第1話『……あの、助けてほしいんです』
春の朝は、どうしてこうもやる気だけを置き去りにしてくれるのだろう。
校門前に立った瞬間、すでに帰りたい気分になっている自分に、軽く絶望する。
俺――朝倉 恒一は、これといった特徴のない普通の高校二年生だ。
成績は中の中。運動も中の下。顔も、まあ鏡を見るたびに「無難」という言葉が浮かぶ程度。
唯一の特徴を挙げるなら、女運が異様に悪いことだろう。
過去には、
「好きな人がいるの」
と言われた三日後に、その“好きな人”が俺の友達だったこともあるし、
告白しようとした相手が、ちょうど転校前日だったこともある。
神様、俺に何か恨みでもあるのか。
「おーい、朝倉」
後ろから、聞き慣れた声がした。
「今日も顔が死んでるな」
振り向くと、そこにいたのはクラス唯一の友達枠、宮本 恒一郎。
名前が似ているせいで、入学初日からセット扱いされている男だ。
「朝から元気だな、お前は」
「そりゃそうだろ。今日は購買で焼きそばパンが入る日だぞ?」
……こいつはこいつで、幸せそうである。
◆◆◆◆
昼休み。
教室は騒がしく、弁当の匂いと笑い声が混ざり合って、いつもの空気を作っていた。
俺はというと、購買戦争に敗れ、机に突っ伏している。
そのときだった。
ガラリ、と教室の扉が開く音がする。
担任かと思って顔を上げると、そこに立っていたのは――
長い黒髪を後ろで一つに結んだ、細身の女子生徒。
制服の上に、生徒会の腕章。
目は少し垂れ気味で、頬はほんのり赤い。
生徒会副会長、春野先輩だった。
校内でも有名な“奥手で静かな先輩”。
話すところを見たことがある人の方が少ないくらいだ。
そんな人が、なぜか俺のクラスに来ている。
教室が、ざわっとする。
「え、生徒会?」
「何しに来たんだ?」
「誰か呼び出し?」
春野先輩は、視線を泳がせながら、一歩、また一歩と教室に入ってくる。
そして――なぜか、一直線に俺の机の前まで来た。
心臓が嫌な音を立てる。
「……あ、あの」
春野先輩が、小さな声で言った。
「朝倉、くん……ですよね?」
「は、はい」
返事をした瞬間、周囲の視線が一斉に突き刺さる。
……どうして先輩が俺の名前を知っているのかは、今はまだ分からない。
「その……少し、お時間……もらえますか……?」
声が、かすれている。
まるで、勇気を絞り出しているみたいだった。
◆◆◆◆
俺たちは、校舎裏の人通りの少ない場所まで移動した。
春野先輩は、両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、俯いたまま動かない。
「……何か、用ですか?」
そう聞くと、春野先輩は、びくっと肩を震わせた。
「その……えっと……」
沈黙。
風の音だけが、やけに大きく聞こえる。
「……あの」
春野先輩が、意を決したように顔を上げる。
「……助けて、ほしいんです」
「……え?」
「生徒会で……困っていることがあって……」
言いながら、目が潤んでいる。
「誰に頼めばいいか、分からなくて……でも……朝倉くん、優しそうだったから……」
理由が、雑すぎる。
――でも、その「朝倉くん」という呼び方には、どこか意味があるような気がした。
今はまだ分からないけど、何か小さな出来事を覚えていてくれたのかもしれない。
震える声と、逃げ場を探すような視線を見てしまうと、
「……俺でよければ、話は聞きますけど」
そう言ってしまっていた。
春野先輩の顔が、ぱっと明るくなる。
「ほ、本当ですか……?」
「できることかは分かりませんけど」
「……ありがとうございます……!」
深く頭を下げられて、こっちの方が慌てる。
このときの俺は、まだ知らなかった。
この“助けます”の一言が、
俺の平凡な学園生活を、
とんでもない方向へ連れていくことを。
「……じゃあ、放課後、生徒会室に来てもらえますか……?」
「分かりました」
「……その……」
春野先輩は、少し迷ったあと、小さく続けた。
「……あの……朝倉くんが、嫌じゃなければ……ですけど……」
「はい?」
「……い、いえ……なんでもないです……!」
慌てて首を振る春野先輩。
耳まで赤くなっている。
……今の、なんだったんだ。
奥手な生徒会副会長と、
女運の悪い俺。
そんな組み合わせが、
どうして“学園ラブコメ”に発展していくのか。
……今の俺は、まだ知らない。




