るように口付けを交わした。

 呼吸すらままならない彼女は痛ましくも扇状的で、私は至福に苛まれた。

 愛情は私の身を焼き、彼女を癒す。癒えた彼女を傷付け邪気と瘴気を注げば、今度は私が癒えていく。



 端から見れば、きっと私たちは救いようのない愚行を犯していたのだろう。だが私も彼女も、救われるつもりなどなかったのだ。

 このまま互いに限界まで消耗して、最期に愛を告げ合えば、どちらの魂も消えてしまう。その確信があった。私たちは、自ら進んで破滅を選んだ。



 けれど、嗚呼──


 記憶は朧気で、バラバラだ。

 遠ざかる彼女。呼ぶ声。

 伸ばす手は空を切り、雷が我が身を引き裂いた。




 ──私は、待っている。

 最期の時を。


 終わらせられなかった、苦くて甘い恋の結末を。

 あんな半端な終わりを、終わりとは認めない。

 自らの手で幕を引くために、私は、待っている。





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