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勉強会⑤

「ミカイル君、大丈夫かな? なんだかちょっと元気がなさそうに見えたけど……」

「ハインツは気にしすぎだ。後で戻ればいつも通りになってるはずだから、大丈夫だよ」

「うん……」


 ハインツは落ち込んだように肩を下げている。よほど先程の出来事が気がかりのようだった。


「それより、ハインツの読みたかった本ってどれなんだ?」

「多分、ここらへんにあるはずなんだけど……あ、あった!」


 手に取ったのは、一冊の絵本。

 表紙には、「聖女様の救済」という題名と、一人の美しい女性が両手を組み、祈るようなポーズで描かれている。


「絵本? ハインツもこういうの読むんだな」

「ううん、ボク絵本はあんまり読まないよ。これが読みたかったのは、聖女様が主人公だからなんだ」

「聖女様だから……。えっと……どういうことだ?」

「……あんまり他の人には言ったことないんだけど、実はね────」


 ハインツは恥ずかしそうに目を伏せる。ぎゅっと両手で本を抱き締めながら、彼はそのまま続けた。


「ボク……聖女様にすごく、憧れを持ってるんだ」

「聖女様……って、この国を救った英雄ヴェラ様のことだよな?」

「うん。ユハン君も知ってるよね」

「当たり前だろ。この国の人間でヴェラ様を知らない奴なんていない。小さい頃、僕もよく母さんから読み聞かされたんだ」



 ────かつて、ランヴォルグ王国が魔力を持つ若き王の下、圧政を敷かれていた時代。

 聖女ヴェラは、独裁者であった王を慈悲の心で改心させ、国を救ったとされている英雄だった。


 元々町外れにある小さな村に住んでいたヴェラは、度重なる戦争や疫病、飢饉などから苦しむ人々に心を痛めていた。

 しかし、志した医療の道で救った命は数多くあれど、根本的な解決には至ることはできなかった。そんな中、ヴェラの周りにはいつしか彼女を支援する人々で溢れていたのが始まりだ。その集団は段々と勢力を拡大させ、最終的に王への反逆の狼煙を上げた。

 けれども、その戦いは決して楽なものではなく、多くの仲間が彼女に未来を託して、命を落としていった。国全体も、さらなる困窮へ陥った。

 そうして命からがら、ヴェラが王の下へ辿り着いたとき、彼女はこう、王に進言したのだ────

 王よ。これ以上の暴政はお止めください。私達はもう、疲れきっているのです。ご自分の罪を、お認めになる時なのです。……けれど、貴方もずっとお一人で寂しかったでしょう。辛かったでしょう。これからは私が、私達が、貴方の支えになります。だからどうか、どうか、民の声に、心に耳をお傾けください───

 ヴェラは、王を殺さなかった。たくさんの民を苦しめ、仲間を死に追いやった憎い相手だったとしても、彼女は慈悲の心で王を説いた。さらには、誰一人として、その言動に異を唱えるものはいなかったのである。

 かくして王は、ヴェラの慈悲深さに感銘を受け、改心した後、彼女へ聖女という称号を与えたのだった。



「ボクもね……聖女様みたいな、優しい人間になりたいんだ。辛い人や、困っている人がいれば、助けてあげられる……そんな人に」

「……そうだったのか。でも、ハインツならとっくにもうなれてるんじゃないか?」

「え?」

「だって、編入してからずっと僕と仲良くしてくれたのはハインツだけなんだ。他のクラスの奴らは録に会話もしてくれないし、ハインツがいなかったら正直どうなってたか分からないよ。だから、絶対もっと自信持った方がいい」

「えへへ、ありがとう。そんな風に言ってくれて。ユハン君に言われたらなんだか心強いよ」


 ボクは、お父さんとは違うんだ────ハインツがボソッと、最後に一言呟く。


 眼鏡の奥の瞳が、嫌悪感で満ち溢れているように見えた。


「今……何か言ったか?」

「……ううん、なんでもないよ」

 

 目尻を下げ、緩く首を横に振ったハインツ。

 僕には残念ながら、その内容を知ることはできなかった。 


「それより、聖女様とミカイル君って似てると思わない? 聖女様は一目で心が奪われてしまうほどの美貌だったってよく言われてるけど、正直ボクには想像もつかなくて……。でも、ミカイル君を見たとき思わずこの人だ!ってビビっときたんだよね」

「えぇ……、ミカイルは聖女なんていう柄じゃないだろ……。それに二人に共通してるのは、髪と瞳の色くらいじゃないか」

「優しいところもだよ! ボクはあんなに他者を思いやれる人を他に見たことがない。現代に聖女様がいたら、きっとミカイル君のような人なんだろうなって思ってるくらいなのに……」

「うーん……申し訳ないけど、僕には分からないな……」

「ええ!? そんなぁ……」


 随分とがっかりした面持ちで、ハインツは肩を下げる。

 率直な意見を述べただけなのだが、なんだか彼には悪いことをしてしまったような気分だ。かける言葉が上手く見つからなかった。


 ────そんな時、


「ねえちょっと! どうしてあんたたちが、あのお三方と一緒に同じ机で勉強なんてしてるのよ!」


 僕の後ろから聞こえてくるかわいらしい女性の声。小声だがしっかりと芯のあるそれに振り返ろうとするも、小柄なシルエットがハインツの前に躍り出る方が早かった。


「あ、テイリットさん。こんにちは」

「こんにちは……って違う! 私の話ちゃんと聞いてた!?」

「え? ええっと……お三方っていうのはミカイル君達のことで合ってる?」

「そうよ……!」

「うーん。ごめんね、それならボクも成り行きでとしか答えられないなあ……」

「それなら僕が答える。元々一緒に勉強する予定だったのは僕とハインツだけだった。そこにミカイルが入ってきて、残りの二人もついてくる形で加わったんだ。ただそれだけの話だけど、何か言いたいことでもあるのか?」


 二人の間に割り込む。

 すると、ハインツの方だけを見ていたテイリットさんはネコのようなつり目で、僕をキッと睨み付けた。教科書を借りようとしたときの表情と、まるっきり一緒だ。


「そもそも一番ありえないのはあんたよ! いつまで経ってもミカイル様の周りをチョロチョロして離れようとしないし、一体どういう神経してるのかしら。……まあ、そのくらい図太いからこそ、ミカイル様を困らせることができるんでしょうけど」

「……またその話か。────一応言っておくけど、その話は全部誤解なんだよ。僕はミカイルを困らせた覚えはないし、出回ってる噂に関しては君達の勘違いでしかないからな」

「この期に及んでまだ自己防衛? ほんっと意味分かんない。そんな嘘つくくらいならもっとましな話しなさいよ」

「はあ……?」


 僕は開いた口が塞がらない。

 ジークもジークだが、彼女も彼女だ。編入初日からかなり強烈な悪意をぶつけられてはいたが、ここまで会話が通じない人だとは思いもしなかった。


「ま、まあまあ二人とも落ち着いて。テイリットさんも、もう少しユハン君の話を聞いてあげてもいいんじゃないかな?」

「ふんっ。とんだ偽善者ね、ディーゼル。そうやってそいつを庇ってる自分にそのまま酔いしれていたらいいわ」

「おい、それは言いすぎだろ! 僕のことだけならまだしも、ハインツのことを悪く言うのはやめてくれ!」

「…………なによ、偉そうに」


 悪態をつきつつも、意外そうにテイリットさんは瞳を丸くする。僕がハインツを庇ったことに驚いたようだ。


「とっ、ところで……テイリットさんはボクたちに何か用事でもあったの?」

「……私はさっきの質問がしたかっただけ。用なんて別に……」

「つまり、文句を言いに来たかったんだな」

「はあっ!?」

「わああ! 二人とも、落ち着いて落ち着いて!」

「もういい。あんた達とこれ以上話すことなんてないから。私帰る」

「ちょっと待て。僕はまだ言いたいことがある」


 すぐさま背を向け歩こうとしたテイリットさんを僕は呼び止めた。

 そのまま無視して行ってしまってもおかしくはなかったが、律儀にも彼女は振り返ってくれる。


「なに?」

「暇なら、テイリットさんも一緒に来ないか? わざわざここまで言いに来たんだから、君も参加したいんだろ」

「いちいち癇に障る言い方ね。……でもその手には乗らないわよ。私は遠くから見守るくらいがちょうどいいの。直接お話しするなんて、そんなこと────」


「あ、こんなところにいた」


 その時、ひょっこりと本棚の陰から顔を覗かせたのは、置いてきたはずのミカイルだった。


「ミッ、ミカイル様!?」

「あれ、テイリットさん? なんでこんなところに、」

「ちょうどよかった。ミカイル、テイリットさんとは今偶然会ったんだ。良かったら彼女も一緒に連れていってもいいか?」

「……僕はいいけど……ユハン、彼女と仲良かったの?」

「いや? ちゃんと話したのは今日が初めてだ。 ────で、ミカイルもこう言ってることだしどうする? 僕達と来ないか?」


 訝しげなミカイルを横目に、テイリットさんへ問いかける。

 ジークと同じでテイリットさんもまた、ミカイルに相当入れ込んでいるようで、彼女はかわいそうなくらい顔を真っ赤に染め上げていた。思っていたよりかなり重症だ。


「わっ、私は……」

「テイリットさん。僕も今来たばかりで状況がよく読めてはないんだけど……無理はしなくていいからね」

「むっ、無理だなんてそんな……! 私はただっ……本当に私が行っても邪魔じゃないか、それだけが心配で……!」

「そんなこと言うなら僕の方がよっぽど邪魔だろ。テイリットさんもさっき言ってたじゃないか」

「なっ! 私そこまで言ってない……!」

「そうか。なら問題ないな。僕でも邪魔じゃないなら、テイリットさんを邪魔者扱いする人はいないだろうから」

「────わ、分かったわよ。私も行く……」


 頷いたテイリットさんに、心の中でガッツポーズする。

 彼女を誘ったのは、ジークと同じで僕への誤解を晴らすためだった。恐らく、口で説明しただけでは信じてくれない。

 きっと、自分の目で見て、自ら気づいてくれなければ意味はないのだ。

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