再会
ミカイルに話を聞いて、本当のことを確認しなければならない。
ジークの話が頭にこびりついて離れなかった。
しかし、このままここにいるわけにもいかないのもまた事実で。僕は本来の用事であるタルテ先生の元へ、今から行かなければならないのだ。
痛む背中を無視して立ち上がる。
今からタルテ先生の元へ行ったら、遅いと怒られるだろうか。決して僕のせいではなかったとしても、それならそれで構わない。
そんなことよりも、今の僕にはなんでもいいから、この焦燥感にも近い胸のざわめきをどうにかしたかった。
***
西館の三階、その突き当たりには何の変哲もない扉が建っていた。
しかしその窓から見える中の様子は、まるで黒のインクで塗りたくられたかのように真っ暗である。仮に電気がついていないとしても、違和感を覚えるくらいには何も見えない。
まさか僕が来るのが遅すぎて帰ってしまったのだろうか────そう思い、慌てて扉を開けようと取っ手に手をかけたが、鍵が掛かっているのかそれはびくともしなかった。無駄な行為と分かっていながらも、僕は諦めきれずそのまま力を込める。
けれどもやはり、ぴったりとくっついたその扉は一切の隙間を見せることはなかった。中に入れないのなら、先生はもういないのかもしれない。
どこか気落ちするのを止められず、肩を落として帰ろうと足を後ろに動かす。
そのまま背を向けて歩こうとしたその瞬間、僕の頭には天啓が降りたかのように、あることを思い出した。
────部屋に着いたら、ノックを5回した後自分の名前を言え
急いでポケットから取り出して内容を確認する。
最後の一文として書かれたそれは、あまり重要なことでもないと思っていたから、そこまで僕は気にしていなかった。
しかし、これはもしかすると扉を開けるための重要な鍵なのかもしれない。何しろ先生は魔法が使えるのだ。そんな仕掛けがあったとしても不思議じゃなかった。
僕は改めて扉の前に戻り、一回一回数えるようにノックをした後、自分の名前を告げた。
無意識の内に右手を胸の前で握りしめる。
それから少しして目の前の扉が勝手に動き出すと、僕はぎょっと体を固まらせた。何故か、扉は開いたのに中の様子が全く見えないのだ。
けれども暗闇に包まれたその場所から、聞き覚えのある声が耳に入ってくる。
「やぁーっと来たか。まさか忘れてた訳じゃあねェよなァ?」
タルテ先生の呆れたような声だ。やはり彼はこの中にいるらしい。
「おい、そこで突っ立ってないでさっさと入って来い。誰かに見られたら扉に魔法かけた意味ねェだろ」
「あ……! す、すみません。今行きます」
跳び跳ねた心臓が脈打ったまま、僕はその部屋へ足を踏み入れる。
だがしかし────室内は足のやり場もないくらい本やら紙やらが散らばっているせいで、僕はそれ以上そこから一歩も動くことができなかった。
壁にはところ狭しと本棚が並べられているのに、それには収まらないほどの本達が至るところで分散されている。それに加え、何かのレポートのような紙が、あちらこちらで床の隙間を埋めていた。
この景色に思わず僕も、不満が口から溢れ落ちる。
「タルテ先生……この部屋汚すぎませんか?」
「あー? 別に気にすんな」
「気にすんなって、そんなの無理ですよ……! これじゃあ足のやり場もないじゃないですか!」
「はぁ……、めんどくせェな……」
僕の言葉にため息をついた先生が、人差し指を上げて物を退かすかのように二回振った。途端、散らばっていた紙が僕の前だけ道ができるように端へ動いていく。
その奇妙な出来事に、僕はただただ呆けることしかできなかった。
「これなら歩けるだろ。早く入って来い」
タルテ先生の言葉にハッとして開いた道を進む。背後でバタンッと扉の閉まる音がした。
正直、こんなことが出来るのなら早く片付けたらどうだと内心思わないでもなかった。
けれども僕は魔法の異次元さに圧倒されるばかりで、何も口にすることはできなかった。
室内を見渡すと、窓には厚いカーテンが掛かっており、外の光が一切入ってきていないことが分かる。それでも十分に明るく見えるのは、所々に置いてあるランタンのおかげだろう。灯された火はまるで歓迎するかのようにゆらゆらと燃え盛っていた。
部屋の奥には執務机と椅子があって、タルテ先生は背もたれに深く腰掛けながら、肘をついてそこに座っている。当然のことながらその周りも色々なもので散らかっているが、彼はそんなこと全く気にしていないようだ。
「お前がどうしてここに呼ばれたか分かるか?」
先生の前で立ち止まると、そう問いかけられた。
「なんとなく察しはついてます。……僕に魔法が効かなかったことについてですよね?」
「そうだ。本当はすぐにでも来てもらうつもりだったが、思いの外アイフォスターが離れねェからこんなに時間が経っちまった」
「……あの、先生はどうして今日、ミカイルに用事があるって分かったんですか? 以前教室でも問題を起こすなっていう予言みたいなものをしてましたけど、やっぱり魔法使いには、未来予知のようなものもできたりするんですか?」
「そんなもんは使えねェよ。今日はたまたま知ってただけで、教室でそう言ったのもただの俺の勘だ」
「知ってた? ミカイルの用事を……?」
てっきり僕は未来予知ができるのだと思い込んでいたため、先生がミカイルの用事を知っているということに全く疑問を覚えていなかった。
しかし、こうなってくると些か不思議だ。わざわざミカイルが言ったわけでもないだろうし、先生が知り得るとすれば学園関連の何かだろうか。
僕が首をかしげて考え込んでいると、タルテ先生は言いたくなさそうに顔をしかめた。
「悪いがそれは言えねェ。どうしても気になるんだったらあいつに聞いた方がいい。……まァ、本当のことを言うかは分からねェが」
また一つ、ミカイルに聞きたいことができてしまった。
どうやら僕といなかった一年間で、彼に関する知らないことが増えてしまったようだ。それに寂しいような怖いような言い様のない感情が渦巻く。
別に全てを知りたいということでもないが、ミカイルは僕の全部を把握したがるのに自分のことは何一つ言わないんだな、と思った。もしかすると僕が尋ねないから言わないだけなのかもしれないが、それにしてはどこかすっきりしない気持ちだ。
「それよりも────本題はここからだ。お前の魔法が効かない体質について。俺から一つ頼みがある」
タルテ先生の真剣な眼差しに、僕は一旦思考を止めて、ごくりと唾を飲み込んだ。
「お前のその体質は、俺でも聞いたことがねェくらい珍しいもんだ。理由をはっきり言えなかったのもそのせいだしなァ。だからこそ俺は、その原因を解明したいと思ってる。………俺の頼みとしてはこうだ。その身体を、研究のために貸してくれる気はねェか」
「…………貸す、っていうのは、具体的にどういうことですか?」
「身体検査と、どこまで魔法が効かねェのか実験がしてェ。ただ、もちろんこれは強制じゃねェから、お前が嫌だったら断ってもらってもいい」
僕は少し黙って考えたが、結論はとっくに出ていた。
「────いえ、大丈夫です。僕で良ければ、タルテ先生のその研究に、協力させてください」
僕の返答にタルテ先生は一瞬眉を上げた後、我慢が出来なかったのかクックッと笑い声が漏れだした。深緑色の瞳はまるでおかしなものを見るかのようで、三日月型に曲線を描いている。
「本当にいいのかァ? 一旦持ち帰ってもいいんだぞ?」
「……僕はまだ先生のことを多くは知りませんが、それでも今、この時点で貴方のことを信用できる人だと思っています。それは、これまでの先生の言動からによるものです。だから僕は、その研究に協力したいと思いました。あとは……単純に、僕も原因が気になるので」
「なるほどなァ。途中で嫌だっつっても止めてやれねェかもしれないが……、」
「え? それは困りますよ!」
「ククッ、冗談だよ。じゃあまあ、契約成立ってことで。当たり前だが、他の誰にも言うんじゃねェぞ」
「もちろんです」
「────よし。アルト、そろそろ出てきてもいいぞ」
突然他の誰かを呼ぶ先生に動揺して、え?と疑問が溢れ落ちる。
そのまま先生の視線を辿っていくと、部屋の奥の方に積まれた本の後ろから、一人の青年が出てくるのが見えた。
彼もまた僕と同じ制服を着ているが、シャツは第二ボタンまで外され、その首からは赤いネクタイが垂れ下がっており、意味があるのかそれは緩く一回結ばれているだけ。ブレザーも羽織っておらず、代わりに質が良さそうな黒色のパーカーを着用している。
しかし、驚くべきはその髪色と瞳の色だ。胸の下辺りまで伸ばした艶やかな黒髪と、宝石のように光輝く赤い瞳は、以前街で出会った男を思い出させた。顔つきはあの頃よりも成長しており、見たものを虜にさせるくらい美しさも拍車がかかっている。
いくら僕もミカイルで見慣れているとはいえ、やはり美しい顔の人はまじまじと見てしまうものだ。
目の前の青年は解すように首や腕を回すと、疲れた顔をしてタルテ先生に言った。
「やっぱりオレ、最初からいても良かっただろ。魔法使ってもイミねえからこんなとこにいさせてさあ。おかげですげえ疲れた……」
「お前がいたら余計なことばっか言って、無駄に頭を悩ませることになるだろうが」
「ええー? そんなこと言わねえし」
「はっ、どうだかな。……おい、イーグラント。お前、こいつと会ったことあるだろ?」
タルテ先生が突然僕に話しかけたことで、青年の顔もこちらを向く。思わず目が合ってしまいそうになり、僕は慌てて先生の方を見た。
「あっ、はい。一度ザイフロンで話をしました。でも、なんでここに……、」
「ああ、隠してて悪かったなァ。これからはこいつも、その研究に加わることになるんだよ」
「そうそう! 久しぶりだな、実験体。お前とはまた会える気がしてたんだよ。オジサンから話聞いて、本当はすぐにでも実験がしたかったんだけど、今は無理だ、とか言ってさあ。でも、ようやくオレはカイホウされたんだ。だから、早速……」
そう言うと青年は、宙から謎の器具を取り出して僕ににじり寄ってきた。
「あ、待て。まだ何もすんな」
「はあ……!? さっき了承は取れてただろ!」
先生が咄嗟に止めてくれたが、僕の足は無意識に後退りを始めていた。
いくら研究に同意したとはいえ、心構えはまだ出来ていないのだ。
「とりあえず、今日のところはここまでだ。もう帰らせねェと、アイフォスターが戻ってくる」
「チッ、またオアズケかよ」
「しょうがねェだろ。あいつに気づかれたら元も子もねェんだから」
「あ、待ってください」
なんだか帰る空気になってしまい、僕は急いで制止をかけた。
「一応、名前を聞かせてもらえませんか?王族の方なのでもちろん存じ上げてはいますけど、自己紹介はしておきたいんです。僕の名前は実験体、なんていうものでもありませんから」
青年が意外そうに目を丸めて僕を見た。
タルテ先生が面白そうに口角を上げているのが視界に映る。
流石に無礼すぎたか、と僕が若干不安になっていると、思いの外素直に彼は答えてくれた。
「オレの名前はアルト。お前は?」
「僕は、ユハン・イーグラントです。やっぱり、第二王子のアルト殿下だったんですね」
「…………だからなに?」
「えっと……不躾でなければ、僕の方が一つ下なので、アルト先輩と呼んでもいいですか……?」
「……先輩…? 何それ。オレ、初めてそんな風に言われたんだケド……」
「あっ……、この学園は身分を重視しないので、僕もそう呼びたいと思ったんですが……」
やはり平等を謳っていても、暗黙のしきたりはあるのだろうか。彼もまた、ジークと同じで身分を主張する人間なのかもしれない。
そんな風に内心残念に思っていると、突然僕の目の前に、満面の笑みを浮かべたアルト先輩が現れた。
「それ、すげえいい!」
「うわ!?」
驚きすぎて床に落ちていた紙を踏んでしまい、思いがけず転けそうになる。
しかし間一髪のところで、先輩が僕の腰を支えると、その非常事態は免れた。
そのまま彼は僕の腰をグッと引き寄せて、鼻が当たりそうなくらい顔が近づく。咄嗟に離れようと手を彼の胸に当てかけたが、あまりにも嬉しそうな顔にそれは動きを止めた。
「オレ、ずっとウンザリしてたんだよ。その身分ってヤツにさあ。何も知らねえクセして、上っ面だけ見て、聞こえのいい言葉を並び立てるヤツらがオレは大っ嫌いなのに、周りにはそういう人間しかいねえ。だからそうやって普通に呼ばれんの、お前が初めてなんだ。すげえ嬉しい」
言われた言葉にただ呆然と、先輩を見上げるしかなかった。
彼はこの国の第二王子だから、幼い頃からきっと、周囲に持て囃されて育ったことだろう。もしかすると、強大な魔力の証である赤目を持って生まれたから、それは通常よりも大袈裟だったかもしれない。
周りの人達もそうすることが当たり前だと思って接していただろうに、僕のこんな些細な一言で喜んでしまうくらい、先輩はそれが窮屈で仕方なかったのだ。
「あの……、僕はこの学園だからこそ、アルト先輩とは普通に接したいと思っています。でも、ここじゃなかったら、僕も周りの人達と変わらない態度を取っていたかもしれません。それでも……僕と仲良くしてくれる気はありますか」
「ここの生徒だって、オレのことを王族だっていう目で見てくるヤツしかいねえよ。お前が変なんだ。それに思い返してみると、初めて会ったときもどっかふてぶてしい感じがしてたしな、お前。多分どこで会ったとしても、そんなに変わんねえ気がする。────だから答えはもちろん、イエスだ!」
ニッコリと笑ったアルト先輩が、僕の腰を支える腕に力を入れるのを感じる。
僕も嬉しくなって一緒に笑い合うと、忘れかけていたタルテ先生の声が外から聞こえてきた。
「おい、もういいかァ? そろそろ帰らねェと本当に不味い」
「あっ、すみません。僕が止めてしまったからですよね……。もう帰ります」
顔を横にずらして先生の方を見る。
アルト先輩も時間がやばいことに気がついたのか、僕の体を離すと扉の方へ腕を引いてくれた。
「あーあ。もっと話したかったのに」
「……次は僕、いつ来たらいいんですかね?」
「それはアイツが父さんと……」
「また俺が呼ぶから、その時に来い」
アルト先輩の声を遮って、いつの間にか近くまで歩いてきていた先生が告げた。
「わ、分かりました。それじゃあ次は、その時に来ます」
何か気になる言葉が聞こえたような気がしたが、触れてほしくないのか、先輩はそっぽを向いて素知らぬ顔をしている。僕も空気を読んで、必要以上に問いかけはしないことにした。
扉はまた自動で開く。そのまま部屋から出ると、後ろから二人の別れの挨拶が耳に入ってきた。
「じゃあな、気をつけて帰れよ」
「えーっと、ユハ? バイバイ。またな」
「あっ、はい。また……」
振り返って言い終える前に、扉はピシャリと閉まった。
その後は再び開くこともなく、また物言わぬ扉に成り果ててしまう。アルト先輩に僕の名前はユハンだと正させることもできなかった。
それにしても、全てが夢だったかのように現実味が感じられない。ジークとの一件も、遠い昔のようだった。
窓の外を見やれば空はすっかり明るさを失くし、夜の闇が学園を包み込んでいる。
早く帰らなければ、ミカイルにバレてしまう────
急に叩きつけられた現実に、僕は夢うつつ状態だった脳内を覚醒させ、急ぎ足で帰路についた。




