#32 大国
「……ダメか」
バハナ王国のカルタエナ港沖に浮かぶ旧式戦艦「蓬雷」。その甲板上で、サヨが落ち込んでいた。
翌日、技術士官らが再調整した新型魔導砲の試射を試みた。しかし結果は前回と同じ。宝玉は眩いばかりの光を放ち、冷却パイプは悲鳴を上げるほど振動するものの、肝心の砲口からは光の一筋さえ放たれない。
膨大な魔力が宝玉から出ることができず、行き場を失い、結果として魔導砲が空回りしている。
「やはり、ただ魔力を込めるだけではダメか」
僕はサヨに駆け寄り、肩を支えた。熱を帯びた宝玉の余波で、周囲の空気は歪んでいる。
「うん……魔力は十分にあるのに、それが『外』へ出て行ってくれないの。まるで、底のない桶に水を流し込んでいるみたい」
サヨは悔しそうに唇を噛む。
あの「見えざる壁」を突破するには、この新型砲による一点突破しかない。だが、それを撃つための「鍵」――シンドゥの秘術を、アーティは頑として教えようとしない。
もはや、手詰まりだ。残念だが、この新型の魔導砲を活かすことはできないな。
僕らは重い足取りで内火艇に乗り込み、母艦である「震洋」へと戻る。
だが、艦に戻った僕らを待っていたのは、沈痛な空気ではなく、予想もしない熱狂だった。
やけに騒がしい。最初は敵襲かと思ったが、どうも様子が違う。どちらかといえば、歓喜の表情だ。なんなのだ、この騒ぎっぷりは。
こっちは新型の魔導砲が使えず落ち込んでいるところだぞ。何を浮かれているんだと思いつつ、タラップを上がったところで、サイゴウ伍長が興奮した様子で駆け寄ってきた。
「おい、聞いたかトウゴウ伍長! 風向きが、変わったぞ!」
「風向き? 敵が撤退でもしたのか?」
「違う! もっとデカい話だ! とんでもない援軍が現れることになったんだよ!」
サイゴウ伍長は、持っていた帽子を空に放り投げんばかりの勢いだ。
僕とサヨは顔を見合わせる。皇国からの援軍である第四艦隊はすでに到着済みだし、スラヴィア艦隊の増援がくるという話もないと聞いたばかりだ。ここまで喜ぶ理由が、さっぱり見当が付かない。
「いいから、早く詰め所に行ってみろ! 砲雷長が説明してくれている!」
背中を押され、僕らは第一砲雷科の詰め所へと急いだ。
そこには、スザキ大尉を中心に、乗員たちが黒山の人だかりを作っていた。皆、紅潮した顔で何かを叫び、互いに肩を叩き合っている。
スザキ大尉は、一枚の電文用紙を掲げ、その喧騒を制するように手を挙げた。
「トウゴウ伍長、それに魔女殿も戻ったか」
「はっ。ですが一体、何事ですか? 艦内がお祭り騒ぎですが」
スザキ大尉は、珍しく口元に微かな笑みを浮かべていた。あの冷静沈着な情報将校が、感情を表に出すとはよほどのことだ。
「事態が急変した。いや、好転したと言うべきか。あのウィストリア共和国が、参戦を決めた」
その言葉に、僕は耳を疑った。
「ウィストリア……って、あの、我が皇国のさらに東方、大洋の向こう側にあるあの大国のことですか?」
「そうだ。それ以外にないだろう。つい先ほど、ウィストリア政府からスラヴィア共和国、および我が東方連合皇国政府に対し、正式な通達があった。バリャールヤナ連邦国の暴虐無尽な軍事行動を非難し、我々に対し物資補給と新兵器の供与を行うと打診してきたのだ」
どよめきが、再び沸き起こる。
無理もない。ウィストリア共和国といえば、バリャールヤナ連邦国と肩を並べる、いや、工業力においてはそれをも凌駕すると言われる超大国だ。
我々のいる東方連合皇国から見れば、はるか東、大洋を隔てた別の大陸にある国。どちらかといえば、大海を挟んだ疎遠な国としか思ってなかった。その国力が、味方につく。それはまさに絶望的な消耗戦を強いられていた我々にとって、地獄にいて天から吊るされた蜘蛛の糸――いや、極太の鋼鉄のワイヤーのようなものだった。
「すげえことになった。ウィストリアが味方すれば、バリャールヤナなんて敵じゃねえぜ」
「特に食糧不足は解消するだろうな。弾も燃料も、良質だと聞くぞ」
兵士たちの歓喜の声が響く中、しかし、僕の中にふとした疑問が湧き上がった。
僕はスザキ大尉に近づき、声を落として尋ねた。
「しかし、砲雷長。なぜ今、ウィストリアなのですか?」
スザキ大尉は、僕の疑問を予期していたかのように頷いた。
「そりゃあ、疑問に思うのも無理はないだろう。ウィストリア共和国は、我々とは地理的にも歴史的にも、縁が遠い。むしろあちらにとって我々は、海を隔てた隣国であり、どちらかといえば敵対的関係に近い存在だ。現にウィストリア共和国は、東方連合皇国を仮想敵国としていたくらいだからな」
「ええ。彼らは東の大洋の向こう側で、それなりの海軍力を保有しております。バリャールヤナと事を構えるには距離がありすぎる。直接的な脅威ではないはずです。むしろ、我々の方に敵意を向けてきてもおかしくないと思ってたほどですから」
僕のこの物言いに、サヨは首をかしげている。
「あのさ、タクヤ。どうしてウィストリア共和国は我々を仮想敵だと思ってるの?」
その問いに対する回答は、正直答えづらい。これはスラヴィア共和国や西方列強国にも言えることだが、我々のような人種を差別的に見ている節がある。植民地の多くは、我々と同じか、より濃い褐色の肌をしており、一方で彼らの肌は白い。ただ、肌の色が違うという理由だけで差別意識が生まれるのも、我が国以外の有色系人種の国家に未開の文明国家が多かったためだろう。
にしてもだ、我々はともかく、ウィストリア共和国がスラヴィア共和国と組むということにも違和感がある。
「ところで砲雷長、小官はかつて習いました。ウィストリアは五十年前、スラヴィア共和国を相手に独立戦争を戦った国だと。言ってみれば、スラヴィアは彼らにとってかつての宗主国であり、敵だった国ですよね? 今では表向き、良好な同盟国としているものの、植民地を多く抱えるスラヴィア共和国に対してあまりいい感情を抱いていないのではないかと……」
そうなのだ。
ウィストリアにとって、スラヴィア共和国はかつて自分たちを支配していた憎き相手のはずだ。独立戦争の記憶は、五十年程度では消えないだろう。その戦争で戦った人々の内、まだ存命する者もいる。
さらに言えば、我が東方連合皇国とも、大洋の覇権を巡って潜在的な対立関係にある。我々自身も、ウィストリア艦隊を仮想敵として海軍力増強の構想が出ていたほどだ。
が、昨日の敵であるスラヴィアと手を組んだ我々だが、さらにその向こうにいる「もう一つの敵」とも手を組むことになる。
しかしなぜ、彼らは突然、我々に味方する決断をしたのか。やはり不可解でならない。
「確かに、感情論で言えば、彼らが我々に加担する理由は薄い。だが、地政学的に見れば、バリャールヤナとウィストリアはさほど遠い国というわけではない。それゆえの『恐怖』が、彼らを動かしたのだろう」
スザキ大尉は、海図を広げ、バリャールヤナ連邦国の位置を指し示した。
「この地図で見る限り、ウィストリア共和国から見ればバリャールヤナははるか東方の国家。だが、この大地は丸い。つまり奴らが北方へ進出し、資源地帯をもつウィストリア共和国を攻めようと考えたならば……今は我々とスラヴィアがそれぞれウィストリアとバリャールヤナと対立しているためウィストリア共和国には向いてないが、もし我々が倒されれば、どうなる?」
「……今度は北方の、ウィストリアへ向かうと?」
「あるいは、経済的にウィストリアを封鎖するかもしれん。バリャールヤナは、西方大陸の北半分を支配する巨大国家だ。奴らが南方の資源と、東方、北方の海洋ルートを完全に掌握すれば、ウィストリアは海上封鎖されることとなる」
ああ、なるほど。言われてみればその通りだ。
だからウィストリアは、バリャールヤナという怪物をこれ以上放置することに、強烈な危機感を抱いたのか。
かつての宗主国だろうが、潜在的なライバルだろうが、目下、それ以上に危険な巨大怪物を倒すためには、かつての敵だろうが仮想敵だろうが同盟する。それが彼らの論理ということか。
「それに、ウィストリアは『自由と資本民主主義国家』を自負している。バリャールヤナのような統制経済主義国家が世界を席巻することを、イデオロギー的にも許容できなかったのだろう。まあ、建前半分、本音は自国の市場防衛といったところだろうがな」
スザキ大尉は両手を広げながら、やや呆れ顔でそう語った。
いずれにせよ、劣勢に立たされつつある我々にとって、この申し出を断る理由はない。
「で、その支援物資というのは、いつ届くのですか?」
「七日後だ。ここ、バハナ王国のカルタエナ港へ、大規模な輸送船団が入港する」
「えっ、たった七日後ですか!?」
意外と早い。我が国の第四艦隊とは大違いだ。いや、すでに近くまで来ていたということか。
「それ自体も脅威的だが、驚くべきはそこだけじゃない」
スザキ大尉は、持っていた電文用紙を僕に見せた。
「この通達、ウィストリアは『平文』で打電してきた」
「はぁ、ですが、それが何か?」
「分からないか? 世界中で簡単に傍受できる、ということだ。つまり『ウィストリア共和国は、スラヴィア共和国および東方連合皇国を支援する』と、世界中に発信したも同義だ。バリャールヤナに対し、これほど大胆な敵対表明方法はないぞ」
それを聞いた僕は、少し背筋が寒くなるのを感じた。
それは単なる連絡ではない。全世界に対する、そして何よりバリャールヤナ連邦国に対する、事実上の「宣戦布告」だ。いや、それだけではない。
「当然、バリャールヤナも受信しただろうな。だが一方で、他の西方列強国も受信したはずだ」
「それはそうでしょうね。……ということは、もしかして」
「そうだ。簡単に言えば、バリャールヤナは世界を敵に回した、ということになる。ウィストリア共和国が動いたとなれば、それまで中立を決め込んでいた他の西方列強国も決断を促されることだろう」
これはバリャールヤナにとっては、悪夢以外の何物でもないだろう。
ただでさえ東方連合皇国の魔導砲に手を焼き、東方の海上では多大な損害を受けた。一方で西方ではスラヴィア共和国という古豪の海軍に阻まれ、そこへ来て世界最大の工業力を持つウィストリアまでもが敵に回る。
他の列強諸国もウィストリアに追随すれば、バリャールヤナが孤立することになる。
「ええと、大尉殿。私にはさっぱり分かりませんが、要するにバリャールヤナは追い詰められたのだと、そうおっしゃりたいのですか?」
横で聞いていたサヨが、怪訝な表情で尋ねた。
「つまり、そういうことだな。我が国にとって、大国バリャールヤナを追い詰める絶好の機会を得たということになる。それは、間違いない」
スザキ大尉のこの言葉に、僕とサヨは安堵する。が、スザキ大尉は続ける。
「だが、だからこそ危険なんだ」
スザキ大尉が表情を引き締める。僕は尋ねる。
「どういうことです? 世界を敵に回すということは、バリャールヤナにとっては危機的状況じゃないですか」
「なればこそだ。窮鼠猫を噛む、というからな。追い詰められた敵は、何をするかわからんぞ。ウィストリアの船団が到着するまでの七日間、バリャールヤナは死に物狂いでこのカルタエナ港を潰しに来るかもしれない」
艦内の歓喜の渦とは裏腹に、僕の腹の底には重たい鉛のような緊張感が沈殿していく。ウィストリアの参戦は、確かに希望だ。だがそれは同時に、この戦争が最終局面へ向けて、より激しい戦いに突入することを意味していた。
「七日間、か」
僕は窓の外、夕闇に沈む港を見つめた。
その夕日に照らされた新型魔導砲は、未だ使い物にならない。敵の「壁」を破る手段もまだ不完全だ。
そんな中で、我々はまだしばらくの間、強敵の総攻撃を凌ぎ切らなければならない。
「タクヤ」
サヨが僕の服の袖を掴んだ。その瞳は、不安に揺れている。が、一方で何か覚悟を決めたようだ。
「私、もう一度アーティに会いに行く。ダメかもしれないけど、今度こそその秘術を教えてもらう。世界の理が変わる危険があろうとも、この国を、そしてみんなを守るために」
「サヨ、しかしだな……」
「ウィストリアの人たちが来てくれるなら、私たちも諦めるわけにはいかないもん。それに噂では、新しい兵器も来るんでしょう? だったら、私だってあの新型魔導砲を使えないままというわけにはいかない」
彼女の覚悟は決まっていた。そうだな、ならば僕も、腹をくくるしかない。
「分かった。僕もついていく。僕からも説得してみるよ」
「うん。ありがとう、タクヤ」
港には、スラヴィアの戦艦群と、傷ついた我が皇国の艦艇が並んでいる。
七日後、ここにウィストリアの旗を掲げた船団が入ってくるその時まで、この海を守り抜く。
バリャールヤナ連邦国よ、ついにあの巨大国家に、引導を渡す時が来た。
世界中を敵に回したその報いを、たっぷりと味わわせてやる。僕はそう思った。
もっとも、その日もやはりアーティの説得は失敗に終わるのだが。
さて、その翌朝。カルタエナ港の沖合に、不気味な影が現れた。哨戒艇からの報告が入る。
『敵艦隊、接近! 数、七十隻以上! バリャールヤナの主力艦隊です!』
やはり来たか。ウィストリアの支援を阻止すべく、奴らは大戦力を投入してきたようだ。
七十隻。過去最大規模の敵艦隊。
対するこちらは、皇国第二艦隊とスラヴィア第六、第七艦隊、そして到着したばかりの急ごしらえの第四艦隊。これらを合わせても五十隻に満たない。
しかも、我々には決定打となる「新型魔導砲」がまだ使えないときた。
「行くぞ、総員配置につけ! この六日間が、正念場だ!」
スザキ砲雷長の怒号が飛ぶ。
僕はサヨの手を引き、第二砲塔へと走った。
「サヨ、今はこの震洋の砲で戦うしかない!」
「そうね、でも私たちは今までだって、不利な中、わずかな隙を見つけて勝利してきたんだもん。今度だって、上手くやるよ」
嘆いていても始まらない。そうサヨはいいたげだ。
そうだな、ウィストリアという希望の光が見えた今、ここで沈むわけにはいかないのだ。
両軍が、カルタエナの海上で対峙しようとしていた。新たな局面を迎えたこの大戦。その激動の渦中へ、三連装の魔導砲を抱えた戦艦「震洋」は戦いに身を投じるべく、出港準備に入る。
西の彼方から迫る友軍と、北から迫る復讐の敵軍。
この先の命運を左右する戦いが、今、始まろうとしていた。




