#24 三つ巴
南方の太陽は、容赦なくその熱量を地上へと降り注いでいた。 東方連合皇国軍第二艦隊が投錨したのは、シンドゥ大公国の東方に位置する要衝、チェルナイ港である。
シンドゥ大公国の首都デリーナから最も近い港町でもある。まさしく、シンドゥ大公国独立の拠点ともいうべき街だ。
そんな要衝の港町は、これまでタクヤたちが目にしてきた風景とは、色彩の彩度も、空気の密度さえも異なるまさに「異界」であった。
抜けるような青空と、強烈な日差しを受けて白く輝く石造りの港湾施設。その向こうには、極彩色の屋根を持つ寺院や、混沌とした活気に満ちた市街地が広がっている。 海風には潮の香りだけでなく、得体の知れない香辛料の刺激的な匂いと、果実の甘ったるい香りが混じり合っていた。
「……にしても、暑いな」
舷梯を降りながら、タクヤは思わず軍帽のツバを持ち上げて額の汗を拭った。 補給のために寄港したこのチェルナイ港は、首都に近いだけあってシンドゥ大公国の中でも特に交易が盛んな都市だという。桟橋には上半身を露わにした肌の浅黒い労働者たちが行き交い、巨大な積み荷を軽々と担いでいく。彼らの大声でのやり取りは、まるで喧嘩をしているかのような熱量を帯びていた。
「タクヤ、待ってよ」
背後から、小走りにタラップを降りてくるサヨの声がした。 彼女もまた、この熱気には当てられているらしい。色白の頬を少し紅潮させ、眩しそうに目を細めている。だが、その瞳には以前のような怯えの色はなく、未知の土地への好奇心が微かに宿っているようにも見えた。
「大丈夫か、サヨ。初めての国だし、僕が周囲の様子をみてから、呼びに行こうかと思っていたんだが」
「タクヤと一緒なら、平気だよ。それに、アーティたちの国なんだし、何か面白いものがないかなと思って」
サヨは控えめに微笑んだ。にしても、サヨが人見知りより好奇心を優先するとは、このところの戦いを経て、サヨは精神的にも強くなってきた。肉体的には……いや、ちょっとそこへ踏み込むのはよそう。
さて、我が 第二艦隊はここチェルナイ港で水と食料、そして燃料である重油の補給を受けることになっていた。作業には半日以上を要するため、非番の乗組員には数時間の上陸許可が出ている。 僕とサヨもまた、つかの間の休息を求めて、この極彩色の街へと足を踏み入れた。
港を一歩出ると、そこは音と匂いの奔流だった。 通りには牛が我が物顔で寝そべり、その脇を派手な装飾を施された三輪自動車がけたたましい警笛を鳴らしてすり抜けていく。市場には山と積まれた見たこともない果物や、目や鼻を刺激する色とりどりの香辛料の山。 そして何より、圧倒的な人の波だ。
「わ、わわ……!」
その人込みをかき分けて、あるものを目にする。それを見たサヨが、小さな悲鳴を上げた。目前に現れたのは、「象」という生き物だ。雑誌でその動物の存在を知ってはいたが、本物を見るのは初めてだ。そんな巨大な象が、ゆったりとした足取りで通りの向こうから歩いてきたのだ。その背にはきらびやかな布がかけられ、象使いが誇らしげに周囲を見下ろしている。 象の鼻がゆらりと揺れ、サヨの近くにあった果物屋の軒先をかすめた。
「こ、こんな大きな生き物が、普通に街中を歩いているなんて……」
「シンドゥじゃ象は神聖な生き物であると同時に、実用的な労働力でもあるらしいからな……っと、危ない」
僕は、人波に押されそうになったサヨの肩を抱き寄せ、路肩へと誘導する。 極彩色のサリーを纏った女性たちが、好奇の目で東方の軍服を着た二人を見つめて通り過ぎていく。
「にしても、すごい活気だ。僕らの国とは何もかもが違う」
「うん……活気もすごいけれど、熱気とつんと来るこの不思議な臭いも、私には刺激的かな」
カルチャーショックに目を白黒させながらも、僕ら二人は地図を頼りに、喧騒から少し離れた区画へと向かった。 港の酒場の荒っぽい雰囲気ではなく、少し落ち着ける場所を探していたのだ。 迷路のような路地を抜け、古びた石橋を渡った先に、その店はあった。
つたが絡まった白い石造りの建物。 入り口には木彫りの看板が掲げられ、現地語で『カフェ・マンダラ』と記されている、とアーティからもらった地図上にはそう書かれていた。ここは、アーティお勧めの店ということでやってきた。扉を開けると、天井の高い店内には緩やかにファンが回り、外の喧騒が嘘のように静謐な空気が流れていた。
「サガット、プルッフ セイ?」
現地の民族衣装を着た店主らしき老人が、穏やかな笑顔で迎えてくれた。どうやら「いらっしゃい」といってることは分かった。僕ら二人は窓際の席に案内され、店主がメニューを指差す。おそらくはおすすめの飲み物なのだろうと思い、それを身振り手振りで注文した。 やがて運ばれてきたのは、土焼きのカップに入った茶色い液体だ。湯気とともに、シナモンやカルダモンといったスパイスの甘くスパイシーな香りが立ち上る。
「『チャイ』 イック ペイハイ」
「チャイ」という飲み物のことは、アーティからあらかじめ聞いていた。だから、運ばれてきたそれがチャイなのだということは、店主の言葉からも分かった。僕はカップを手に取る。 一口含むと、濃厚なミルクのコクと砂糖の甘み、そしてスパイスの刺激が絶妙なバランスで口の中に広がる。暑さで疲弊した体に、その甘さが染み渡っていくようだった。
「……うん、美味しい」
サヨもまた、両手でカップを包み込むようにして一口飲み、ほっと息をついた。 その表情が、戦いの日々で張り詰めていたものから、年相応の少女のものへと戻っていく。
「甘くて、温かくて……なんだか、落ち着く」
「ああ。そういえば、こういう時間は久しぶりだな」
窓の外では、依然として強い日差しが照り付けているが、この店内だけは別世界のようだ。 二人はしばらく言葉もなく、ただチャイの香りと静寂を味わっていた。 思えばここ数日は、緊張の日々が続いた。なにせここは敵地のど真ん中でもあり、「舞姫」救出後は戦艦「震洋」で、いつ現れるか分からない敵艦隊に怯えながらの航海だった。それらすべてが、遠い世界の出来事のように感じられる。
ふと、サヨが視線をカップに落としたまま、ぽつりと呟いた。
「私、前回の戦いのあと……ヒトツバシ兵長に会ったの」
「えっ? いつ」
「ちょうどこの港に投錨した直後、タクヤがスザキ大尉に呼ばれていなかったとき、彼女が私のいる第二砲塔に現れたの」
僕はカップを置く手を止めた。 戦艦「櫻火」に乗艦する魔導砲手の魔女である彼女は、国家の最高権威である安国神社の社主の家系であり、やや高慢ともとれる態度がサヨにとって苦手な存在のはずだった。
そんな巫女と、いつの間にかサヨが会っていたというのだ。
「彼女、何か言ってきたのか?」
「うん。相変わらずな口調だったけど、別に意地悪を言う感じではなくて……」
「で、何を?」
「安国神社の巫女は言った。『今度の戦い、並みの戦いではないことを、ご存じなのかしら?』って」
「並みの戦いではない……か。というか、すでに並みの戦い以上のものを経験したばかりじゃないか」
「そうなんだけど、これまでとは違う戦いになるって、そう言ってた」
ヒトツバシ兵長は、予知を司る巫女でもある。何かを感じて、わざわざサヨに告げに来たのだろう。そして最後に、こう告げたという。
「『我が櫻火も、全力で戦う。だからあなたは、与えられた使命を果たすこと、ただその一点だけを考えることね』と、そう言い残してすぐに『櫻火』に内火艇で帰っていったわ」
「使命?」
「なんだか分からないけど、覚悟を決めろと言いたかったのかな」
サヨはそう答えた。相変わらず、あの巫女は試練ばかりを押し付ける。もう少し励ますとか、そう言うことができないのだろうか?
が、以前のサヨと違い、その程度のことで動じる巫女ではない。数々の戦いを経て、その精神の強靭さを感じる。
「そうか。僕も、負けていられないな」
「いや、別に私はタクヤほど覚悟があるわけじゃないし、まだまだだよ」
「そんなことはないよ。最初の海戦の時と比べたら、サヨは立派になった。僕なんてあれから、何も変わっちゃいない。だから僕も……」
僕がそう答えかけた、まさにその時だった。
「でんれーい! 第二艦隊乗員は、直ちに出港準備となせーっ! 繰り返すっ、直ちに出港準備となせーっ!」
静寂な空気を切り裂くような、伝令兵の声が聞こえてきた。それはつまり、艦隊への緊急帰還命令を告げるものだった。
「タクヤ!」
「ああ、何か起きたようだな、行こう。休憩は、お預けだ」
僕とサヨは飲みかけのチャイを飲み干すと、席を立つ。 店主に代金を渡し、平和な空間を飛び出して、熱気と喧騒の表通りへと駆け出した。
チェルナイ港は、先ほどまでののどかな空気とは一変し、殺気立った緊張感に包まれていた。 上陸していた兵士たちが血相を変えて桟橋を走り、各艦からは黒煙が上がり始めている。缶圧を上げ、まさに出港準備を整えているところだ。
僕とサヨが「震洋」の舷梯を駆け上がり、詰所に飛び込んだ時、そこはすでに「戦場」となっていた。
「タナカ上等兵、現況を報告せよ!」
僕が息を切らせて定位置につくと、すでに指揮を執っていたスザキ大尉が鋭い視線を向けた。
「哨戒艇より打電。西方海域より、接近する艦影あり。スラヴィア共和国軍旗、艦隊規模、二十五隻。内、戦艦七隻を確認、いずれも、最新鋭のオライオン級です。他は巡洋艦七、駆逐艦十一隻」
「距離は?」
「当港より南西七十キロの地点。すでに単縦陣でこの港に向けて進軍しつつあります」
伝令兵からの淡々とした報告に、僕らは唖然とする。前回戦った スラヴィア海軍とは違い、最新鋭の艦隊のようだ。いよいよ、本気でやつらはシンドゥ大公国の独立阻止に向けて動き出した。
「補給状況は?」
「ほぼ完了しつつあるも、九割程度」
「それだけあれば、戦闘には支障ないな。ともかく、後れを取って敵にやられるよりはましだ。総員、配置に付け!」
スザキ大尉の怒号が飛ぶ。「震洋」の巨大な船体が、機関の唸りとともに震え始めた。 隣に停泊していた「櫻火」もまた抜錨し動き出し、主砲塔を旋回させている。
『敵艦隊まで、距離四十キロ。あと三十分ほどで敵艦隊を射程に収める。砲撃戦、用意!』
僕もまた照準器に向かい、戦闘に備える。 だが、事態はこれだけでは終わらなかった。 出撃準備が整い、艦隊が港を出ようとしたその矢先、通信士が信じがたい報告を伝声管越しに伝えてきた。
『哨戒艇より、新たな艦影! さらに西方より、別働隊と思われる艦隊が接近中!」
『なんだと? 増援部隊か!?』
『いえ、バリャールヤナ連邦軍旗を視認! 数、三十隻! ネヴィルィーム級を八隻、確認」
この報告に、僕らは凍り付いた。 バリャールヤナ連邦。スラヴィア共和国とは同盟関係に近い協力体制にあり、互いに不可侵条約を結んでいたはずの大国だ。 彼らがなぜ、このタイミングで、しかもスラヴィア軍と同じ方角から現れたのか。
つまり、二大国が我が艦隊を叩くために現れた、ということか?
おそらくは東方連合皇国とは逆側、西方の港を出た艦隊だろう。東西に長いバリャールヤナ連邦国は、当然、我々とは反対側にも艦隊を持っている。それが出てきたことは間違いない。
が、そんな予想を覆す報告が、再び伝声管越しに聞こえてきた。
『バリャールヤナ艦隊より、暗号電文を傍受! 「我、スラヴィア共和国に対し、正当なる領土の返還を求める」と』
なんだって? 領土の返還? 返還も何も、彼らはこの地に領土など持っていないし、スラヴィア共和国がそれを奪ったという事実もない。
何かの符丁か? だが、その直後のスラヴィア艦隊の動きが、全てを明らかにする。
『報告! スラヴィア艦隊、西へ転進を開始!』
僕は耳を疑った。 西方海域から迫るスラヴィア共和国軍二十五隻は、さらに 西方から迫るバリャールヤナ連邦軍三十隻に向かったというのだ。 本来なら手を組んで我々を叩くはずの二大勢力が、仲間割れを起こしたということか。
そんなとき、スザキ大尉が第一砲雷科の全員を詰所へ呼び集める。そこには、例の三十人の舞姫も集まっている。招集に応じて集まった僕らに、スザキ大尉がこう告げる。
「軍令部から我が第二艦隊宛てに、暗号通信が入った」
そういえば、スザキ大尉は砲雷長でありながら、軍令部の士官でもあった。そんなスザキ大尉が、思わぬことを告げる。
「スラヴィア共和国とバリャールヤナ連邦国両国の不可侵条約が、破棄されたという情報だ」
一瞬、場の空気がピンと張り詰めたように感じた。元々、仲の悪い国家同士、本来ならば同盟関係にあること自体が奇妙な国同士。それがものの二か月あまりで、破綻したことになる。
さらにスザキ大尉は続ける。バリャールヤナ連邦艦隊の狙いは、スラヴィア艦隊の撃滅。彼らの間にあった停戦の密約は、バリャールヤナ側によって一方的に破棄されたとのことだ。 スラヴィア軍が東方連合皇国軍を追って戦力を疲弊させたところを、背後から急襲し、その支配海域を一気に奪い取る。それが、この大艦隊を西回りの航路で密かに差し向けた理由だった。
スラヴィア軍もまた、この裏切りには気づいていなかったとは思えない。だから、彼らは目標を我々からバリャールヤナ艦隊に向けた。
しかし、数的にはやや不利なスラヴィア共和国の艦隊。艦の性能はややスラヴィア海軍の方が優勢だが、それでどうにか互角な状態だ。
その上で、我が東方連合皇国軍もいる。
これってつまり、三つ巴の状態じゃないか?
が、スザキ大尉が続けて放った言葉は、特に褐色の魔女たちに衝撃を与える一言だった。
「軍令部は続けて、我が艦隊に命じてきた。スラヴィア艦隊を援護せよ、と」
それを聞いたアーティが、叫ぶ。
「お前ら、スラヴィアの、犬か!?」
片言の皇国語でののしる魔女の一人に、スザキ大尉がこう返す。
「いや、違うな。むしろこれは、シンドゥ大公国の独立のためでもある」
「なぜ、我ら、独立と、スラヴィア救うこと、つながる!?」
「やつらに加担するつもりはない。だが、はっきり言うが、スラヴィア共和国よりもバリャールヤナ連邦国の方が遥かに残忍だ。やつらがシンドゥ大公国を奪うことになれば、今以上の蛮行がこの国に起こる。現に我々はバリャールヤナ連邦国と戦い、やつらの成したその蛮行の数々を見てきたからな。となれば、スラヴィア共和国に恩を売ることは、シンドゥ大公国の独立交渉の材料となりうる。これが今、我が国がシンドゥにできる精一杯の援護だ」
それを聞いたアーティは、黙り込む。我が第二艦隊は、たったの十四隻。いくら魔導砲を備えた艦と言えど、相手は二十五隻と三十隻。数が違い過ぎる。
もちろん、互いを戦わせて両軍が打撃、疲弊したところを漁夫の利で我が軍が叩く、という戦術もある。だがそれは、両国を完全に敵に回すことになる。いや、今現在は両国とも敵に回っているのだが、その一方でもどうにか和平の道へと導くことが叶えば、戦いはかなり楽になる。
アーティが、舞姫たちにスザキ大尉の言葉を話す。しばらく揉めていたが、やがて皆はアーティの説得に応じたようだ。
そんなやり取りの中、ついにバリャールヤナとスラヴィア両軍が動き出した。
『バリャールヤナ艦隊、発砲! スラヴィア艦隊も応戦!」
戦場は混沌を極めていた。 バリャールヤナ連邦軍は単縦陣でスラヴィア軍の進路をふさぎ、各個撃破で葬り去るつもりだ。スラヴィア軍も応戦するが、動くのが遅すぎた。
まさしく、丁字戦法にて、バリャールヤナ艦隊はスラヴィア艦隊を叩くつもりだ。
この状況下にあって、ついに我が第二艦隊は動く。
『全艦に伝達。これより、バリャールヤナ艦隊を攻撃する。全艦、全速前進。バリャールヤナ艦隊前方に回り込み、こちらも丁字戦法を仕掛ける』
艦隊司令官でもある艦長からの命令が、伝声管越しに届く。それを聞いたスザキ大尉は、号令する。
「聞いての通りだ。バリャールヤナの連中を、スラヴィア艦隊と挟み撃ちにする。もっとも、あちらは我々がそう出るとは思っていないだろう。ゆえに、バリャールヤナに意表を突ける。各員、砲撃準備だ」
スザキ大尉の号令と同時に、「震洋」は大きく船体を傾け、白波を蹴立てて大きく回頭した。 遠くには混乱するスラヴィア艦隊、その奥には裏切りの砲火を放つバリャールヤナ大艦隊。 シンドゥの熱い海風が、硝煙の匂いを含んで吹き荒れる。 歴史に残るであろう大混戦の火蓋が、今まさに切られた。




