悪夢に呼ばれて
二人に手を振り部屋に入ろうとした時、坪内に声をかけられました。
「今から台本読む?」
「うん!」
「万桜は台本読むと入り込みすぎるからなぁ。外から呼んで返事なかったらそっとしとく?」
「ううん、時間になって返事なかったら中入っちゃって」
「オッケー。じゃあ、ほどほどにね」
台本を読むことに対してほどほどにと言われる演者ってどうなのかとも思うのですが、私の場合は没入しすぎて声を掛けても気付かないことが度々あるそうなのです。自分では分からないので、坪内が言うにはなのですが。
ですから、集合時間になって反応がなければ部屋に入って起こしてほしいと頼んでおきました。
部屋は小さくても必要なものがまとまっていて、使い勝手が良さそうでした。セミダブルのベッドが1つとテレビの置かれたデスク、冷蔵庫や加湿器もありました。
簡単に荷解きを済ませると、ベッドに腰掛け、荷物の中から台本を取り出しました。私は昔から台本が大好きでした。読んでいると景色が浮かび不思議と違う世界の住人になった気がして。それが楽しいのです。
なのでこの時も台本を読みながら、より深く世界観に浸ろうと自分の役について考えていました。
今回は、行方不明になった娘を探すシングルファーザーの元恋人を演じています。
時系列で言うと、作品は既に二人の恋が終わってしまったあとの物語です。
ですが行方不明中の一人娘、琉美は父親と父親の新しい恋人だった女性の動画を世界中に発信したのです。彼女なりのSOSだったのでしょう。
最も彼女は、父親とその元恋人のあまり人に見られたくない動画が霞む程のものを世界中に発信するわけなのですが……。
娘からしてみれば、母親を亡くし父娘で二人三脚前を向いて頑張ろうという時に、突然知らない女が「父親の新しい彼女だ」と現れる。元恋人という立場から琉美の気持ちを考えてみても、嫌悪の気持ちを抱くことは致し方ない気がします。
「それになぁ……初対面時の琉美が反抗するのは理解できるにして、お父さんの対応、これ火に油よなぁ……」
強い反抗を見せる琉美に対して、私は彼女とどうなりたかっただろうか。仲良くなれると思っただろうか。それとも彼女の結末を、想像出来ただろうか。
そんなことを考えていたと思います。次第と台本の世界に深く没頭していきました。ぼんやりする頭の中で鮮明に和食屋やよいを取り巻く日常を描き、そこに存在していました。
ストーリーが進み、やがて件の廃病院へやってきます。行きの車中から見たあの廃病院です。
作中、娘の失踪を追う父が最後に辿り着くのがこの場所でした。
また残念ながら映画では実際に使われなかったシーンなのですが、私は騒動の後、廃病院に幾度となく通っては親子の痕跡を辿ろうとします。頭の中で進んだストーリーでは、丁度そうして彼らについての手掛かりを求めて廃病院へやって来たところでした。
小高い丘の上に建ち、背の高い木が病院を後ろから覆っています。木の影が病院に掛かり、昼間でも薄暗い場所でした。
重い戸をぐっと押し、息を潜めて忍び足で中に入りました。院内にはナースサンダルの音がキュッキュッと慌ただしく行き交います。外から見た建物の古さは感じられませんでした。
キョロキョロと院内を見渡す私に目もくれず、少数の看護師たちが青い顔で目を真っ赤にし、忙しなく働いています。忙しさ故なのか、私という異物の侵入に誰も気が付きません。ナースステーションの前を通りかかった時、看護師たちのすすり泣く声が聞こえてきました。
そこでやっと、「廃病院に来たはずなのに」ということに気が付いたのです。台本の通り廃病院にやって来たのに、何故か廃業前だった。自分でも訳が分からず、夢でも見てしまっているのなら起きた方がいい、と結論付けました。
やめておけば良いのに、その時無意識にナースステーションの方へ目を向けてしまったのです。
先程までこちらに目もくれなかった看護師たちが、全員私を見ていました。目玉があるはずの場所には穴が空いているだけで、そこからボロボロと涙を流しています。彼女たちは泣きながら笑っていました。口は頬を突き破るかのようにニッと弧を描きますが、歯がなく真っ暗です。
その光景が余りにも恐ろしく、まるで金縛りにでもあったかのように体が動きません。それでもどうにか力を振り絞り、思いっきり叫びました。
「キャァァァッ」
ですがその音が私の口から発声されることはなく、パンっと場面が切り替わるのを感じました。
いきなり目の前から光が消え、次に光が戻った時には仰向けに寝ているのです。舞台の暗転に近い感覚でした。光が戻ったとは言っても、真っ暗な部屋の中でどうにか自分を囲むパーテーションが認識出来る程度です。
ベッドの上、だったと思います。起き上がれませんでした。少し身動ぐとギシギシと軋む音が響きます。他にも人の気配がしました。寝息のようなものが近くで聞こえます。病室の、しかも相部屋の、ベッドの上──自然とそう感じました。
やがて遠くの方から、キュッ……キュッ……と、靴底を床に擦って歩く音が近付いてきました。先程のナースサンダルの音とは違い、重くのっそりとした足音です。足音は不規則で、時折何かが壁にぶつかるような音もします。息を殺して、耳を立てていました。
次回更新予定時刻は2024.12.01.01:30頃です
ありがとうございます