#12 石碑
スレイン海峡の両側にある島、かつて「ゼムゲニー島」「オリフォゼムリャ島」と呼ばれていた島は、それぞれ「夏島」「冬島」と命名された。そこには今、急ピッチで要塞砲が建造されつつある。
それは、魔導砲からなる砲で、この二つの島の間隔が二万五千メートルほどであることから、その両側に射程七千メートルの魔導砲を設置すれば、半分ほどは網羅できる。
とはいえ、一万メートルほどのギャップが残る。そこは艦隊と、大型の長射程要塞砲を設置してカバーする。こうしてスレイン海峡から南側の海域を、東方連合皇国の新たな支配域として確立する。それが目的だ。
その南側に位置するバスポラス海峡の近くに、ホセ島という大きな島がある。ここには大規模油田、ボーキサイト、スズ、鉄、銅などの金属鉱山、そして大規模な大麦田園が広がっている。
いつ戦いがあるか分からない。そこで我が戦艦震洋は、このホセ島の港の一つ、マンドリル港に寄港する。
大型艦でも余裕で横付けできる桟橋があるその港では、珍しく階段伝いで陸に降り立った。
「はぁ、異国だなぁ」
当たり前のことを口にするサイゴウ伍長だが、それはそうだろう。つい数か月前までここは、バリャールヤナ連邦国の一部だったのだから。
実際、住んでいる島民の多くがバリャールヤナ人だ。原住民のホセ族もわずかに残っているが、多くがバリャールヤナ人の迫害に遭って殺され、ごく少数が生き残るのみだ。
無論、魔女などいない。ホセ族にもわずかに魔女がいたようだが、部族自体が迫害されていたくらいだから、共に殲滅させられてしまったようだ。
ということで、魔女といえば、我が東方連合皇国軍の魔女しかこの島にはいない。
「なんか、寒いなぁ」
櫻坂港と比べたら、ここはかなり北方だ。初夏といえども、晩冬くらいの寒さだ。さすがにあのワンピース姿で歩くことは不可能だ。
冬服といえば、軍服しか持ち合わせていないため、二人そろって軍服姿で歩くしかない。
「ドブロ ポジャールヴァ……ああ、いらっしゃい」
とある店に入ると、バリャールヤナ人の女店員が迎えてくれる。我が国の言葉も、片言ながら話せるようだ。
「ええと、お品書き、ある?」
「今は、こんなもんしか、ない」
出されたメニュー表は、よく分からないものだらけだった。オクローシカ、カーシャ……聞いたことがない品名ばかりだ。うーん、どうしたものか。
「ええと、僕はこのオクローシカってやつで。あと、甘いもの、あります?」
「甘いもの、ある。ゴウリシカなら、甘い」
「じゃあそれと、珈琲か紅茶を二つ」
「コーヒー? コーチャ?」
「ええと、飲み物が欲しいんだけど」
「ああ、飲み物、コンポート、モルスなら出せるよ」
「そ、それじゃあ、コンポートってやつを2つで」
「全部で一円と五十八銭だ」
前払いか。まあ、いいや。僕はその店員にお金を払う。
にしても、随分と安いな。元々それほど裕福な土地柄ではない。それゆえに、物価が安いのだろう。
で、最初に出されたのがコンポートという飲み物。なんというか、柑橘類を絞ったような色の飲料だった。飲んでみると、これが甘酸っぱい。
「これ、美味しい」
サヨは気に入ったようだ。が、僕にとってはちょっと甘すぎる。やっぱり、珈琲くらいは用意しておいてほしかった。
で、出された料理がまたショッキングだった。オクローシカというやつは、刻まれた葉野菜に豚肉のようなものが少々入ったスープ状の料理、そしてゴウリシカというのは、硬そうな黒パンの上から胸やけがしそうなほど甘い匂いの白い液体がぶっかけられた代物だった。二人は、愕然とする。
が、サヨはそんな料理かどうかも分からない代物を口にして、歓喜している。
「うわっ、これ、甘くて美味しい」
まあ、言われてみれば巫女などという職業は、神社で質素な料理を強いられてきた環境で育ってるから、何を食べても美味いのだろう。一方の僕は、肉はともかくこの周囲の葉野菜がどうにも薄味過ぎて紙を食べているような感覚になる。が、その代わりとても温かい。初夏の祖国から冬に放り投げられたこの身で、この温かさはありがたい。
「でも、やっぱり故郷に帰りたいなぁ」
僕がその料理の温かさを享受しているというのに、さっきまで美味しいと感激していたサヨの方が、急にぼやき始めた。
「どうした、らしくないな。この食べ物、気に入ったんじゃないのか?」
「うん、気に入った。でもさ、やっぱりなんか、違うなぁって」
サヨでも、食事に違和感を感じることがあるんだ。缶飯でも美味しいと言って食べるサヨが、こんなことを口にするのは初めてだ。
外の風景も、当然ながら皇国とは違う。今や皇国領となったこのホセ島とはいえ、バリャールヤナの色が残っている。
しかしだ、元を正せばホセ族という土着民族がいた場所を、バリャールヤナ人が勝手に自国領として組み込んだ場所だ。ホセ族の多くはバリャールヤナ人との戦いや、その後バリャールヤナ人からもたらされた感染症などによって多くが命を落としたという。
そんな彼らからすれば、バリャールヤナ連邦国から東方連合皇国に変わっただけで、歓迎などするはずもないだろう。もっとも、数が少なすぎて、どこに行けば会えるのかすら分からない種族ではあるのだが。
「さてと、まだ宿に行くには早すぎる時間だが、どこか回るか?」
食事も終えて、席を立とうかという時に、サヨに尋ねてみた。
「私、宿にさっさと行きたい」
それはつまり、あまり人に会いたくないという理由からなのか、それとも僕と一緒にいたいがために……などと考えていると、いきなりサヨが見知らぬ男性二人組から話しかけられる。
「あれ、軍服姿の女ってことは、どこかの船の魔女さんかい?」
「こんなつまらない店よりも、もっといいところ知ってるよ」
前に座っている僕のことはそっちのけで、わりとガタイの良い二人組がサヨに迫る。僕は見た目、ひ弱だから、この二人組にとっては眼中にないのだろう。
だが、肩にある階級章を見る。見れば彼らは上等兵だ。
「あ、ああ……」
「あれ、魔女さん、どうしたの? まあいいや、とにかくこんな店、出ようよ」
男性恐怖症のサヨに、いきなり二人の大柄な男が話しかけてきたから大変だ。嫌だと言い出せない。こういう時は、僕の出番だな。
「おい!」
まったく相手にしなかった僕に、その二人の視線が集まる。
「なんだ、文句あるのか?」
「まさか一人で、俺らに敵うと思ってるんじゃないだろうな」
寒さゆえに上着を羽織っていたため、あちらからは僕の階級が分からない。が、舐められていることは分かる。だから僕は上着を取り、こう言い返す。
「小官は戦艦震洋の第一砲雷科所属、トウゴウ伍長だ。そして貴官らが口説いている相手は、震洋の三連装砲の魔女であるカンザキ上等兵だぞ。貴様らが、何をしようとしているのか分かってるのか!」
僕が格上の階級の者だと知ると、急に態度が変わる。
「し、失礼いたしました! まさか、戦艦震洋のお方だったとは……」
三連装砲の魔女と知って、怖気づいたようだ。おそらくは同じ第二艦隊の別の艦の乗員だろう。
「こちらは名乗ったぞ。貴官らの所属と名前を述べよ」
と、僕が言い終わらないうちに、その二人はこう言い残して立ち去った。
「きゅ、急用を思い出しましたので、失礼いたします!」
結局、名乗ることなくこの二人組は立ち去っていった。まったく、どこの艦の連中だ。占領地だからと、気を抜きすぎではないか?
「はぁ……助かった」
しかし、そんな二人組に詰め寄られたサヨにとっては、とんだ災難だった。確かにこの魔女は、魔力こそ多けれど、気は小さい。
強気で誘えば断れない相手だろうとまで思わせる、そのひ弱そうな姿の魔女が、まさか要塞や戦艦を吹き飛ばした張本人だと気づくはずもない。無礼千万な連中だが、サヨに声をかけてくるのは必然だ。
僕だって最初、通常の魔導砲が使い物にならないほどの強大な魔力の持ち主だと聞いた時は、耳を疑った。こんなに小さな身体のどこに、それほどの力が秘められている? そう感じたのは確かに事実だ。
だが、霧隠神社での神事でも、天候を変えるほどの威力を発揮していた。あれが普通の巫女の力だと思っていたが、そんなことができる巫女なんてほとんどいないと知ったのは、霧隠町を出てからだ。他の巫女はせいぜい、田んぼ一面だけの稲の発育を促すなど、それくらいの力しかない。まあそれはそれですごいことなのだろうが、それで魔力を使い果たしてしまう普通の巫女と比べたら、サヨは別格だ。田んぼ一面どころではない、一つの町の空一面を変えるほどの魔力なのだから。
そんなサヨと、店を出て街を歩く。さっきの出来事があったから、まっすぐ宿に向かおうということになった。
が、その途中の交差点で、サヨは突然立ち止まる。
「どうした?」
僕は尋ねるが、サヨは無言でその道を左に曲がり出す。そっちは宿の方角ではない。慌てて僕は呼び止める。
「おい、サヨ、そっちには宿はないぞ」
が、サヨは聞かない。まるで何かに引き寄せられるようにすたすたと歩いていき、街のはずれに出た。
まだらに木々が生い茂るその場所の端に、何やら大きな石が置かれている。
その白色の石へ、サヨは向かう。
「おい、サヨ、どうしたんだ?」
サヨはその石の前で立ち止まると、ようやく口を開く。
「なんでだろう……なぜかこれに、惹かれたんだよね」
見たところ、ただの石ではない。何か表面に文字のようなものが刻まれている。石碑だろうか。しかしそれは明らかに古いもので、バリャールヤナ語ではなさそうだ。
おそらくは、この地をかつて支配していたというホセ族のものだろう。
そんな真っ白な石碑に、サヨは手を触れた。
「っつうっ!」
が、サヨがそれに触れた途端、痛みを感じたかのようにその手を引っ込める。なんだ、電気でも流れているのか?
僕も恐る恐る、触れてみた。が、何も起こらない。僕はサヨに尋ねる。
「今、何があった?」
サヨはしばらく、呆然とした顔をした後、ゆっくりとこう答える。
「頭の中に何か、流れてきた」
随分と変なことを言う。頭に、流れてきた? どういう感覚だ。同じものに触れた僕にはそんな感覚、まったく感じなかったけどなぁ。
「流れてきたって、何がだ?」
「うーん、何て言えばいいんだろう……ただ、痛みと共に何か、口では言い表せない何か、不可思議な光景が幾重にも見えたような気がするの」
えっ、そんなものがサヨには感じられたのか。でも、僕にはさっぱりだ。そこで僕はふと思う。
もしかしてこれ、魔女にしか感じられない何かなのか。だが、当の魔女であるサヨには、何のことやら分からないものだったと言わんばかりだ。
結局、すごすごと元の交差点に戻り、宿へと向かった。
「あ、あのさ、タクヤ」
宿では、下士官以下は五、六人に一部屋が割り振られている。当然、僕も第一砲雷科のと同じ部屋だ。
が、サヨは特別に一部屋、割り当てられている。
「なんだい、サヨの宿は確か、こっちだよね」
「そうなの、そうなんだけどね」
何やらもじもじとしているな。僕はこの段階で、だいたいのことを察した。
「……まさか、一緒に部屋にいてほしい、と?」
「ま、またさ、あの二人組みたいなのが、現れないとは限らないし」
そう言いながら、僕はサヨと共に、その宿へと向かう。護衛という名目で。
で、そのまま僕とサヨは、一晩を過ごすことになる。




