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三連装砲の魔女  作者: ディープタイピング
第二部 戦線拡大編
37/39

#37 秘術

 極寒の北の海。ペトロマンスク港沖合に停泊する世界連合艦隊の朝は、冷たくて息が詰まるような絶望感と共に明けた。


前日に引き続き、ウィストリア共和国航空母艦群からの苛烈な空爆は、翌日朝にも行われた。二百機以上に及ぶ飛行機の編隊が、どんよりと垂れ込める鉛色の雲を切り裂いて急降下し、腹に抱えた黒い爆弾を次々と投下していく。

 その標的は敵の軍事施設などではなく、ペトロマンスクの市街地だ。昨日、爆撃したのは街の東部であり、今日はその反対側の西部だ。オレンジ色の炎が、極寒の空を赤く焦がす。黒煙が太陽の光を遮り、昼間だというのに街は薄暗い。

 双眼鏡を覗き込む僕の目には、崩れ落ちるレンガ造りの建物や、燃え盛る市街地が見えていた。ここからは遠くて見えないが、その下では地獄絵図のような行き倒れた人々の山、その間を命からがら逃げ回る人々の姿もあるのだろう。寒風に乗って、焦げた臭いと、名状しがたい嫌な匂いが海の上まで漂ってくる。


「……バリャールヤナ艦隊の連中は、それでも動かないのか」


 僕は、戦艦「震洋」の第二砲塔の傍らで、吐き捨てるように呟いた。

 敵は港湾部に展開した百隻以上の艦隊を、あの強固な「見えざる壁」の中に隠したまま、微動だにしない。通常弾も魔導砲も、航空機からの爆弾でさえも弾き返す、何重にも張り巡らされた絶対防御の壁の内側に潜んでいる。

 軍隊とは、自国民を守るために組織された存在ではないのか?

 そういう理屈が、破綻している光景を眺めるのは、やはりアーティが言った通り「世界の理がすでに崩壊している」という表れなのだろう。

 それゆえに、ウィストリアの司令部が考えた作戦――市民を犠牲にしてでも市街地を焼き払い、敵を壁の中から炙り出すという冷酷な作戦は、今のところ見事に空振りに終わっていた。

 バリャールヤナの司令部は、自国民がどれほど犠牲になろうとも、決して壁を解くことはなかったのだ。


「タクヤ……やっぱり、やるしかないようだね」


 隣に立つサヨが、寒さと悲しみで震える声で言った。彼女の表情は、これまでにない覚悟を胸に秘めたものが感じられた。


「奴らにとって、国民の命などその程度のものなんだ。いや、むしろ好都合だと思っているのかもしれない。我々が非道な残虐行為を行っていると、自国民の憎悪を煽るために利用している可能性すらある」


 僕がそう言うと、サヨは燃え盛る街から目を逸らした。

 午前十時を回った頃、壁の内側からバリャールヤナの潜水艦部隊がこっそりと出撃してきたのが確認された。海中深くから我々の連合艦隊に魚雷を叩き込み、少しでも戦力を削ごうという算段だ。

 だが、その程度の反撃はすでに想定済みだ。今の我々には通じない。


『敵潜水艦、探知! スラヴィアならびに我が皇国の駆逐艦隊、攻撃開始!』


 伝声管から報告が響くと同時に、海面で次々と巨大な水柱が上がった。

 スラヴィアと我が皇国の潜水艦部隊は、あらかじめ敵潜水艦が出現するであろう海域目掛けて爆雷を投下する。バリャールヤナの潜水艦部隊は、我々の艦隊に一発の魚雷を当てることもできず、あえなく蹴散らされ、その何隻かは海の藻屑と消え去った。残りは壁の向こうに消えていく。

 もはやバリャールヤナには、まともな反撃手段すら残されていない。いよいよ彼らは、完全な防戦一方へと追い込まれた。

 敵の潜水艦部隊が出入りできる穴があることから、潜水艦部隊を突入させて奇襲をかける案も検討されたらしい。が、その時は、向かった部隊はその多くが帰って来られないだろう。何せ、百隻以上の敵艦隊が待ち構えているのだから。

 どちらにせよ、敵も味方も、打つ手を失いかけている。

 しかし、持久戦となればそれは、我々にとって喜ばしいことではない。


「奴らの狙いは明らかだ。我々の弾薬や燃料が底を尽き、この極寒の海で疲弊しきって撤退するのを、ただひたすらに、忍耐強く待つつもりなんだ」


 第一砲雷科の詰所で、スザキ大尉が半ば諦めの表情で戦況を知らせる。


「このままでは、我々が先に音を上げることになる。ウィストリアからの補給船団が来ているとはいえ、これだけの大艦隊をこの極寒の海域に長期間留まらせることは不可能だ。冬の嵐が来れば、我々は壊滅的な打撃を受ける」


 スザキ大尉の言葉通りだった。敵は、分厚い壁の中でただ待てばいい。だが我々は、補給物資と天候という時間との戦いを強いられていたのだ。

 寒い場所だが、まだここは冬ではない。あとひと月もすると、本格的な冬に入る。そうなる前に作戦を成功させねば、我々に勝ち目はない。古今東西、冬の寒さにやられ惨敗した戦いはいくらでもある。奴らにとっては、この凍てつく寒さこそが味方だ。


「……第二砲塔、カンザキ上等兵、意見具申!」


 静まり返ったこの詰所の中で、サヨが突然、これまで出したことのない程の大きな声で言った。

 スザキ大尉が、それに答える。


「上等兵、意見具申、許可する」

「これより、戦艦『蓬莱』に向かい、新型魔導砲を使います」


 それを聞いたスザキ大尉が尋ねる。


「あれは先日の試射で使えなかったではないか。まさか、あれを使いこなす何かを、手に入れたというのか?」


 彼女は胸元の青水晶のペンダントを固く握りしめていた。その表情には、もはや一切の迷いがなかった。


「はい、アーティが……シンドゥの魔女が、最強の秘術を教えてくれました。なんでも、大地の魔力をすべて吸い上げ、放出するための呪文だそうです。すでに、シンドゥの舞姫(マハラニ)たちと共に、移乗準備が整っております」


 彼女が視線を向けた先に、詰所の窓から見える、我々の艦列の少し後方に停泊している古びた戦艦「蓬雷」の姿があった。その甲板には、サヨの膨大な魔力に耐えうるように設計された新型の「三式魔導砲」が鎮座している。


「本当に、やれるのか? その秘術とやらも、どこまで確信できる情報なのか」

「砲雷長、私が三発目の魔導砲を放てることを、ご存知ですよね?」

「ああ、確かホセ島にあった石碑に書かれていた呪文を使い、空間の魔力(マナ)を利用して放つという原理だったな……って、まさか」

「そうです。私の魔力に加えて、その空間の魔力(マナ)をも使う強力な秘術です」


 サヨの声は、やや震えていた。が、覚悟を決めた彼女の言葉は、スザキ大尉を動かした。


「分かった。移乗を許可する。ただし、一つだけ聞かせてくれ」

「は、はい」

「その秘術、危険はないのだろうな?」


 さすがはスザキ大尉だ。鋭いところを突いてくる。いや、ヒトツバシ兵長からの入知恵か? それに対しサヨは、正直に答える。


「アーティより、私の魂と、世界の(ことわり)を壊すかもしれないと、そう言われております。ですが、すでに民間人を攻撃するという、人としての(ことわり)が崩壊しております。その中にあって、多少の危険など省みる必要はないかと愚考いたします」


 「多少」というのはちょっと言い過ぎな気がする。多大な危険だぞ、それは。だが、スザキ大尉はそれをも考慮した上で、決断する。


「……他に、手はなさそうだしな。分かった。私が艦長、ならびに合同司令部に許可を取り付けてくる」


 こうして、ついに危うい一手を、用いることになった。

 数十分後、数隻の内火艇で、サヨと僕、そして三十人のシンドゥの魔女たちは古い戦艦に移動することとなった。

 その途上、サヨがこう僕に告げる。


「タクヤ、約束したよね。一緒に霧隠の山へ帰るって。だから私、絶対に消えたりしない。信じて」


 サヨは僕の手に自分の手を重ね、力強く微笑んだ。その温もりが、僕の心を打った。

もはや、僕に彼女を止める権利はない。彼女は皇国唯一の「三連装砲の魔女」であり、この狂った戦争を終わらせる力を持った唯一の存在なのだから。

 そしてさらに数十分後に、僕らに遅れてスザキ大尉も戦艦「蓬雷」の甲板へと降り立った。


「まさか、この砲を使うことになるとはな」


 スザキ大尉は、甲板にそびえ立つ新型魔導砲を見上げながら言った。


「許可は、下りた。他に手がない、正直言うと、それが理由だ。それゆえ、責任者として私が同行することとなった。あとは、魔女殿に託す」

「はい!」


 白銀に輝く三式魔導砲。それは、これまでの三連装砲とは違い、巨大な一本の砲身から成り立っていた。内部には超高純度の宝玉が組み込まれており、理論上はサヨの持つ魔力以上の力を一撃に変換することができる。


「サヨ、アーティ。準備はいいか」


 僕が尋ねると、二人は深く頷いた。

 凍てつく風が吹き荒れる「蓬雷」の甲板で、三十人の褐色の魔女たちが、新型魔導砲を囲むようにして巨大な円陣を組んだ。

彼女たちは、ウィストリア製の分厚い防寒着を脱ぎ捨て、シンドゥの鮮やかな民族衣装一枚の姿になった。極寒の北の海で、そんな薄着になれば数分で凍死してしまうはずだ。

だが、彼女たちは寒さを微塵も感じていないようだった。


「シンドゥ、キハヴァ、ジャドゥ・カ・マーダイン……!」


 アーティの先導で、三十人の舞姫たちが一斉に舞を舞い始めた。

ゆっくりとした、しかし力強い手足の動き。彼女たちが地面を踏み鳴らし、空に手を掲げるたびに、その褐色の肌から琥珀色の光が陽炎のように立ち上り始めた。

 光は熱を帯び、彼女たちの周囲の雪を瞬時に溶かしていく。極寒の甲板の一部だけが、まるで熱帯の国にいるかのような熱気に包まれていた。


「我ら、大地の呼吸、束ねる。サヨ、お前の道、作る!」


 アーティの叫び声が、吹雪の音を切り裂いた。

 サヨは、三式魔導砲の中枢にある超高純度の宝玉の前に立ち、ゆっくりと目を閉じた。

 僕は、照準器の前に立ち、重いレバーを握りしめた。


「目標、ペトロマンスク港内、バリャールヤナ主力艦隊中央!」


 すぐ傍で、スザキ大尉の号令が飛ぶ。僕は照準器の十字線に、見えざる壁の奥で身を潜めている敵の巨大な艦影を捉えた。距離はおよそ一万。通常なら絶対に当たらない距離だが、今のサヨとアーティたちなら、必ず届く。


「サヨ、頼む!」


僕の声に応えるように、サヨは両手を宝玉にかざし、アーティから教えられたという、その「秘術の呪文」を唱え始めた。


「……ナ・アル・イ・フェルナ、ヴィ・ソル・エスティア……!」


 それは、僕がこれまで聞いたことのあるどの国の言葉でもなかった。太古の昔からこの星に刻まれてきた、大地の記憶そのものを呼び覚ますかのような、深く、重い響きを持った言葉だった。

 呪文が唱えられた直後、一瞬、この周辺海域全体の空気が、光った。

 いや、空気だけではない。海が、空が、そして世界そのものが、サヨの言葉に共鳴したかのように、光を放ったのだ。

 サヨの足元から、青白い光の渦が巻き起こる。それは彼女自身の魔力ではない。海から、空から、目に見えない空間の至る所から、光の粒子が猛烈な勢いでサヨの元へと集束してくるのだ。


「これが、大地の魔力(マナ)をすべて吸い上げるということか……」


 あまりの光景に、僕は息を呑んだ。

 宝玉は、もはや直視できないほどの眩い光を放っていた。砲身を覆う冷却パイプからは、けたたましい悲鳴のような金属音が鳴り響き、高熱の蒸気が勢いよく噴き出している。


八百万(やおろず)の神々よ! 我が声に集い、一条の刃となって、全ての罪人を浄化したまえ! 清めたまえ!」


 サヨの祝詞と共に、限界まで圧縮された魔力が、ついに臨界点に達した。

 その直後、三式魔導砲の砲身からは、これまで僕が見てきたどの魔導砲とも比較にならないほどの極大の光の奔流が放たれた。

 旧式艦の戦艦「蓬雷」の巨体が、凄まじい反動で海面に大きく沈み込み、甲板上の雪が一瞬にして蒸発する。

 その古い艦から放たれた青白い光の柱は、直径数十メートルにも及ぶ巨大な竜巻のようだった。

 その圧倒的な光の奔流に、アーティたち三十人の魔女が放つ琥珀色の光が、螺旋を描くようにして絡みつく。


「イズパァ マロゥ!」


 アーティの叫びと共に、琥珀色の光に導かれた青い閃光は、荒れ狂う北の海を真っ二つに割りながら、一直線にペトロマンスク港に停泊する艦隊のど真ん中へと突き進んだ。

 その光の奔流が、敵の張った第一の「見えざる壁」に激突する。

 が、まるで弾かれるそぶりすら見せず、その分厚い最初の壁を突破した。以前はあれほど苦労してようやく小さな穴を開けた壁が、まるで薄紙でも破るかのように、一瞬の抵抗すら許されずに消し飛んだ。

 続く第二の壁も、第三の壁も、そしてその奥に隠されていたであろう何重もの未知の防壁も、全てがこの神の(いかずち)の前には、等しく無力だった。

 やがて光の奔流は数重の壁を貫き通し、そのまま港内に停泊していたバリャールヤナの主力艦隊百隻の中心へと直撃した。

 次の瞬間、世界から一瞬、音が消えた。

 あまりにも巨大なエネルギーの解放に、一時的に空気そのものが消えたかのようだった。そしてそのすぐ後に、ペトロマンスクの海上にはまるで太陽が落ちたかのような、絶対的な白光のドームが膨れ上がっていた。

 数秒遅れて、船体すらも押し潰すような凄まじい衝撃波と、鼓膜を破らんばかりの爆音が僕らを襲った。


「うわああぁっ!」


 あまりの衝撃に僕は照準器にしがみつき、必死にその風圧に耐えた。

 光が収まった後、僕が双眼鏡で見た光景は、この世の終わりだった。

 つい先程まで威容を誇っていたバリャールヤナの艦艇百隻の大部分が、跡形もなく消し飛んでいたのだ。

 海面は文字通り沸騰し、溶けた鋼鉄が雨のように降り注いでいる。一部残った艦艇も、大爆発が引き起こした巨大な津波に巻き込まれて木の葉のように転覆し、次々と海の底へと引きずり込まれていく。

 難攻不落と謳われた要塞港が、たった一撃で、文字通り地図から消滅するほどの壊滅的な大爆発を引き起こしたのだ。


「やった……! サヨ! 壁を、艦隊を、一撃で粉砕したぞ!」


 僕は叫ぶ。スザキ大尉も呆然としたまま、そのあまりの破壊力を前に立ち尽くしていた。

 あれほどの分厚い壁を突き破り、世界最大を誇る艦隊群を相手に勝った瞬間だ。ついに、この長く苦しい戦争に、決定的な終止符を打ったのだ。


「サヨ! やったぞ! 僕たちの勝ちだ!」


 僕は歓喜の声を上げ、宝玉の前に立つサヨの方へと振り返った。


「サヨ……?」


 だが、そこに立っていたサヨの姿を見て、僕は全身の血の気が引くのを感じた。


「タクヤ……終わった、ね……」


 サヨは僕に向かって微笑みかけていた。だが、彼女の身体は、まるで擦りガラスのように半透明になり、背後の砲塔の装甲が透けて見えていたのだ。敵が吹き飛んだその瞬間から、彼女の身体は徐々に薄くなっていっている。


「サヨ! おい、どうしたんだ!?」


 僕は慌てて駆け寄り、彼女の肩を抱きしめようとした。

 だが、僕の両手は、彼女の身体に触れるか触れないかの曖昧な感覚を残したまま、空を切った。


「嘘だろ……サヨ! サヨ!!」

「ごめんね、タクヤ……やっぱり、大地の魔力を使い切った反動は、私には重すぎたみたい……身体が、どんどん消えていくの……」


 サヨの声も、どこか遠くで響いているように掠れていた。

 胸元の青水晶のペンダントだけが、実体を保ったまま空中に浮かんでいるように見える。


「そんな……約束したじゃないか! 一緒に霧隠に帰るって! 消えたりしないって!」


 僕が半狂乱になって叫んだ、その時だった。


「なんだ、あの海は!?」


 スザキ大尉の切羽詰まった声が響いた。僕は振り返り、海面を見る。

 そこには、信じがたい異変が起きていた。

 荒れ狂っていたはずの海面が不自然に波立つことをやめ、まるで水飴のように重力を失って、空中にふわり、ふわりと浮き上がり始めていたのだ。

 海水が巨大な球体となって空へ昇っていく。それだけではない。


ギギギギィッ……と音を立てて、僕らが乗っている戦艦「蓬雷」の船体も不気味な軋み音を立てる。そして、海面からゆっくりと持ち上がり始めた。


「な、なんだこれは!? 船が、空に浮いてるぞ!?」


 スザキ大尉が、手すりにしがみつきながら悲鳴を上げる。

周囲を見ると、「震洋」も、スラヴィアの戦艦も、ウィストリアの巨大な航空母艦群でさえも、周囲にいた味方艦隊のすべてが重力を失ったようにまさに空中に浮かび上がろうとしていた。

 甲板にいた兵士たちはパニックに陥り、空中に投げ出されないよう必死に固定物にすがりついている。

 上も下も分からない。羅針盤は狂ったように回転し、空の雲と海の境界線がぐにゃりと歪んで混ざり合っていく。

 アーティが甲板に這いつくばりながら絶叫した。

「世界の、(ことわり)、崩れた! この周囲の、魔力(マナ)を全て、吸い尽くした、せい!」


「なんだって、物理法則が、崩壊を始めた……!?」


 僕の理解を完全に超越した現象が、まさに目の前で起きていた。

 敵の生き残りも、味方の連合艦隊の兵士たちも、この神の怒りとも呼べる超常現象の前に、ただただ恐怖し、大混乱に陥っている。

 伝声管からは艦内の悲鳴と怒号が入り乱れる。おそらくは、他の艦でも同様のことが起きていることだろう。


「タクヤ……ごめんね……」


 そんな混乱の最中、サヨの声が、さらに小さく消え入りそうになる。

 彼女の足元から、まるで光の粒子となって空へ溶けていくように、その姿が消えかかっていた。


「嫌だ! 行くな、サヨ!」


 僕は、実体を失いつつある彼女の姿を、何度も、何度も必死に抱き寄せようと腕を振るった。

 だが、僕の腕は虚しく空を掻くばかりだ。

 狂い始めた世界の中で、浮遊する海水と鋼鉄の巨艦に囲まれながら、僕はただ、愛する者の名前を叫び続けることしかできなかった。


「サヨォッ!!」

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