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#3 予感

『これより我が第二艦隊は、スレイン海峡へと向かう』


 第二砲塔ではなく、第一砲塔の清掃作業を行っていた僕は、伝声管越しに艦長のこの言葉を聞く。

 僕は第二砲塔に住む魔女の世話係が主任務ではあるものの、砲雷科の一員として、砲弾や弾薬の補充や他の砲塔の清掃を手伝うこともある。

 そんな任務の真っ最中に聞かされたこの言葉は、困った事態を引き起こす。


「えっ、このまま櫻坂(さくらざか)港に帰投するんじゃなかったのかよ」


 詰所で、第一砲雷科の一人がそう呟く。そりゃそうだ。先の戦いで弾薬も多くを使い果たし、燃料や食糧も残り少ない。


「ああ、それなら、海上補給を受けるんだとよ。さっき、砲雷長がそう言っていた」

「ええーっ、やめてくれよ。結構大変なんだぞ、海上補給作業ってのは。揺れる海の上での作業な上に、陸上の作業員もいないから、俺たちだけやらなきゃならないんだぞ」


 ああ、やっと(おか)に上がれると期待していたのに、もう一戦、することになるとは思わなかった。これで帰投時期が一週間伸びることとなる。

 となると、問題はサヨだ。

 (おか)でなければできないことが一つ、あるからだ。


「ええーっ、港に入らないで、このまま次の戦場に向かうの!?」


 この第二砲塔には、寝床から厠まで一通りの生活の備えがある。が、たった一つ、ないものがある。

 そう、風呂場だ。

 ここ一週間、サヨは毎日、一杯のバケツの水だけを使い身体を拭くことしかできていない。この第二砲塔の狭い空間では、それが精一杯だ。

 が、そんな一時しのぎでは、この元・巫女の身体は清められない。


「困ったなぁ、あと一週間、どうしよう……」


 もちろん、この艦内にも風呂はある。が、士官用と兵員用で、それも男用しかない。当然だ、男の乗員しか乗ることを想定されていないからだ。

 が、僕は艦長に呼び出され、こう告げられる。


「本日の標準時、一六〇〇(ひとろくまるまる)より三十分間、第一浴場を第二砲塔の魔女殿が使用することを許可する。直ちに、入浴準備せよ」


 驚いたことに、艦長命令によってこの艦内の風呂場の使用が許可された。


「はっ、カンザキ上等兵の入浴準備を行います!」


 思わぬ命令が出た。指定時間まで、あと二十分ほど。僕は大急ぎで第二砲塔に向かう。


「ええっ、お風呂にはいれるの!?」

「艦長命令だ。あと二十分しかない、用意できるか?」

「ちょ、ちょっと待って!」


 慌てて、手ぬぐいや着替えを用意をするサヨだが、よく考えたらそれに付き添うのは僕しかいない。

 まさか、一緒に入るわけにはいかない。僕ができるのは、出入り口を固め、他の男が入ってこないようにすること。

 だが、その出入り口は内側からしか鍵をかけることができない仕組みになっている。


「そ、それじゃあ、行ってくるね」


 そうサヨが言い残すと、カーテンを閉め、中で服を脱ぎ始める。

 僕はその反対側、扉にはめ込まれたリベットだけをじっと見つめて、サヨが風呂から上がるのをただひたすら待つ。

 この第一浴場は狭いものの、士官用の風呂場だ。ゆえに、我々一般兵士が踏み込めるような場所ではない。

 我々、下士官以下は通常、シャワー風呂だ。浴槽はない。両手に液体せっけんを受け取り、それをごしごしと洗いながらシャワーの中をさっと通り抜ける。その間、ものの十秒ほど。それに比べると、士官用の浴槽の難と贅沢な事か。

 その浴槽から、バシャというお湯をかける音が聞こえる。このカーテンの向こう側には、一糸纏わぬ姿のサヨがあるのか……と、いかんいかん、余計なことを考えるんじゃない。

 しばらくするとサヨが、僕にこう告げる。


「ねえ、手ぬぐい、ちょうだい」


 そうサヨがいうので、僕はカーテンの隙間からそっと手ぬぐいを渡す。狭い浴場ゆえに、手ぬぐい置き場はこのカーテンと扉の間にしか置かれていない。僕はカギを閉めて他の士官が入ってこないよう見張る必要があるため、その狭い場所には僕が立つしかない。

 それゆえに、カーテン一枚隔てて僕は、サヨに身体を拭きとる手ぬぐいを渡すことになる。

 しかしだ、身体を拭くための手ぬぐいを渡したその手を、サヨはその手をぎゅっと引き寄せる。僕はカーテンの隙間から入り込み、サヨの姿を目にしてしまう。

 きれいに洗い流された黒い髪、肩から鎖骨にかけてのラインと、その下に続く小さなふくらみ、そしてさらにその下のへそや脚までが丸出しの姿の魔女が、僕の前には立っていた。その普段は見ることのない白い肌で、僕は興奮を覚える。


「お、おい、サヨ、何を……」

「私、別にタクヤなら見られたっていいんだよ」


 そう言いながら、僕の右手をそっと胸に当ててくる。柔らかな感触で我を忘れそうになるが、一方で僕は大事なことを、サヨに告げざるを得なかった。


「あと五分! 五分でここを出ないと、他の士官殿たちがやってくるんだぞ!」

「ええーっ!? ちょ、ちょっと待って、そういうことはもっと早く言ってよ! 大急ぎで着替えるから!」


 まったく、何を考えているのやら。そんなやましいことを考えている暇はないんだぞ。僕らは大慌てで第一浴場を出て、暗がりの中、第二砲塔へと帰っていった。


「それじゃ、また明日来るよ」

「うん、また明日ね」


 そう言って別れた僕らだが、僕は寝床へと戻る途中、ふと右手を見る。

 柔らかかったな、サヨの胸は。

 いかんいかん、要らぬことを考えてはこの先の戦いに支障が出てしまう。僕は慌てて寝床へと急いだ。そして、眠りにつく。


「全員起床! これより、補給準備にかかれ!」


 起床ラッパと共に、僕らは早朝にたたき起こされた。補給艦「さざ波」が、まさに我が艦のそばに横付けされようとしている。


「一番、三番、牽引ロープを引けーっ!」


 その補給艦の前後から投げられたロープを、機関科を覗く乗員らで一斉に引っ張る。そしてぴったりと、補給線を横付けする。

 すぐに補給艦から梯子がかけられる。


「総員、物資補給にかかれ!」


 参謀長の号令と共に、我々はその梯子を下りて補給艦へと向かう。梯子に三人が並び、甲板の低い補給艦からの物資の入った箱を、次々と上へとリレーしていく。それを戦艦の甲板に一度積み上げる。その間に、つながれた太いパイプを伝って重油が我が艦へと流し込まれる。

 砲弾は、後部にあるクレーンで降ろされる。それらは一度、後部甲板に降ろされた後に、第一、第三砲塔の弾薬庫へと運び込まれる。

 これらを運ぶ作業を行うのが、第一砲雷科の仕事だ。


「ぐずぐずするな! 今、敵が現れたら元も子もないぞ!」


 指示だけはご立派で、手は動かすことのないその砲雷長の号令と共に、僕らはこの重い砲弾の箱をひとつづつ、押していく。それが各砲塔にたどり着くと、砲弾と弾薬袋を弾薬庫に並べていく。

 それだけの作業で、五時間もかかってしまった。


「た、大変だったね」

「いや、大丈夫だよ。それよりお昼ご飯、遅くなってごめん」

「いいよ、私は何もしてないんだから」


 そう言って、運んできた缶飯とみそ汁、それにおしんこや瓶詰から取り出した焼き魚などを口にしている。


「今日は缶飯や瓶詰だけど、明日からはもう少し、いい食事になるよ」

「そうなの? でも私、缶飯でもいいかな」


 正直言えば、社での巫女の暮らしはあまりいいものとは言えなかった。年に数度の神事で得られるお布施と、地元の寄付のみで成り立っているようなところだ。贅沢はできない。

 それに比べたら、軍隊というところはとりあえずは栄養価のある食事にありつける。ありがたい限りだと、サヨは言っている。だが僕はもう少し、まともな生活を送らせてあげたいと思ってはいる。

 この戦争さえ終われば……と考えていると、急に昨晩の、右手に感じたあのサヨのぬくもりを思い出す。なんだか急に、顔が熱くなってきた。


「あれ、どうしたの? 顔が真っ赤だよ」

「あ、ああ、今日は炎天下の中動いたからかな」

「私なら大丈夫だから、お昼、食べてきなよ」


 と、サヨが言うので、僕は第二砲塔を出て食堂へと向かう。


「おい、どうだったよ、昨日の風呂は」


 そんなところに、サイゴウ伍長がやって来た。昨日の、サヨの風呂番の時のことを聞いているのは明白だ。


「わずか三十分で、入浴を済ませなきゃならなかった。大変だったよ」

「そうばかりでもないだろう。ちゃんと見たんだろう、魔女殿の御身体(ごしんたい)を」


 こいつめ、そういういかがわしい話が大好きだな。あの戦闘以降、この伍長は僕に対し、急に馴れ馴れしくなってきた。


「そんなもの、見てる暇もなかったよ。あの後は、すぐに士官が入ることになっていた。大急ぎで撤収したんだから」

「ふうん、面白くねえなぁ。せっかく覗き見できるいい機会だったっていうのによ」


 覗き見どころか、もろ見してしまったわけだが……っと、そんなことはどうでもいい。あまりこういう話をしていると、またあの砲雷長に目をつけられる。


「何を無駄話をしている」


 来た。と、思いきや、そこに現れたのは砲雷長ではなく、砲雷科の二番手と目されるスザキ上等兵曹だ。


「はっ、申し訳ありません」

「さっさと食え。まだやることは残っているぞ」


 そういって、砲雷科二番手のお方は立ち去っていった。それにしても、スザキ上等兵曹というお方はよく分からない人だ。砲雷長と同じく粗暴なのか、それとも理知的なのか。口数も少なく、またそれほどかかわりがないから、まだこのお方を見定められていない。

 さて、昼食を終えて、残った弾頭や弾薬を砲塔内に収める作業を続ける。気づけば夕方となり、日も暮れようとしている。

 甲板から船の進路方向を見る。そこからは、二つの島影が見えた。その間が、まさに我々が向かっているスレイン海峡だ。

 ここはもはや、敵勢力圏内だ。バリャールヤナ連邦軍が我が国を攻めるには、このスレイン海峡を通るしかない。だから、ここを抑えるということは、我が国において戦略的安全性を確保することということになる。

 先の大勝利がきっかけで、我が軍はこの難所を攻撃こととなった。


 普段は仲が悪い陸海軍が合同で、このスレイン海峡の両側にある島を攻略しようとしている。そのためにまず、第一陣として我が第二艦隊が差し向けられた。同時に、陸軍も今見えているあの二つの島の上陸部隊を突入すべく、上陸艦艇が百隻以上、迫りつつある。

 もちろん、バリャールヤナ連邦だって馬鹿じゃない。当然この二つの島には、堅固な要塞がある。大型の砲を備えるその難攻不落の要塞を突破すべく、我が東方連合軍はある作戦を立てる。

 まずは夜襲、そして、魔導砲による要塞攻撃だ。

 島にはそれぞれ、大型砲を備えた大要塞がそれぞれひとつづつある。その要塞に夜陰に紛れて接近し、我が艦隊の魔導砲の一斉砲撃によりそれを粉砕する。

 急に決まった作戦に駆り出されることになった戦艦震洋と、第二艦隊の艦艇。先の戦いで被弾、破損した艦もあるというのに、魔導砲が健在だからという理由でそのまま戦場に向かうことになった。

 先の勝利が、むしろ自身らを戦場の奥深くに突入させられる結果を生んでしまったようだ。


 と、そんな戦場へ向かう途中、夕食を持ち、第二砲塔の扉を叩く僕。


「あ、タクヤ……」


 いつも他の男にびくついているサヨだが、どこかいつもと様子が違う。


「どうした、風邪でもひいたのか?」

「そうじゃないよ、そうじゃないんだけど……」


 夕食を食べながらも、どこかうわの空だ。何かに怯えているように見える。

 こう見えても、元々は巫女だからな。今日はこの砲塔の周りに男がせっせと弾薬を運び込んでいたから、その気配を感じ過ぎて調子が悪いのかもしれない。

 が、それだったら昼の段階でそうなっててもおかしくない。なぜ夕方になって急に、おかしくなってしまったのか?

 そんなサヨが夕食を終えるや、こう言い出す。


「なにか、嫌な予感がするの」

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