#22 南進
鳴鷲島の夏は、強烈な日差しと共に、ねっとりとした湿気を運んでくる。
ルマク王国の反乱と独立を支援し、スラヴィア共和国軍を撃退してから一週間。我々第二艦隊は、束の間の休息を得ていた。
といっても、戦艦震洋の巨大な船体を維持するための整備や補給に追われる日々だ。僕ら第一砲雷科の面々も、砲塔内の清掃や機器の点検に余念がない。 ただ、一つだけ変わったことといえば、サヨの様子だ。
「ああ、やっぱりこれだよね」
上陸許可が下りた午後。島の開放的な茶屋で、サヨは緑色に透き通った液体が入ったグラスを空にかざして、満面の笑みを浮かべている。
ルマク王国から輸入されたばかりの、天然炭酸水とメロンシロップを混ぜたメロンソーダ。氷がカランと涼しげな音を立てるこの薄緑の飲み物は、サヨにとってもっともお気に入りの飲み物だ。
ラムネと違って、天然炭酸水からしか作れないらしく、まさにルマク王国の炭酸水泉あっての飲み物だ。
それを飲むこの巫女、かつて男たちに怯え、僕の後ろに隠れるようにしていた少女の姿は、そこにはない。いや、相変わらず人見知りはするし、知らない男に急に声をかけられればビクッとする。だが、今の彼女には、それをかわせるだけの芯の強さが備わっていた。
「タクヤも飲めばいいのに。この炭酸のシュワシュワが、元気の源になるんだから」
「そんなわけないだろう。それに、冷たいものの飲み過ぎでお腹を壊すなよ」
「大丈夫だよ。私、そういうところは頑丈だよ」
そう言って笑うサヨを見ながら、僕は珈琲をすする。
平和だ。戦時とは思えない。この瞬間だけ切り取れば、戦争なんてどこか遠くの世界の出来事のように思える。だが、そんな穏やかな空気は、一人の伝令兵によって破られた。
「でんれーい! 第二艦隊総員は大至急、軍司令部へ出頭せよ!」
それをサヨがストローをくわえたまま、キョトンとした顔で僕を見る。
嫌な予感がする。戦闘を終えた直後で、敵艦隊の脅威が過ぎ去ったばかりだというのに呼び出しを食らうとは、間違いなくろくなことではない。僕は飲みかけのコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がった。
「行こう、サヨ」
「ええーっ、でもせっかくの休みが……」
名残惜しそうにグラスを見つめた後、サヨは心を決めたのか、残りのソーダを飲み干し軍服の襟を正し、キリッとした表情に戻る。
その切り替えの早さに、僕は頼もしさと、僕によりかかりっきりだったころのサヨを思い出しつつ一抹の寂しさを感じながらも、二人で司令部へと向かった。
詰所に入ると、そこにはスザキ大尉だけでなく、艦長までもが厳しい顔で腕組みをしていた。部屋の中央には、大きな海図が広げられている。今まで見たことのない、さらに西の海域を描いたものだ。
「来たか。休暇中すまないが、事態が急変した」
スザキ大尉が、指示棒で海図の一点を叩く。そこは、現在地である鳴鷲島から西へ数千キロ。ルマク王国よりもさらに西方にある、巨大な逆三角形の大陸だ。
「シンドゥ大公国。かつては独立した大国だったが、百年前からスラヴィア共和国の植民地支配を受けている土地だ」
「シンドゥ大公国……名前は、聞いたことがあります。香辛料と紅茶の国だと」
「ああ。だが今、その地で『第二のルマク』が起きようとしている」
艦長が重い口を開いた。
「ルマク王国の独立と、我々がスラヴィア艦隊を撃破したという事実は、瞬く間に世界中の植民地へ伝播した。特に、長年過酷な支配に耐えてきたシンドゥの人々にとって、それは希望の灯火となったようだ」
そんな遠くの国にまで、影響が及んでいたのか。今さらながら、我々の行った事の重大さを実感する。
「そこでだ」
と、スザキ大尉が、艦長の言葉を引き継ぐ。
「シンドゥ独立派の密使が、決死の覚悟で我が国に接触してきた。彼らは武装蜂起を計画している。だが、スラヴィア軍の駐留部隊は強力だ。特に彼らが恐れているのは、沿岸部を封鎖する艦隊だ」
スラヴィア共和国は海軍大国だ。植民地維持のために、旧式とはいえ多数の艦艇を配置している。
「彼らからの要請は二つ。一つは、独立宣言後の軍事介入とシンドゥ国民の保護。そしてもう一つが……」
スザキ大尉の視線が、サヨに向けられる。
「現地の『魔女』たちの救出だ」
この意外な一言に、一瞬、この場の空気が凍り付いた。
「えっ? シンドゥにも、魔女がいるんですか?」
サヨが驚きの声を上げる。 魔女狩りによって、世界中の魔女は絶滅したはずではなかったか。我が国のように巫女として保護された例や、ルマクのように風土病や迷信の中でひっそりと生き延びた例は極めて稀だ。
「ああ。シンドゥには古来より『舞姫』と呼ばれる、特殊な能力を持つ女性たちがいるらしい。その数、およそ三十名」
「さ、三十人!?」
僕も思わず声を上げてしまった。我が海軍にいる魔女の総数に匹敵する数だ。もしそれが本当なら、とてつもない戦力になる。いや、逆に言えば、敵に回れば恐ろしい脅威となる。
「スラヴィア側は、その存在をまさに軍事利用しようと画策して、彼女たちを捕らえようとしているらしい。密使によれば、彼女たちは山岳地帯の寺院に身を隠しているが、包囲されるのも時間の問題だという」
スザキ大尉は、真剣な眼差しで僕らを見据えた。
「そこで、軍令部は決断した。第二艦隊全艦をもって、シンドゥ方面へ進発する。目的は独立派の支援および、舞姫たちの救出だ。当然、三連装魔導砲が勝敗の決め手となるのは必須だ」
やはり、僕らが行くのか。 ルマク王国よりもさらに遠い、未知の海域。補給線も伸びきった、敵の勢力圏のど真ん中だ。危険極まりない任務となる。
「行きます!」
僕が何か言う前に、サヨが答えた。その声に、迷いはなかった。
「サヨ、いいのか? 今までとは比べ物にならないくらい遠くだぞ」
「だって、三十人もいるんでしょう? 同じ力を持った巫女、いや、魔女たちが、怯えているのを放っておけないよ。それに……」
サヨは、自分の白い手をじっと見つめる。
「私が戦うことで、誰かが自由になれるなら。それが、この力の使い道なんだって、最近思うの」
ルマクでの戦い、そして敵味方の死を弔ってきた経験が、彼女を成長させていた。単に怖がりな少女ではなく、背負うものの重さを理解した「魔女」としての覚悟が、そこにはあった。
僕は、そんなサヨの横顔を見て、深く息を吐いた後、艦長に向かって敬礼した。
「了解しました。第一砲雷科、トウゴウ伍長、およびカンザキ上等兵、当該作戦の出撃準備に入ります」
「うむ。頼んだぞ。出港は明朝、○七○○だ。急ぎ準備にかかれ」
その翌朝。鳴鷲島の港は、あわただしい熱気に包まれていた。補給物資を満載した震洋の煙突から、黒い煙が立ち上る。いつもとは異なり、護衛として巡洋艦二隻と駆逐艦四隻が前後、左右に随伴する。小規模だが、精鋭部隊だ。甲板で出航準備を進めていると、見慣れた顔が近づいてきた。
「よう、トウゴウ伍長。また随分と遠くに行くことになったな」
サイゴウ伍長だ。彼もまた、忙しそうに砲弾の運搬指示を出している。
「遠くなんてものじゃないよ。下手をすれば帰ってこられないかもしれない」
「縁起でもないことを言うなよ。ま、お前らがいる限り、地獄の底からでも生還できるって信じてるぜ。ほら、あのお方も来るみたいだしな」
サイゴウの視線の先には、隣の桟橋に停泊する戦艦櫻火の姿があった。そして、そのタラップを降りてこちらへ向かってくる、凛とした軍服姿の女性たち。ヒトツバシ兵長だ。彼女はまっすぐに僕らの元へ歩いてくると、腕組みをしてサヨを見下ろした。
「ごきげんよう、冥府の巫女と、トウゴウ伍長」
「ヒトツバシ兵長……まさか、櫻火も同行するのですか?」
「当たり前でしょう。第二艦隊、全艦をもって出撃なのですから。それに、安国神社の予言によれば、西の果てに『黒き嵐』が待ち受けているそうですわ。あなたたちだけでは心もとないゆえ、私も手助けして差し上げますの」
相変わらずの高飛車な物言いだが、その瞳には以前のような険悪な色は薄い。ルマク沖での共闘を経て、奇妙な信頼関係のようなものが芽生えているのかもしれない。あるいは、彼女の「予言」が、よほどの危機を告げているのか。
「黒き嵐、ですか」
「ええ。バリャールヤナも徐々に力を取り戻しつつありますし、スラヴィアも本気になりますわ。それに……シンドゥの魔女たち。彼女たちの力が、我々と同じ理であるとは限りません」
意味深な言葉を残し、ヒトツバシ兵長は優雅に去っていった。 彼女の後ろ姿を見送りながら、サヨがポツリと呟く。
「……感じるの」
「えっ?」
「西の風に混じって、何か、今までとは違う気配がする。祈りじゃない、もっと激しい、熱い鼓動のような……」
サヨは海の方角、見渡す限りの水平線をじっと見つめていた。 その横顔には、緊張と、そして未知なる同胞への期待が入り混じっているように見えた。
『出港用意! 舫い解け!』
艦内放送が響き渡る。 巨大な鎖が巻き上げられ、震洋の船体がゆっくりと岸壁を離れる。スクリューが泡を立て、巨大な鉄の城が海へと滑り出す。
目指すは西方の大陸。灼熱の太陽が照りつける、南洋のさらに向こう側にそれはある。
その国の名は、シンドゥ大公国。 そこにはまだ見ぬ三十人の魔女と、新たな戦乱が待ち受けている。
「行こう、タクヤ。そしてまた、ここのメロンソーダーを飲みに帰ってくるの」
サヨが、僕の手をそっと握った。その手はもう、震えてはいなかった。僕はその手を握り返し、前方の海を見据える。
「ああ、そうだな。必ずまた、ここへ帰ってこよう」
戦艦震洋は、第二艦隊十四隻の旗艦として、白波を蹴立てて進路を西へと取った。東方連合皇国の命運を賭けた、新たな航海の始まりだった。
だがこの時、僕らはまだ知らなかった。シンドゥの魔女たちが持つ魔法が、僕らの常識を覆すものであることを。
そして、三つの国家の思惑が絡み合う、混沌とした戦場が待ち受けていることを。




