0-5. 推しの破滅を回避するための、約束
腹をくくったトマの顔から、目を背けることもできない。
首筋が凍らされたみたいに冷え、めまいがしそうになりながら――それでも必死に考えを巡らせる。
(他になにか……なにか方法は……!)
とにかく今ここから逃げるのは、いろんな意味で難しいし……でも追放後にそのまま静かに暮らすっていうのも、トマの気持ちが報われない気がするし。
(……じゃあ逆に、静かに暮らさなければいい……とか?)
その瞬間、頭の中に「ある考え」がパッと浮かんだ。
(そうだ、これなら……!)
それを口にする前に、一度目を閉じて息を整える。
自信なんてまるでない。
それでも、黙っているよりは――きっとマシだと思った。
意を決して目を開くと、鉄格子の向こうで、トマがどこか心もとなさをにじませた顔をしていた。
たぶん、私がなかなか口を開かなかったからだと思う。
「……ごめんなさい、トマ。あなたの覚悟は痛いほど伝わってきたけれど……私の罪の重さを考えると、罰はちゃんと受けるべきだと思うの。たとえ直接の償いにはならなくても、今度は誰かの役に立つことで……自分が壊してしまったものを、少しでも取り戻していきたい。それで、自分の人生を……もう一度、前よりも良いかたちでやり直せたらなって」
トマは、私の言葉に口を挟むことなく、ただ黙って聞いていた。
その表情はいつの間にか落ち着いていて、鋭かった眼差しも今は和らいでいた。
これが最後かもしれないからと、本音を口にしつつも……最初から、ルクレリアの意思を尊重するつもりだったんだろうな。
本来の展開なら……壊れてしまった彼女との、対話すら叶わなかったんだから。
「だから……そう! 静かに終わりを迎えるわけではないわ。追放されたあと、どうなるかまだわからないけれど……旅に、出てみようかなって」
旅――それが、「逃亡」の代わりとして私の頭に浮かんだ言葉だった。
「命だけは助けてやるから、この国から出ていってくれ」って処分なら、旅ぐらいは許される……はず。たぶん。
「この国で、貴族の令嬢としての生き方しか知らなかった私でも、何かできることはないか……探してみようと思うの。逃げるんじゃなくて、断罪で破滅した人生を――やり直すための旅。……ね? 終わりを目指すんじゃなくて、新しく始めるのよ」
そう、トマの瞳を見つめ返しながら言い切った。
土壇場の思いつきにしては、うまくまとめられた気がする。
ただ、彼がどう受け取るかは……まったく予想がつかない。
私の話を聞き終えたトマは、少しだけ眉をひそめた。
「理屈はわかりましたが……それは、危険では? この国の外のことは、私も詳しくはわかっておりません。たったひとりで旅など……無茶です。誰があなた様をお守りするというのですか」
ついさっき、物騒な言い回しで無茶な覚悟を語っていた張本人が、今度は真面目な顔でそんな心配をしている。
どちらも彼なりの本気なんだろうけど――そのギャップがなんだかおかしくて。
「フフッ……ウフフフフ……」
思わず笑ってしまった。
……そこで初めて気がついたけれど、このルクレリアの顔――表情筋がまったく言うことをきかない。
普通に笑ったつもりなのに、頬と口角がピクピク震えるだけで……どう見ても、悪だくみ中のニヤリ顔になってしまう。
さすがに幼少期は違ったんだろうけど、彼女の「表情パターン」から察するに……もう何年も、無邪気に笑ったり優しく微笑んだことなんてなかったのだろう。
目の前の側近騎士にとっても、それは見慣れた光景らしい。
笑顔の下手さにはまったく動じず、純粋に「なぜここで笑い出したのか」のほうに不思議そうに、目を丸くしていた。
「あのね……ひとりじゃないわ。だから、その……きっと簡単ではないと思うけれど、それでも――もしこの手を取ってくれるのなら」
私の……「ルクレリア」の細くて小さな手を、鉄格子の隙間から差し出す。
「私の旅に、あなたも一緒に……来てくれる?」
後のことなんて、このときは考える余裕もなかった。
目の前の彼を少しでも破滅から救いたい……その気持ちで、頭の中はいっぱいで。
見知らぬ世界で旅に出るということの大変さなんて、わかるはずもなかった。
それでも、きっと後悔だけはしないって――根拠なんてないのに、なぜだかそう信じられた。
トマは、私の手をすぐには取らなかった。
驚くことすら忘れたみたいに固まり、やがて迷うように瞳だけが揺れる。
開いては閉じる口元を見ていると、何を言いかけているのか、なんとなく察せられた。
――本当に私で、よいのですか。
……やっぱり、さっきこぼれたあの本音は、本人にとっても淡い夢物語みたいなものだったのだろう。
叶うなんてみじんも思っていなかったし、長いあいだ拒絶され続けてきた自分が選ばれるはずがない――そう信じ込んでいたに違いない。
だから私は、そんな彼の不安を振り払うように。
目が合った瞬間、強く頷いた。
それで、彼は迷うことをやめたのか。
差し出した私の手を、そっと両手で包み込んだ。
革の手袋越しなのに……指先に伝わる体温が、やけに熱く感じられる。
「必ずお守りします……どんな手を使ってでも、必ずあなた様のもとへ」
その誓いの言葉が、冷えきった地下牢の空気を、ほんの少しだけ塗り替えた気がした。
地下牢の小窓の向こうは暗く、夜明けまではまだまだ長い。
それでも、繋いだこの手の温もりだけは――ここから始まる何かを、確かに約束してくれているようだった。




