#30 工作
バリャールヤナ艦隊の不可解な「見えざる壁」による遅滞戦術と、水中からの潜水艦攻撃。それらを辛くも退けた我々第二艦隊とスラヴィア第七艦隊は共に、バハナ王国の主要港湾であるカルタエナ港に入港していた。
南国の湿った夜風が、戦傷のついた何隻もの船体を撫でる。
カルタエナ港の桟橋には、巨大なスラヴィア戦艦群と、それに比べれば一回り小さな我らが「震洋」以下の皇国艦隊が並んでいた。だが、その威容とは裏腹に、乗員たちの表情は晴れない。
先の戦闘で、我々は駆逐艦一隻を大破という形で失うこととなり、スラヴィア艦隊もまた複数の艦がドック入りを余儀なくされていたからだ。
数が減るばかりだ。それに対し、敵は無尽蔵に艦艇が生えてくる艦隊のようで、いくら沈めても湧いてくるがごとく、数十隻単位で押し寄せてくる。
逆に言えば小出しに送り出してくれるおかげで、どうにか耐えているというのが現状だ。
だが、スラヴィア共和国だって馬鹿じゃない。
「おい、聞いたかよ」
我が皇国軍の仮設兵舎として借り上げられた倉庫の一角で、サイゴウ伍長が顔で僕に耳打ちする。
「スラヴィア本国からの増援の話だろ?」
「ああ。向こうは最新鋭の第六艦隊、二十七隻を丸ごと寄越すそうだ。さすがは大国、底力が違うわなぁ」
当然と言えば当然だ。なにせ、世界一の海軍だと自負している国だ。増援くらい送ってくるだろう。むしろ、遅すぎたくらいだ。
それに引き換え、我が皇国からの返答は情けないものだった。
軍令部からの通達によれば、急造の「第四艦隊」八隻が編成され、それが今、こちらに向かっているとのことだが、その内訳は老朽化した戦艦や練習艦を改造した艦、そして海防艦をかき集めた急造の艦隊だという。
「数の上ではありがたいが、足手まといにならなきゃいいがな……」
スザキ大尉も、珍しく弱音に近い言葉を漏らしていた。第一砲雷科の士気が下がるのも無理はない。国力の差という冷厳な事実を、まざまざと見せつけられたのだから。
「ああ、戦いっていつ終わるのかなぁ」
カルタエナの街で見つけたとあるカフェで、マンゴージュースを前にサヨがぼやく。
その一言で僕はふと、このところサヨとの会話が戦争に関することばかりになってることに気付かされる。
「あのさ、サヨ」
「なに」
このところの戦い続きで、やや不機嫌気味な表情のサヨが、沈んだ声で答える。いや、もしかすると、目の前のマンゴージュースがあまり口に合わなかったのか?
「そういえばさ、今みたいに暑い日が、霧隠でもあったよね」
突然、話の方向を故郷に切り替えたことに、サヨは煙に巻かれたような顔で、不機嫌さと意外さが混ざった変な表情でこちらをみる。
「山奥だからね、夏といっても涼しい場所だからね。暑い日は、大変だよね」
「そうそう、そんな暑い日に、サヨと一緒に川に行ったことがあったじゃない」
「あ」
川と聞いて、サヨは何かを思い出す。いや、そうなるように仕向けたから、当然と言えば当然の反応だ。
「い、いや、あの、あの時のことは……」
「別にいいだろう。今さら、隠すようなことじゃないし」
「それはそうだけど……いや、そうじゃなくて」
「僕もあの時は驚いたよ。あれがサヨの全身を知った、初めての出来事だったかな」
サヨは顔を真っ赤にして、マンゴージュースをさじでかき回している。動揺しているな。でもまあ、この瞬間だけ戦争を忘れることができているようだ。
なお、その出来事とは、サヨと共に川に出かけて浅瀬を歩いていたのだが、サヨが擦っ転んでしまった。が、巫女の白く薄い衣装が濡れれば、どうなるか。
当時の僕にとってそれは、刺激を通り越して、驚愕のあまり川に倒れてしまったくらいだ。おかげで川から上がり、服が渇くまで川岸そばの崖に隠れるように過ごした、という話だ。
その日は本当に暑い日だった。日差しが強く、服が渇くまでに三十分もかからなかったんじゃないだろうか。
だが、サヨにとってその三十分は、永遠に近い時間だったろうな。もしこの間に誰かが通り過ぎたなら……いや、幸いなことに、僕ら二人以外、この場には現れなかった。
が、逆に言えば、僕がいた。僕もなるべくサヨを見ないようにしてはいたものの、好奇心というやつが僕の心をそそのかす。時折、こっそり目線をサヨに向けてしまう。
サヨも両手で隠したいところだろうが、それをするとますます乾くのが遅くなる。真っ赤な顔で、その真っ白な服がべったりとへばりつき、上半身の姿を露わにしているのを、隠したくても隠せない。
でも、あのころはまだ、バリャールヤナ連邦国が攻めてくるなんて、思ってもいなかった頃だったな。
さて、そんな昔の思い出で、戦いのことを少しだけ忘れさせてくれた、そんな夜のことだった。
僕とサヨに割り当てられた宿所――といっても、港近くの古い石造りの安宿の一室だが――の扉をノックする音がする。開けてみると、そこにいたのは軍服姿のとある女性。
「あら、相変わらず狭い部屋ですこと」
そう、現れたのは戦艦「櫻火」の魔導砲手、ヒトツバシ兵長だった。夜分だというのに軍服を隙なく着こなし、相変わらず高飛車な物言いでやってきた。
というか、こんな夜中に、何しに来た? まさかとは思うが、皮肉を言うためだけに来たんじゃないだろうな。
「ヒトツバシ兵長……こんな時間に、何の用です?」
僕がぶっきらぼうに尋ねると、彼女はずかずかと部屋に入り込み、そばにあった粗末な椅子に腰掛けて、単刀直入に告げた。
「つい先ほど、予言が出ましたの。今夜、このバハナ王国の王室に『紅き凶星』が落ちる、と」
「えっ、王室に……紅き凶星?」
その不可解な予言に、僕は何のことだかさっぱりだった。が、サヨにはなんのことだか分かったようで、がばっと立ち上がるとヒトツバシ兵長に尋ねる。
「もしかして、バリャールヤナの兵士が、忍び込んでくるってこと!?」
バハナ王家は、スラヴィアと我が皇国との同盟を支持し、港の提供を快諾してくれた恩人だ。その王室に、何か危機が迫っているのだという。
「『紅』はまさにバリャールヤナを現し、凶星は……おそらく、それ相応の強力な武器を示してますわね。場所は王宮。多分そこで、何らかの襲撃が行われますわ。スザキ大尉がスラヴィア軍の警備隊にも報告はしたのですが、『占いごときに言われなくても、警備は万全だ』の一点張り。となると、動けるのは、我々しかおりませんわ」
事態は急を要する。それを悟った僕は、傍にあった銃を抱える。そして、腰のバッグに弾倉をいくつか詰め込む。
が、そんな僕に、サヨがついていくと言い出した。
「いや、だめだ、さすがに危ない」
「私なら、危険な敵の居場所を当てられるかもしれない。だから、連れてって」
言われてみれば、機雷源を発見したこともあった。忍び込んだ敵がどこにいるのかすら分からない現状では、魔女の勘とやらに頼らざるを得ない。
「分かった。だけど、僕の背中から離れないで」
「私も、参りますわよ」
「いや、ヒトツバシ兵長、あなたは別に……」
「用済みだと、そう言いたいのですか? 冥府の巫女が向かうというのに、どうして皇国の守り神に仕える私が参らぬといえるのですか」
とまあ、正直言ってあまり役に立ちそうにないこの巫女も伴いつつ、僕らはすぐに宿を飛び出す。林のそばで合流したスザキ大尉や第一砲雷科の面々と共に、王宮へと続く石畳の道を急いだ。
全員、小銃や拳銃で武装している。僕の抱えている銃は、かつて陸軍時代に使っていたのと同型の小銃だ。手には馴染む重みだが、それがかつての記憶を呼び覚ます。訓練の日々や、前線での戦闘での記憶だ。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。一刻も早く向かわねば。
だが、王宮へと続く大通りで、よりにもよって警備兵らに見つかってしまった。
「ストップ! ホエァ ドゥ ユー ゴゥ ウィズ ガン!?」
スラヴィア軍の警備兵たちだ。十数名の兵士が、銃口をこちらに向けて立ちはだかる。言葉は分からないものの、武器を抱えた我々を警戒していることは、その態度でわかる。
「メイク ウェイ! バリャールヤナ メイビー アタック ハバナ パレス!」
スザキ大尉が片言のスラヴィア語で説得を試みるが、警備隊長らしき男はこう返す。
「シャラップ! ターンバック! オァ ショット ユー!」
スラヴィア兵たちが安全装置を外す音が響く。引き返さねば、撃つと言っている。まさに、一触即発の危機。同盟国同士で撃ち合いになれば、それこそ敵の思う壺だ。だが、ここで引くわけにはいかない。
その時だった。
「……いる」
僕の背後から、サヨが進み出る。
彼女の視線は、スラヴィア兵たちではなく、その後方、王宮の裏手に広がる鬱蒼とした熱帯林に向けられている。
「ヘィ、ゲッバック!」
警備兵の怒号を無視し、サヨは静かに、しかし凛とした声で告げた。
「あそこ。王宮の裏の林、禍々しい気配を感じる。おそらく、バリャールヤナの工作員たち」
やはりな、サヨは何かを感じたようだ。スザキ大尉は、サヨの言葉を警備兵らに伝える。が、彼らは魔女の言葉など信じるはずもない。
「何を根拠に、と言っている。どうする?」
スザキ大尉がサヨにそう伝える。が、サヨはこう答える。
サヨはスラヴィアの隊長を真っ直ぐに見据えた。以前の、あの人見知りのおどおどした様子は微塵もない。数々の修羅場をくぐり抜けてきた「三連装砲の魔女」としての覚悟が、その小さな身体から発せられていた。
そして、スザキ大尉、というよりもスラヴィア軍の警備兵に向かって、こう言い放った。
「ならば、一緒についてきて。もし、そこに行っても何もなかったら、私を捕まえても構わない」
言葉はおそらく通じてはいないだろう。だが、そのサヨの気迫に、スラヴィアの隊長がたじろいだ。
彼はしばらくサヨを睨みつけていたが、やがて舌打ちと共に銃を下ろした。
「……チッ。オーケー、ゴゥ ウィズ アス!」
一時はどうなるかと思ったが、サヨの捨て身ともいえるこの説得に、スラヴィア軍兵士が押された。こうして、スラヴィア警備兵は我々、第一砲雷科とともに、王宮の裏林へと足を踏み入れることとなった。
熱帯特有の湿った風が吹く林の中は、月明かりも届かない闇に包まれている。だが、僕の耳はかすかな音を捉えていた。微かな衣擦れの音。落ち葉を踏む音、そして、金属が触れ合う音。
「伏せろッ!」
僕が叫ぶと同時に、闇の中から曳光弾の閃光が走った。
「エナミ― ファイア!」
スラヴィア兵たちも、そして第一砲雷科の全員が伏せ、手に持った銃を放つ。銃声が静寂を切り裂く。
やはり、バリャールヤナの工作兵がいたな。迷彩服に身を包んだ一団が、携帯式の火器でこちらを狙い撃ってくる。
「前進する! 敵の足を止めるぞ!」
スザキ大尉の号令で、第一砲雷科の面々は匍匐前進を開始する。スラヴィア兵たちも進むが、元々が陸戦用訓練に慣れていない者ばかりだ。そんな中、元陸軍兵士だった僕は、サヨにこう告げる。
「サヨ、第一砲雷科の連中と残れ!」
「えっ、タクヤは!?」
「敵を、足止めする」
そう言って僕は小銃を構え、膝立ちになる。
海軍に入ってからは砲弾運びばかりだったが、身体はまだ陸戦での動きを覚えていた。呼吸を整え、闇に動く影を狙う。
僕の放った銃弾が、乾いた発砲音と共に放たれる。と同時に、工作兵の一人が崩れ落ちる。
「……そういえば、やつは元陸軍伍長殿だったな」
サイゴウ伍長の声が聞こえる。僕は木陰に隠れて、次々とボルトアクションしつつ、トリガーを引く。重い榴弾砲の弾薬箱を抱えた兵士たちの動きは鈍い。的確に急所を撃ち抜き、敵の制圧射撃を封じていく。
この騒ぎに気づいた王宮からも、警備兵が出てきたこと。バリャールヤナの部隊はますます追い詰められていく。
が、敵もただでは終わらない。
「おい、あそこを見ろ!」
スザキ大尉が林の奥を指差す。開けた場所で、王宮のそばにたどり着いた工作兵たちが、何かを組み立てている。
月明かりに照らされたそのシルエット、間違いない、あれは携帯式榴弾砲だ。その砲口は、まっすぐに王宮の寝室がある塔へと向けられている。
「くそっ、撃たせるな!」
スザキ大尉が叫ぶが、距離がある。工作兵は全部で五人、僕の小銃だけでは足りない。スラヴィア兵も牽制射撃で手一杯だ。
敵兵が装填を終え、発射態勢に入る。
間に合わない――と、そう思った瞬間、僕の銃に誰かが触れる。
「タクヤ、その銃を撃って!」
サヨが僕の手元の小銃に手を伸ばした。
「サヨ、何を……」
「祝詞を唱えたら、すぐに引き金を引いて、すぐに銃から離れて!」
サヨの両手が、僕の持つ小銃の銃身を包み込む。
温かい。いや、熱い。
彼女の手から、奔流のような魔力が銃へと流れ込んでくるのが分かった。
「八百万の神々よ……邪なる鉄塊を、打ち砕きたまえ! 清めたまえ!」
サヨが祝詞を唱えた瞬間、小銃全体が青白く発光した。木製の銃床がミシミシと悲鳴を上げ、銃身が赤熱する。この銃は当然、サヨの膨大な魔力に耐えられない。
僕が引き金を引いた瞬間、銃口から放たれたのは鉛の弾丸ではない。まさに、青い閃光。それはすなわち、魔導砲と同じものだ。
戦艦の主砲から放たれるそれの縮小版ともいうべき、収束された青い閃光だった。が、その光に銃身は耐えられず、破裂する。すぐさま僕はサヨを抱えて、木の影に隠れる。
銃を犠牲にして放たれたその光は一直線に林を抜け、設置されたばかりの榴弾砲へと突き刺さる。
ドーンという音と共に、閃光と爆音が夜空を焦がす。光が消え、その榴弾砲のあった辺りを見ると、工作兵もろとも跡形もなく吹き飛んでいた。
その閃光を放った銃は役目を終え、そのまま蒸発四散していた。もはや、跡形もない。
「はぁ……はぁ……」
サヨが僕の胸に倒れ込む。
周囲は静まり返っていた。スラヴィア兵たちは唖然として、魔女の業が生み出した破壊の跡を見つめている。
さて、夜が明けて、スラヴィア兵やハバナ警備兵らによる調査で、事態の全容が明らかになった。
バリャールヤナは、バハナ王と王妃を殺害する計画だったようだ。その混乱に乗じ、この地を奪うために艦隊と上陸部隊を差し向けるつもりだったのかもしれない。
「マズヴィタ、ムロウィ マブヴァズヴァ」
その報告を、僕らは王宮のテラスで聞く。そしてその場にいたバハナ国王と王妃が、サヨとヒトツバシ兵長に深々と頭を下げた。その横では、昨晩我々を止めたスラヴィアの隊長が、気まずそうに、しかし敬意を込めて敬礼してこう告げる。
「グレイト ジョブ! サンクス ウィッチズ!」
その言葉からは、感謝されているのは分かった。サヨとヒトツバシ兵長が、照れくさそうに顔を見合わせる。こうして、バハナ王国の危機は去った。
だが、宿に戻った僕とサヨを襲ったのは、達成感ではなく、底知れぬ不安だった。
敵は、戦場を選ばない。海の上だけでなく、こうした工作活動や暗殺すらも平然と行う。手段を選ばぬバリャールヤナの執念。改めて、恐ろしい国であることを悟った。
「……怖いね、タクヤ」
ベッドの中で、サヨが僕の背中にしがみつく。
「ああ。でも、僕らが守り切った場所が、また一つ増えたってことだ」
僕はサヨの手を握りしめ、静かな夜を過ごした。この先、どんな戦いが待っているのか、その不安を感じながら。




