#26 予言
チェルナイ港に戻って数日が過ぎた。 港は、これまでとは違う種類の熱気に包まれていた。それは戦闘の殺気ではなく、まさに歴史が動く瞬間の、ピリピリとした政治的な緊張感だった。
事の発端は、スラヴィア共和国からの急使だった。
「バリャールヤナへの共同戦線の提案、だそうだ」
「震洋」の第一砲雷科の詰所で、スザキ大尉が報告書を片手にそう我々に告げる。
「つまり、同盟を結ぶ、ということですか?」
「ああ。我々との海戦で主力艦を失い、さらにルマク、シンドゥと植民地独立の動き……その上で、バリャールヤナの驚異だ。スラヴィア共和国といえども、もはや独力でバリャールヤナと対峙する余裕がないのだろう。背に腹は代えられぬ、といったところだな」
大尉が重々しく告げる。 かつての敵国が、今や我々に助けを求めている。皮肉な話だが、これは千載一遇の好機でもあった。
しかし、だ。この話をシンドゥの魔女たちが受け入れるだろうか?
少なくとも、彼女らを納得させるには、シンドゥ大公国の独立承認が絶対条件となる。
そんな中、スラヴィア共和国の交渉団がチェルナイ港に到着した。交渉の場には、中立的な立場でもある、我らが「震洋」の士官室が選ばれた。皇国側からも政府の全権大使が送り込まれ、歴史的な会談が始まった。
だが、交渉はいきなり難航する。
「独立承認など、認められない!」
漏れ聞こえてくる話によれば、皇国側が提示した条件――ルマク王国およびシンドゥ大公国の独立承認に対し、スラヴィア側が難色を示しているらしい。
「当然だろうな」と、第一砲雷科の詰所でサイゴウ伍長がぼやく。
「あいつらにとっちゃ、植民地は金のなる木だ。交易の富を失うのは、腕を切り落とされるようなもんだろう」
「だが、そんな悠長な事を言ってられる状況じゃないことくらい、スラヴィアの連中だって分かってるはずだろう」
「だからと言って、はい認めますとはいえない立場だ。プライドやメンツだけは、一流の国家だからな」
艦隊の補給基地としての利権、他植民地への波及効果。大国のメンツと実利が絡み合い、交渉は平行線をたどっていた。
そんな膠着状態を打破したのは、意外な人物たちだった。 シンドゥ大公国の使節団だ。
彼らはスラヴィア側の代表に対し、毅然と言い放ったという。
「独立と引き換えであれば、我らは貴国艦隊の駐留を認め、補給も行う。無論、交易も、公正な価格であれば継続することを確約する」
独立さえ勝ち取れれば、過去の恨みを飲み込み、実利を与えるというのだ。この現実的な提案が、プライドと実利の狭間で揺れていたスラヴィア側の背中を押す結果となった。
「本国との交渉が必要だ。しばらく、待ってほしい」
今までにない対応だと、その翌日にスザキ大尉が交渉の内容を語ってくれた。なお、我々は今、チェルナイ港の近くに立つ五階建てのビルの一室にいる。当面の間、このビルが我が第二艦隊の仮設の陸上司令部とされた。
「ですが、本国が認めるんでしょうかね?」
ある兵士が、スザキ大尉にそう問いかける。大尉は険しい表情ながらも、こう答える。
「分からん。が、奴らは天秤にかけるだろう。多少の富を捨ててでもシンドゥの独立を認め、その上でバリャールヤナと対峙する。当然、我が東方連合皇国の力も得られるとなれば、なおのことだろうな」
そうスザキ大尉は答える。実際、その通りになった。
数日後、ついにスラヴィア共和国の全権代表とシンドゥ大公国との間で、独立の合意文書への調印が行われた。 同時に、スラヴィア共和国と東方連合皇国の軍事同盟が成立。ついにシンドゥ大公国の独立が、ここに確定したのである。
「やったね、タクヤ」
その夜、僕とサヨは、以前訪れた「カフェ・マンダラ」にいた。 つかの間の平和と、シンドゥの独立を祝して、再びチャイで乾杯するためだ。
「これで、もうスラヴィアとは戦わなくて済むんだね」
サヨが嬉しそうにチャイをすする。スパイスの香りが、安堵と共に体に染み渡る。
「ああ。バリャールヤナとの決着はまだついていないが、少なくとも三つ巴の戦いをする心配はなくなった」
僕もまた、肩の荷が下りたような気分だった。 だが、そんな穏やかな空気は、不意に現れた来訪者によって破られる。
カラン、とドアベルが鳴り、入ってきたのは軍服姿の女性――戦艦「櫻火」の魔導砲手、ヒトツバシ兵長だった。
「まあ、こんなところで油を売ってたんですわね」
相変わらず、高飛車な物言いだな。安国神社の巫女というだけで、そんなに偉いものなのだろうかと、僕は思わずにはいられない。
「ヒトツバシ兵長、何か御用で?」
彼女はいつもの高飛車な態度はそのままに、しかしその表情にはやや影を落としていた。
「まずは、同盟の成立にこぎつけられましたわね。ですが、浮かれている場合ではありませんわ」
彼女は僕らのテーブルの前に立つと、静かに告げた。
「私がこれから申し上げる予言……それは、想定以上に苛烈なものですわよ」
「えっ、予言……ですか? でもそれは、バリャールヤナ艦隊との戦いのことだったのでは?」
僕が尋ねると、彼女は頷いた。
「ええ、それはもちろんその通りです。ですが、バリャールヤナ軍は先の敗戦で諦めるどころか、さらなる『秘策』を引っ提げて襲い掛かってくる、それも、我々の想像を絶するような何かを、ですわね」
「秘策って……また、あの網のようなものですか?」
サヨが不安そうに尋ねる。キング・オブ・インヴィンシブルが使った、魔導砲を無効化する網であり、それは震洋をも救ったあの防壁の魔術のことだ。
「いいえ。あれはシンドゥの魔術でしたが、今度のはもっと根本的な……そう、彼ら自身の技術による悪魔的なもの、としか読み取れませんでした」
「悪魔的……」
僕とサヨは顔を見合わせた。これだけでは何が来るのか、今の僕らには想像もつかない。あの舞姫の力でも十分に驚異的だったが、ヒトツバシ兵長の言葉には、それ以上の何かが来ると言わんばかりだ。
「ちょっと待って下さい、バリャールヤナ連邦国には、そもそも魔女がいないはずではないですか? にもかかわらず、シンドゥの三十人の魔女をも超える何かを仕掛けてくると、そうおっしゃるので?」
「その言葉通り、としか言えませんわね。ですが」
ヒトツバシ兵長は、まっすぐにサヨを見つめた。
「予言は、絶望だけを示したわけではありませんわ。その秘策を打ち破るための『鍵』もまた、示されました」
「鍵?」
「ええ。予言の最後には、こうありました。『古き舞姫の伝承に耳を傾けよ。さすれば、道は開かれん』と」
「舞姫……それって、舞姫のこと?」
「そうですわ。シンドゥ大公国に伝わる舞姫の古い言い伝え、それを聞き出し実行することこそが、敵の秘策に対抗する唯一の手段だというのです」
「でも、そんな話、誰から聞き出せばいいんです?」
「あなた、舞姫の長と仲がよろしいではありませんか。彼女から聞き出すことができるのでは?」
そう言い残すと、ヒトツバシ兵長は去っていった。 残された僕らは、冷めかけたチャイを前に沈黙した。
「アーティに、聞いてみるしかないね」
「ああ、そうだな。しかし、そんな秘策なんてアーティは知っているのか?」
「うーん、分からない。知っていれば、とっくに教えてくれるはずだよね。それとも……」
「何か、懸念でもあるのか?」
「そういうのって、他言無用なことでもあるかも知れない。私だって、霧隠神社の秘術というのを隠してるくらいだし」
サヨが僕にそう告げた。なんだ、サヨでも人に言えない何かを持っていたのか。それは初耳だが、言われてみれば最強の巫女なんだから、そういう秘密の一つや二つ、持っててもおかしくはないか。
で、その日の晩。僕とサヨは、同じ宿屋の部屋で寝た。久しぶりに僕は、サヨを抱きしめた気がする。暑い土地だが、僕らの寝床はそれ以上の熱気に包まれた。
さて、その翌日。僕らはアーティたちが身を寄せているという寺院を訪ねた。 独立が決まったことで、寺院は祝祭の準備に追われていたが、アーティは快く僕らを奥の部屋へと通してくれた。
しかし、サヨが用件を切り出した途端、アーティの表情が凍り付いた。
「舞姫の、古木、言い伝え……?」
「うん。バリャールヤナの新しい兵器に対抗するには、それが必要なんだって。アーティ、もしも何か知ってるなら教えてほしい」
サヨのこの問いかけに、アーティは即答だった。
「ダメ。教え、られない」
「どうして?」
「お前、同じ、魔女。しかも、並の、魔女で、ない。ならば、分かる、はずだ」
アーティが放ったこの一言に、サヨは黙り込む。
どういうことだ? 僕がアーティに問い返す。
「なぜ、魔女なら分かるんだ」
「魔女、ならば、門外不出、秘伝、あるはず。無論、サヨにも」
「それでは、教えられない理由にはならない。この国の独立を守るために戦おうとしているのに、なぜ、話せないんだ?」
アーティは黙り込む。答えたくない、というより、言葉が見つからない、と言った風だ。その僕の問いに対して、サヨが代わりに答える。
「世界の理が、大きく変わるかも知れない」
「は? 世界の、理が変わる?」
「霧隠神社にも、秘伝があると、そう言ったでしょ」
「ああ、確かにそんな話をしていたな」
「なぜ秘伝なのかは、私にもよく分かっていない。多分、アーティも同じ。ただ一言、秘伝である所以は、こう言い伝えられてるの」
「……どう、言い伝えられてるんだ?」
「だから、世界の理を変えてしまう。それほどの力なのだ、と」
サヨがそう呟くと、アーティは我々に背を向けた。
「我、好きで、隠してる、わけではない。サヨ、言った通り。少なくとも、簡単に、話せる、ものではない」
全く、取り付く島もないな。結局、アーティから何も聞き出せぬまま、寺院を後にする。その寺院からの帰り道、サヨは肩を落として歩いていた。
「タクヤ……もしかすると私、とんでもないことをしでかそうとしていたのかも知れない」
その秘伝とやらが、世界が変わるほどの何かだとすれば、確かにその通りだ。だが、確証はない。現にあの安国神社の巫女が、その秘伝を聞けとわざわざ予言していた。だから僕は、サヨのこの言葉にこう返す。
「安国神社の予言は、絶対だ。今まで、外れたことがないと聞く。その予言が、この国の魔女の持つ秘伝を聞き出すことが、我々の勝利につながると言っている。世界の理が変わるようなものならば、そう予言にも出てくるはずだ」
「うん、それは分かってる。だけど……」
「大丈夫だ。まだ時間はある。時を見てまた頼めば、きっと明かしてくれるはずだ。それに、僕らはこれまでも負けると思える数々の戦いで、奇跡を起こしてきたじゃないか」
「うん……そ、そうだよね」
夜空を見上げると、南方の星々が不気味なほど鮮やかに輝いていた。それにしても、バリャールヤナの秘策とは何か。そして、アーティが隠す伝承とは。サヨ自身も何か、隠している気がする。どこか態度がよそよそしい。
新たな戦いに向けて不安で胸をざわつかせながら、僕らは静まり返った夜の道を歩き続けた。




