幕間 二
〜深夜、曇天〜
星一つさえ見つけられない暗雲垂れ込めた夜空を大きな影が音もなく飛んでいく。だが影が飛ぶのは鬱蒼とした山林の上空。気付く者など、居はしない。
影が少しずつ高度を下げると、ようやくその輪郭が朧気にだが見えてきた。
女だ。
服も髪も真っ黒で、白い顔と少しだけ覗く手足、そして背中に生えた白い翼だけが、ばらばらに宙に浮いているようにさえ見えた。
女は翼をはばたかせることはせず、ただ風を受けほとんど滑空しているようだった。燃費のいい悠々とした飛び方にも見えるが、実のところ、女の翼はもう動かせないのだ。もう何日飛び続けているのだろう。
山肌がいよいよ近付いてくると、女は最期とばかりにもがいた。が、その瞬間純白の翼は、パズルのピースが壊れるかのように風切羽の先端から次々と抜け落ち、霧散してしまった。
途端にのしかかる重力に抗う術なく、女の細い体は木々の中に突っ込みいくつもの枝を折りながら湿った腐葉土の上に崩れ墜ちた。
寝床を荒らされた鳥がパニックで鳴き叫ぶ。それに驚いた別の鳥がまた騒ぐ。
俄かに騒然となった森がようやく元の静寂を取り戻した頃。女はむくりと起き上がった。
体が動くことを確かめ、胸に抱いているモノが自分とは別の鼓動を刻み続けていることを何度も確かめると、安堵の息を吐く。
女はふらふらと覚束ない足取りで、道すらない斜面を歩いていった。
誰にも見つからないとわかってはいても、いや、本当はすべて見透かされているとしても、ともかく早くこの【欠片】を安全な場所に隠してしまいたかった。
あの男のお陰と思うと腹立たしいが、この森まで予定よりも早く到着できたのはありがたかった。翼がなければ日数は倍以上かかっていただろう。
辿り着いたのは、巨大な老木の根元だ。ゴツゴツと苔蒸した幹は、大人が十人手を繋いで一周できるかどうかというくらいに太く力強くそびえていた。
その老木の根が隆起した股の部分に女が手を翳すと、そこが微かに光った後、人一人がすっぽりと収まるくらいの洞が現れた。中では、青白い炎を纏った闇が蠢きながら規則正しく脈打っている。
女は自分の心臓の辺りに両手を当てると、何かを掴むようにぐっと握りしめ、その手をゆっくり洞へと差し入れた。開いた掌の上では、青白く光る【欠片】がゆらめいている。
【欠片】は女の手からふわりと浮き上がり、闇の中に飛び込んでいった。青白い炎が蛇の舌のように伸びて【欠片】を取り込み、闇は一際大きくドクリと跳ねた。
女はそれを見届けると、全身の力を抜くように長い息を吐いた。笑みを浮かべた唇に、いつもの鮮やかな紅はない。血の気の引いた白い顔が痛々しい。
それでも、女は幸せそうに微笑っていた。
「……これで、全部」
誰に向けたわけでもなく零すように呟いて、最後にもう一度手を翳せば、洞のあった場所は枯葉の吹き溜まりに変わった。
力尽きたように、女はその枯葉の中に膝を着いた。長い睫に縁取られた瞼がゆっくりと下りていく。細い体を樹の根に預け、女はそのまま意識を手放した。
女の体の下、隠された洞の中で、青白い炎を纏った闇はトクトクと脈打っている。
新月の夜、樹の股から生まれるモノは、静かにその時を待っていた。