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三連装砲の魔女  作者: ディープタイピング
第二部 戦線拡大編
38/39

#38 奇跡

 ペトロマンスクの海上に現れたのは、まさに世界の崩壊と呼ぶにふさわしい光景だった。

 何かが狂い始めた世界の中で、僕はただ、実体を失いかけているサヨの名前を絶叫し続けることしかできなかった。


「サヨ!! サヨ!!」


 僕の悲痛な叫び声は、重力を失い、空に向かって不気味な水音を立てて昇っていく巨大な海水のうねりと、ギギギギィッ……と悲鳴を上げる鋼鉄の巨艦の軋み音にかき消されていく。

 目の前のサヨは、まるで切れかけた電球の幻灯機が銀幕に映し出す不確かな映像のように薄れ、今にもこの極寒の北の空気の中に溶け込んでしまいそうだった。僕の腕は彼女の体をすり抜け、何の感触も得ることはできない。

 この周辺世界もろとも、サヨは限界を迎え、消えようとしていた。


「タクヤ……ごめんね……」


 サヨの掠れた声が、遠くの洞窟で反響する音のように僕の耳に届く。その声すらも、吹き荒れる風に流される砂のように儚く、今にも途切れてしまいそうだ。

 ペトロマンスク港の空の雲は大きな渦を巻き、赤や紫の毒々しいオーロラが空を覆っている。僕らが乗っている旧式戦艦「蓬雷」も、すでに海面から数メートルの高さまで持ち上がっていた。

 周囲を見渡せば、我が皇国の誇る「震洋」も、スラヴィアの巨大な戦艦群も、ウィストリアの航空母艦も、すべてがまるで秋の落ち葉のように空中に舞い上がっている。甲板の上の兵士たちはパニックに陥り、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。

 アーティが予言した通りだ。サヨが三式魔導砲の極大の一撃を放つため、この空間に満ちる大地の魔力(マナ)をすべて吸い尽くしてしまった。魔力とは、物質や光の秩序を媒介するもの。それが完全に失われた今、この周辺海域の物理法則は崩壊し始め、あらゆるものがその(ことわり)を失って消滅へと向かっているのだ。


「タクヤ! どけ!」


 突然、僕の肩を強い力で突き飛ばす者がいた。アーティだ。

 彼女は傾いた甲板に這いつくばりながらも、必死の形相でサヨの元へとにじり寄ってきた。その後ろには、同じように重力異常に耐え、強風に煽られながらも進んでくる二十九人のシンドゥの魔女たちの姿があった。


「アーティ! サヨが、サヨが消えてしまう!」


「分かって、いる! サヨ、消えれば、この崩壊、もう誰も、止められない! 我ら、宙に浮くこの船、この場所、すべての命、崩壊し、虚無に消える!」


 アーティは叫ぶと、透けゆくサヨの体の周囲に、三十人の魔女たちを配置させた。彼女たちは手をつなぎ、再び巨大な円陣を組む。


「我らの命、枯渇した、サヨの、魔力(マナ)を、補填する! サヨの魂、この世界、繋ぎ止める!」


 アーティの悲壮な掛け声とともに、彼女たちはシンドゥの秘術の詠唱を再開した。


「シンドゥ、キハヴァ……イセ、ヴァーパス!」


 彼女たちの褐色の肌から、再び琥珀色の光が立ち上る。だが、先ほどまでの大地の呼吸を束ねた力強い光ではない。彼女たち自身の生命力を絞り出した、文字通りの命の輝きだった。

 その琥珀色の光の帯が、半透明になったサヨの体へと注ぎ込まれていく。


「サヨ! 戻ってこい!」


 僕も祈るような気持ちで叫んだ。

 しかしだ、サヨの身体は一瞬、光ったものの、一向に実体を取り戻さない。琥珀色の光は彼女の身体に吸い込まれるばかりだ。


「くっ……ダメ! 我らの魔力……圧倒的……足りない! 底のない桶……水を注ぐような、もの!」


 アーティがゼイゼイと息切れしながら叫んだ。彼女の額からは大粒の汗が流れ落ち、極寒の空気の中で白く凍りついている。三十人の魔女たちも限界に近く、一人、また一人と甲板に崩れ落ちそうになっていた。


 このままでは、サヨだけでなく、彼女たちまで命を落としてしまう。


「誰か……誰か、他に力はないのか!」


 僕が狂乱して虚空に向かって吠えた、まさにその時だった。


わたくしの魔力も、お使いなさい!」


 と、そこに甲高い、しかし凛とした声が響き渡った。

 見上げると、重力を失って宙に浮く戦艦「蓬雷」の甲板から、あの巫女が現れた。

 ヒトツバシ兵長だ。


「できるのか?」

「安国神社の巫女の力、見くびらないでほしいですわ!」


 彼女は甲板から、重力異常に足を取られながらも、跳ねるようにアーティたちの円陣の中へと加わった。


現世うつしよの護りを司る、我ら安国神社の秘術! 八百万やおろずの神々よ、崩れゆくことわりに楔を打ちたまえ!」


 ヒトツバシ兵長の両手から、目も眩むような純白の光が放たれ、サヨの身体へと降り注いだ。シンドゥの琥珀色の光と、安国の純白の光。二つの強大な魔力が交わり、サヨを包み込む。


「いけるか……!?」


 僕の後ろで、スザキ大尉が手すりにしがみつきながら息を呑んだ。

 光の奔流の中で、サヨの体がわずかに輪郭を取り戻したように見えた。

 だが、それも一瞬のことだった。


「ああっ……ダメですわ。わたくしの持つ魔力でも、足りないとは」


 あのヒトツバシ兵長が、悲鳴を上げて膝をついた。彼女の顔は蒼白になり、肩で激しく息をしている。アーティたちも、次々とその場に倒れ伏していった。


「くそっ、ここまでか……」


 アーティが絶望の声を漏らす。サヨの身体は、先ほどよりもさらに薄くなり、もはや向こう側の歪んだ景色が完全に見えるほどになっていた。


「……いやだ」


 僕は、気付けばサヨに向かって駆け出していた。狂った重力のせいで足元が覚束ない。それでも僕は、這いつくばってでも彼女の元へ向かった。


「サヨ……! 行くな! 約束を守るんだろう!」


 僕は、感触のないサヨの体に、両腕を回して強く抱き着いた。空気だけを抱きしめているような虚無感だが、僕は必死に腕をつかんだ。


「タクヤ……もう、いいよ……私のことは……」


 サヨの声は、もはや頭の中に直接響いてくるだけの思念のようなものに変わっていた。


「よくない! ふざけるな! 君がいない世界で、僕がどうやって生きていけっていうんだ!」


 僕は涙で視界を滲ませながら、必死に言葉を出した。彼女の魂を、少しでもこの世界に繋ぎ止めるために。


「思い出してくれ、サヨ! 僕らが初めて会った日のことを!」


 僕の叫びに、サヨの薄れゆく瞳がわずかに揺れた気がした。


「君が八歳の時だ。神社の裏の崖から落ちて、足を怪我して泣いていた。父親のせいでひどい男恐怖症だった君は、僕を見ても怯えて震えていたじゃないか。でも、僕は君を背負って、二時間も山道を歩いたんだ。あの日から、僕たちの物語は始まったんだぞ!」


 どうして、そんな昔のことを叫んだのか、自分でも分からない。が、僕は消えゆくサヨに、狂ったように語り続けた。


「霧隠神社での日々もそうだ! 君はいつも、他の男たちから逃げ回っていたけど、僕にだけは合ってくれた! 二人で落ち葉を掃いて、こっそりおにぎりを食べたこともあった! あの穏やかな日々を、君は忘れてしまったのか!」


 サヨの口元が、わずかに動いた気がした。


「戦争が始まって、僕は陸軍に徴兵された。君と離れ離れになって、毎日君のことばかり考えていた。生きて帰る、必ず再会するって、それだけを支えに地獄のような戦場を生き抜いたんだ。そして、戦艦『震洋』で奇跡的に再会できたじゃないか!」


 僕の目からこぼれた涙が、サヨの透けた体をすり抜けて甲板に落ちる。


「バリャールヤナ艦隊との死闘。スレイン海峡での夜襲。コーカサス湾での中央突破。どんなに絶望的な戦況でも、君の三連装魔導砲が僕らを救ってくれた。バハナ王国のカルタエナ港で、甘いスムージーを一緒に食べたこと、海岸を二人で歩いたこと。全部、僕の宝物だ!」


 サヨの頬を、一筋の光の粒子が伝い落ちた。彼女も泣いているのか。


「せっかく君は、強くなったんだぞ! あの男に怯えていた巫女が、今では世界を救うために自らの命を投げ出そうとしている! でも、そんな自己犠牲なんて、僕は望んでない!」


 僕の喉は枯れ、声はかすれていた。だが、魂の底から絞り出すように、最後の言葉を放った。


「霧隠神社で……一緒に式を挙げようという約束を、まだ果たしていないじゃないか!!」


 その言葉が響いた瞬間、激しい風の音も、崩壊の地鳴りも消え、時間が止まったように感じた。


「タクヤ……」


 サヨの微かな声。

 僕は、彼女の胸元で唯一実体を保ち、空中に浮かんでいる青いガラスの首飾り――僕がカルタエナの街で買った、あの首飾りを、右手で強く握りしめた。


「絶対に、僕は離さない。どんなに(ことわり)が崩壊しようとも、僕が君を、この世界に連れ戻す!」


 首飾りを握りしめた僕の右手から、熱い何かが流れ込んでくるのを感じた。

 いや、違う。流れ込んできているのではない。僕の中から、何かが溢れ出しているのだ。


「……え?」


 次の瞬間、僕の右手から、眩いばかりの光が放たれた。

 それは、サヨの放つ青白い閃光でも、アーティたちの琥珀色の光でも、ヒトツバシ兵長の純白の光でもなかった。

 淡い緑色の光、それがなぜか、僕の身体からサヨに、首飾りを介して流れ込んでいく。


「な、なんだ、この光は……!?」


 スザキ大尉が驚愕の声を上げる。いや、驚きたいのはこちらの方だ。

 その光は、あの安物の首飾りを伝い、サヨの透けゆく体全体へと波紋のように広がっていく。


「タクヤ……タクヤから、力を感じる……」


 サヨの体が、突然、強く発光し始めた。まさに奇跡が、起きようとしていた。

 僕の腕から溢れ出す緑色の光は、枯渇していた大地の魔力を補うかのように、周囲の空間へと凄まじい勢いで染み渡っていく。

 その時、僕は直感的に理解した。

 サヨの持つ魔力は、敵を打ち砕く圧倒的な「破壊」と「放出」の力。それに対し、僕の中から放たれているのは、サヨとは正反対の力。つまり「修復」と「還元」の魔力、ということか。

 破壊の力に抗う、逆の力。それは傷ついたものを癒し、崩れたことわりを繋ぎ止め、元の状態へと戻し始める。

 なぜ、あの強大な魔力を持つサヨが、幼い頃から魔力暴走を起こすことなく生きてこられたのか。なぜ、父親には虐待されながらも、他の男には怯えながらも、僕のそばにいる時だけ、彼女は安らぎを得られていたのか。

 もしかすると、僕の中にあった無意識のうちに放っていた微弱な「修復」の波動が、彼女の荒れ狂う魔力を打ち消して、安定させていたからなのか。


「戻れ……戻してやる! サヨを元の姿に!」


 僕は力の出し方は分からない。祝詞など、知らない。だから、気合で首飾りを握りしめ、心の底から強く念じるしかなかった。が、僕の腕から放たれる緑色の光が爆発的に膨れ上がり、サヨの体を完全に包み込んだ。


「ああっ……!」


 サヨが声を上げる。透けていた彼女の体に、徐々に色彩が戻っていく。薄れた輪郭がはっきりと結ばれ、軍服の白い生地、黒い髪、そして血の通った白い肌が、確かな重みを持って再構築されていく。


「タクヤ……あなたの光、温かい……」


 僕の腕の中に、確かな重みが戻ってきた。空を切っていたはずの僕の腕が、彼女の華奢な背中をしっかりと抱きしめている。


「サヨ!」


 アーティや安国神社の巫女ですら戻せなかったサヨの身体は、完全に実体を取り戻していた。彼女の心臓の鼓動が、僕の胸に伝わってくる。

 僕の「修復」の力は、サヨの魂をこの世界に繋ぎ止めただけでは終わらなかった。サ

ヨを通じて、僕の力がこの周辺海域全体へ波及していったのだ。


「見ろ! 海が!」


 スザキ大尉の叫び声が響く。と同時に、ズシンとこの旧式艦が揺れる。

 重力を失い、空に向かって無数に浮かび上がっていた巨大な海水の球体が、緑色の光の波動を受けた瞬間、ドザーッ!という凄まじい轟音を立てて一斉に海面へと落下し始めた。と同時に、空中に浮き始めた船が落下し始める。

 逆流していた物理法則が、元の正しい形へと急速に修復されていく。


 宙に浮いていた各国の艦艇も、急激に重力を取り戻し、次々と海面へと落下していく。


「衝撃に備えろ!!」


 スザキ大尉の号令が飛ぶ。僕らが乗る「蓬雷」も、数十メートルの高さから海面へと叩きつけられた。

 ザザーンッと、突き上げるような衝撃と、巨大な水柱が立つ。甲板が激しく揺れ、僕はサヨを抱きかかえたまま転がった。

 それが収まり、周囲を見渡すと、「震洋」もスラヴィアの戦艦群もウィストリアの航空母艦も、凄まじい水飛沫を上げて次々と着水していく。船体が折れるようなことはなかった。幸いにも、それほど高く浮いていたわけではなかったようだ。

 空を見上げれば、怪しげな雲の渦やオーロラは消え去り、極寒の北の海らしい、鉛色の厚い雲が空を覆っていた。冷たい吹雪と寒風が、再び僕らの頬を打つ。


「戻った、元に、戻った!」


 アーティが、信じられないものを見るような目で周囲を見渡し、震える声で呟いた。


「まさか、お前、崩壊と、逆の力、持っていた、のか……」


 ヒトツバシ兵長も、へなへなとその場にへたり込み、茫然自失の態であった。

 ペトロマンスクの海域は、再び元の荒波を取り戻していた。敵の百隻の艦隊と、忌まわしい見えざる壁は完全に消滅し、あとに残っているのは世界連合艦隊の威容だけだ。

 この周辺海域の物理法則の崩壊を抑え込んだ。いや、それ以上に僕は、サヨの命を救うことができたことに歓喜する。


「タクヤ……」


 僕の腕の中で、サヨがゆっくりと目を開けた。その瞳には、確かな光が宿っている。


「サヨ、よかった……本当によかった……」


 僕は彼女を強く、痛いほどに抱きしめた。


「痛いよ、タクヤ……でも、嬉しい。私、生きてるんだね」

「そうだ、生きている」

「それじゃ、約束、果たせるね」


 サヨは僕の背中に腕を回し、顔をうずめて静かに抱き着いた。

 限界を超えて魔力を使い果たし、さらに僕の力で無理やり現世に引き戻されたのだ。彼女の疲労は想像を絶するものだろう。彼女の体は、小刻みに震えていた。


「少し、休んだ方がいい」


 僕は彼女を優しく抱え起こし、甲板の壁際に座らせた。

 ふと見ると、先ほどの衝撃で転がってきたのか、木箱の影にウィストリアから補給された物資が散乱していた。その中に、見覚えのあるガラス瓶が転がっているのを見つけた。

 黒い液体の入った、あの「コーラ」の瓶だ。

 幸いにも割れてはおらず、栓も抜かれていなかった。僕は這うようにしてそれを取りに行き、腰のナイフの柄を使って強引に王冠を弾き飛ばす。プシュッ!と、小気味良い音と共に、白い炭酸の泡が吹きこぼれる。


「サヨ、これを飲んでくれ。君の好きな、甘くてシュワシュワするやつだ。体力を戻すには、これしかない」


 僕はコーラの瓶を、サヨの冷たい両手に握らせた。

 サヨは少し驚いたような顔をしたが、瓶に口をつけ、コク、コクと、その黒い液体を喉に流し込んだ。強烈な炭酸の刺激と、独特の甘味が、彼女の疲れ切った体に染み渡っていくのが分かった。


「ぷはっ……!」


 サヨは息を吐き出し、口元を手の甲で拭った。先ほどまでの青白かった顔色に、ほんのりと赤みが戻ってくる。コーラの糖分が、急速に彼女の血糖値を引き上げ、現実に引き戻してくれたのだ。


「……やっぱりこれ、ちょっと刺激が強すぎるかな。せめて、ラムネが転がってくればよかったのに」


 サヨは空になった瓶を見つめながら、クスッと笑いながら皮肉を込めてこう言った。

 逆に言えば、それだけ元気を取り戻したというものだった。


「でも、今の私には、これが一番効くみたいね」


 極寒の海風が吹き荒れる中、僕らは二人きりで壁にもたれかかっていた。遠くでは、歓喜の声を上げる世界連合艦隊の兵士たちの喧騒が聞こえてくる。

 その後、黒煙を上げるペトロマンスク港に向けて、多数の上陸艇が突入する。が、すでにペトロマンスク港には、抵抗できるだけの兵力はない。白い旗が、要塞の上に立つ。

 ついにこの戦いは、終わったのだ。

 サヨは僕を見上げ、その瞳いっぱいに愛おしさを浮かべて、極上の微笑みを見せた。そして、こう僕に告げた。


「ありがとう、タクヤ」


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