#15 利用
「お呼びでありますか、艦長」
現れたのは、砲雷長だ。まだ敵艦隊の残骸が燃えている最中、突然砲雷長が呼び出された。
が、砲雷長がまず驚いたのは、自分以外にスザキ上等兵曹、および僕がいたことだろう。
「あの、艦長。なぜトウゴウ伍長とスザキ上等兵曹がここに?」
「トウゴウ伍長については、魔女殿の第三射が可能になったことについて問い合わせるために呼んだ。なお、スザキ上等兵曹は今回の件についての証人として、ここに呼んである」
「今回の件、でありますか?」
「第一砲雷長、ゴトウ兵曹長が行ってきたスパイ行為についての証人として、だ」
それを聞いた瞬間、砲雷長の顔色が変わる。
「ちょ、ちょっと待ってください! す、スパイ行為とは、どういうことです」
「とぼけるな! 艦橋後方にある魚雷倉庫の奥に、バリャールヤナ製の通信機が仕掛けられており、そこから敵艦隊に向けて打電していることは、すでに艦長も承知している!」
いきなり、自身の上官に向かってスザキ上等兵曹の口調が変わる。まるで、士官のような物言いだ。
「おい、スザキ上等兵曹! 貴様、上官に向かってなんという口のきき方だ!」
「勘違いするな、私はスザキ上等兵曹ではない。正確には、軍令部情報局所属の士官、スザキ大尉である。この艦より度々、敵型の無線電波が発せられると聞き、艦長を通じて第一砲雷科に『上等兵曹』として潜入させてもらった。そして、貴官がしばしば敵に情報を送信しているところを察知していたのだ」
まさか、自身の部下の方が自分よりも上官、それも士官であるということに、砲雷長は驚きを隠せない。スザキ上等兵曹、いや、スザキ大尉の言葉にうなずく艦長の姿を見て、手の震えが止まらない。
「周りに対して暴虐無人に振る舞っていたのも、自身からなるべく皆を遠ざけるためであろう。だが、貴様が打電した内容はすべて傍受しており、それがバリャールヤナ海軍の暗号であることも分かっている。一部解読の結果、我が艦の所属する第二艦隊の位置、作戦内容などが含まれていることも把握済みだ。とどめは、櫻坂港に停泊中にも三度、敵との通信を行っていたことだ。作戦失敗をとがめられ、バリャルーヤナ海軍宛てにその言い訳と、次の情報提供を確約していたことを、我々が把握していないとでも思ったか」
「まあ、そういうことだ、ゴトウ兵曹長。貴官は軍令部情報局を敵に回していたわけだ。何か、申し開きはあるかね?」
艦長も、すでにスザキ大尉からの報告は承知しているようだ。こうなるともう、言い訳のしようがない。
「特に、ございません……」
砲雷長も、こう答えるのが精一杯だった。それだけ、身に覚えのあることなのだろう。そう言われてみれば、以前から砲雷長は挙動不審だった。確かに、人を近づけまいとする振る舞いを日々、繰り返していたのは僕も承知している。だが、その裏にはこんな事情があっただなんて。
もしかしたら、先日の出航後にやたらと機嫌が悪かったのも、我が第二艦隊が勝利しスレイン海峡を奪取したことに、敵側から砲雷長に抗議の打電があったのかもしれない。櫻坂港に停泊中も、度々この震洋に通い詰めていたというが、それは敵軍に対して言い訳をするためだったのか。
しかし、だとすると見返りは何だ? どう考えても、自身の艦隊の位置を知らせたなら、この震洋とて無事では済まない。そうなれば、砲雷長自身の命も危うい。砲雷長自身、敵に何か弱みを握られたか、それともその命以上の相応の報酬があったのか、どちらかだろう。
そんな艦長室に、乗員が二名、現れる。艦長は立ち上がり、その二人に命じる。
「ゴトウ兵曹長を、スパイ容疑で監禁する。直ちに独房へ連れていけ!」
砲雷長、いや、もはやその地位をはく奪されたゴトウ兵曹長は、二人に抱えられて艦長室から連れ出された。
艦長室の窓の外には、まだ燃える敵艦の姿が見える。今の時刻は午前一時か二時といったところか。すでにこの戦場は静けさを取り戻したため、サヨは寝ている頃だろう。僕も、さっさと寝たいところだ。
で、砲雷長の拘束という予想外の出来事を終えて、ようやく部屋に戻れるかと思ったが、艦長とスザキ大尉は僕を残したまま、話を始める。
「ああは言ったものの、砲雷長には悪いが、その行為を利用させてもらったからな」
スパイ容疑、というかもうスパイであることが確定した砲雷長が連れ去られた後に、艦長がスザキ大尉にそう話した。
「ええ、存外、上手くいきましたね、艦長」
それに応えるスザキ大尉。僕には、話が見えない。思わず僕は、尋ねてしまった。
「あの、何の話をされて……」
僕がそう口を開いた瞬間、スザキ大尉がキッと鋭い目でこちらを睨む。思わず僕はたじろぐ。
「……まあ、貴官も無関係というわけではないからな。この際だから、話しておこう」
考えてもみれば、スレイン海峡海戦の時にはすでに砲雷長のスパイ行為はバレていたわけだ。なのになぜ、その時点で捕まえずに泳がせていたのか。
その疑問にも答えるように、スザキ大尉は僕に話し始める。
「今からする話は、他言無用だ。その上で、貴官と魔女殿の力を信じた上で、砲雷長を利用したという話を語ろう」
そう告げるスザキ大尉に、僕は黙ってうなずく。すると、スザキ大尉が話し始める。
「第二次スレイン海峡、そして今回のコーカサス湾での戦いの直前、私はあの砲雷長に作戦の詳細を伝えた。艦長からの伝言、という形をとって、それらを伝えたわけだ」
「は、はぁ……」
「第二次スレイン海峡海戦の前に、私は砲雷長に、我が艦隊は丁字戦法のため、七千手前で左に回頭を指示すると教えた。当然、それを砲雷長は敵に伝えただろう。だから敵艦隊は、まさに七千に迫った途端、右に回頭を始めた」
「確かに、あまりにも絶妙なタイミングで敵艦隊も向きを変えました。しかし、それがあらかじめ伝えられていた結果だったとは……」
「通常の砲撃戦であれば、丁字戦法は絶大な効果を発揮する。が、こちらには三連装の魔導砲がある。それをずらりと並行に並んだ敵艦隊に向けて、その砲塔を振り回してやれば何が起きるか。私はそう考え、実行した。今にして思えば、想像以上に大成功だったな」
ぞっとした。つまりあの作戦は最初から敵に伝えられ、その上で敵の動きを予測した上で立てられていた作戦だった、ということか。
そう、まさにあの三連装砲を敵の艦隊になぞるように砲塔を回転させよと直接指示を出したのは、まさにスザキ大尉だった。最初からそれをするために、敵に作戦をばらしたと言うのか。
「さらに、今回の海戦だ。今度の戦いでは、敵の円陣の右翼側、我々から見て左側の艦隊に回頭して敵に打撃を与えると、そう砲雷長には事前に伝えた」
「もしかして、それで敵艦隊の陣形が崩れたと?」
「そうだ。敵はまんまと左翼側、我々から見て右側の艦隊を寄せてきた。が、彼らの意に反して我が艦隊は、中央を突破した。あとは、貴官も知っての通りの結果だ」
そう、第一射目で敵艦隊左翼がほぼ壊滅できたのは、あの不自然な陣形の崩れのおかげだった。それが、スザキ大尉の意図したものであると知った僕は、一気に眠気が覚める。
「まさか、あの機雷源やスレイン海峡の要塞攻撃も……」
「いや、あれはこちらの意図したものではない。だいたい、あの時点ではまだ砲雷長がスパイだと確信していたわけではなかったからだ。あの時は、魔女殿が機雷源の気配を察してくれたからこそ、それを排除できたし、要塞に対してはほぼ賭けだった。あの戦いは本当に運が良かったとしか思えないな」
そう淡々と語るが、あれを乗り切った者としては、とてつもなく恐怖を感じた戦いだった。
「だが、その時の砲雷長と敵とのやり取りを受信していたおかげで、バリャールヤナ海軍の暗号解読につなげられた。つまりやつは、あの砲雷長は我々の艦隊位置を伝えていたわけだから、逆にそれを解析し、バリャールヤナ海軍の暗号表を作成できた、というわけだ。さらに砲雷長を尋問すれば、バリャールヤナ海軍の暗号表も手に入るだろう。それが手に入ればもはや、やつらは敵ではない」
ああ、そうか。言われてみれば軍令部はそういう情報部隊がいるんだった。というか、スザキ大尉自身もその情報局の一員だと言っていた。
しかし、スパイだと分かった後も砲雷長をそのまま泳がせ、逆に利用しようなどと考えていたのは、もはや僕などには理解を越えている。どうしたらそんなこと、考えつくんだ?
「そのおかげで、我が皇国艦隊はバリャールヤナ海軍をほぼ壊滅することができた。が、問題はこれからだ」
それまで黙っていた艦長が、口を開く。
「あの、問題とは?」
「今までは、バリャールヤナ連邦だけを相手にしていればよかった。が、情勢は大きく変化している」
「そういえば、南方でスラヴィア共和国が艦隊を派遣しつつあると仰ってましたが」
「そうだ。敵はバリャールヤナ連邦国だけではなくなった、ということだ」
その後、スザキ大尉が口を開く。
「ともかくだ。このコーカサス湾海戦は終わった。しばらく、バリャールヤナ連邦軍も攻勢には出られまい。北方の守りは第一艦隊のみを残して、第二艦隊は南方からの敵に備える」
「今度は、第三艦隊と合流しての戦い、ということですか」
「そういうことだ。ともかく今、貴官がすべきことはまず寝ることだ。これより第二艦隊は一度、櫻坂港に帰投し、すぐさま南方へと向かう」
「はっ」
「せめてあちら側のスパイも、我が艦にいてくれれば楽に戦えるのだろうが、さすがに次はそういうわけにはいかないからな。しかも相手はバリャールヤナ以上の海軍国だ。やりにくい相手だぞ」
さらっとそう告げるスザキ大尉だが、それはますますサヨの負担を増すことにつながるだろう。僕はそう感じた。
とはいえ、今すべきことは、スザキ大尉の言う通り、次に備えて休むことだ。僕は敬礼し、艦長室の扉を開ける。
「そうだ、貴官はそのまま、第二砲塔に向かえ」
スザキ大尉が、とんでもなことを言い出した。
「いえ、小官の寝床はそこではなくて……」
「何を言っている。魔女の心の支えも、貴官の仕事だ。それに今さら、遠慮することなどないのではないか?」
ああ、そういえばこの方は、情報局の士官だった。何もかも、お見通しということか。僕は再度敬礼し、艦長室を出る。
第二砲塔の扉の鍵を開けて、そっと開く。もう寝ていると思ったサヨが、ベッドの上で座り込んで震えている。
「おい、寝たんじゃないのか?」
「うん、寝たい。寝たいんだけど……」
いつもと、様子が違うな。僕はベッドの上に座り、サヨの手を握る。
「何か、悩みがあるのか?」
「私、使ってはいけないものを、使ってしまった。そう思えてならないの。現にあれほどたくさんの船を、私の砲撃だけで破壊してしまった……」
別に今に始まったことではない。が、ここにきて急にサヨは、罪悪感を感じ始めていた。
そこで僕は、サヨの肩を抱き寄せてこう言った。
「気にすることはない。もしもサヨがいなければ、あれと同じ目に遭っていたのは我が艦隊の方だ。そうなれば、我が国はバリャールヤナ連邦に蹂躙されて、さらに酷いことが起きていただろう。そう思えば、彼らの犠牲はやむを得ないことだったんだ」
「分かってる、分かってるけど、それでも……」
スザキ大尉は、サヨがこうなることを予見していたのだろう。だから僕に、第二砲塔へ向かうように命じた。僕はサヨをぎゅっと抱き寄せる。
「とにかく、寝よう。まだ戦いは続く。今はとにかく、休まなきゃだめだ」
そう言って僕とサヨは、ベッドに二人並んで寝た。もっとも、その時は戦いの直後ということもあって、すぐに寝入ってしまった。サヨも、僕がそばにいることに安心感を覚えたからか、ようやく眠りに入る。




