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夕に染まる  作者: さく
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タイトル未定

ミステリを書けるほどの柔らかな頭も、サスペンスが書けるほどの人を見る目も、ラブストーリーが書けるほどの劇的な人生も、私には何もありません。だから、これはあなたとの思い出を綴った、ただの日記にしか過ぎないと思います。


 思い出せなくなるその日のために思い出をしたためます。

春が過ぎ、授業が終わってもまだ昼間のような陽がさしている。

 「来週から進路面談があるので、忘れないように親御さんに伝えること。では起立。」担任の丸井先生が額から汗を流しながらホームルームを終わらせた。丸井の名前通りにグレーのワイシャツは腹ごとはみ出ている。

 大学受験も控えているのに僕以外のクラスメートは部活動で忙しくしているようでバタバタと教室の外へと出ていった。

 僕はというと学校と家の行き来ばかり。グラウンドや体育館によることなんてなかった。

 しかし、今日は希望している大学のパンフレットをもらいに職員室に寄らなければならなかった。丸井先生の用事が済む30分後に来てほしいと伝えられてしまい用もないのに教室で待つことになった。

 「わざわざ待たせなくても誰かに渡しといてくれたら‥」小さな声で呟いたが周りの話し声や鞄の音にかきけされた。仕方がないのでこの中途半端な時間で英単語帳を見ることにした。

 すると一度廊下へ出たはずのクラスメートの一人が小走りで駆け寄り、僕の前の席に背もたれを正面にして座った。

 「ねぇこの前丸井先生と話してるの聞いたんだけどあそこの大学のパンフレットもらうって。私も進路希望同じとこなんだ。コピーくれない?職員室って‥ちょっと‥あれだなあって」少し照れた顔がやたら明るい西日ではっきりと見えた。彼女は高校に入学して以来ずっと同じクラスだったが話した数は指折り数えられる程度だった。


 ひとつ印象に残っているとしたら、彼女が、僕の好きな色と同じ名前ということだけだった。


 「別に‥いいけど‥」ろくに友達もいない僕には女子への返答なんてうまく行くはずもなく、きっと聞き取れるかどうか曖昧なほどの小さな声だっただろう。

それでも返答を予想していたかのようにすぐに「やった!ありがと!」と、さっきとはうってかわって大きな笑みを浮かべた。

 「いやぁ。あの大学さ。受かるかわかんないんだけどさ。同じとこ受ける人が近くにいるって知ったら俄然燃えてきて!うち母子家庭なんだけど学費も他より安いみたいだし。」

 僕が口を挟む間もないほどよく喋っていた。気づけば教室からは僕ら以外誰もいなくなっており、声は隅々まで届いていた。

 その声に気づいたのか他のクラスの先生が「丸井先生もう少し遅くなるみたいだから。教室で待ってて。   そっちに持っていってもらうから。丸井先生にも教室にいるって伝えておくから」と声をかけに来た。

 すると彼女は「なんだ。職員室行かなくていいなら私もパンフ頼んどいたら良かった」と愚痴をこぼした。

しばらく彼女の独演会が続き、それからは、家に帰ったら何をしているのか、趣味は何か、どうしてその大学に希望したのかと面接のような質問責めに変わっていった。丸井先生がパンフレットを届けに来たと同時にやっと解放されるという安堵感と、またしばらく女子と話せることなんてないのかなと月並みの物寂しさに包まれた。

 僕は帰る準備をして「明日コピー持っていくから」と伝え椅子を引いた。

 すると彼女は「一緒に勉強しない?学費のこともあるからさ。大学…落ちれないんだよね。」と言った。

僕はどんな顔をしていただろう。陽が落ち始めた教室には少しだけ影が伸びていた。


 



 それからは授業が終わると、近くの図書館で一緒に勉強をすることになった。図書館には自習室があり黙々と二人で問題集を解き続けた。隣でノートをとる指先は白く小さいことを知った。集中力が続かない彼女は時折立ち歩いたり、うとうととすることもあった。二人での自習が続く中、僕が勉強に戻させる役割をすることになった。



 学校から家に帰り、いつも同じ時間に図書館前で待ち合わせる。彼女はいつも少し遅れてきた。

 コツ‥コツ‥コツコツコツ‥。僕の姿が見えてから小走りになる不規則な足音。いつしかそれが僕にとっての"彼女の音"になった。


 問題集を解き、彼女のわからないところを教え、眠る彼女を起こす。そんなことが日課になり1ヶ月が経つ。


 一緒に過去問を解いても点数が悪ければあまり話したがらない。点数に自信があるのに自分の方が悪いと少し不機嫌になり、自分の方が良いと帰りにジュースを奢らせようとする。

 わからない時、不機嫌なとき、勝ち誇った時、どんな時もわかりやすい程表情がこぼれ落ちる。



 一緒に勉強をしているだけで彼女のひととなりが少しずつ見えてきていた。





 きっとそれが僕の心を満たしていたんだろう。



 


 いつも通り自習室でうつむき、目を瞑る彼女を横目で見る。陽が暮れてきたことになど気づきもしなかったが、夕方の色に染まる横顔が時を知らせ、ガラスに映る自分がうっすらと何かに染まっていたことに気づいた。



 それからは学校と図書館、自宅への行き来の毎日だった。


 制服は夏服に変わり、中間テストや模試などがあり怒涛のように時が過ぎた。


 終業式の日。彼女に夏休みの勉強はどうするかを聞かれたが、夏期講習に出ることを伝えた。

 「君の予定は勉強ばっかりだ。たまの息抜きも必要だよ。」彼女は意味ありげな表情で堂々と言った。

でも、第一志望めざしてるんじゃと僕が小さく呟くと彼女は一日くらい大丈夫でしょと答えた。

 「来月の夏祭り一緒に行こうよ。それまでは…頑張るから!」

 「まあ…1日くらい。目標があった方がいいかもね。」

 冷静ぶった返答をすることで、赤らむ顔を隠そうとした。

 それに気づいてなのかは分からないが、彼女はフフッと笑いかけた。


 日を追う毎に暑さは増し、コンビニへ行くだけでも肌が焼けつくほどになった。

 僕は毎日朝から夏期講習へ行き、夕方には自宅へ帰る。身仕度を済ませるとそのままいつもの図書館へと向かった。

  彼女は家の経済的理由で塾や夏期講習へ行くことは出来ず、朝から図書館で受験勉強をし続けていた。僕が行くと必ず顔を伏せっていた。相変わらずだった。

 閉館時間まで二人で勉強をし、帰り道には独演会を聞くのが日課だった。

 「最近さ。家で勉強するとテレビばっかり見ちゃうんだよ。うちお母さん一人でしょ。遅くまで仕事に行ってるからさ、家の中がしんとしてて、何か音が無いと寂しいってか、モヤっとするの。そしたらテレビ付けてそれ見て、勉強できないの。だからさラジオに変えてみたの。じゃあね。捗る捗る。時々この人新曲出したんだとか、集中力切れちゃうんだけどね。あっ。ここ曲がるから。じゃあまた明日ね!」

 いつも好きなだけ喋り、潔いくらいにすぐに帰ってしまう。


 そしていつも、反対方向に去っていく背中を見えなくなるまで見つめてしまう。



 彼女は背中を追う僕の姿に気付いていたんだろうか。


 

 蝉の声が会話をかき消すほどになった8月。

 約束していた夏祭りの日になった。相変わらず夏期講習はあったが、今日は図書館へは寄らずに帰宅して待ち合わせ場所へ行く準備をしていた。

 母親からは誰と行くのか、福引券はもったのか、浴衣は着ないのかと質問攻めにあい、簡単な返答をしてから、面倒だからと早めに出発することにした。

 「あんまり遅くならないようにするから」と一言、母に伝えると「たまには遅くなりなさい」と口元を緩めて言った。

 「なんだよそれ。行ってきます」

 何となく気恥ずかしくなって振り向くことなく扉を開けた。



 待ち合わせにはまだ早かったが、一人で先に屋台を見に行くのも申し訳ないなと、予定していた場所で待つことにした。


 少しずつ日も落ち、僕の影は自然と、夏祭りの会場の近くまで先に向かっているように伸びていた。


 たった20分程の時間が1秒ずつ明確に時を刻むので、いつまでも待ち合わせの時間にはならなかった。


 内容の入ってこないネットニュースに目を通し、顔を上げないで済む理由を作る。

 溢れ出しそうな気持ちに蓋を閉じられるように。



 すると「お待たせ」と聞き慣れた声が聞こえた。

 ゆっくりと前を向くと見慣れない格好をした彼女が笑いかけている。

 「なんだ。Tシャツじゃん。浴衣で来なよ。浴衣で!」と少し気恥ずかしそうな笑顔で言った。



 

 日が沈み切る前の世界で、彼女の全てが僕の好きなあの色に包まれている。

 あの時のようにガラスには映っていないのに、自分の顔が夕方に染まっていることに、はっきりと、気付いてしまった。




「浴衣・・・。似合ってるよ。」絞り出した言葉は蝉の声や喧騒に消えそうなほどだったが、彼女は微笑んでくれた。頭の中が真っ白になっていると伝えているみたいで気恥ずかしくなり、また自分の顔が染まっていく。


 じゃあ行こっか と彼女が先に歩き出した。今の財布事情的に何が食べられるか、どの出店で遊ぼうかとまたいつもの独演会が始まった。

 しかし遊びより食べ物に目が行くのか、あちらこちらでフランクフルトやたこせんなどを買い、二人の両手は塞がってしまう。

 彼女が一歩進むごとに時の進みは早くなっていき、自分がアインシュタインだったらこんな時に相対性理論に気づくのだろうか、とおおよそバカとしか思えない思考を巡らせることで平静を保とうとした。


 日が沈み花火大会の時間が近づいていく。

 


 「そろそろだね!」そう話す君の無邪気な笑顔に吸い込まれそうになる。二人の片方の手が空いたころ、一筋の花火が上がった。


 心が躍った。久しぶりに空を見上げた気がする。赤青緑と変わっていく花火に見惚れていた。自分でも気付かないうちに顔が綻んでいたみたいだった。


 「そんなに笑顔なの初めて見たかも」彼女は僕の方を向きそう言った。

 その言葉を聞いてすぐ彼女の方を見やるが、またすぐに花火を見上げていた。

 僕もすぐに視線を戻す。

 群衆が少し動く度に二人の距離は近づいていく。

 二人の手の甲が触れるのを感じた。

 





 小さく暖かく感じる。この時の感触を「今」でも鮮明に覚えている。

 

 きっとこの時その手を握っていれば…。例え話など何になるわけでもなく。僕も彼女も不幸せな人生を送ってきたわけではないのだから。






 数十分、大した会話もないままに花火大会は終了した。

 「首痛っ」と笑いながら言う彼女が、今までの幻のような世界から僕を引き戻した。

 「明日からまた受験生に戻っちゃうね~。やだね〜。」とまた現実世界に引き戻していく。

 「1日くらいって言ったのは君だろ。」そう話す僕を見て、下唇を突き出す彼女。

 「まだ、1日は終わってないわけだし、もう少し楽しもう。」僕の言葉が意外だったのか、目を丸くし、またすぐに大きな笑顔を見せた。家を出る前の母親の言葉が頭をよぎった。


 「少しくらい遅くなっても良いよね。1日くらい。」

彼女にそう言いながら、何かを決心しようとする自分がいた。


 花火が終わったからか荒れた人波は、徐々に静かになっていく。二人の距離を縮めるものはなくなっていく。

 もう出店を楽しむお金もお腹もなくなっており、川沿いをただ歩くことになった。

 しばらく歩いていると彼女は「今日、終わってほしくないな。1日くらいじゃなくてさ。ずっと。」

 それが何を意味していたのか、この時はわからなかった。あまりに寂しそうな顔をしていて、僕は言葉に詰まる。ただ、気持ちが溢れ出して止まらなかった。


 「あの…僕は君と勉強してると楽しいよ。全然集中してくれないけど。でも毎日毎日、変な日課みたいなものができて。それがなぜだかわからないけど、夜眠る前に思い出して笑ってしまうんだ。それで…なんというか…。初めて明日が楽しみになった。僕は君が…。」


 そこまで話すと彼女の携帯電話が鳴る。言葉は止まり、最後まで聞こうとしてくれていた彼女に電話に出るよう伝えてしまった。


 彼女は「お母さん…。」と呟き、電話に出る。

 「もしもし。」というとスピーカーの向こうから「いつまで出かけてるの?早く帰って来なさい!明日は〇〇〇〇!」最後まで聞こえなかったが、彼女の顔は少しずつ俯いていく。

 電話を切り、「ごめん」と枯れた声で言う彼女になんと声を掛けて良いのか分からなかった。

 涙を堪えているのはすぐに分かった。

 「早く帰れって、行ってたよね。家まで送るよ。」そう伝えると何も言わずに頷いた。

 道中ほとんど無言だったが、気持ちが落ち着いてきたのか、また「ごめん」と呟かれた。

 「楽しかったよ」そうとしか答えられなかった。

 彼女を自宅の前まで送り、手を振った。この時初めて僕の方が背中を向けて歩いていった。彼女はいつまで手を振り続けていたのだろうか。


 自宅へ帰ると父と母はテレビを見ながら晩酌していた。

 母はおかえりと僕の顔を見るやいなや、「お風呂入ってきなさい。今日は…ガリガリくんね。」と風呂上がりに食べるアイスを指定してきた。

 母はあまり裏表がない。それでも人を傷つけないよう少し遠回しな言い方をする。

 風呂上がりに冷凍庫を見るとハーゲンダッツとガリガリくんが置いてあった。その下手くそな優しさが母らしくて嬉しかった。


 


 夏祭りの日から彼女は図書館へ来ることは無くなってしまった。どうしたのかと何度もメールをしようとしたが、あの時の ごめん がそれを遮った。


 夏休みがあけるまで心が詰まって動かずにいた。図書館へ行くことはなくなってしまった。



 それからしばらくして学校が始まった。

 始業式の日に教室を見渡すと彼女は友だちの輪に入り楽しそうにしていた。僕と目が合うことは一度もなかった。

 大丈夫。今までのことがただの夢だったんだ。そう唱え続けた。


 自然と彼女との距離が離れてからしばらくして、秋になった。

 みんな部活も終わり、放課後の教室に残る人は増えていく。

 何となくそこに居づらくなった僕は、久しぶりに一人で図書館へ向かった。すると彼女が机に伏せっているのが見えた。

 帰ろうかと踵を返す瞬間、顔を上げた彼女と目があった。二人して気まずそうに目を逸らす。

 どうしようもなくなった僕はやはり家に帰ることにした。自室で勉強をし続け、休憩をしようとした夜の21時頃。携帯電話が鳴る。サブディスプレイには彼女の名前があった。すこし間を開けてからメールを開くと、ごめん とまたあの一言が書いてあった。

 なんと返事をして良いかと悩んでいるとまた一通のメールが届く。さっきとは打って変わって長文が書かれていた。


 そこには夏祭りの日に何があったのか。今まで自分が何を思っていたのかが書かれていた。


 彼女は早くに両親が離婚し、お母さんが女手一つで自分を育ててくれた。ただ、お母さんも心の拠り所が欲しかったのか恋人を作り、今まで何度も知らない男性を紹介されたとのことだった。もちろん良い人もいたが、気味の悪い男もいて、家に居たくないことが増えていったそうだった。見ず知らずの男性が家の中を歩くことを気味悪がる気持ちは想像に容易だった。

 高校3年生に上がる頃、紹介された男は特に苦手で家にいない理由を作るために外で勉強をすることにした。僕を誘ったのは、一人だと家で勉強しろと言われるから、同じ大学を受ける人と一緒だと言うことで口実を作っただけのようだった。



 しかし、その後の文面には一緒に勉強していた時間は嘘でも口実のためでもなく本当に楽しかったと書かれていた。お喋りな自分の話をいつでも最後まで聞いてくれて嬉しかったとも書いてあった。

 同性の友人には家のことを気付かれることが不安で、どこかで壁を作ろうとしてしまう自分がいてどうしようもなかったと全てを赤裸々に告白していた。


 夏祭りのあの日、お母さんからの電話を受け、翌日恋人と3人で食事に行く予定を伝えられていた。その時にお母さんの恋人を避けようとするのは止めてほしいと言われてしまったようだ。

 お母さんのことは大好きで、その恋人が悪いわけでも嫌いなわけでもない。ただどうして自分と二人だけではダメなのか、とあの時そう思ってしまったと最後に書かれていた。


 僕と距離を離した理由について書かれてはいなかった。しかし、僕の言葉の続きを聞くことが出来なくなってしまったのだと、何となくそう思った。


 そのメールのあとからいつも通りの関係に戻ったのかというとそうではなかった。

 この時生まれていたズレが戻ることはなく、僕が夜の始まりを歩いていた頃、彼女は夜の真ん中を歩いているようだった。


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